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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第四章 縁組
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五四 夜襲

 ブレド男爵軍がハヴィナを進発したという情報を得てからファディは着々と防衛体制を整えていた。

 町を囲むようにぐるりと木柵と空濠、土塁が張り巡らされ、先を尖らせた杭が打ち込まれていた。最終防衛線となる中心部の周囲には更に木柵と土塁を設けている。防衛するにあたって拠点となる家屋や建物以外は徹底的に破壊した。これは町が占領された後、利用されないようにする為でもある。

 ファディ以外の近隣の町村にあたっては当初から防衛を断念していた為、住民を退避させ、物資を徴発し、運び出せない物資は集落諸共焼き払い、井戸には毒を投げ入れていった。

 家々を焼き捨て、井戸に毒を入れることには住民から強い抵抗や反発があったものの、担当であったキスカは断固たる意志をもってこれを実行した。彼女としては住人は一人残らず避難させ、避難を拒否する者は引っ張ってでも、それすらも無理であるならば殺してしまってでも全ての物資と家を焼きつくし、人一人、家畜一匹すらいない状況にすることを望んでいた。しかし、それではあまりにも反発を買い過ぎてしまうとレオポルドが判断し、退去を拒否する者についてはそのままにすることにした。

「避難を拒否するような自分勝手な者を置いていくのは後々厄介なことになります」

 キスカは渋面でそのように言った。

「彼らの持っている食糧、水などは敵の物資になります。また、残留した住人が人質に取られるとその親族らは動揺します」

「そうは言っても残るといっている分からず屋連中を片っ端からモニスに引き摺っていくのは酷く難儀だぞ。そんな時間も余裕も人手もない。また、あまりに手荒な真似をすれば諸部族、住民の支持を失う。今ですら、我々はあまり高い支持を受けていないのだぞ」

 レオポルドが反論すると彼女は不満そうに押し黙り、結局、レオポルドの言う通り、強く残留を希望し、説得にも応じない者についてはそれぞれの家に置いて行くこととされた。その為、焦土作戦はキスカからすれば些か中途半端と云わざるを得ない結果であった。

 焦土作戦の結果はともかくとして、ファディには近隣の町村から徴発した物資が集まり、特に糧秣は十分な量の備蓄を得ることができた。クロス卿派くらいの軍勢ならば半年以上の籠城でも養っていけるだろう。

 ただ、食糧の備蓄はともかく、武器弾薬の不足は極めて深刻であった。特に今や戦場の主役である小銃は元々保持している小銃だけでは非常に心許無く、これも徴発を進めたが、新式の軽くて小さなタイプは殆ど集まらず、旧式のものでも一〇〇挺程度を掻き集めるのがせいぜいであった。

 弾薬の集まりも悪かった。弾薬、つまり、弾丸と火薬は作ろうと思えば自作できないものでもなく、鍛冶屋などに製作を指示していたが、未だ量産体制には程遠い状況であった。

 その後、僥倖にもたまたま通りがかった隊商からある程度の量の弾薬を買い付けることに成功したものの、弾薬は全て合わせて三〇〇〇発分がせいぜいといったくらいのものであった。

 準備は万端とはいえないものの、それでも敵は待ってはくれない。

 ブレド男爵軍がハヴィナを発ったという報を得た日から一週間後の早朝。

 各所に放っていた斥候から敵軍を発見したという報告が続々と舞い込んできた。斥候によれば敵軍は少なくとも騎兵一〇〇〇騎、マスケット銃兵一〇〇〇にパイク兵一〇〇〇。その他、砲が三門とのことであった。付近に伏兵など別働隊の姿はないという。

