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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一章 サーザンエンドへ
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「必要な情報収集はできたかね」

「ええ、十分に。わざわざお付き合い頂き感謝します」

 デリエム卿の問いかけにレオポルドが礼を言うと、卿は廊下を歩きながら話し始めた。

「いや、我々も南部の情勢には興味がある」

「レイクフューラー辺境伯閣下は南部にご興味をお持ちなのですか」

 卿はゆっくりと頷き、髭を摘まみながら話を続ける。

「所謂南部と呼ばれるグレハンダム山脈以南の地には豊富な埋蔵量を持つ銀山や鉄鉱山が確認されておるが、情勢の悪さからほとんど手つかずのまま放置されている。また、東方大陸や南の海の果ての南洋諸島との交易の拠点としての役割も期待されている。つまり、南部は宝の山とも言えるだろう。新大陸や南洋諸島よりも近く、手頃な新天地と言ってもいい」

 デリエム卿は南部を有望な投資先として考えているようだ。

「しかし、現状ではそれらの鉱山開発も貿易も上手くはいくまい」

 情勢が不安定では投資先としてリスクが高すぎる。そんな所に行きたがる商人や技術者は多くはない。ある程度、安全が保たれなければ経済というもには円滑に動かないものである。犯罪を防止する治安維持は道義的な政策ではなく、健全な社会や経済の為には不可欠なものなのである。

「彼の地が今のまま放置されることを閣下は快く思われていない。然るべき力を持った諸侯によって統治され、治安維持と経済振興が為されることを望んでおられる」

 つまり、レイクフューラー辺境伯は南部でも数少ない帝国に忠誠を誓う諸侯であるサーザンエンド辺境伯の復興に期待を寄せており、それをレオポルドに言うということは言外にレオポルドが辺境伯位に就き、南部を安定させられるのであれば、それを彼を支援する用意があると匂わせているわけだ。

 とはいえ、現状ではレオポルドがサーザンエンド辺境伯になれるかどうかなど全く分からない状況である。今後、どのような展開になるか分からない中で、不用意な発言をしたくないのだろう。

 しかし、レオポルドにとっては万が一にもキスカが言っていた通り、彼がサーザンエンド辺境伯位を狙える位置まで辿り着いた時、帝国でも有数の大諸侯であるレイクフューラー辺境伯の支援を仰げる可能性があるというだけで十分な価値のある話であった。

「それで、君はこれからどうするのかね」

「とりあえず、南部に行ってみようかと思います。今の帝都には私の居場所もありませんから」

 デリエム卿の問いにレオポルドは答えた。キスカの言っていたことが正しいか否か。実際に辺境伯になれるかどうかはさておき、財産も仕事も居場所もない身としては、暫く遠くへ旅に出てみるのもいいと思った。

 それに、何処へ行っても破産した没落貴族として見られる帝都から離れたいという思いもある。

「南部から来た異民族の娘に付いていく気かね」

「まぁ、そうですね。それしか手がないものですから。向こうに着いたら現地の情勢をお知らせます」

 帝国郵便公社の郵便網も南部にあっては配達外地域であろうが、帝都へ行く行商人などの旅人に手紙を託せば、いつかは届くだろう。

「そうしてくれると助かるな。達者でやりたまえ」

 そう言ってデリエム卿は辺境伯のいた広間の方へ歩み去った。旅立つ者を相手にしては大変素っ気なくあっさりとした別れだが卿はそういう人だった。

 レオポルドもそれを十分に知っているし、上辺だけの惜別の挨拶を頂いてもしょうがないので気にせず屋敷を出た。辺境伯邸に来るまで感じていた閉塞感や焦燥感がいくらかマシになっているのを自覚して、彼の足は自然と早くなる。

 今まで追い詰められて二進も三進もいかなくなって、自棄になりかけていたが目指すべき目標、歩むべき道を見つけて、彼の気分は随分と上向きになっていた。


 レオポルドはじめとする来客たちが屋敷を後にした後、レイクフューラー辺境伯は二階にある食堂で夕食を摂っていた。食堂には真っ赤な絨毯が敷かれ、幾本もの蝋燭を立てた巨大なシャンデリアが吊るされている。

 何十人も同時に着けるような巨大な食卓に一人着き、その傍らには数人いる給仕と共にデリエム卿を含む数人の部下たちが控えていた。

 部下たちが一日に得た情報をとりまとめ分析した内容は毎日夕食のときに晩餐会などの用事があるときは、その後に辺境伯に報告されるのが常であった。

 デリエム卿は日中に彼自身や若しくはその部下が得た情報の中から有益と思われる話を簡潔にまとめて報告していく。その中には当然夕方のレオポルドとサーザンエンド辺境伯の件も含まれていた。

 その報告の間に辺境伯は香草と豆とキノコのスープを飲み干し、茹でた野菜のサラダを摘まみ、白身魚のフライを平らげていた。その合間合間に白い小麦パンを食べたり、真っ赤な葡萄酒を喉に流し込む。

 メインディッシュである子羊肉のソテーが食卓に置かれた頃、デリエム卿の話が終わった。

「成る程。確かに南部に我々の手駒が増えるのは良いことです。投資先として非常に魅力的ですし、帝国政府の力が及んでいないことも非常に良い。我々の影響力を強く及ばす余地が十分にあるわけですからね」

 辺境伯は子羊肉のソテーを切り分けながら呟くように話し続ける。

「いつか先、我々が連中と対することになったとき、我々の側に一人でも多くの有力な諸侯がいることは言うまでもなく非常に有益というものです。新たなサーザンエンド辺境伯を味方に引き込めるよう工作を行って下さい」

