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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第三章 ムールド
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三七 人質

 レオポルドの前に数人の老人が跪いていた。

 いつもムールド人が被っている布を脱ぎ、ムールドの男たちが常に携える半月刀を、差し出し、額を床に擦り付ける。

 彼らはいずれもカルマン族とネルサイ族の古老たちである。カルマン族の長老と、その兄弟。それにネルサイ族の長老たち。ムールド人は年長者を大いに敬う風習があり、老人たちは族長の一族でなくても尊ばれ、指導層に入り、部族の政に参与する権利を持つ。族長の一族がキスカや女子供を除いて尽く排除されてしまった今となってはネルサイ族を代表するのは彼ら長老しかいない。

 彼らはレオポルドに許しを請いに来ていた。

「勿論、我々のしでかした恥ずべき罪は到底許されるものではありません。貴方たちを捕え、敵に売り渡そうとした我々が罪を許してくれなどと請うのは烏滸がましいことです。この大きな過ちをなかったことにしてほしいなどとは口が裂けても言えません」

 カルマン族の族長はしわがれ乾ききった声で滔々と話し続ける。

「罪には罰を与えなければなりません。どうか、我々を殺して下さい。どのような刑罰であろうとも、責め苦であろうとも、謹んで受け入れます。しかし、どうか、どうか、他の者たちの命ばかりは助けて頂けませんでしょうか。彼らは我々に命じられて行動しただけなのです。どうか、この爺どもの命に免じて、その寛大なる御心で、他の者の命ばかりはお助けを……」

 敗れた者の指導者が他の者の助命を嘆願する為に己の命を差し出すのは当然の行為である。敗北者の最後の責務といえるだろう。

 レオポルドは彼らの傍に屈み込み、族長の肩を優しく押して、顔を上げさせた。

「どうか、頭を上げて下さい」

「このような恥ずかしい行為に手を染めてしまい、顔向けできません」

「そのようなことを言って、私を困らせないで頂きたい」

 そう言われて、古老たちは渋々と顔を上げた。

「私は貴方たちの命を頂くようなつもりはありません。勿論、他の方々も同様。無抵抗で恭順する者には、その生命、身体、財産に一切の危害を加えないことを約束しましょう」

 レオポルドの言葉に老人たちは再び頭を深々と下げた。

「その代わり、貴方たちには私の配下に入ってもらい、指示に従って頂くことになります」

「勿論でございます。我々はレオポルド様の臣下となりましょう。兵も出します。糧食も供出致しますし、税も納めましょう」

「結構」

 実際、レオポルドにとってはそちらの方が大事であった。老人たちの命を貰ったところで、両部族の強い反感を買うくらいの効果しかない。それより、部族のまとめ役を残し、彼らをしっかりと従わせておく方が得策である。

「ただし、二度目はないものと思って頂きたい。次、裏切りがあった際は貴方たちは勿論、貴方たちの家族、奥方、兄弟姉妹、子供、孫に至るまで、病人から乳飲み子まで一人残らず一族郎党根絶やしにさせて頂く」

 レオポルドはしっかりと言い聞かせるように宣告した。

「その時は私が斬ります」

 そこに、傍らのキスカが一言添える。今しがた、自分の一族を尽く殺した女が言うのだ。長老たちは青い顔で黙って頭を下げた。

「シュレイダー卿。先程の誓約を文書に」

「承知した」

 レオポルドが声をかけると、辺境伯宮廷で法務長官を務めていたシュレイダー卿が部下を伴って前に出た。レオポルドとカルマン族、ネルサイ族との間の合意をきちんと文書にして、形として残すのだ。口約束ほど当てにならないものはない。

「ところで、両部族は既に全員恭順しているのか」

 文書として残す誓約書の文面を巡って話し合いを始めたシュレイダー卿とその部下や両部族の古老たちから離れ、レオポルドがキスカに尋ねた。

「カルマン族はほぼ従っています。この町は既にこちら側です。周辺の村にも夜明けにも、使者を出し、村の長たちを挨拶に来させます。おそらくはほぼ抵抗なくこちらに付くでしょう」

 そこへ、若いムールド兵が駆けて来て、キスカに何事かを報告し、駆け去っていく。

「問題はネルサイ族です。戦士の多くはこちらに付きました。その家族も問題なく、レオポルド様に従うでしょう。ただ、まだ一部抵抗を続けている者がいます」

 そう言って、キスカは腰に提げた半月刀を掴む。

「その愚か者どもが、人質を取って立て籠もっているとのことです。今から向かいます」

「待て。私も行く。君だと、人質ごと皆殺しかねん」

 歩き出したキスカにレオポルドも歩調を合わせる。

「そんなことしません……」

 彼女はレオポルドを見つめて、心外そうに言った。


 人質を取って集会所の一室に立て籠もっているのはキスカの伯母の婿とその兄弟や息子たちの一派だった。

 キスカが次々に伯父や従兄弟たちを粛清したものだから、身の危険を感じたのだろう。その上、いつの間にかネルサイ族もカルマン族もキスカ派が多数となってしまい、容易に外に出て逃げることもできなくなっていた。そこで人質を取るという手段に出たらしい。

