四〇 ファディ包囲
七長老派のうち五部族の連合軍二〇〇〇の兵がファディよりいくらか南にある町ロジに集結しつつあるという情報が入ったのはファディの夜と呼ばれる惨劇から一週間後のことだった。一週間で二〇〇〇の兵を集めたのならば、よくやった方といえるだろう。
五部族連合軍はロジに集結し、当地で一日休息した後、北上を始めた。この動きはキスカの指示によって放たれたネルサイ族の斥候により監視されており、これらの情報は全てキスカを通じてレオポルドの耳に入って来ていた。
「敵勢はファディまで一夜の距離まで迫っております。数は二〇〇〇。騎兵と歩兵が半々といったところです。装備は劣り、大小の火器は殆ど見られません」
改めて、現状を説明したキスカの言葉を聞き、クロス卿派の諸将は一様に渋い顔を浮かべた。
例によって集会所の一室にはクロス卿派の軍事担当である諸将が居並び、軍議を行っていた。上座にはレオポルドが座り、その傍らにはキスカ。その右手側の壁に沿って、ジルドレッド卿とその弟、レッケンバルム侍従長の息子であるレッケンバルム大佐が並ぶ。反対側には、バレッドール准将とルゲイラ兵站監。それに、ネルサイ族とカルマン族の指揮官が座っていた。
文官である侍従長レッケンバルム卿や法務長官シュレイダー卿らの姿はない。
「やはり、町に籠り、迎撃するべきではないか」
バレッドール准将が口を開く。
クロス卿派が動員できる兵は騎兵三五〇に歩兵四〇〇の合計七五〇ほどであり、敵勢の三分の一程度でしかない。野戦においては基本的に数の多い方が勝つ。勿論、少数が多数を破ることもないではないが、決して多いとは言えないのが現実である。
それならば、一応は防御施設を備えているファディの町に立て籠もって、敵を迎撃するのが堅実にして、賢明な判断といえるだろう。
向かいに座ったレッケンバルム大佐が黙って頷き、賛意を示した。
「しかし、町の防御施設は脆弱で、敵の攻撃に耐え切れないのでは」
この案にジルドレッド大佐が異を唱える。確かにファディの町を守る防御施設は空堀に土塁、柵程度の急ごしらえのものでしかない。石壁の城壁や高い塔、水を湛えた深い堀に守られているわけではないのだ。
「勿論、町の防御施設は軟弱である。しかし、数万の軍勢を長期に渡って相手にするわけではない。ましてや、ムールド人は軽装の兵だ。城攻めは得手ではあるまい。この程度の施設でも、敵を食い止め、反撃して、打撃を与える効果はある」
「確かに敵は数万もの大軍ではないが、このような長期戦に持ち込まれると辛いぞ」
バレッドール准将の反論にジルドレッド将軍が更に意見する。
ファディの防御態勢は急ごしらえである為、長期の防衛に対する備えが万全ではないのだ。糧秣や水、武器弾薬の備蓄はかなり不足しているのが現実であった。町をぐるりと囲まれ、補給を絶たれ、長期の籠城戦に突入したならば、周辺の村落で糧秣や水を補給できる敵よりも、こちらの方が先に干上がるのは目に見えている。
その上、援軍の見込みがない籠城など愚策というものだ。戦いの結末は町の陥落か若しくは敵が攻略を諦めて帰っていく以外にない為、主導権は常に相手方にあることになる。出口が見えないまま、敵の攻撃にひたすら耐え続けることは容易なことではない。兵の士気の維持は難しく、脱走兵や内通者が出ることも多い。
「長期戦はないでしょう。敵はこの戦いを早く終わらせたいはずです」
将軍が抱いた危惧を、ルゲイラ兵站監が否定した。
「何故だ」
「戦いが長期に及べば、ブレド男爵が介入してくるからです」
彼の回答にジルドレッド将軍は顎を撫でながら、疑問を口にする。
