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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第四章 縁組
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五七 敗北

 攻防二日目にして中心部を除くファディの大半を失ったクロス卿派の落胆は相当なものであった。

 一兵卒、従兵、馬丁に至るまで士気を喪失し、既に一〇〇名近い兵が逃亡若しくは敵に投降している有様である。先までの戦いで死傷した兵を更に割り引くとファディに残った兵は五〇〇余といったところであった。

 このような状況でブレド男爵軍の次の攻勢に耐えられるはずがない。中心部周辺には土塁を設け、集会所や家屋などの遮蔽物が多いとはいえ、数時間も持ち堪えれば良い方だろう。

 幸運にも未だブレド男爵軍が最後の攻勢を仕掛けてこないのは、男爵軍も先までの戦闘で少なくない損害を被り、軍の再編成に手間取っているのか。或いは砲座の位置を前進させ、残るファディ中心部に砲弾の雨を降らせようという魂胆か。若しくはこれ以上の強引な攻勢を行って自軍の損失を増やしたくないのか。それとも、ファディの陥落はもう目に見えたものであるから、まだ焦る必要も急ぐ気もないのかもしれない。その四つの理由全てか。いずれにせよ、ブレド男爵は勢いに任せて押し寄せてくるようなことをしなかった。自分が思っているよりも慎重な男なのかもしれないとレオポルドは考えた。

 とはいえ、ブレド男爵軍にも兵糧や金の問題がある。あんまりにも悠長にはしていられないだろう。早朝に前線を破ったので、午後から攻勢を再開するか。若しくは明朝に持ち越すかであろう。

 クロス卿派に残された猶予は短くてあと数時間、長くても一日かそこらである。

 この貴重な時間にクロス卿派の面々は今後の対策を考え抜かなければならないのだが、人間、そう上手く思考を切り替えることなどできやしないのだ。

 全軍がファディ中心部に撤収して以来、レオポルドは悄然としていた。集会所一室の上座に設けられた椅子に黙って座り込んでいる。

 彼の前では最近では珍しくもなくなってきたが、キスカがいつもの無表情を脱ぎ捨て気色ばんで怒鳴っていた。

「ファディ中心部まで敵の潜入を許し、その上、敵主力の夜襲を感知できないとはっ。見張りは何を見ていたのですかっ。前線での警戒態勢が緩かったのでありませんかっ」

 彼女の叱責に対し、前線指揮官であったジルドレッド大佐が顔を朱に染めて反論する。

「敵の夜襲に対する警戒が足りなかったのは貴女も同じではないかっ。確かに敵の手の者が前線を抜け、中心部に至ったのは見張りの注意不足であったかもしれんっ。しかし、中心部は貴女の担当区域ではないかっ。貴女にそのように批判されるのは耐え難いっ」

「私の手許にいた兵は僅か十数名です。この兵では要所要所に配置するのが精一杯というもの。しかし、貴殿の手許には四〇〇もの兵がいたではありませんかっ。その半数以上を前線から下げているから敵の夜襲に気付かず、また、対応にも遅れが出たのではありませんかっ」

 キスカの鋭い指摘にジルドレッド大佐も負けじと怒鳴り返す。

「何を言うかっ。貴女は兵を何だと思っているっ。兵とて人間なのだぞっ。飯も食わねば、寝もしなければ戦うどころか立って歩くことすら難しくなるのだっ。それに彼らとて出来れば寝所で、それが無理でも風がなく、板張りの家の中で休みたいに決まっているではないかっ。土の上で土塁を枕にして寝よというのでは兵の士気に関わるっ」

「平時はともかく戦時ではある程度の不自由は我慢せねばなりますまいっ。いいですか。これはサーザンエンド全体を左右する、そして、私たちの命をも賭けた戦いなのですっ。雨風を凌ぎたいから、士気が落ちるからといって配置を離れ、戦自体に負けては元も子もないではありませんかっ」

「貴女は軍を率いたことがないからそのようなことを言うのだっ。貴女の言うことは理想論で夢物語みたいなものだっ。誰もが貴女のような鉄のような意志を持っていると思うなっ。数百も兵が、人間がいれば、色々な奴がいるものだ。臆病者、卑怯者、犯罪者、不健康な者、金目当てな者、戦いたくない者。そいつらに如何にして軍服を着せ、武器を持たせ、言うことを聞かせて戦わせるかが指揮官というものだっ。その為には連中の士気や待遇には十分に気を使わねばならぬっ。確かに戦に負ければ元も子もないのは百も承知の上だ。だが、兵どもにとっては明日のことも大事だが、今食べるもの、今寝る場所のことも十分に大事なことなのだっ。そこら辺を気配りできねば人を率いることなどできまいっ。ただ、言うことを聞かない奴を鞭打ち、逆らう者を殺せばいいというわけではないのだぞっ」

 ジルドレッド大佐の猛烈な反論にキスカは一瞬たじろぐが負けじと怒鳴り返す。

「確かに仰る通りかもしれません。しかし、そのように兵を下げて休ませるならば何か異変があったときは直ちに兵を起こし、持ち場に向かわせるようにすべきだったのですっ。家畜小屋に火が放たれた後から敵の夜襲があるまではいくらか時間的な余裕があったはずっ。その間に兵を起こし、前線に配置すれば持ち堪えられたかもしれませんっ」

