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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第四章 縁組
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五三 ファディ放棄

 ファディの住民の避難は早々と翌日から行われることとなった。

 レオポルド室は徹夜で退避計画を立案し、翌朝からの退避を可能とした。ブレド男爵軍はハヴィナを出立し、ファディに向かって南下しつつあるのだ。一刻の猶予もないのである。

 女子供、老人、病人をはじめとする戦闘に参加できそうにない一〇〇〇人以上の住民とレッケンバルム卿ら辺境伯宮廷の老臣、諸卿の夫人と子供たち、それにレオポルドの身内であるフィオリアとアイラ、ウォーゼンフィールド男爵の娘エリーザベト、レオポルド室の面々は数十台の馬車に分乗し、百数十頭の駱駝にはありったけの糧秣、水、衣類、雑貨が積み込まれ、一〇〇〇頭以上の羊や山羊、馬が引かれていく。護衛には一〇〇名のムールド人軽騎兵と一〇〇名のマスケット銃兵を付けることとされた。

 この避難民の群れを誰に任せるかレオポルドは一晩悩み抜いた末、バレッドール准将を指揮官とし、その補佐をルゲイラ兵站監に任せた。

 モニスまでは一週間以上の非常に過酷な旅路が予想され、途中幾人かの犠牲者が出ることすら予想の範疇である。それだけの難儀を任せるには十分な経験と能力があり、信頼の置ける人物でなければならない。その条件に合致するのはジルドレッド将軍か准将くらいのものである。クロス卿派軍の司令官であるジルドレッド将軍を戦場から外すわけにはいかない。となると実質選択肢は一つしかないようなものである。

「道中、大変な苦難があるかと思われますが、何卒宜しくお願いします」

 レオポルドはバレッドール准将とルゲイラ兵站監の両名を前にして、その手を掴み、頭を下げて言った。

「辺境伯になろうともいう方が我々なぞに頭を下げんで下さい」

 顔面の大きな傷跡が特徴の准将は苦笑いを浮かべて言った。

「身命を賭して民をモニスまで連れて行きますとも」

 准将の言葉にルゲイラ兵站監もしっかりと頷く。

 二人の顔を見て、レオポルドは一際渋い表情を浮かべると顔を寄せて囁く。

「あと、二つお願いがあります。もしも、我々が戦に敗れ、戦場に屍を晒すことになったときは帝国人の夫人や子息らは海路で帝国本土に移送するよう取り計らって頂きたい。それと、生き残った兵と民の命を救う為、御両人と諸卿には死んで頂きたい」

 つまり、クロス卿派が完敗したときは残る諸卿らの身命と引き換えに兵と民の安全を保障するようにという、最悪の事態を想定したお願いである。

 准将と兵站監は真顔でレオポルドを見つめた。

 僅かな沈黙の後、兵站監が口を開く。

「私はこれが今生の別れではないと確信を持っています。故に先程述べられたような事態がくることはないでしょう。我々は再び相見あいまみえ、いつの日か、遠くない未来にファディへ凱旋するものと信じております」