「斥候に放った者はいずれも目のよく、牛飼いや羊飼いなど、数を数えることにも慣れている者ばかりです。この報告に大きな間違いはないものかと思われます」

 しかも、サーザンエンドの地勢は概ね平坦で、軍勢と呼べるほどの人数を幾日にも渡って隠しておけるような地ではない。報告は正確であろうと思われた。

「レッケンバルム卿の話では敵勢は二〇〇〇余ではなかったか」

「ハヴィナを出た後、合流したのかもしれぬ」

「もう二、三日もすれば連中はここまで来るだろうな」

 レオポルドはじめクロス卿派軍の幹部たちは報告を基に話し合いを重ねた。

 クロス卿派のモニスに派遣した兵を除く軍勢は帝国人騎兵一〇〇騎余、ムールド人騎兵二〇〇騎。帝国人マスケット銃兵一〇〇とムールド人歩兵七〇〇といったところであった。

 騎兵三〇〇騎はアルトゥールを将とする遊撃隊として編成され、ファディを離れ、ファディを攻囲するブレド男爵軍の後背を脅かす算段となっている。

 遊撃隊はブレド男爵軍発見の報があった日の翌日にはファディを出た。攻撃の機会まで近郊に潜む予定である。

 ファディに籠城する兵は残りの歩兵八〇〇余。そのうちの三〇〇名がマスケット銃を装備し、残りはパイクや半月刀などを装備していた。

 彼らは油断なくファディの周辺を警戒しながら、ブレド男爵軍を待ち構えた。


 ファディの物見櫓からブレド男爵の軍勢が遠望されたのは正午過ぎのことであった。見張り番は直ちに鐘を打ち鳴らし、敵勢の到来を仲間たちに告げた。ラッパが吹き鳴らされ、待機していた兵たちが武器を手に建物から飛び出し、下士官に怒鳴られながら予め決められていた配置へと走って行く。

 レオポルドはちょうどキスカと昼食を共にしているところであった。部屋に飛び込むようにやって来た伝令の言葉に思わず腰を浮かしかけたレオポルドとは対照的にキスカは冷静なものだった。

「下がれ」

 と一言述べた後、黙々と昼食を続ける。

 同席しているキスカが落ち着き払っているものだから、レオポルドもとりあえず腰を落ち着けて食事を続けることにした。

「俺たちも行った方がいいのではないか」

 とはいえ、敵が間近まで来たという知らせを聞いてのんびり飯を食っていられるものではない。レオポルドがいくらか不安そうに言うと、キスカは蒸した羊肉を解体しながら応えた。

「その必要はありません。私たちが行かずとも、ジルドレッド将軍が万事滞りなく戦の支度を進めているでしょう。また、敵勢もファディ近郊に到着したばかりですから、すぐに戦を仕掛けてくることはないでしょう」

 要塞というには程遠いものの一応は防備を整えている町を攻めるのにろくな準備もせず、また、長い行軍の後だというのに兵に休みも与えず早々に攻めかかるような愚か者はいまい。万が一、攻め寄せてきたとしても、長い行軍で疲れ果て準備もろくにできていない敵が相手ならば守る方としてはそちらの方が好都合というものである。

「それはそうかもしれないが……」

「長たる者、いつ何時たりとも冷静沈着であるべきです。何事があろうとも動じず、配下の者に動揺を悟られぬようにすべきでは」

 キスカの言葉は道理が通っているようにも聞こえる。

「しかし、配下の者たちが動き回っているときに上の連中がのんびり飯食っていたら反感を買うんじゃないか」

「それでは早めに食事を終わらせ、落ち着いた態度で参りましょう」

「……君の言う通りにしよう」

 レオポルドは苦笑いを浮かべながら食事に戻った。

「しかし、そろそろ、肉は飽きてきたな……」

 レオポルドが呟くとキスカは無表情で彼を見つめた。

「魚が食べたいですか」

「ん。あぁ、肉も勿論いいがたまには魚もな。ここでは無理な話かもしれないが」

 ムールド人の食文化に魚は含まれていないのだ。また、川や湖など魚がいるところも非常に限られており、この地で魚を口にすることは非常に困難といえる。

「この戦いが終わり、いくらか落ち着いたら取り寄せましょう」

 キスカは素っ気なくそう言った後、俯いてぼそぼそと続けた。

「私も、魚が食べたいです。その、また、一緒に……」

 彼女がそう言うのを聞いて、レオポルドは以前、共に川魚のフライを食べたときのことを思い出す。多くのムールド人同様に食わず嫌いだったキスカに手ずから魚を食べさせたのだ。

「そうだな。そのときは、また俺が食べさせてやろう」

 そう言われてキスカは赤面して黙り込んだ。


「おぉ、クロス卿。ついに敵が来ましたぞ。向こうに陣を構えておる。見えますかな」

 おっとり刀で現れたレオポルドとキスカが物見櫓に上がると、先客のジルドレッド将軍に声をかけられた。傍らには彼の弟も控えている。

 手渡された望遠鏡を覗き込んだ先ではブレド男爵軍の兵が慌ただしく陣地の設営を行っていた。

「敵は二手に分かれてこちらを包囲しておる。あちらに騎兵一〇〇〇と歩兵一〇〇〇。砲三門もそこにある。残りの歩兵一〇〇〇はファディの南に向かって移動中だ。それに対応すべく三〇〇ほどの兵をレッケンバルム大佐に預けて南に配置したが宜しいか」

