五五 ファディ攻防戦~前
ブレド男爵軍の攻撃は早朝から始まった。
からりと晴れあがった空に砲声が響き渡る。砲座に据え付けられた三門のカルバリン砲から一八ポンドの鉄の塊が放たれる。乾ききった空気を切り裂き、ファディから一〇〇ヤードほど離れた地面に着弾し、土を噴水のように巻き上げた。
この砲撃にクロス卿派軍が対抗する術はない。ただただ、土塁の影に潜み、砲弾が運悪く自分のいる場所に直撃しないよう祈るしかない。
初撃が全く見当違いの位置に着弾したのを見て、ブレド男爵軍の砲兵は砲の仰角を変え、再び砲撃した。次弾はより土塁に近い場所に着弾し、幾人かのクロス卿派兵に頭上から土を浴びせた。
ブレド男爵軍は町に砲撃を加えるよりも土塁とその後ろに控える兵を狙いに据えているらしい。町を狙うよりも狙いが小さい分、命中させるのは至難の業というものだが。
「連中、町の住人がほとんど退避していることを知っているのかもしれんな」
ジルドレッド将軍は不機嫌そうに言った。
「無人の町に砲弾を撃ち込んでも意味がないからな。それよりは多少命中率が落ちても防衛設備の破壊や兵を狙う方が効果がある」
将軍が続けるとキスカも頷いた。
「まぁ、あれだけの人数が大挙して移動すれば悟られるのも致し方ないというものかな」
レオポルドはそう呟いてから望遠鏡を覗き込む。彼らクロス卿派軍の首脳は最終防衛線である町の中心部に留まり、物見櫓の上に立って前線の様子を眺めていた。前線の指揮はジルドレッド、レッケンバルムの両大佐が担っている。
レオポルドが望遠鏡を覗き込むと、ちょうど自軍の兵たちが潜む土塁に命中弾があったところだった。土塁が弾け飛び、数人の兵が吹っ飛ぶ。
「なぁ、あーやって、ちまちまと何人かずつ兵を狙い撃ちにされたら、こっちは手も足も出ないうちにやられてしまうんじゃないか」
彼の言葉にキスカは黙って視線を逸らす。
「まぁ、しかし、砲弾なんぞ滅多に当たるもんじゃないからな。こちらが全滅する前に、敵の弾の方が先に尽きるだろう」
「そうであればいい、が……」
そこまで言ってレオポルドは言葉を詰まらせた。
「キスカっ。兵が逃げ出しているぞっ」
その叫びにキスカとジルドレッド将軍が慌てて前線を視線を向ける。
レオポルドの言う通り、数人の兵が配置を離れ後方に向かって走り出していた。慌てて下士官が追おうとするが、ちょうど彼の近くに砲弾が飛び込んできて、脱走兵の逃走を許してしまった。
「あれはムールド兵か」
「ムールドの者は大砲に不慣れな者が多いのです」
ジルドレッド将軍の呟きに、苦々しい顔をしたキスカは珍しく言い訳じみたことを口にしてから、櫓の下に控える兵を怒鳴りつける。
「直ちに奴らを殺せっ。早くせぬと貴様らの首を落とすぞっ」
兵たちは慌ててマスケット銃を構える。
「止めよっ。味方に流れ弾が当たるかもしれんぞっ」
兵たちが撃つ前にジルドレッド将軍が制止する。
「それに弾も勿体ないからな」
レオポルドがぼそりと呟く。
「さっさとあの卑怯者どもを斬り殺して来いっ」
キスカの怒号を受けて、数騎のムールド人騎兵が駆け出す。騎兵たちは数分もしないうちに脱走兵を追いつめて容赦なく斬り殺した。
キスカの指示により、脱走兵の遺骸は首と胴体、四肢に分断され、見せしめとして前線の各所に掲げられた。
この一件でムールド人を代表する立場であるキスカの面子は大いに損なわれた。
