四二 七長老会議
そもそも、七長老会議とは百数十年も前、ムールドでも北に住む七部族の族長、長老たちが集った会議に由来する。
この時の会議で、七部族は帝国に対する無益な抵抗を止め、恭順を決めた。
また、ムールド人の主流である反帝国主義の他部族に対抗する為に、七部族はサーザンエンド辺境伯の後ろ盾の下で同盟を結ぶ。以後、七長老会議はこの同盟における最高意思決定機関として機能することとなる。七部族は会議によって決定された一致した行動を取り、この結束により、多数派である反帝国主義の他部族に対抗してきたのだ。こうして、親帝国派となった七部族のことを七長老会議派などと称するようになった。
対して、他のムールド人部族の多くは反帝国、親帝国に関わらず、家畜や放牧地、資源などを巡る部族同士の抗争が日常茶飯事で、反帝国の下に統一した行動ができない。
七長老会議による結束が少数派である親帝国派ムールド七部族を生き長らえさせてきたといっても過言ではない。
さて、この七長老会議がファディで開かれた。これまで、原則的に会議には七部族の族長や長老のみ参加を許されていたが、今回の会議ではこの席にレオポルドとキスカが加わっていた。
というのも、キスカは今やネルサイ族の族長代理の立場にあるのだ。先代の族長代理である伯父や一族は尽く粛清された為、ネルサイ族では前族長の一人娘であるキスカが若い女であるにも関わらず族長代理の座に就くことになっていた。
レオポルドはというと、本来であれば前族長の娘と結婚した男が次の族長となる定めである為、前族長の娘であるキスカの婚約者である彼は次期族長と見做されていた。
族長代理と次期族長であれば、出席する資格を有するとされ、二人はいつもの集会所の一室で行われる七長老会議の場に加わっていた。
レオポルドが上座に置かれたのは実際の力関係によるものだろう。七部族はレオポルドに従属する立場なのだから。その傍らにキスカが控える。
他の参加者はカルマン族の族長や、その他の部族の族長、長老。いずれも老齢の者が多く、レオポルドとキスカくらい若い者は他にいない。
レオポルドとしてはクロス卿派全体の会議として、七部族の長老たちの他にクロス卿派の幹部たち、レッケンバルム卿や将軍たちを含めた全体会議を主催したかった。
しかし、両者を一緒に扱うのは非常に難しかった。プライド高い帝国人貴族たちは蛮族の老人たちを会議に含めることを良しとせず、余所者を嫌うムールド人の長老たちも七長老会議に帝国人貴族たちが入ることに難色を示した。
クロス卿派の指導層である帝国人貴族と実質的に兵力の大部分と資源や財貨を出すムールド人との間の軋轢はレオポルドとしては頭の痛い問題であった。この問題の解決には時間がかかるものと彼は考えており、一先ずは棚上げにしていた。
こうして、七長老会議はクロス卿派の幹部会議とは別に行われていた。
前回の会合で七部族は一致してブレド男爵を支持し、ムールドへと落ち延びてきた男爵と対立するレオポルドらクロス卿派を捕縛し、ハヴィナに送ることを決定した。
それから一月と経たぬうちに、会議は前回とは全く違う結論を導き出す羽目になった。
冒頭で七部族は揃ってレオポルドに刃向ったことが陳謝され、恭順する意が表明された。これをレオポルドは寛容に受け入れ、誰一人にも罰を与えることはしなかった。ただし、再度の謀反があれば、一族郎党をも死罪を含む厳罰に処することが警告された。
「ところで、南の部族たちの様子はどうか」
主従関係がはっきりとしたところで、カルマン族の族長オンドルが口を開いた。
彼らクロス卿派と七長老会議派は現状では敵対勢力に取り囲まれている状況にある。敵対勢力の動向を常に警戒しておくことは死活問題といえる。
「パレテイ族がクラトゥンの軍門に下ったとか」
サイマル族の長老の言葉に場がざわつく。
「何っ、真かっ」
「それは確かな情報なのですか」
「パレテイが下れば、西の部族全てがクラトゥンの下に入るのも時間の問題だぞ」
長老たちは深刻そうな面持ちで口々に囁き合う。
唯一、ムールドの情勢をイマイチ理解していないレオポルドだけが、状況を把握できず、頭の中を疑問符で一杯にしていた。
すかさず、その耳元にキスカが唇を寄せる。
