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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第三章 ムールド
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三三 ファディの夜

 その夜、レオポルドが目覚めると目の前にはソフィーネの少しキツいが端正な顔があった。どうやら、彼女が彼の体を揺さぶって起こしたらしい。

 何事かと問う前にソフィーネは声を潜めて囁く。

「外が騒がしいです」

 その言葉に耳を澄ませると、確かに何やら外が騒がしい。馬の嘶き、馬蹄が地を蹴る音、数多の足音、人々の囁き声が聞こえてくる。かなりの数の人間と馬が、音を押し殺して蠢いているようだ。

「何事だ」

「わかりません」

 レオポルドの疑問にソフィーネは顔をしかめる。

「しかし、良い予感はしませんね」


 二人は寝ていたフィオリアを起こして、部屋に留まるように言ってから、それぞれサーベルと十字剣を手にして、外の様子を伺いに出た。集会所の二階の窓から外を見やる。

「追手に追いつかれたか」

「馬鹿を言わないで下さい。それにしては、静かすぎます」

 レオポルドの呟きにソフィーネは彼を睨むと言った。

「外敵の侵入ではないでしょう」

「敵ではないのならば何だというのか」

「鈍いのは女心に対してだけにして下さい。それとも、まだ寝ぼけているんですか」

 今日のソフィーネはいつも以上に手厳しい。

「まさか……」

「まさかも何もないでしょう」

 外を窺う二人の前を数騎の騎兵が駆けていく。手には槍や銃を持ち、腰に半月刀を提げ、頭には特徴的な布を被っている。明らかにムールド人騎兵である。その数は二百から三百といったところで、集会所をすっかり取り囲んでいた。

「まんまと謀られたようですね」

 ソフィーネの言葉にレオポルドは苦虫を噛み潰し、その苦汁を舌に塗り込んで、口の中で撹拌させたような顔で声にならない呻き声を漏らした。

 やがて、数名の騎兵がマスケット銃を空に向けて撃ち放つ。集会所の中にいる者への警告だろう。怒号が響き、抜き身の半月刀を携えた兵が集会所に押し入ってきた。

「それで。どうします」

「どうもこうも……」

「選択肢は三つ」

 ソフィーネはそう言って指を三本立てる。

「一、立て籠もって徹底抗戦。二、この町から逃げ出す。三、無駄な抵抗はせず降伏」

 彼女はそう言ったが、現実的に取り得る選択肢は一つしかないだろう。

 この場に立て籠もって徹底抗戦するにしても、この集会所にはレオポルドらの幹部クラスと女子供、老人しかいない。剣を手に取り戦える者は十数人しかいない。戦闘力となる兵は郊外に野営しているのだ。すっかり取り囲まれたこの状態では外の自軍と連絡を取ることも難しい。しかも、既に敵に押し入られている。抵抗するには遅すぎる。

 また、逃げるにしても、集会所は四方を取り囲まれ、蟻の這い出る隙間もないほどだ。万が一、どうにかこうにかして建物から逃れられたとしても、外には馬術に優れたムールド人騎兵が多くいる。徒歩で逃げてもすぐに捕捉されるだろう。

 レオポルドは手に持っていたサーベルを腰のベルトに提げ、諸手を挙げた。

「お手上げだ」

「賢明ですね」

「とはいえ、俺たちの寿命をいくらか延ばす程度の意味しかないだろうしな」

 相手は蛮族とはいえ、すぐさま虐殺されるということはないと思われた。最初から皆殺しにするつもりならば、わざわざ警告の為に銃を撃ったりせず、集会所に火を放つだろう。

 それをしないのは、レオポルドたちに利用価値があるからだ。レオポルドたちの身柄をまとめてブレド男爵に引き渡せば、部族の立場は安泰となるだろう。

 その後はどうなるかわからないが。あとはブレド男爵の考え次第だ。

「貴方はまだマシです。利用価値がある高貴な身上ですからね。例え、殺されようとも、悲劇的な名誉の死と彩られるでしょう」

 塔の中に幽閉されようが、拷問にかけられようが、首を斬られて死のうが、いずれにせよ、それはある貴族の悲劇的な最期として記憶され、記録されることだろう。

「対して、私らときたらどうなることか。戯れに殺されるか、奴隷として売られるか、犯され辱められるか、いずれにせよ名誉の死もなく、恥辱と悲嘆に満ちた道を歩み、その上、誰からも記憶されず、記録さえ残らず死ぬことになるでしょうね」