「それは我々にとっては最悪の事態だが、敵にとって歓迎すべきものではないか。援軍が増えるのだから」
将軍の疑問は尤もである。しかし、事はそう単純ではないのだ。
「ムールド人は余所者の介入を好みません。例え、それが味方であろうとも、ムールドの中のことはムールドの中で収めようとするでしょう」
ルゲイラ兵站監の言葉を通訳されたネルサイとカルマンの代表二人はしっかりと頷いた。
ムールド人の感覚にはムールドの民とそれ以外の余所者というしっかりとした区分があり、中のことは中で、解決することを好むのだ。外の者が首を突っ込んでくることに強い拒否感を抱く。いわば、非常に保守的な思考を持っているのだ。
故に、七長老派五部族は余所者であるブレド男爵の介入を好まず、男爵が首を突っ込んでくる前に自分たちだけで片を付けようとするだろう。その為、彼らはできる限り短期の決選を望むと考えられた。ファディを包囲して、守備側の糧秣が尽きるまでずるずると籠城戦を続けたくはないはずだ。
「しかし、軽装のムールド兵が、何の策もなく、強引に攻めかけてくるとも考え難い。軽装の二〇〇〇足らずの兵で、防備を固めた町を攻め落とせると思うほど連中も愚かではあるまい」
「かといって、外に出て、野戦をやろうというのは、敵の思う壺というものですぞ」
軍人たちの議論は数時間にも渡って続いたが、結論は出ず、結局、敵の動きを睨みながら、町に籠るという消極的な対応策が取られることとなった。
ブレド男爵派五部族の連合軍がファディ近郊に到着し、町を包囲したのは翌日昼過ぎのことだった。
敵の動きを監視する為に設けられた櫓からは郊外に布陣する敵の様子が遠望できた。
ムールド兵の多くは茶色や灰色の布を頭からかぶっており、腰には半月刀を提げていた。短い槍や棍棒、弓を手にする者はいたが、火器の類は殆ど見られなかった。鉄の胸甲や背甲を付ける者もいたが、多くは革鎧を装備するか甲冑の類は何もないかだった。赤や青、黄色の細長い旗が風に吹かれて靡いている。いくつもの革製のテントが設けられ、数百頭もの山羊や駱駝がいる。歩く食糧ということだろう。
対するクロス卿派の軍勢はファディの町に立て籠もり、土塁と柵の内側に掻き集められる限りのマスケット銃や弓矢を押し並べ、攻撃に備えていた。
しかし、五部族連合軍は陣を設営したり、遅い昼餉を摂ったり、伏兵がいないか周辺を偵察したりして、すぐに攻撃に出てくる気配はなく、その日は攻勢なく日は没した。
その翌日も、更にその翌日も、攻勢はなかった。
ただ、時折、マスケット銃の射程ぎりぎりまで軽騎兵を寄せて来て、攻撃する気配を見せたり、戦禍を恐れて住人が逃げ去り無人となった近郊の村を焼いたりするくらいである。
これらの動きはクロス卿派軍を町から引き摺り出そうという目論見で行われているのは明らかである。
そのような挑発に乗る愚か者はクロス卿派軍の中にはおらず、レオポルドたちはファディに腰を据え、町の中に引き籠り続けた。
一発の銃撃も、矢の応酬もなく、戦いは静かにずるずると停滞していた。
どちらも動きようがない。というのが正直なところであったのだ。ただ、両者ともそれを望んでいるわけではなかった。
こちらは兵の数が少ないので、一応は防備の整っている町から出たくない。しかし、糧秣の備蓄が心許無いし、援軍の見込みがない為、長期戦はしたくない。
敵方は町を攻めるには兵の数が多くないし、装備も満足ではないので、攻城戦はやりたくない。しかし、ブレド男爵の介入は避けたい為、長期戦はしたくない。
「どうしたものかな」