「クラトゥン族はムールドで最も大きな勢力を持つ部族です。クラトゥンと縁戚にある部族、従属下にある部族は合わせて一〇にも上り、その勢力はムールドの南半分にも及びます」
「なるほど。では、パレテイは」
「パレテイ族はムールド西部では有力な部族で、ここ最近はクラトゥンの侵攻に抵抗しておりました。ここがクラトゥンの軍門に下れば、残りの西の部族は弱小な部族ばかりなので、彼らは早々とクラトゥンに恭順の使者を出すでしょう」
「つまり、ムールドの南半分から西一帯はクラトゥン族の勢力圏になるということか」
「そうです。残るのは北端部の我々と北東部の八部族だけになります」
南部を支配するクラトゥン族が西部を飲み込んだ後、次に食指を伸ばすのは北となろうことは想像に難くない。
「我々が動員できる兵はせいぜい二〇〇〇がいいところだが、クラトゥン族は如何程の兵を動かせるだろうか」
「その気になれば、二万は動かせるのではないでしょうか」
「何だとっ。二万だとっ」
キスカの答えにレオポルドは仰天する。
「確かムールドの人口は一〇万人ほどと聞いたが……」
「そうです。そのうち、七長老会議派の部族を全て合わせると一万。クラトゥン族とその勢力にある部族、今回、軍門に下るパレテイ他西の部族が全部で八万程。残りが一万くらいでしょう」
「総人口が八万で、兵を二万も出せるのか」
「遊牧民の男は、皆、砂漠の戦士ですから。その気になれば、下は一〇から上は六〇くらいまでの男全員が馬に乗り、弓を取って戦場に赴くことができます」
この答えにレオポルドは納得した後、嘆息して呻くように呟く。
「そのような戦力差では、とてもじゃないが太刀打ちできんぞ。まして、こちらは武器弾薬すら事欠く有様だ」
「しかし、彼らも、パレテイ族と戦ったばかりで、戦力を再編成する時間を必要とするでしょう。また、西の部族を従属させるのにも、いくらか時間はかかると思われます。次の軍事行動が起こせるようになるまで、一月か二月はかかってもおかしくはありません」
そのことだけが救いといえるだろう。明日にも、こちらに二万ものムールド騎兵が押し寄せてくると言われたら、レオポルドたちはせっかく手に入れた拠点を放り捨て、尻尾を巻いて逃げるしかない。
このことを自覚しているのはレオポルドだけではなく、七長老会議派の長老たちも同じようであった。七長老会議派がこれまで北端部に勢力を維持できていたのは背後にサーザンエンド辺境伯が控えていたことと、他のムールド諸部族がバラバラになって互いに争いを繰り返していたからに他ならない。それが今となっては両者とも失われているのだ。今回の事態はレオポルドにとっての危機でもあるが、七長老会議派にとっても重大な危機なのである。
「どうにか、クラトゥン族と戦わずに済むような方策はないだろうか」
レオポルドの言葉に場の面々は揃って渋い顔で考え込む。
沈黙が場を支配する中、ふと一人の絹の衣を纏った白く長い髭の老人が顔を上げる。
「クラトゥンへ貢物を出しては如何であろうか」
この言葉に、場は騒然とした。
「なんということかっ。クラトゥン族の軍門に下るというのかっ」
「そのような屈辱的なことなどできようはずがないっ」
「貢物を出しては連中を更に増長させるのではないか」
誇り高いムールドの戦士としては戦わずして敵に頭を下げることを止しとしないのだろう。ましてや、貢物を差し出して見逃してもらおうとするなどという屈辱には耐えられないというわけだ。
異論が続出する中、老人は眠たげな顔でもごもごと言い返す。
「戦って勝てるのであれば、己の矜持を貫き通すこともできようが、今の戦力では歯が立たないことは明白。実際、我々には二つの選択肢しかないのだ。矜持を貫き、戦って負けるか、先に貢物を差し出して見逃してもらうか」
そこまで述べて老人はレオポルドを見つめる。
「決めるのはレオポルド様じゃ」
場の視線が一斉に集まる中、レオポルドは渋い顔で傍らに寄り添うキスカに視線をやる。
すかさず、キスカはレオポルドの耳元に口を寄せた。
「あの方はエジシュナ族の長老トカイ様です。エジシュナは帝国ともクラトゥンとも商売などで取引があります。クラトゥンと通じているとの疑惑が出たこともありますが、どちらかといえば、帝国との繋がりの方を優先しているものと思われます」