 真っ先にキスカの指示で解放された幹部たちには手が出せない。勿論、レオポルドなど論外。かといって、あまり重要な位置にいない人間を人質に取っても、相手が人質の命を重要視しないかもしれない。となれば、狙う人間は集会所にいた帝国人の女子供。その中でも幹部の子女ということになる。

 そういうわけで、彼らは数人の夫人、子供を人質にしていた。その中にはあろうことか、次期辺境伯になるかもしれない男の義理の姉まで含まれていた。

「要するに、連中の要求は生命と財産の保障だろう。そんなもの、いくらでも保障してやるんだが」

 事情を聞いたレオポルドが呟く。

 彼からすれば、連中の命も財産も、特に欲しいわけではない。反抗したりせず、大人しくしていてくれれば、それでいいのだ。

 とはいえ、相手からすれば、突如、一族が情け容赦なく尽く惨殺され、一度裏切った相手が、今度は優位な立場に立ってしまい、自分たちは追い込まれている。相手の口先だけの保障なんか信用できない。人質を解放して、のこのこと投降してみたら、一網打尽にされ、揃って串刺しにでもされては堪ったものではない。

 しかも、レオポルドの傍にはキスカがいるのだ。

「人質を取るとは砂漠の戦士にあるまじき卑劣で下種な恥ずべき行為です。しかも、よりにもよって、フィオリア様を人質にするとは万死に値する許し難き所業。一族のしでかした罪は、私の罪。私の責任で、彼らの血をもって、その罪を贖います」

 などと不穏当なことを言う大量殺人鬼がいては、恐くて無防備に人質を解放することなどできるわけもない。

 彼女の存在はネルサイ族に強烈な恐怖感を抱かせているな。と、レオポルドは感じていた。今に、悪いことをする子供に母親が「キスカが来るぞ」と言って、悪さを戒めるようになるだろう。

「いや、これ以上の流血は避けたい。これ以上死人を出して、ネルサイ族の反感を買うのは得策ではないからな」

 レオポルドは既に腰の半月刀に手をかけているキスカを押し止め、ネルサイ族とカルマン族の長老を呼び寄せた。年長者を敬うムールド人ならば、長老たちの説得に応じるのではないかと期待を寄せたが、中々上手くはいかない。

 レオポルドはどうしたものかと考えた末、キスカを連れ立って自ら交渉に当たることにした。彼の後ろにマスケット銃を構えた歩兵が続く。

 キスカの伯母の婿である痩せぎすの男はフィオリアを盾にするように、彼女の後ろに屈みこんでいた。彼女の腕を縄でしっかりを縛り、逃げられないように左手でしっかと掴んでいる。右手には抜き身の半月刀を握り、いつでも人質の命を奪えるよう、油断なく構えている。

 その後ろには数人の人質と、同じように半月刀を持った男の息子たちが固まっている。

 フィオリアは恐怖と緊張から、顔色は蒼白で、口を真一文字に結んで、黙り込んでいる。目の前にレオポルドが立つと、表情にいくらか明るいものが浮かんだ。

「先程から言っているとおり、即刻、人質を解放し、我々に恭順すれば、諸君らの生命と財産は保障しよう。今後諸君が我々に危害を与えない限り、決して諸君の生命や財産を傷つけることはない」

 レオポルドの言葉をキスカが訳する。敗北者相手にしては、しかも、身内を人質に取っている者相手としては寛大すぎる申し出と言えよう。実際、彼はこのような下らない事柄にかまけていたくなかったのだ。さっさと解決して、次のコマへ進みたいのだ。

「ただし、人質の身が、些かでも傷をつけられた場合には貴様らの命はないと思え。耳と鼻を削ぎ、腕と脚をいで、荒縄で縛り上げ、死ぬまで馬で引き摺り回してやる。貴様らの子供らは見せしめに吊し上げ、遺骸は豚の餌となろう。妻と娘は東の大陸にでも奴隷として売り飛ばされよう」

 寛大なことを言っておきながら、即座に掌を返したように辛辣なことを口にする。

「そんな非道なことをするわけがないと信じていないかね。では、この場に貴様らの家族を連れてきて、一人ずつ、殺していけば、信じて頂けるかな」

 逆に、彼らの家族を人質に取るようなことまで言い出す。当然のことながら、親類であるキスカは彼らの家族を一人残らず知っている。

 しかも、そう言うレオポルドの顔は真剣そのものであった。

「あと、一〇数える間に、決めろ。投降せぬ場合、或いは答えを出さぬ場合は」

 彼がそう言うと、マスケット銃を装備した兵が前に出た。数人の兵が二列に並び立ち、マスケット銃を構える。既に火縄には火が付いている。引き金を引けばいつでも撃てる状態だ。