「ルゲイラ卿にしては珍しく楽観的な意見だな。しかし、私も同意見だ」

 バレッドール准将は微笑を浮かべながら言い、レオポルドを見つめる。

「ここはこの世とあの世を隔てる境の川辺ではないのです。かような遺言のようなことを申されても困りますな」

 そう言われてレオポルドは苦笑いを浮かべた。

「とはいえ、何か事があれば私も騎士の端くれ。騎士道精神に則り、我が身を犠牲にしても婦女子と民の保護には全力を尽くす所存です」

 准将が胸を張ってそう言うと隣の兵站監もしっかりと頷く。

 堂々とした態度の両名にレオポルドはもう一度深く頭を下げたのだった。


 早朝、ファディの集会所前の広場には大量の物資が積み上げられ、兵卒と住民たちの手によって馬車や駱駝に積み込まれていた。

「物資の積み込みが終わった者は避難する住民に手を貸してやれっ。ミスタ・ビッケード、五〇騎を率いて前に行け。何か異常があれば直ぐに知らせろ」

 赤色の辺境伯軍近衛騎兵の軍服に身を包んだバレッドール准将は馬上にあってきびきびと兵卒や避難民を指揮し、副官に指示を与えていた。

 準備が着々と進む中、レオポルドはまたもや厄介な問題に直面していた。

「おじい様、早く避難する用意をして下さい」

「私は敵から逃げも隠れもせぬ。ムールドの戦士とはそういうものだ」

 カルマン族の族長オンドルは愛孫のアイラの説得にすら一切耳を貸そうとせず、族長の屋敷の一室に根が生えたように座り込んでいた。

「私も逃げるのですから、おじい様も」

「お前は女子だからよいのだ。男はどんな敵や危険を前にしても逃げたりはしないものだ。戦って死ぬことになろうとも、それは名誉なことだ」

 困り切ったアイラの言葉にもオンドルは頑として耳を貸そうとはしない。祖父の代から伝わるという半月刀を腰に帯び、その場に胡坐をかいたまま動く様子はない。

 オンドルはカルマン族の族長にして齢は七〇過ぎという老人である。本来ならば避難すべき身であり、当然、レオポルドも孫のアイラはじめ一族も避難するように説得したのだが、彼は残るといって聞かないのであった。

 昨日のレッケンバルム卿との論争が原因であろうことは間違いがない。

 その上、問題は彼だけではないのだ。

「レオポルド様。オンドル様の他にも町に残るという方が……。合わせて三四名おられます。多くは長老方です」

 キスカの報告にレオポルドは額を押さえる。

「気持ちはわかるが、なんとか説得できないか」

「一族の者が説得に説得を重ねましたが、各々家々に籠って動きません」

 彼女はこれ以上説得しても避難させるのは無理ではないかと思っているようだ。

「説得にこれ以上時間をかけますと全体の避難に遅れが……」

 避難計画の策定に当たったレオポルド室書記のコンラートが困惑した顔で言った。

 キスカはレオポルドの腕を引いて廊下に出る。人気がないことを確認した後、耳に口を寄せる。

「これ以上の説得は無駄です。ムールドの戦士は一度口にしたことは滅多なことでは覆しません。これと決めたことも同じです。周りがいくら説得をしようとも耳を貸すことはないでしょう」

 彼女の囁きにレオポルドは渋い顔で頷く。

「事ここに至っては一刻も早く避難を始めるべきです。ブレド男爵軍の騎兵が攪乱の為に奇襲してこないとも限りません」

「では、御老連をどうするのだ」

「置いていくしかありません」

 彼女の言葉にレオポルドは顔をしかめた。非難めいた視線を彼女に向ける。

「おそらくは近隣の町村でも残留を強く希望する方々がいるでしょう。彼らも置いていくしかありません。十分な物資を置いて避難できる者だけを避難させるべきです。彼ら全員の説得に時間をかけるより避難の速さを優先すべきです」

「時間が貴重であることは理解している。だからといって、彼らを残していくのは如何なものか」

 レオポルドが言うとキスカは素早く周囲に視線を走らせてから一際小さな声で囁く。

「本当ならば殺していくべきかもしれません」

 彼女の言葉にレオポルドは唖然とする。

「放棄する町や村は完全に破壊し、焼き捨て、物資を一欠けらも残していくべきではないのです。しかし、だからといって、残るという老人を殺せば住民は強く反発するでしょう。人心が離れるのは得策とは言えません。ですから、置いていきます」

「当たり前だっ。そのような悪魔の所業などできるかっ」

「レオポルド様。声を」

 レオポルドは苦虫を噛み潰したような顔で声を抑える。

「しかし、残していったとしても戦禍に巻き込まれて死ぬかもしれんぞ。最悪、ファディから軍を撤収させるとき、彼らを連れていけないかもしれん。そうなれば敵に捕まったり、殺される可能性だって否定できん」

「可能性はありますが仕方ないでしょう」

 キスカは涼しさすら感じる無表情で言い切った。

「仕方ないで済むかっ」

「やむを得ぬ犠牲です。目的や勝利の為には犠牲を払わねばならないこともあります」

「では、君はその犠牲が……いや、なんでもない」

 思わずその犠牲が親兄弟でもいいのか。と口を滑らせそうになって慌てて頭を振る。彼女は既に自らの手で止むを得ない犠牲を払っている。

「万が一、町が占領されたとしても、敵とて悪魔ではありません。同じ人間です。無防備な老人に手荒な真似はしないでしょう。捕虜とされるかもしれませんが無意味に殺すような真似はしないはずです」

