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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第四章 縁組
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五二 ファディ放棄計画

「ファディから住民を退避させとうございます」

 翌日の合同会議の冒頭でカルマン族の族長オンドルが発した言葉に場がざわめいた。

「なんとっ。町を捨て自分たちだけ逃げ出す気かっ」

 レッケンバルム卿が激昂した。卑怯な臆病者という罵倒まで口から飛び出そうになって、卿は寸でのところでその言葉を飲み込んだ。

 しかし、罵倒を口にせずともオンドルには既に十分不名誉な中傷を受けたと感じたようであった。顔面を朱に染めて怒鳴り返す。

「それは聞き捨てなりませぬっ。卑怯にも我らだけが敵を前にして逃げ出す臆病者かのように愚弄されるのは我慢できぬっ」

「そういう意味ではないと申すか」

 レッケンバルム卿の問いにオンドルは頷く。

「退避させるのは女子供、老人病人らのみ。戦働きができる者は、無論、私含め全員が残る所存であるっ」

 オンドルはもう老人といっても過言ではない身ではあるのだが、部族を代表する立場として残留するつもりであるらしい。

 彼は咳払いをしてから、気を落ち着けて話を続ける。

「ファディは敵の勢力圏に近く、いつ何時、敵の襲撃があるかと女子供は怯える日々なのです。また、籠城するにせよ野戦を挑むにせよ女子供は戦の妨げになるでしょう」

「確かに籠城するとなると女子供がいては余計に食糧や水を浪費してしまいます」

 オンドルの説明にルゲイラ兵站監が言葉を差し挟んだ。

「野戦に打って出たとしても、別働隊に無防備な町を襲撃されたとなれば兵の士気にも関わるでしょうな」

 バレッドール准将もオンドルの意見に賛同するかのような発言をした。

 考えられる状況としては野戦を選んだ場合、クロス卿派の主力が町を出た後、ブレド男爵の軽騎兵部隊が町を襲撃することである。クロス卿派はただでさえ劣勢である中、町の守備に残していける兵は極めて限られ、敵が数十騎ばかりの少人数であっても満足に迎撃することもできないだろう。町に侵入した敵は家に火を放ち、住民を殺し、婦女を暴行する。それだけで家族を町に置いているカルマン族の兵たちは大いに動揺するに違いない。敵は僅かな兵力で十分な攪乱が可能となるのだ。

 つまり、ファディの町に住民を残したまま戦うということはわざわざ弱点を抱え込んだまま戦うようなものである。

 賛同意見が出る中、反対を言う者もいた。

「住民を退避させるとなるとその分兵を配置せねばなるまい。ただでさえ劣勢の兵力を細切れにさせるのは如何なものか」

 ジルドレッド将軍は懸念を表明した。

 確かに兵力を分散させることは戦術上愚かとされる。しかも、こちらの方が兵が少ないのだから自ら兵力を少なくすることは最悪自殺行為ともいえる。

「しかし、それはファディに住民を残したとしても同じでは。町を守る兵をファディに置くか避難先に置くかの違いでしかありますまい」

 そこにバレッドール准将が尤もなことを言い、場の一同は納得した。

「また、万が一戦に負けたとしても拠点や兵、物資が残っていれば再起が可能ではありませんかな」

「戦う前から負けることを考えるというのか」

 准将が続けるとレッケンバルム卿がけしからんといった風の顔で言い放つ。

「しかし、人は常に成功し続けることができるわけではありませんからな。万が一失敗したときのことも考えて行動することは必要ではありませんかな」

 そこにシュレーダー卿が助け舟を出すように言い、レッケンバルム卿も納得した。

 諸卿の意見を聞いてレッケンバルム卿は唸り声を上げてレオポルドを見た。判断を彼に委ねるということだろう。

「オンドル殿の意見は尤も。しかし、住民を何処に退避させればよいか」

「モニスが宜しいかと思います」

 レオポルドが意見を求めると、すかさず斜め後ろから声がした。

 振り返るとそこにはいつもの通り無表情のキスカが控えている。会議の場において彼女が発言することは珍しい。

「成る程。確かにモニスは適当といえましょう」

 サイマル族の長老が賛同の声を上げ、他のムールド諸族の長老たちも口々に同意する様子で囁き合った。

 対して帝国人貴族たちはその聞き慣れない地名に首を傾げるばかりであった。それはレオポルドにしても同じである。

「そのモニスとはどういう所なのか」

「古代の都市跡です」

 キスカはレオポルドの問いに簡潔に答えて口を閉じたが少し説明が足りないと感じたのか再び口を開く。

「荒野の真ん中にある小高い岩山の上に築かれ、北側には雨水が溜まった大きな窪地があり、地下水を汲み上げる井戸もありますから、水の補給には事欠きません。周辺は耕作に不適で隊商のルートから外れている為、今は無人ですが古代都市の名残である砦と城壁は健在とのこと。これを修復し、物資を備蓄すれば堅固な要害となりましょう」