 キスカの指摘に、今度はジルドレッド大佐が言葉に詰まる。

「それは……、こちらの兵が少なすぎたのだ。それにこちらの防衛施設は前日の砲撃で穴だらけだった。弾薬も不足していた。前線を破られるのは時間の問題であったやもしれぬ。北側にもっと多くの兵を配置すべきだったのだ。南側の兵を北に回すよう言ったのだが……」

 彼の言葉に、今度は南側前線の指揮を執っていたレッケンバルム大佐が不機嫌な顔をする。レッケンバルム卿の子息である彼は父に似ず無口な人柄であったから、代わりに彼の副官であるエリーゼ・エティー大尉が吠えた。大尉はサーザンエンド辺境伯軍でも珍しい若い金髪の女性士官である。

「その言い方では南側の将兵が楽をしていたかのようではありませんかっ。南側の攻勢も激しく、こちらとてギリギリの状況だったのですっ。とても兵を割いて回すことなどできる状況ではありませんでしたっ」

「だが、南側の敵兵は一〇〇〇ではないか。北側には二〇〇〇の兵がいたのだぞっ」

「そうは言いますが、二〇〇〇のうち半数は騎兵で、攻勢には参加していなかったではありませんか。歩兵の数ならば同数です。それで、何故、数の少ない南側が兵を減らされねばならないというのですかっ」

「南側には敵の砲がなかっただろうがっ。あれでこちらの防衛施設は大きな損害を被ったのだっ。同数の兵でも全く状況が違っていただろうっ」

 このままではいつまで経っても責任の擦り付け合いという不毛な泥仕合が続きそうだったので、ジルドレッド将軍が自慢の大声を発した。

「それくらいにしろっ」

 部屋中に轟く大音声に誰もが唖然として、言葉を失う。

「終わってしまったことを今更あーだこーだ言っても何にもなるまい。敵の夜襲を予測できなかったのは我々全員なのだ」

 この言葉で面々は渋々ながら引き下がり、口を閉じた。

「しかし、敵は何故、わざわざ兵を侵入させてさして重要でもない家畜小屋に火を放っていったのでしょうか。確かに攪乱にはなるかもしれませんが、そんなことをしては夜襲に勘付かれる危険性を増すだけでは……」

 そこでふとジルドレッド将軍の副官が疑問を口にした。

「……目印にする為でしょう」

 キスカが素っ気なく言い放つ。

「夜明けと同時の襲撃とはいえ、視界は限られていました。それでは兵は目標を見失い、はぐれてしまう危険性があります。そこで、ファディの中心部に火を放ち、その火の光を目印としたのです。兵はその火の見える方向へ向かって行けばよくなります」

 なるほど。と、一同は納得する。

「ところで、アルトゥール様は如何されているのでしょうか。ファディが陥落寸前というのに何の動きも見られません」

 エティー大尉が不満げな様子で呟く。クロス卿派の数少ない逆転に向けた策はファディに敵軍を引き付け、その後背をアルトゥール率いる遊撃部隊が襲撃するというものだった。

 ところが、この遊撃部隊は息を潜めたままファディに何の支援も齎さず、ブレド男爵軍に対する妨害も見られないのだ。ファディに籠る将兵が不満に思うのも無理はない。

「後背を突くに的確な機がなかったからだろう」

 ジルドレッド将軍が苦々しげに言った。

「我々は敵軍を十分に引き付け続けることができなかった。この状態で攻撃を仕掛けても、敵に迎撃されるかもしれん。それに、敵の騎兵一〇〇〇は自由に動ける状態だった。これが遊撃部隊に対する強い牽制になっていたのだろうな」

 将軍の解説に一同はこれまた納得した。

 ただ、そんなことを話し合っている場合ではない。

 いくらか遠回りをしてから、キスカは今後の対策について意見を述べた。

「直ちにファディを脱出すべきです」

 彼女の主張は当初からほとんど一貫している。防御に向かないファディは放棄し、要害の地であるモニスに立て籠もり、敵の疲弊を待つというものである。

 モニスに非戦闘員のみを退避させ、主力がファディに残ったのは帝国人諸卿やムールド人長老たちの要請にレオポルドが妥協した結果である。

 既にファディを保持することは不可能であることは誰の目にも明らかである。これには将軍たちも異論はなかった。

 だからといって、敵を前にして背を向けて逃げるのかといえば、それには抵抗がある者も少なくない。

「私はここを死地を定めておる。退避されるならばこの老いぼれめが敵を引き付け、僅かなりとも時を稼ぐ所存」

 カルマン族の族長オンドルは半月刀を抱えてそう言い切った。幾人かのカルマン族の長老たちも同様の意見のようであった。

 彼らはかなりの老齢で立って歩くことにも不自由することがある。その身で敵を足止めするといっても如何程のものかという話なのだが、そこは誰も指摘せず黙っていた。

「脱出するにしても既にファディは敵に包囲されておる。敵に見つからず逃げることは不可能だぞ。夜陰に乗じたとしても無理というものだろう」

 ジルドレッド将軍の指摘は尤もであった。何はともあれ、再起を計る為にファディを脱出せんとするならばブレド男爵軍の包囲網を突破しなければならない。

 ブレド男爵軍が包囲しているのはファディ中心部のみであるから、包囲はほぼ完全といえる。兵があまり配置されていない隙間があったとしても、一人二人ならいざ知らずいくらかの人数であれば即座に察知されるだろう。また、夜襲を仕掛け合ったこともあって敵勢は今度こそ夜襲に十分な警戒をしていることは容易に予測できる。

 それでもキスカは十分に逃げ切ることが可能であると思っているらしく、脱出の策に自信を見せた。

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