 キスカの口調にはレオポルドを説得するような響きがあった。彼女がそう思っているというよりもレオポルドにそう思わせようとしているようだ。

「町に残っている数人の無力な老人を殺したところで男爵に何の得がありますか。それとも男爵は殺しを楽しむような御仁なのですか」

「いや、そういう噂を聞いたことはない。無類の女好きだとは聞くが」

「では、女性は危険かもしれませんが老人ならば大丈夫でしょう」

 結局、レオポルドはキスカの説得に屈し、老人たちの説得を諦めた。ただ、彼らには集会所に集まってもらい、各々の家は焼き捨てることとされた。


「旦那様。暫しの別れですが御武運をお祈りいたしております」

 用意された馬車に乗り込む間際、アイラは見送りに訪れたレオポルドにそう言って身を寄せると、その頬に口付けした。

 突然の接吻にレオポルドが硬直している間に体を離すと、悪戯っぽく笑った。釣られて彼も苦笑いを浮かべる。

「なーに、へらへら笑ってるのさ」

 ちょうどそこに荷物を持って現れたフィオリアがしかめ面で刺々しい声を出す。

「へらへら笑ってる暇があるんなら荷物積むの手伝ってよ」

「あ、あぁ……」

 フィオリアにつっけんどんに言われてレオポルドは彼女の荷物を持つ。持ってから、顔をしかめて彼女に向き直る。

「いや、へらへら笑ってないぞ」

「笑ってた。鼻の下伸びてた。だらしない。あんたって美人に弱いよね。いつか美人局に遭わないように気を付けなさいよ」

 フィオリアは不機嫌そうに言うと軽やかな身のこなしで馬車に飛び乗った。

「何で怒ってるんだ」

「怒ってなんていないでしょっ」

 レオポルドの問いに彼女は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「いや、機嫌悪いだろ」

「せっかく町に落ち着いて、身の安全も確保できて、馬鹿みたいに暑い夏も終わったと思ったら、町を追い出されるってんだから、ご機嫌なわけないでしょっ」

 そう言われればそうなのだが、それにしたって彼女は何かに腹を立てているようであった。

「あんたさ……。いや、なんでもない」

 フィオリアはレオポルドを見つめて何かを言おうとして、思い直したように言葉を飲み込む。

「何だよ。言いたいことがあるなら言えって」

「いいから。なんでもないからっ。アイラ、早く乗ってよ。私たちの馬車が最後になっちゃう」

「はいはい」

 フィオリアに呼びかけられて、二人のやりとりを見て口の端をぴくぴくさせていたアイラはそう応えて馬車に向かう。

 しかし、ふと足を止めると何か逡巡するようにレオポルドを見つめた。

「あの、旦那様。一つ、お願い……いえ、えっと……」

 彼女にしては珍しく歯切れが悪い。言うことを迷うように、言葉を選ぶように、途切れ途切れに言葉を発する。

「……おじい様を、ファディに残る方々を、何卒、その、宜しくお願いします……」

 アイラはレオポルドの手を取って懇願するように言った。

「あぁ……」

 レオポルドが渋い顔で頷くと彼女は悲しそうに微笑んで手を放した。傍らのキスカを見つめてから、再びレオポルドを見つめる。

「どうか、御無事で」

 それだけを言うと馬車に乗り込んだ。


 物資の積み込み作業には午前中一杯を費やし、行列が動き出したのは正午にもなろうかという時間であった。

 人々は名残惜しそうに生まれ育った町を振り返りながら、馬車に乗り込んでいき、馬車と家畜の大群は隊列を組んで一路南へと進んでいった。その様はさながら流浪の民のようである。