 これ以上、時間をかけるつもりはない。との言外の宣告である。今、最も優先すべきはこの下らない人質事件をさっさと終わらせ、ネルサイ族とカルマン族を完全に掌握することだ。両部族を従えたとしても、ブレド男爵に付いた七長老会議の残り五部族がどう動くか。更に他のムールド諸部族やブレド男爵の動きにも注視せねばならない。時間はいくらあっても足りない。

「こちらには人質がいるのだぞっ。見ろっ。あんたの義理の姉だっ。この娘がどうなってもいいのかっ」

 堪らず痩せぎすの男が叫ぶ。

「諸君が投降せぬならば止むを得まい」

 レオポルドは努めて静かな声で言い放った。

 男は唖然とし、フィオリアは愕然とした。

「レオポルド様。お止め下さい。もう少し脅しつけて、考える時間をやれば、或いは家族を一人でも、ここに連れて来れば、彼らがいくら愚かでも下手な真似はしないはずです。それに、これ以上の流血は避けたいと仰っていたじゃありませんか」

 キスカが早口で言うのを彼は押し止めた。

 流血を避けたいのは事実だ。しかし、それよりも早くに事件を解決したい。

 また、一族十数人を自らの手で殺した彼女に比べれば、これくらいのこと、些末とすら言えよう。ここで身内可愛さに躊躇してはキスカに合わせる顔がない。彼女と肩を並べるには身内の流血を恐れてはいけない。

「一〇、九、八、七、六、」

 レオポルドは片手を上げ、一〇から数字を減らしてゆく。〇と口にした途端、片手は振り下ろされ、同時にマスケット銃が火を噴くだろう。

 キスカの伯母の婿は余程の愚か者ではなかったらしい。いや、逃げ道のない集会所の一室に人質を取って立て籠もるくらいの愚か者ではあるのだが、それ以上に考えなしではなかった。

 男はフィオリアを解放し、武器を捨てた。息子たちも同様に武器を捨て、人質を手放す。

 レオポルドは無表情でそれを見届けると、マスケット銃を構えた歩兵たちを見やる。伍長が号令を発し、兵たちは銃口を上に向け、武器を捨てた男たちを連行する。人質たちも兵たちに付き添われ、恐怖に解放されたこと安堵から、涙を流しながら歩いて行く。

 部屋に残ったのは無表情で突っ立っているレオポルドと氷のように冷え切った顔付きに、真っ赤な炎の如き瞳で彼を睨みつけるフィオリア。ただならぬ二人の様子に、狼狽するキスカの三人だけだった。

「何か言うことは」

 フィオリアが低い声で尋ねる。

「あ、あの、レオポルド様も、本気で、あのように言っていたわけではなく、あれは、はったりといいますか……」

 二人の険悪な雰囲気に慌てたキスカが勝手に考えた言い訳を口にする。その傍らで固い表情をしていたレオポルドが口を開いた。

「何もない」

「レ、レオポルド様っ」

 何で、そんなことを言うんだ。と、キスカが泣きそうな顔をする。

「ふーん。あんたも、一人前の貴族になったってことかしら」

 対して、フィオリアは晴れがましいような顔で平然と言ってみせた。怒りなど欠片も抱いていないようだ。

「身内可愛さに判断を誤るようでは貴族失格ってものよ。しかも、あたしなんて、本当は血の繋がりもないんだしね。いざというときには、いつでも切り捨てられないと」

 勿論、王族・貴族といえ、人間である。身内可愛さに、判断を誤り、敵を逃がしたり、不利な条件を飲む羽目になったりする場合も多い。逆に身内を人質に取られても、冷酷に人質を打ち捨て目的を達成する者もいる。人間としては身内を助ける方が正しいかもしれないが、政に生き、戦に死ぬ貴族としては後者の方が正しい。少なくとも、帝国の貴族はそう思っている。「貴族たるもの有能たれ。政に生き、戦で死ね」とは、帝国で古くから言い継がれる貴族の誇りだ。多くの貴族はそのように生きて死のうとしている。

 そういうものなのか。と、キスカは釈然としない気持ちで首を傾げる。

「あ、あー。ところで、フィオ」

「ん。何」

 レオポルドは、先程の落ち着き払った様子から一転。視線を泳がせ、冷や汗を浮かべながら、口籠る。

「その、何だ。あー、えーっと」

「何なの。さっさと言いなさい」

「キスカなんだが」

「キスカが何さ」

「好きなんだ」

「……は」

「互いに」

 レオポルドとキスカは真っ赤な顔で視線を明後日の方向に向けている。二人並んで、揃って顔を朱に染めて、視線を逸らしている様は、よく似ていた。

「だから、おそらく、結婚することに、なる、と、思う」

 フィオリアは唖然としていた。冗談みたいに目を見開き、阿呆みたいに口をぽかーんと開けている。

「フィオには、先に言っておこうと思ってだな」

「はあぁっ。何だそりゃっ」

 フィオリアが叫んだ。

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