櫓の上から敵陣を視察しつつ、レオポルドは傍らのキスカに意見を求めるように呟く。
将軍たちは集会所の一室で連日議論を戦わせているが、結論は出そうになかった。不毛な会議に嫌気を感じたレオポルドは何かと理由を付けて、軍議を欠席するようになっていた。
「軍議は宜しいのですか」
軍議を欠席していることを知っているキスカは心配そうな様子である。
「あの軍議に参加しても、良案は浮かばないだろ」
レオポルドは渋い顔で答える。
将軍たちが凡庸で無能だとは思ってはいない。しかし、今まで帝国の辺境伯軍に属していた彼らは圧倒的に優勢な戦力で劣勢の異民族を駆逐するような戦争しかしてこなかった為、劣勢の戦力で、籠城する羽目になるという経験がないに違いない。そんな彼らの話し合いに耳を傾けても時間の無駄でしかない。というのが彼の認識だった。
「とにかく、現状をどうにかしないといけないのは俺たちの方だ。このままじゃ、じり貧になるのはこっちだからな」
「状況は均衡状態では」
レオポルドの言葉にキスカが口を挟む。
現状、攻めようにも攻められないのは敵も同じであり、長期戦をしたくないのも同じなのだから、両者は拮抗状態にあると言えるのではないか。
「今のところはな。しかし、時が経てば違ってくる」
レオポルドは渋い顔で敵陣を眺めた。
「連中が長期戦をやりたくないのはブレド男爵の介入が嫌だから。ってな理由だが、それは、つまり、ただの矜持の問題だ。戦いが長期間に渡れば、そうも言ってられなくなるし、男爵だって強引に頭を突っ込んでくる。連中にとって好ましからぬ事態かもしれないが、こっちにとっちゃ、好ましくないどころの話じゃない。最悪の結末だ」
長期戦を避けたいという両者が抱く思惑の度合いが違うのだ。五部族連合軍は「できれば」だが、こちらは「なんとしても」なのである。
故に、現状を打開しなければならない切迫感はクロス卿派の方なのだ。
レオポルドの言葉に納得したキスカはいつものような無表情のまま思案した。
「騎兵を押し出して、敵を引き寄せましょうか」
「騎兵を囮に出して、敵をマスケット銃の射程まで近付けるか。よくある手だけに、そう簡単に敵が引っ掛かってくれるか疑問だな。やるなら、もう少し、いくらか小細工が必要だろう」
「マスケット銃兵を押し出しすのは」
「銃の数が足りん。火力不足だ。いくらか敵に打撃を与えることはできるが、蹂躙されるだけだ。しかも、こちらは銃兵一人につき、十発程度の弾薬しかない」
「では、夜襲を」
「それは、敵も警戒していよう。警戒しているところへ攻めて行っても効果は薄いぞ」
キスカの提案を次々に否定しながら、レオポルドの頭の中ではいくつかの戦術や案が結びつき合い、一つの形になっていく。
「キスカ。ムールドの軽騎兵は一糸乱れぬ行軍は可能か」
この問いかけにキスカは苦い顔になった。
「正直に言いまして、ムールド兵は統一した動きが得意ではありません」
「指示が下れば、瞬時に全員が馬の向きを変える程度でいいのだが」
「それくらいならば、一糸乱れぬとまでは難しいかもしれませんが、可能だと思います」
キスカの回答にレオポルドは満足したようであった。
「馬の数は十分あるな。足りなければ、駱駝でも驢馬でもいいか」
ムールドは遊牧の民であり、財産とは家畜のことを指すくらいである。ファディの町の中にも多数の馬があり、兵士全員を騎兵に仕立てられるほどの頭数が揃っていた。
「よし、ムールドの軽騎兵を集めてくれ。少なくとも、今日一日は猛特訓をしてもらうぞ」
レオポルドは微かに口端を釣り上げて言い、櫓を降りて行った。