ブレド男爵軍のこの日の攻撃は砲撃に終始した。砲身を冷やす為か幾度か休みを挟みながらも砲撃は断続的に続けられ、夕暮れ頃に砲撃は止んだ。
砲の数が少なく、それほど威力も強くないせいで、クロス卿派の被害はそれほど大きなものではなかった。前線を離れて逃げ出した結果、味方に殺された兵を含めても損失は数十名といったところである。とはいえ、元より数が少ないクロス卿派軍にとっては小さいとも言えない損失ではあった。
翌日も朝日が昇ると共に砲撃が開始された。
クロス卿派の兵はひたすら土塁の影に身を潜めて不運にも自分の方に砲弾が飛んでこないことを祈るしかなかった。
砲弾は昨日と同じように土砂を舞い上げ、時折、土塁を吹き飛ばして、数人の兵士を木端微塵にした。
たまにレオポルドたちがいる物見櫓を狙ったかのような砲弾が飛んできたが、命中することはなく、数軒の空き家の屋根に穴を開けただけだった。
正午も過ぎようかという頃合になって、ブレド男爵軍に動きがあった。
数百名の兵が横に整列し、太鼓の音色に合わせて真っ直ぐ行進を始めた。
「おぉ、ついに来たぞ」
「南からも同時に来ています」
ジルドレッド将軍が声を上げると同時に南に視線を走らせたキスカが報告した。
まず、前進してきたのは二〇〇名のマスケット銃兵であった。長大なマスケット銃と射撃の際に銃身を支えるための銃架を持ち、腰には剣を履いている。横列の中央には黄地に赤い拳が描かれた軍旗を掲げた旗手に太鼓や笛を奏でる軍楽隊がいる。
マスケット銃兵隊から遅れること二、三〇ヤードを三〇〇名の剣と丸盾を装備した歩兵が続く。
南からもほぼ同様の陣容で兵が進んでくる。
「こちらとしては十分に敵を引き付けてから撃つことが肝要だ」
ジルドレッド将軍が真っ赤な顎鬚を撫でつけながら呟くように言った。
「こちらは弾が少ないからな。できるだけ無駄弾を無くしたい。それに、こちらには遮蔽物があるから、撃ち合いになればこちらの方が有利だ」
銃身の長い前装式銃では立ったままでなければ装填が非常に困難である。屈んだり、伏せていては装填が大変手間で時間がかかる。故に銃兵は立ったまま装填し、構え、狙い、撃つ。そして、撃たれるのだ。
しかし、クロス卿派軍には土塁という遮蔽物がある為、身を隠したまま装填し、射撃することができるのだ。
「とはいえ、敵に土塁を乗り越えられては厄介だ。木柵や空濠もあるが、どれほど足止めできるかわからぬ。敵を近付けず遠ざけずの位置に置いて攻撃するのが最も良いのだが」
中々そう上手くもいかないのが戦というものである。
彼我の距離が一〇〇ヤードを切った時点で、ブレド男爵軍の兵は歩みを止めた。マスケット銃を構え、銃架に銃身を置き狙いを付ける。
「まだ撃つな。命令があるまで発砲は控えよ」
ジルドレッド大佐が指示を飛ばす。彼は敵が五〇ヤードまで近付いて来るまで撃つつもりはなかった。昔から銃撃は敵の白目が見えるまで近付いてから撃つべきと云われているのだ。
クロス卿派の兵は命令を守り、いつでも撃てるようマスケット銃を構えたまま、敵がこちらに銃口を向けるのを睨みつける。
「撃てぇっ」
ブレド男爵軍の士官が号令を発すと同時に数百もの連続した発砲が響き渡る。白煙が噴き出し、銃弾が撃ち放たれた。鉛玉の多くは土塁に食い込み、土煙を巻き上げる。幾人かの兵が悲鳴を上げ、血が噴き出る顔面を押さえながら倒れ込んだ。
