四七 合同会議
ウォーゼンフィールド男爵の姫エリーザベトとロバート老の孫アルトゥールがファディに入ったのはレオポルドの同居人をめぐる騒動が起きた数日後のことであった。
彼らは騎兵二〇数騎という小勢で対立するウォーゼンフィールド家中の独立派家臣の追手やブレド男爵の手の者から辛くも逃れてきたのであった。
彼らはクロス卿派に加わることを希望していた。
これを受け、レオポルドらクロス卿派の幹部は二人を受け入れるべきかどうかについて協議を行うことになった。
両者は反ブレド男爵ということで利害は一致しているはずであり、兵力不足に悩むクロス卿派としては、わずか二〇数騎とはいえ、精強な騎兵は喉から手が出るほど欲しい。また、アルトゥールは勇猛と名高き将である。
「アルトゥール殿とエリーザベト嬢を受け入れることに反対する理由などあるまい」
クロス卿派内の帝国貴族たちによる会議の場でレッケンバルム卿が満足そうに言った。
「ウォーゼンフィールド男爵の一人娘であるエリーザベト嬢を手許に置いておければ、ウォーゼンフィールド男爵とブレド男爵の間の縁組を防ぎ、両者の結びつきが強まるのを阻むことができますな」
シュレイダー卿が山羊髭を撫でながら言い、レッケンバルム卿は深く頷いた。
「その上、エリーザベト嬢は我々がウォーゼンフィールド男爵に揺さぶりをかける貴重な道具である。彼の家は一枚岩ではないからな。上手く揺さぶりをかけ、介入してやれば、こちらに転がる可能性もある」
そう言って老獪な策略家は冷たい笑みを浮かべた。
レオポルドは悪巧みする老人の打算的な言い方に顔を顰めつつも、確かにその通りであると納得する。
「アルトゥール殿が率いてきた兵は僅か二〇数騎であるが、我が軍の状況を見れば貴重な兵力である」
続いてクロス卿派の軍事部門を統括しているジルドレッド将軍が発言した。
クロス卿派の軍勢は、ハヴィナから同道してきた元辺境伯軍の騎兵が一〇〇騎足らずに歩兵二〇〇余。更にムールド諸部族の兵が一〇〇〇程度。
しかも、ムールド兵の練度は低く、兵士としては半人前といっても良かった。ジルドレッド将軍らがムールドの若い男たちを集めて練兵に励んではいるが、教練に当たる士官・下士官が不足しており、まともな軍事行動がとれるようになるまではまだまだ時間が必要だろう。
アルトゥールやその配下の兵は士官や下士官としてすぐに実戦に出られる将兵であり、ムールド人新兵たちの教練も行うことができるだろう。
「しかも、アルトゥール殿は一騎当千と呼ばれる勇猛な将です。彼を味方にできるのは非常に心強い」
バレッドール准将も賛意を示し、他の貴族たちも頷き、同意の声を上げる。
「アルトゥール殿とは、それほど優れた軍人なのですか」
レオポルドは勇敢で優れた軍人であると評判のアルトゥールが実際にどれほど優秀な軍人なのか興味を持って尋ねた。
「アルトゥール殿は十五歳で初陣を飾って以来、辺境伯軍で十数度もの戦に出て、傷一つ負わずに武勲を挙げているのです」
「五年前のガスケの戦いでは先陣を切り、帝国に反抗するベイザリ族の族長の首を挙げる手柄を挙げております」
「七年前の聖ノルデンの戦いでは騎兵中隊を率いて敵の側面に回り込み、味方の大勝に大きく貢献しましたな」
「四年前の遠征においては一週間で村七つを落とした戦績も忘れられません」
レオポルドの問いに諸将はアルトゥールの優秀さを能弁に語った。
「なるほど」
レオポルドはアルトゥールが勇猛果敢な優れた軍人であるといわれることに納得した。
そして、今までサーザンエンド辺境伯は毎年のように戦に明け暮れ、抵抗する異民族と戦ってきた挙句、結局平定しきれていなかったということを改めて確認した。そんなに毎年のように戦いを続けていれば財政破綻もするというものだ。
聞いている限りサーザンエンド辺境伯軍の戦歴は華々しく、負け戦よりも勝ち戦の方が多いようだった。ということは、戦では勝てているが、その後の軍政や統制の仕方に問題があったということなのだろう。
昔の戦話に花を咲かせる諸将を眺めながらレオポルドはそのようなことを黙考していた。
「お二人を迎え入れることには反対ですな」
カルマン族の族長にしてアイラの祖父であるオンドルは険しい顔ではっきりと言い切った。
「エリーザベト嬢を受け入れることはブレド男爵と敵対することを公に表明することと同義」
「現在の我々の勢力でブレド男爵に敵対的な行動を取ることは非常に危険です」