「えぇ、問題ありません」

 ジルドレッド将軍の言葉にレオポルドは頷く。

「敵の攻撃はいつ頃になるでしょうか」

 レオポルドが尋ねるとジルドレッド大佐は敵軍の陣地を眺めながら口を開く。

「おそらくは明日になるでしょうな。陣地設営が終わるのは夕方過ぎになるでしょうから、さすがにそれから攻撃にかかるということはありますまい。今夜は休息を取り、明朝より攻撃開始といったところですかな」

 弟の推測に同意するようにジルドレッド将軍も頷く。キスカを見ると彼女も首肯した。

「敵は休みますが、こちらも休む必要はありません。今夜のうちに夜襲を仕掛けては如何でしょうか」

「何、夜襲とな」

 キスカの提案に将軍は渋い顔をする。

「勿論敵も警戒はしているでしょうが兵は長い行軍で疲れ果てています。また、到着した初日から夜襲をかけてくるとは向こうも思っていないのでは」

「いや、到着した初日だからこそ警戒を厳にしているやもしれぬ」

「それに夜襲は大変困難で危険ですからなぁ」

 ジルドレッド兄弟はあまり乗り気ではないようだった。

 確かに夜襲は大変困難で危険な作戦である。明かりといえば月と星の光、敵陣の篝火だけというほとんど視界のない闇の中では常人であればただ歩くだけでも大変な恐怖を感じる。また、方向感覚を失いやすい為、目標を見失ったり、仲間とはぐれるという事態が起こり易くなる。敵を味方と誤認することもあるし、味方を敵と誤認して同士討ちになる危険性も格段に高まる。

 それ故、帝国軍では古くからある戦法にも関わらず夜襲は基本的に禁止されていた。勿論、帝国の一部であるサーザンエンド辺境伯の軍でも同じである。

 ジルドレッド兄弟が夜襲に否定的なのも当然といえるだろう。

「確かに数百規模の兵で夜襲をかけるのは危険でしょう。しかし、数十人或いは十数人程度の小部隊ならば夜襲を決行できると思います」

「少数精鋭での夜襲か。それなら」

 キスカの言葉にレオポルドはやや乗り気な態度を見せる。

「現状、我々の軍勢ではブレド男爵軍に勝つことは非常に困難といえます」

 彼女の率直な意見に三人は渋い顔で頷く。

「しかし、敵軍を退かせることはできます。我々は既に周辺の町村を放棄しておりますから、彼らは糧秣を徴発に頼ることができません。現状保有している糧秣が尽きれば撤退ざるを得ません」

「その撤退を早めさせる為、少数精鋭で夜陰に乗じて忍び込み、糧秣に火を放つというわけか」

 将軍が先回りして結論を言うと彼女は頷いた。

 男三人は顔を見合わせ、結局、レオポルドは首を縦に振った。


 夜襲には夜目のきくカルマン族の若者二〇名が選抜された。カルマン族の者ならば周辺の地理に詳しく適任であろう。

 当初は言いだしっぺのキスカが指揮を執る予定というか、本人はそのつもりであったが、さすがにレオポルドの副官兼婚約者にそんな危険な役目を負わせるわけにはいかない。

 というわけで、指揮はカルマン族の族長一族のスレイという名の青年に任された。

 夜襲は完全に日が沈み切ってから、更にたっぷりと時間を経てから決行された。

 目標は第一に敵の糧秣。それ以外には何もない。ただ、糧秣の保存庫を見つけ出し、火を放つこと。それのみである。成功したら直ちに帰還すること。敵に見つかった場合も帰還すること。何らかの要因により帰還が難しい場合は敵から逃れることを最優先とし、モニスへ逃れるよう指示した。また、ファディに留まる本隊からは一切支援行動は行われない。