「装填っ」
銃撃を終えたブレド男爵軍の兵は素早く銃を立て、銃口から槊杖で弾薬を詰め、再び構える。
「狙えぇっ。撃てぇっ」
再び一斉射撃が加えられる。それでもクロス卿派の兵は土塁に伏せたまま敵の攻撃に耐えていた。
そこに三発の砲弾が飛び込んだ。木柵の一角が吹き飛び、弾け飛んだ木片は凶器となって付近の兵を襲う。形状によっては人に突き刺さるほどの勢いがある。
砲撃に驚いたのか一人の兵が思わず引き金を引いた。一際甲高く銃声が響き渡り、それに釣られるように数人が発砲し、数人は不安げに下士官の顔を見て、数人は更にいくらか遅れてから慌てて発砲した。
「待てっ。撃つなっ。撃つんじゃないっ」
ジルドレッド大佐が慌てて叫ぶが、既に半数近くの兵が発砲した後だった。
銃撃を受けたブレド男爵軍の兵は十数人ほど悲鳴を上げながら倒れ込んだが、士官はサーベルを掲げて怒鳴った。
「進めーっ。突撃ーっ」
ラッパが吹き鳴らされ、太鼓が乱打される。ブレド男爵軍の兵五〇〇が喊声を上げながら走り出す。
マスケット銃の場合、発砲した後、装填し、再び射撃できる状態に戻るまでは少なくとも十数秒。慣れない兵では更に多くの時間を要する。ブレド男爵軍の士官はこの再装填の間にファディに迫ろうという思惑であったらしい。
「糞っ。装填っ。急げっ」
ジルドレッド大佐に叱咤され、迂闊にも発砲してしまった兵たちが泡を食って装填作業を行う。
「大佐っ。敵軍、五〇ヤードを過ぎていますっ」
副官の報告に、大佐は苦虫を噛み潰したような顔をして、配下の兵が装填を終え、マスケット銃を構え直すのを眺めていた。
マスケット銃の銃口が尽く前を向くと、大佐はサーベルを抜き放ち、真っ直ぐ前を突き刺して叫んだ。
「よく狙えっ。撃てぇっ」
百五十のマスケット銃が火を噴く。空濠の目前まで迫っていたブレド男爵軍の兵たちが血を噴き出しながらばたばたと倒れる。
「装填急げっ。パイク兵っ。敵を近付けるなっ」
大佐は素早く指示を飛ばしながら腰のピストルを抜く。
命令を受け、マスケット銃兵は装填作業に入り、パイク兵が背丈の二倍はあろうかというパイクを突き出す。
空濠に飛び込んだブレド男爵軍の兵が急斜面をよじ登ると、そこには砲撃によって一部破壊されていたが木柵が設けられている。その向こうの土塁に潜むクロス卿派の兵を倒すにはこの木柵をよじ登るか破壊しなければならない。彼らがこれを乗り越えようとすると、すかさず、そうはさせじとクロス卿派の兵がパイクで突く。突かれた兵はひっくり返って空濠に落ちていく。
やがて、装填が済んだマスケット銃兵が木柵の前で足止めを食らっている敵に一斉射撃をお見舞いする。
二度ほど一斉射撃を食らわせるとブレド男爵軍の損失は二〇〇を超え、空濠にはブレド男爵軍の死傷者が積み重なった。南のレッケンバルム大佐が受け持つ方面では砲撃による支援がなかった為、こちらの攻め手は木柵に辿り着く前に猛烈な斉射を浴びて後退していた。
やがて、退却のラッパが鳴り響き、男爵軍の兵は後退していく。
クロス卿派には追撃する兵の余力も弾薬の余裕もない為、逃げる敵をそのまま見送ることにした。
一日でファディの目前まで迫られたものの、何はともあれクロス卿派はどうにかこの日の攻撃に耐えることができたのだった。