三四 カルマン族とネルサイ族
レオポルドが通された部屋には数人の老人と数人の中年の男、数人の若い男。それにキスカがいた。
男たちは分厚い赤い絨毯を敷いた床に座っていた。上座に老人たち。そこから中年の男、若い男の順に並んでいる。キスカは入口の傍に所在なさそうに立っていた。
レオポルドが部屋に入ると一斉に鋭い視線が向けられた。キスカは俯いたまま視線を合わせようとしない。
奥にいる老人のうち何人かは見覚えがある。レオポルドから見て上座の右側に並んでいるのはカルマン族の族長はじめとする有力者たちだ。彼らはレオポルドと目が合うと気まずそうに視線を逸らした。そこから右の壁際に座っている男たちにも見覚えがある気がする。おそらく、彼らもカルマン族の有力者たちだ。対して左側に並んでいる男たちには見覚えがない。
レオポルドを立たせたまま、左の壁際で最も上座に座った豊かな髭を蓄えた大柄の男が口を開いた。何やら渋い顔で話しているが、ムールド人の言葉であり、しかも早口だったので齧る程度にムールド語を学んだくらいのレオポルドには理解することができなかった。
「ネルサイ族の族長代行であるカリエイ・アリ・レオコルです。私の伯父上です」
レオポルドの後ろでキスカが通訳するように言った。カルマン族の中には帝国語を解する者もいたが、勿論、帝国語を話せない者も少なくない。そこで部族の有力な血筋の人間であり、帝国語に通じている彼女が通訳としてここにいるのだろう。
「なるほど、ネルサイ族か」
レオポルドは口の中で呟く。
集会所から外を見たとき、ムールド騎兵の数がカルマン族のみの兵にしては多い気がしたのだ。集会所を囲んだ兵が二百か三百騎。それに外で野営していたクロス卿派の兵を押さえるのに同数くらいの兵が必要となるだろう。人口二千程度しかいないファディの兵としては多すぎる。どこか町の外から援軍が来ているのではないかとレオポルドは考えていた。
その外から来た兵というのは、要するにキスカの出身部族であるネルサイ族だったのだ。
今回のカルマン族の裏切りは少なくともネルサイ族も同調しての行動だったのだろう。もしかすると、クロス卿派を捨て、ブレド男爵に付くことは七長老派の一致した意見なのかもしれない。
カリエイは低く轟くような声で話を続ける。
「この度は、このような事態になり、大変申し訳なく、遺憾に思っております」
キスカはかなり言葉を選んで通訳しているようであった。彼女が訳したようなことを厳つい顔で踏ん反り返っているカリエイが言っているとはとてもじゃないが思えなかった。
レオポルドは微かに苦笑しつつも、表情を押し隠す。
「それで、早速、本題なのですが」
裏切った相手を前にして、あんまりにもあっさりと本題に入るものだ。彼にとってレオポルドなどブレド男爵への手土産程度にしか思っていないのだろう。
「郊外に野営している、兵が投降にも武装解除にも応じず、抗戦の意思を示しているのです」
カリエイの言葉を通訳したキスカの言葉を聞いてレオポルドは自分が呼ばれた理由を理解した。
クロス卿派の兵たちが幹部たちが拘束され、軟禁された後も、投降も武装解除もせず、抵抗を続けるのは至極当然のことだろう。
幹部たちが人質に取られているとはいえ、武器を捨てれば名も無き兵たちは殺されるか奴隷として売られるしか道はない。むざむざ最悪な運命を辿るよりは、せめて兵として抵抗し、名誉の戦死を遂げた方がマシだと思うのも無理はない。少なくとも抵抗もせず大人しく武器を捨てる選択を易々とはできまい。
「レオポルド様には、彼らに、命を無駄にするような真似をせず、投降するよう、説得して頂きたいのです」
他の幹部ではなく、レオポルドが選ばれたのは、一応、彼が辺境伯候補であり、形上、クロス卿派のトップといえなくもないからだろうか。或いはキスカが仕えていたから、話が通じ易いと思ったのかもしれない。
「なるほど。命を無駄にせず、か」