「無事成功するといいんだが」

 夜襲部隊を送り出した後、レオポルドは不安げに呟いた。

「失敗しても二〇名兵を失うだけです。大きな損失ではありません」

 傍らのキスカがさらりと言った。

 レオポルドは黙って彼女を見つめる。

「ところで、今回指揮を執るスレイという青年はどうなんだろうか」

「どう、とは」

「有能なんだろうな」

 スレイを指揮官に指名したのはレオポルドであるが、その助言をしたのは彼女なのだ。

 レオポルドはムールド人の族長・長老クラスとはいくらか顔を合わせている為、その人となりもわかるが、それ以外についてはまだまだ顔も名前もわからない者ばかりなのである。

「スレイ殿はオンドル殿の孫。アイラさんの従兄に当たります」

「ほう」

 ということは、レオポルドがアイラと結婚した場合には親戚になるようだ。顔を覚えておこうとレオポルドは考えた。

「大変真面目で忍耐強い人柄です。与えられた任務を忠実に遂行する今回の任務には適任と判断しました」

「なるほど」

「オンドル殿に忠実で、先の裏切りの際もあまり乗り気ではありませんでした。また、私ともいくらか顔見知りですので比較的信頼が置ける者と考えます」

 性格的に適任であるし裏切る心配も少ないというわけだ。

「以前から顔見知りなのか。友人とかそういうやつか」

 レオポルドが尋ねるとキスカは暫く沈黙した後、口を開いた。

「昔、結婚を申し込まれました」

 彼女の答えにレオポルドは言葉を失った。あんぐりと口を開けて、暫く空気を噛み締めた後、渋い顔で額を押さえる。

「告白されたのか……」

「ただ、私は族長の一人娘でしたから、うちの親族から外の部族との結婚は断固反対との声が多数出て、実現する見込みは全くなかったのですけれども」

 族長の一人娘であったキスカと結婚した者は自動的にネルサイ族の族長の椅子に座ることができる為、キスカの婿の席は長い間、ネルサイ族の有力者の間で奪い合いになっていたらしい。そこに外の部族の若者が座ろうなど、許されるわけがない。

 しかし、結局、その親族たちはキスカの手によって尽く粛清されてしまい、結果、その席に座ることになったのは外の部族どころか、民族も違う帝国人のレオポルドだったわけだが。

「君、それは、なんていうか、いいのか」

 その席に座ることができたレオポルドは苦々しい顔で尋ねる。

「どういう意味ですか」

 相変わらず無表情のキスカに聞き返されてレオポルドは眉間に皺を寄せて言葉を選ぶようにしながら話す。

「その、なんていうか、昔、好きで告白したけど断られた女が別の男と婚約して、その好きな女を奪った男から危険な任務をやれと命令されるのは、なんていうか、複雑な気分なんじゃないか」

 レオポルドがスレイにしたことはまさに今言ったことなのだ。レオポルド自身は知らなかったこととはいえ、スレイの内心は如何なものか。

「彼はもう別の女性と結婚していますが」

 キスカは何か問題でもあるのかとでも言いたげな顔で言う。

「いや、そういう問題じゃないだろ。そういう問題じゃないだろう」

 レオポルドは同じ言葉を二度繰り返す。

 キスカにも分かり易いように言おうと考え、言葉を選んでいるうちに、これはもう何を言っても無駄な気がしてきて、結局、彼は出かけていた言葉を飲み込んだ。

「いや、いい。何にせよ。彼の働きに期待しよう」

 これはもうスレイが過去のことを水に流し、公私を区別し、任務に忠実に励んでくれることを期待するしかない。


 結果としてスレイは少なくとも昔好きだった女と婚約した男が気に食わないからといってブレド男爵軍に駆け込むような男ではなかったし、キスカの言葉通り任務を忠実に遂行した。

 ブレド男爵軍の陣営から煙が上がり、程無くしてスレイたち夜襲部隊は一人も欠けることなくファディに帰還した。

 スレイの報告によれば数人の見張りを殺害した後、水の入った樽数十個に穴を空けたのはよかったものの、食糧の倉庫とされているテントは見張りが多くて近寄れず、仕方なく馬や駱駝の秣を貯蔵している倉庫に火を放って帰還したとのことであった。

 食糧に火を放てなかったことは残念ではあるが、砂漠では貴重な水をかなりの量台無しにでき、また、移動に欠かせない馬や駱駝の餌を焼くことができたのは十分な戦果といえる。

 レオポルドはスレイの勲功を称し、彼を大尉に任ずることとした。

 ついでに色々な意味が混ざり合った感謝と謝罪の念を視線にこめて送った。

 スレイは何故、こんなにも見つめられるのかと終始訝しんでいた。

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