ムールド諸部族の幹部たちは口々に反対を唱えた。
レオポルドは渋い顔で沈黙を続ける。とりあえず、まずは黙って議論の行方を見守るつもりだった。
「それに、アルトゥール殿はムールド人の間で、あまり評判がよくありませんからなぁ」
サイマル族の長老が苦々しげに言った。
今まで数百年に渡ってサーザンエンド辺境伯が戦ってきた相手は異民族であり異教徒である。それは時としてアーウェン人であったし、テイバリ人であったし、他の部族でもあったが、ここ数十年の間、辺境伯軍が戦う相手といえばもっぱらムールド人であった。
つまり、辺境伯軍に所属していたアルトゥールが勇猛さを遺憾なく発揮していた相手は他ならぬムールド人なのであった。
勿論、親帝国派であった七長老会議派諸部族にその剣は及んではいないものの、思想や方針が違うとはいえ、同胞に対する今までの行いを見てきた彼らがアルトゥールに好意的な感情を抱くわけがない。
また、他の諸部族からどのように見られるか。同胞の憎き敵を町に迎え入れ保護しているともなれば七長老会議派にはかなりの非難が集中することが予想される。今までですら、帝国に靡いた臆病者と罵られているというのに、これ以上面子に傷をつけられるようなことは避けたいというのが彼らの本音だろう
「それに、アルトゥール殿を迎えればクラトゥン族が黙っていないでしょう」
ムールドの地に兄弟たちの仇であるアルトゥールがいると知れば、反帝国主義であるムールド人の大部分を押さえつつあるクラトゥン族が黙っているものか。これを口実に七長老派領内に攻め寄せてくるかもしれない。
エリーザベトとアルトゥールを迎え入れることは今最も敵にしたくないブレド男爵とクラトゥン族という二大勢力に余計な刺激を与える危険性があるとムールドの長老たちは考えているのであった。
言い分はまさしくその通りである。レオポルドは納得した。
しかし、同時にひどく困惑する羽目になった。
レオポルドを支持するレッケンバルム卿以下の帝国人貴族と彼を支えるムールド諸部族の意見が決定的に対立してしまったのだ。
両者の関係は今までも決して良好とは言い難いものであったが、ここまで決定的に意見が対立することはそれほど多くはなかった。
この対立を調整するのがレオポルドがすべき役割であり、本人もその重要性を理解している。しかし、実際、現在におけるレオポルドの発言力と影響力はあまり大きなものではない。レッケンバルム卿をはじめとする帝国人貴族の多くはレオポルドを青二才の若造と侮っていたし、ムールドの長老たちも彼に敬意は払っているものの、完全に忠実で従順というわけではない。
レオポルドの力は鶴の一声で意見統一できるほど強いものではないのだ。彼にできることといえば、せいぜい意見調整の為の合同会議を設置するくらいであった。
合同会議の設置にレッケンバルム卿は難色を示した。同じ会議の場で席を並べ、ムールドの長老たちと同列に見做されることに不満があったのだろう。
そもそも、卿はムールド人との意見調整など無用と考えていたし、意見を求めること自体無用であるとすら考えていた。ムールド人は我々の出す命令に唯々諾々と従っていればよいとの考えである。
しかし、クロス卿派は七長老会議派ムールド諸部族に支えられているのが現実である。彼らの意向を完全に無視することは難しいことくらいレッケンバルム卿もよく理解していた。認めがたい現実というものである。
レッケンバルム卿が渋々ながら頷けば、それ以上に合同会議に反対する者はいなかった。
こうして、エリーザベトらの処遇は合同会議において話し合われることとなった。
クロス卿派の合同会議は例の如くファディの集会所の一室で行われた。
上座にレオポルド。その傍らにキスカ。上座から見て右手側にはムールド七部族の代表者七名が並び、左手側にはレッケンバルム父子、シュレイダー卿、ジルドレッド兄弟、バレッドール准将、ルゲイラ兵站監。それに、聖職者でありながら教会の方針に反対してレオポルドらに同行したサーザンエンド司教付司祭が出席していた。
「今更、ブレドの顔色を気にしたところで意味などあるまい。我々は既に一度彼奴と剣を交えているのだ。エリーザベト嬢らを迎えようとも追い返そうとも奴と戦う運命は避けられまい。ブレドがここに攻めてくるのは時間の問題というものだ」
レッケンバルム卿の発言にオンドルが即座に反論する。