 途中、近隣の町村で同じように避難する人々、家畜と合流し、要害の地モニスへ向けて進む。

「旦那様に、レオポルド様に言わなくてよかったんですか」

 揺れる馬車の中、アイラがフィオリアに尋ねた。

「言うって何をよ」

 フィオリアはしかめ面でアイラを睨む。

「離れたくないーとか」

 アイラの言葉に彼女は一瞬で顔を夕日のように真っ赤にさせた。

「なっ。馬鹿っ。何で、あたしがそんなこと言わないといけないのさっ」

「離れたくなさそうだったので」

「それはアイラの気のせいよっ」

「そうでしょうかねぇ」

 アイラは小首を傾げて顎に指をやる。

「そうよっ」

「ムキになって叫んでらっしゃる時点で説得力はー」

「…………っ」

 フィオリアは何か怒鳴ろうとして、結局、何も言わず口を閉じて顔を背けた。

 そんな彼女を見てアイラは悪戯っぽく微笑んだ。

「それより、アイラは言わないでよかったの」

「何をですか」

「さっき言ったようなことをよ」

「昨夜、褥を共にしながら睦言の合間に言いました」

「えぇっ」

 フィオリアが仰天するとアイラは口に手をやって大笑いしていた。

「同じ部屋なんですから冗談に決まっているじゃないですか」

 アイラにからかわれてフィオリアは憮然とした顔をしたものの、すぐに苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

「アイラには敵いそうにないわ」

 フィオリアはそう言ってアイラを見つめる。

「アイラはさ。その、レオのこと、好き、なんだよね」

 彼女の唐突な問いにアイラは暫し黙した後、こくりと頷いた。

「でも、その、なんていうか、一族の都合っていうか、そういう結婚なんだけど……」

「あぁ、政略結婚ってことですか」

 フィオリアは言葉を選ぶように言うがアイラはあっけらかんと言ってしまう。フィオリアはぎこちなく頷いてから続ける。

「それにキスカもいるし。それでもいいのかな」

「キスカ姉様がいるのは気にならないといえば嘘かもしれませんけど、そういうものですから。ムールドでは妻が複数いることはそれほど珍しいことではありません。おじい様にも妻が四人いますし。御一人亡くなっているので正確には五人ですけど」

「え。そうなんだ」

 帝国はじめ西方世界からすると信じ難い事実にフィオリアは呆気にとられる。

「勿論、妻を何人も養うとなるとお金もかかりますから、何人も妻を娶ることができるのは裕福な者に限られますが」

 この話は以前にキスカからも聞いたことがあるような気がした。

「じゃあ、その、政略結婚は」

「族長の家に生まれたなら政略結婚は避けられませんから」

 アイラは当然のように言う。

「相手が旦那様でなかったとしても何処そこの部族の有力な家と繋がりを持つ為とか、そういう理由で結婚相手は選ばれたでしょうから。まさか、帝国の方と結婚するとは思ってもみませんでしたけど」

 彼女はそう言って微笑む。

「それじゃあ、相手がレオじゃなくてもよかったってこと」

 フィオリアの問いにアイラは少し考えてから口を開く。

「でも、実際には他の誰でもなくレオポルド様が私の旦那様になりました。必然な事と偶然な事が複雑に絡まり合って結果的に私たちが結ばれたことは運命なんだと思います」

「運命っていうとなんだか格好いいわね。でも、それってこじつけみたいな気が……」

「そうかもしれませんけど。望まない結婚だからって嫌々結婚したり、相手のことが嫌いだなんて思っていたらお互いにとって不運じゃありませんか。それなら相手を好きになって尽くして愛して愛される方がお互いに幸せじゃありませんか」

 つまり、アイラはレオポルドとの結婚を前向きに捉え、レオポルドを好きになることに決めているらしい。

「愛しなさい。されば愛されよう」

 なんだか釈然としない様子のフィオリアを見てアイラが言った。それは西方教会の聖典に書かれた言葉である。

「運命に導かれ、出会い、結ばれることになった相手なんです。私が愛すれば旦那様もその愛に応えてくれると信じています。それに、旦那様は素敵な方ですから。私は一目会ったときから旦那様のことは気に入っていましたし、時が経つにつれて益々お慕いしています」

 そう言ってから、なんだか恥ずかしかったのかアイラは頬に手を当ててにこにこと笑う。

「でも、好きって、なろうとしてなるもんじゃなくて、自然になるもののような気がするけど」

「フィオリアさんはそうなんですか」

「あたしは……って何言ってんのっ」

 逃避行とも言える避難の始まりだったがフィオリアとアイラはどこか楽しげであった。

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