レオポルドは独り言のように呟く。
ムールド人たちも攻撃を仕掛けて、無用な損失を被りたくないのだろう。
確かにここでクロス卿派の兵たちが徹底抗戦を続けても、何も得るものはなく、必要のない血が流れる悲劇を生み出すだけだろう。
「嫌だな」
しかし、レオポルドははっきりとムールド人の求めを拒否した。
キスカの他、帝国語を解する者たちは唖然とする。キスカはすぐに気を取り直してレオポルドの言葉を、どう通訳したものか少し悩んだ後、「嫌だと言っている」と通訳した。帝国語を理解しない者たちはそれを聞いて憮然とする。
「何故、私があんたらに協力せねばならんのだ」
レオポルドの言葉を訳すキスカはどう言ったものかと悩んでいるようだった。挑発的とも言える彼の言葉を直訳するのは気が引けるのだろう。
「我々との約束を違い、嘘を吐いて、裏切っておきながら、困ったことがあると、利用しようとするのか。つくづくあんたらの汚いやり方には呆れるな。反吐が出る」
どうやら帝国語を理解する者に短気な者はいないようで、怒鳴り返されることはなかった。ただ、唖然として狼狽していた。そして、キスカは通訳に困っていた。
「砂漠の民は勇敢にして誇り高く、義に厚く、決して約束を違わぬというのは、全くの嘘だったようだな。あんたらは平気で嘘を吐いて、仲間を敵に売り渡し、強者に媚び諂う連中だったわけだ」
帝国語を理解できる者は半分は決まり悪そうに俯き、半分は顔を赤くして静かに怒っているようであった。帝国語を理解できない者はどうやら自分たちが愚弄されていると気が付いたようで不機嫌そうに顔を顰め、キスカになんと言っているのか通訳しろと口々に言った。
キスカはどう通訳したものか悩んでいるようだった。
「構わん。直訳しろ。あぁ、そうだ。最後の連中ってのを犬どもと訳してくれ」
レオポルドは通訳に困るキスカに言った。ちなみに相手を「犬」と呼ぶのはムールド人にとっては最大の侮辱の言葉である。
「しかし、その……」
そうは言われても、彼女には通訳し難いようであった。
「まぁ、あんたらが裏切るのはいい。我々もあんたらを心底信用していたわけではないからな。今更、ぐだぐだ言ってもしょうがないというものだ」
訳しかねているキスカを置いてけぼりにしてレオポルドは自分勝手に話を続ける。
「ただ、俺は悲しく思っている。疑っておきながら言うのもアレだが、やっぱり、君は裏切らないような気がしていたのだ」
その言葉にキスカは顔をはっと上げる。話し続けるレオポルドの後頭部を見つめる。
後頭部に視線を感じながら、レオポルドは硬い表情で真っ直ぐ前を見つめたまま語り続けた。
「いつまでも、仲間でいてくれると思っていた。君の部族が裏切っても、君だけは仲間でいてくれるような気がしていた。そんなこと、理想論であって、実際は無理だとは分かるがね」
そう言ってから、彼は振り返った。キスカの黒い瞳を真っ直ぐに見つめて囁くように、彼女だけに聞こえるような声で続けた。
「願望を言えば、私は君と、まだ、もっと、ずっと、一緒に旅を続けたかった」
そうして、彼はさっさと部屋を出て行く。ネルサイ族の若い男が怒声を上げて制止するようなことを言っていたが無視した。第一、何を言っているのか理解できなかったので、意味が分からないことにして、その場を立ち去る。あとは、祈るだけだ。
「一体、何を言っていたのだ。あの男は」
一方的に帝国語で喋り倒してレオポルドが部屋を出た後、ネルサイ族の族長代行カリエイは不機嫌そうに言った。
不幸なことに、この場にいるネルサイ族の中で帝国語を十分に理解するのはキスカだけだった。あとはカルマン族の長老と幾人か。
カルマン族とは縁戚の関係で、関係は悪くないが、このところは少しぎくしゃくしていた。七長老会議で、クロス卿派を裏切り、ブレド男爵に付くことに最後まで反対していたのはカルマン族だった。