「確かにブレド男爵との対決は避けられぬものです。しかし、今現状においてはブレド男爵もハヴィナの教会勢力やウォーゼンフィールド男爵との連携を深め、その他中小の領主・豪族たちへの支配を固めることに注力しております。男爵の矛先がこちらに向いていないのはその為でしょう」
反抗する小勢力の息の根を止める為に軍を差し向けて兵と金と時間を費やすよりも、辺境伯の地位に就く為に欠かせない地元の有力者たちの支持を集め、地盤を固める方がブレド男爵にとって優先すべき事柄なのである。
また、サーザンエンド北部にはクロス卿派よりも手強い有力な勢力があり、そちらへの牽制も欠かせない。
故に、少なくとも当面の間はクロス卿派が刺激をしなければブレド男爵は彼らに手出しをしない。というよりは、見逃してくれると思われた。
「しかし、ウォーゼンフィールド男爵との連携に欠かせないエリーザベト殿を我々が匿うことはブレド男爵に反抗するという意思を鮮明にするも同義。そうなればブレド男爵は我々を無視することができなくなります。そもそも、婚約者に逃げられ、それを取り返そうともしないと思われれば男爵の面目は丸潰れというもの。男爵はなんとしてもエリーザベト殿を取り返すべく軍を送ってくるでしょう」
強力な敵が見逃してくれているというのに、わざわざ反抗的な行動をして敵を呼び寄せる必要などあろうものか。
「今は我々も自力を蓄える時、戦をしても勝ち目がないというのに敵を呼び寄せるなど愚の骨頂というものです」
「確かに今の我々の戦力ではブレド男爵の軍に抗することはできまい」
オンドルの言葉にバレッドール准将が口を開く。
「我々の物資の備蓄状況は最低といっても過言ではない状況です。特に弾薬は既に底を突いているようなもの。銃兵の一斉射撃は二度しかできますまい」
ルゲイラ兵站監が淡々と自軍の物資の備蓄状況を報告する。
今のクロス卿派軍がブレド男爵軍と戦っても勝ち目はないということは軍人でなくても理解できる。
「成る程。貴様の言い分尤もである」
レッケンバルム卿がオンドルを見つめながら言った。
「しかしだ。そうやっていつまでも敵の目から逃げ隠れしていられるものかね」
卿は口髭を撫でつけながら尋ねた。
その問いにオンドルは顔をしかめて黙り込む。
「ブレドの都合で我々が見逃されているのならば、我々は彼奴の都合が整うまでの命ということであろう」
「確かにその通りですな。ブレド男爵の軍が差し向けられるまでの間に我々の支度が整っていればよいのですが」
サーザンエンド司教付司祭がレッケンバルム卿の言葉に同調する。
「しかし、そうはいくまい。ブレドめは我々を見逃していても目を離すほど間抜けではないはずだ。我々の勢力が力を蓄え、対抗できるほど勢力が拡大する前に叩き潰すであろう」
レッケンバルム卿は場を見回してから続ける。
「どちらにせよブレドの軍はいつかここへ押し寄せてくるのだ。なれば、ウォーゼンフィールドを切り崩す重要な手札であるエリーザベトを手許に確保しておき、ブレドの攻撃を凌ぎながら、ウォーゼンフィールドに調略の手を伸ばすのが上策ではないか」
レッケンバルム卿の提案に帝国人貴族の多くは大なり小なり賛同の声を上げた。
「しかし、同行のアルトゥール殿は反帝国のムールド人から強く恨まれております。南部のクラトゥン族を刺激する可能性が」
黙り込んだオンドルに代わって他の長老が発言する。
「クラトゥン族はそれほど帝国側の情報に通じているのかね」
その危惧に対してレッケンバルム卿が尋ねる。
「彼らは反帝国であるが故に、帝国側に殆どパイプを持っておるまい。なれば、アルトゥール殿の所在などわかるまい」
「確かに、クラトゥン族には帝国の内実はわかりますまい。しかし、我々の部族内の内情はいくらか伝わるでしょう」
ムールドの長老の発言にレッケンバルム卿は「確かに」と頷く。しかし、すぐに言い返す。
「まぁ、クラトゥンの連中に伝わったとしても、それはそれでやりようはあろう」
「ブレド男爵とクラトゥン族は相容れませんからな。鉢合わせになれば戦わざるを得ないでしょう」
レッケンバルム卿の言葉にルゲイラ兵站監が言葉を重ねる。
ブレド男爵軍とクラトゥン族が争えば、クロス卿派が上手く立ち回って漁夫の利を得るということもあり得よう。
レッケンバルム卿の主張の前にムールドの長老たちは揃って黙り込んでしまった。
合同会議の結果、レオポルドはレッケンバルム卿の主張する通りエリーザベトとアルトゥールを受け入れることが決定された。