 農業も商業もできないので長期に居住するには不適合だが立て籠もるにはうってつけというわけだ。

「聞き及ぶに正しく要害と呼ぶに相応しい地のようですな」

「女子供をはじめとする非戦闘員をそこに退避させれば我々の取り得る戦略、戦術も自由度が増すのではないか」

 帝国人貴族たちからも賛同の声が上がる。

 住民を避難させ、ファディを空にするということは住民の安全を確保すると同時に町を放棄しやすくなることとほとんど同義である。町を放棄するとき最も困難なことは住民の避難であるからだ。住民さえいなければ後は放棄するときに火を放っていけばいいだけの話だ。住民の避難計画は焦土作戦の前準備といっても過言ではない。

 つまり、今回のオンドルの提案は焦土作戦を推進していたキスカにとってとても都合の良いものなのだ。

 提案者のオンドルはアイラの祖父にして愛らしい孫を目に入れても痛くないほどに溺愛しているという。そんな彼女がファディは危険なのでここに留まるのは嫌だと祖父に訴えかければどうなることか。

 つまり、昨夜キスカがアイラにお願いしたのはこのことであった。アイラを通じてオンドルに町の住民を避難させる提案をさせて、焦土作戦の前準備をしてしまおうというわけだ。

 当然、レオポルドはオンドルの提案を許可し、レオポルド室において速やかに避難と物資の備蓄、防衛施設の修復・整備等、諸々の計画を立案することとした。

 その後、議論は再びブレド男爵の迎撃策に移った。

 作戦としては大きく三つの案が持ち上がっていた。ファディの町を出て野戦を挑むか防御施設が脆弱なファディに籠城する。キスカとしてはファディをはじめとする町村を尽く焼き払い主力は退避しつつ夜襲や奇襲を多用して敵の兵站を脅かす焦土作戦を採るべきと思っていたが発言を控えていた。

 代わりというわけではないが彼女と同様の作戦を提案する者がいた。レッケンバルム卿の子息であるマクシミリアン・ゲオルグ・レッケンバルム大佐であった。

「せっかく手に入れた拠点を打ち捨てるというのか。しかも、一戦も交えずに敵にくれてやるのは如何なものか」

 倅の意見を聞いたレッケンバルム卿は不機嫌そうな表情を隠そうともせずに言い放ち、ジルドレッド将軍も渋い顔をしていた。

「確かに我が軍は劣勢ではあるが全く勝機がないわけでもない。現に前の戦いでは数倍もの敵軍を破ったではないか」

 前の戦いというのはクロス卿派が七長老派の五部族連合を破ったファディの戦いのことである。

 確かに先の戦いでは劣勢が多勢を破ったが、あの勝利にはいくつかの理由があった。まず、五部族連合軍は連合軍であるが故に連携不足で瓦解しやすい脆い軍勢であった。また、武装や練度も不足し、ムールド人は攻城戦に不得手であった。それに、この時、クロス卿派軍はある程度の量の弾薬を保持しており、マスケット銃の一斉射撃という強力な火力によって敵を粉砕することができたのだ。

 来たるブレド男爵との戦いでは全く条件が異なる。ブレド男爵軍は統一した指揮系統を持つまとまりのある軍勢であり、砲やマスケット銃をはじめとする十分な武器を有し、練度もそれなりにある。そして、クロス卿派軍の弾薬は既に底を突いているといっても過言ではないほど枯渇しているのだ。

 同じ勝利を求めることは非常に難しいと言わざるを得ない。

 バレッドール准将とレッケンバルム大佐、ルゲイラ兵站監らはその点を指摘し、野戦を行うことは難しいとした。

 バレッドール准将とルゲイラ兵站監としてはファディに籠城すべきと考えているようであった。

「ファディの防衛施設は甚だ心許無いものではありますが、野戦を挑むよりは有利に戦うことができましょう」

 石の城壁や深い水堀はないが木柵と濠くらいはある。それくらいの遮蔽物でもないよりはある方が遥かに良かろう。

「秀才な策だな」

 それまでずっと黙って話を聞いていたアルトゥールが呟いた。バレッドール准将が顔をしかめて彼を見る。

「籠城じゃあムールド人の強みが死んじまうんじゃないか」

 元々が遊牧民であるムールド人の兵としての強みは軽騎兵戦術にある。籠城戦ではその強みを殺すことになるとアルトゥールは思っているようだ。

「野戦に出よというのですかな。しかし、野戦となればそれこそ兵の数がものを言います。ムールド人軽騎兵の強みを生かすどころの話ではありますまい」

 バレッドール准将は不機嫌そうな顔で言い返す。

 これを仲裁するようにジルドレッド将軍が口を開いた。

「では、歩兵はファディに籠城して敵を引き付け、軽騎兵は密かに敵の後背や側面に進出するというのはどうか。これならば籠城して堅実な戦いができ、騎兵の強みも生きる」

 この提案は妥当に思えた。諸卿の反応は上々で他に良案も出ず、クロス卿派の迎撃策は決定した。

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