その上、最も嫌な役どころ、嘘を吐いて騙し討ちするという誇り高く義に厚いムールド人には屈辱的ともいえる役を演じさせられたのだ。彼らはそれを上手く演じ切り、策謀は成功したのだが、本心はやりたくなかったの一言に尽きるだろう。カルマン族の長老は先祖に顔向けができんと嘆くほどだった。
カリエイに言わせれば「馬鹿馬鹿しい」としか思えなかった。そんな矜持に拘り、小事に囚われ、大局を見失い、部族を、家族を破滅に追いやることの、どこが正しいというのか。
数千人の部族を率いる長ならば、矜持や誇りなんぞよりも優先することがあるだろう。部族を豊かに安全に生活させることが長の役目だ。その為ならば多少汚いことに手を染めることも仕方がない。
第一、このようなこと、帝国人や他の民族ではよくあることだ。今まで頑なに愚直に義を守り続けてきたから、ムールド人は勢いを失い、南の荒れ地に追いやられて、数を減らしてきたのだろう。
「キスカ。あの男はなんと言っていた」
カリエイは不機嫌そうに鼻を鳴らしてから、キスカに尋ねた。
「え、あぁ、裏切り者に協力するのは嫌だと、まぁ、そういうことを……」
キスカは歯切れ悪く答える。
明らかにそれ以上に長々と喋っていたはずなのだが、それを彼女は要約したのか、訳す必要なしとして省略したのか。はたまた、聞かれたくない話だったのか。
カリエイは不機嫌そうに彼女を睨みつける。
不愉快そうな強い視線を受けてキスカは居心地悪そうに顔を背けると、「失礼」と一言呟くと、部屋を出て行った。
カリエイは彼女に良い感じを抱いていない。
キスカは今は亡き前族長、自分の弟の唯一の子だ。ムールド人では最年少の男子が家督を継ぐしきたりだ。
ムールド人の男は嫁を迎えると、親から財産(家畜)を分与され、独立し、新しい家を興す。ただ、最年少の男子は結婚しても家に残り、親が死ぬとその財産をそのまま継承し、次の当主になるのだ。
しかし、前の族長の弟は女子のキスカにしか恵まれなかった。そのような場合、キスカの婿が家督と財産を全て継承することになる。
自然、キスカの婿争いは部族の中で熾烈を極め、部族の娘の平均的な結婚適齢期を過ぎても、婿は決まらなかった。やがて、去年になって、ようやくカリエイの息子が婿と決まった。
しかし、ある程度の年齢で親もいない為に、いくらか発言力と自由があるキスカは何だかんだと結婚を引き伸ばし、そうこうしている間に、いつの間にかレオポルドを迎えに行く使者の役割を引き受けると、止めるのも聞かず、逃げるようにサーザンエンドを飛び出していってしまった。
あからさまに結婚を嫌がり、避けている。
「オルバイ」
カリエイは息子の名を呼んだ。背が高く黒々とした髭を蓄えた逞しい若者だ。六人いる息子の中で最も自分に似ていて、体力と気力に溢れ、何者をも恐れぬ勇敢な戦士である。カリエイはこの自慢の息子をキスカの婿に選んだ。
「キスカとはどうだ」
父親の問いにオルバイは顔を顰める。
「どうもこうもありません。父上。話をしようにも、いつも何処かへと姿を晦まし、何かかにかと理由を付けては私と顔を合わせようともしません。その上、いつの間にか、帝都に行ってしまう始末で……」
「馬鹿者っ。そんな手緩いことで、どうする。女なんぞというもんは、自由にさせてはいかんのだ。しっかりと首輪を付けて言うことを聞かせろ。いいか。お前はあの女の主人となるのだからな。ここ最近の騒動が済んだら、すぐにでも婚礼を行うのだぞ」
オルバイの嘆きに、カリエイは憤激し、どやしつける。
「あの女は、もうお前のものなのだから、今のうちから躾けておけ。多少、手荒な真似をしても良い。今夜辺りにでも、あの生娘に誰が主人かをとくとその体に覚えさせておけばいいだろう」
そう言ってカリエイは豪快に笑い、オルバイもにやりと笑みを浮かべた。ネルサイ族を取り仕切るカリエイの息子や、兄弟たち、甥たちも下品な笑みを浮かべる。
その様子を見ていたカルマン族は何人かは気まずそうに席を立ち、幾人かは明らかに不愉快そうな顔をしていた。