 そう言って彼女は一口サイズに切った羊肉のソテーを口に放り込んで満足げに微笑み、手にした杯を傾け、血のように赤い葡萄酒を喉に流し込む。

 真っ赤な酒が若き主君の唇を濡らすのを見ながら部下の一人が控え目に口を開く。

「レオポルド殿は上手くやるでしょうか。あまりに若く経験も少なく、能力的にもさほど目立つものがないようにも思えます」

 辺境伯は発言した部下に視線を向け、口の端を吊り上げる。

「確かに彼は若い。金策にも失敗して家を破産させている。社交場には顔を出しているが、戦に出たこともない」

 給仕に葡萄酒を注がせながら彼女は話を続ける。

「しかし、彼は寛容で勉強熱心な合理主義者です。彼の金策も悪くはなかった。教会が邪魔をしなければ借金を帳消しにするくらいの利益は得たでしょう。まぁ、失敗すれば借金が倍になるくらいの賭けをやったのは些か無謀だったとも思えますがね。ま、その無謀さも若者らしくて良いというもの」

 辺境伯はご機嫌に言い、グラスに口を付けた。一杯で平民の一年分の給金が吹っ飛ぶような葡萄酒で喉を潤す。

「まぁ、我々の側に付いてくれるのであれば、誰が新しい辺境伯になろうとも構いませんがね。クロス家の坊ちゃんであろうが、現地領主の誰かであろうが、異民族の有力者であろうが。南部に手の者を送り込んで下さい。情報収集と連絡は綿密に」

 彼女の言葉にデリエム卿は黙って頷いた。


 辺境伯が優雅な夕食を頂きつつ、部下たちの報告に耳を傾けているとき、同じ辺境伯邸の屋根裏の隅。若い女中が数人共同で寝起きする為に宛がわれている部屋で、一人の女中が数少ない自分の荷物を纏めていた。

 明るい赤茶色の髪を後ろで一纏めにした十代半ばほどに見える少女だ。小さな鼻と口に吊り気味の大きな緑色の瞳。大変な小柄だが、華奢ではなく、健康的に程よく筋肉のついたしなやかな体つきをしている。

 少女は真剣かつ不機嫌そうなしかめ面で、殆ど持っていない数少ない私物を片っ端から古臭い革の鞄に詰め込んでいく。下着に衣服類がほとんどで、あとは年季を感じさせる櫛と手鏡、今までに与えられた給金の全額。聖典の中身を要約した小聖典。それらを片っ端から鞄に放り込んでいきながら彼女は数時間前に偶然耳にした話を思い返していた。

 彼女が実の弟のように思ってきた彼がこの屋敷へとやって来て、ある太った司祭と会話していた内容だ。それは帝都よりはるか南の地方の話であり、その地は大変な危険に満ちているらしい。

 そして、彼自身はその危険な南の地へ赴いて、危険そのものへと飛び込むが如き行動をしようとしている。

 遥か南の辺境へと旅するだけでも大変な危険を伴うことを彼女はよく知っていた。もう二度と会うことができないかもしれないという可能性を考えて、彼女はいてもたってもいられなくなった。

 勤めている屋敷を黙って飛び出した結果、発生するであろう諸々の問題や行き場を失った自分を雇ってくれた恩義に背くという罪悪感を考慮しても、彼女はその衝動を押さえることができなかった。

 彼に二度と会えないかもしれない。その顔を未来永劫に見ることができないかもしれない。彼が人生で最も危険で重要な筋目にあるときに、その場に共にいられないなんて我慢がならなかった。

 ついでに、この屋敷に来ておきながら、実の姉同然であろう自分に挨拶の一つもないとはどういうことか。というか、顔も見に来ないとはどういうことなのか。自分は彼が来たことを知って、慌ててできる限りの身嗜みを整えて、いつ出会っても問題ないように心構えをして、屋敷内に入った彼の行動を逐一見守っていたというのに、彼は自分には全く気付かず、というか、自分を探す素振りもなく、いつも恐い顔をしている家令のデリエム卿と客の太った司祭と話し込んでばかりだった。その後はさっさと帰ってしまった。こちとら離れている間、朝も昼も夜も夢の中でも、ずっとずっと彼のことを気遣っていたというのにっ。

 彼女は怒りに任せて、荷物でパンパンになった鞄を強引に閉めると、それを引っ掴み、あちこちの壁や柱にガンガンゴンゴンぶつけながら、辺境伯邸を後にして、自分が生まれ育った、実家といっても差し支えのない懐かしいクロス家へと向かったのだった。

『帝国南部』

 西方大陸東部から南に伸びた大きな半島、その付け根に連なるグレハンダム山脈以南の地を帝国南部又は単に南部と人々は呼んでいる。

 グレハンダム山脈によって帝国本土と分断されており、東海岸に聳えるプログテン山脈によって湿潤な西風が遮られている為、非常に乾燥して温暖な気候である。

 プログテン山脈の西側にある西岸部イスカンリア地方、北東部の比較的暮らしやすい気候で帝国化が進んでいるレウォント地方、東方大陸との交易が活発な東岸部エサシア地方、中部の広大なアーウェン地方とその南に位置するサーザンエンド及びムールド地方、南岸部ハルガニ地方から成る。

 サーザンエンド辺境伯の領土はムールドを含むサーザンエンドであり、ハルガニも辺境伯の支配領域とされているが、明確な根拠はないし、実効支配できていない。

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