レオポルドは渋い顔のまま頷くと、口を開いた。
「貢物を出すにしても相手が受け取ってくれるとは限りません。差し出す物と、差し出す者によるかと思われますが」
レオポルドの言葉に同意の声が上がる。
「この件に関しては帝国人よりもムールド人が当たった方が良いかと思われます。特に人生経験が長く、クラトゥン族とも繋がりのある方が宜しいでしょう」
彼の言葉に老人は苦い顔になる。
「貴方にお任せしたいと思いますが、宜しいですか」
そう言われて断るのは難しい。自分が提案したことが認められ、その実行を任された段階で、断っては言動不一致ではないか。口先だけの男はムールドでは軽蔑の対象である。口だけでなく、いや、口よりも行動力、実行力の方が尊ばれるのがムールドの男というものだ。
老人は渋い顔をしながらも、黙って頷いた。
「エジシュナ族は東方から来る物産を商っていますから、クラトゥン族の大物にも喜ばれるような物を送ることができるでしょう」
「彼の衣を見れば分かる。あの様な刺繍の絹衣は西方にはない」
キスカが囁くように言うと、レオポルドは微笑を浮かべて応えた。
「エジシュナは東方大陸とも商売をしているのか」
「えぇ、エジシュナ族の町ハリバは、東岸の港湾都市イマンに荷揚げされた東方からの物産が西の港へ運ばれる途中の中継地なので」
東方大陸との貿易は西方大陸東岸部では盛んに行われており、そのうちの一つの貿易ルートが南部と繋がっているのだろう。ムールド人の隊商はそれらの品を東岸の港から西岸の港へ運ぶ役割を担っているようだ。
「ところで、レオポルド様。ご婚礼の日取りはいつになりましょうか」
話が一段落したところで、カルマン族の族長オンドルが口を開いた。
彼の問いにレオポルドは再び顔をしかめる。
「婚礼だと。どういうことだ」
「あのネルサイ族の同族殺しと…」
「おいっ。本人に聞こえるぞっ」
長老たちがひそひそ声で囁き合う。
「キスカとは、あー、まだ、その、」
レオポルドはしどろもどろになって、もごもごと言葉を濁す。
「レオポルド様とキスカ殿のご婚礼は帝国とムールドの間の盟約の証。早々に行わねばなりません」
そう言ってから、オンドルは髭を撫でつけながら続ける。
「それに、第一夫人たるキスカ殿とのご婚礼が済まなければ、我が孫との婚礼ができませぬからな」
彼の言葉に再び場は騒然とした。
「なんとっ。オンドル殿の孫娘とレオポルド様がっ」
「そのような話初耳だぞっ」
「如何なる理由でそのような婚約が成り立っておるのだっ」
人々の問いかけにオンドルが応える。
「我がカルマン族の従属の証として、我が孫アイラをレオポルド様に差し出したのだ」
差し出されたのは事実である。だが、まだ婚約を決めたわけではない。と、レオポルドが口にする前に、次々と他の部族の長老たちが声を上げた。
「なればっ、我がキオ族族長の娘も、レオポルド様に差し出したくっ」
「私の娘もレオポルド様にっ」
「我が孫を人質にお取り下されっ」
「恭順の証として、うちの末娘をっ」
将来、辺境伯としてムールドの地を含むサーザンエンド全土に君臨する予定であるレオポルドの妻に一族の娘を置くことができれば、一族にとって大変な名誉であることに他ならず、加えて実利的にも非常に有利な立場に立てることは言うまでもない。
オンドルが、わざわざ、この場で孫娘アイラとの婚約を口にしたのは多くの人の耳に入れることによって、婚約を既成事実化する目論見があったのだろう。
それを聞いた他の部族の長老たちはネルサイとカルマンに遅れてはならじと、次々に声を上げる。
「ならんならんっ。妻の数は四人までと古よりも掟にて決まっているではないか」
「では、あと二人は席が空いておるということだなっ」
「妻でなくとも、妾としてお傍に置いて頂けても、うちは構わんぞっ」
激しい言い争いをする老人たちを前にして、レオポルドは疲れたように嘆息した。今となっては何を言っても、彼らの耳には入るまい。とはいえ、放っておけば、いつの間にか、七人も妻を抱える羽目になりそうだ。
困り顔のレオポルドの傍らで、第一夫人となるキスカは顔を朱に染めて黙り込んでいた。
「こ、婚礼……」
ぼそりと口の中でこっそりと呟いて、更に顔を赤く染めた。