 戦禍に巻き込まれた、哀れで不幸な幾万、幾億もの、名も無き庶民の一人として誰の記憶にも残らず、どのような文書にも書き残されず、歴史の闇へ葬り去られるのだろう。

「それはいかんな」

 レオポルドは他人事のようにぼんやりと呟いた。

「貴方。私は別に貴方とは赤の他人ですから、どうでもいいとは思いますけど、貴方のお姉さんもそうなる可能性はあるんですよ」

「わかっている。では、ここで仲良く雁首揃えて自決と洒落込むか」

 ソフィーネの呆れたような言葉に、レオポルドが真顔で呟く。

「それもまた一興ですね」

 いつも不機嫌そうなソフィーネにしては珍しく楽しげに言って、微笑んだ。

「お前、何で、そこで笑う」

「面白くありませんか」

「全く笑えん」

 レオポルドは不機嫌に呟き、階下から駆け上がってきたムールド兵たちを見やった。

「とはいえ、残念ながら、集団自殺する時間はないようだ」

 そう言って、至極渋い顔で、腰のサーベルを掴むと、その柄を敵に差し出した。


「だからっ、異民族など信用できないと言っていたのだっ」

 レッケンバルム卿の怒りは怒髪天を突かんばかりであった。

「最初から奴らに頼るのが間違いだったのだっ」

「今頃、そのようなことを言われてもしょうがありますまい」

 怒り狂う侍従長にジルドレッド将軍の弟であるジルドレッド大佐が少し呆れたような疲れたような顔で言った。

「しかし、まぁ、まんまと騙されたなぁ」

 兄の方のジルドレッド卿は意外と気軽そうにぼんやりと言った。

「将軍。もう少し緊張感を持たれては如何です」

 あんまりにもあっけらかんと言うので、バレッドール准将が呆れ顔で言う。

「こうなっては、今更、ごちゃごちゃ言うても致し方あるまい。あとは座して待つのみよ」

「まぁ、確かに。あとは野と成れ山と成れの心境ですのぅ」

 法務長官のシュレイダー卿が山羊のような白く長い髭を撫でつけながら頷いた。

 幹部たちの愚痴みたいな会話を聞きながら、レオポルドは沈黙を守っていた。

 クロス卿派の幹部たちは集会所の一室に集められ、軟禁されていた。出入り口には槍を持った数人のムールド兵がしかめ面で立っている。

 他の婦女子や老人は別室に集められているようだ。蛮族ながら、最低限の礼儀くらいはあるようで、乱暴狼藉はなく、皆、粛々と集められ、軟禁され、監視されていた。

 レオポルドが黙って椅子に座っていると、隣の椅子にルゲイラ兵站監が腰かけた。

「彼らは私たちが思っているよりも、ずっとハヴィナの情勢に通じていたようですな」

 軍人でありながら、どこか学者のような風貌の兵站監は客観的に状況を分析していた。

「今までの惰性に任せて、我々に付くよりも、遺恨を乗り越え、ブレド男爵と結んだ方が得策と考えたのでしょう。我々を引き渡せば、男爵から大きな利益を引き出すこともできますからね。頑迷でプライド高いムールド人にしては大変賢明な判断をしたものです」

 どうやら、彼は思考回路も学者然としているようで、現状をあくまで冷静に客観的に思考し、ムールド人を褒めさえした。

 ムールド人は元々政治的にあまり上手い生き方のできる民族ではなかったらしい。

 名誉や義理に固執することは人間の生き方としては素晴らしいかもしれないが、政治としては上手くはない。情勢に合わせて臨機応変に、時には非情にも冷酷にもならねばならないときはある。例えば、味方であった勢力が敗れ去ったときなど。そういうとき、その残党を匿って敵に睨まれて何の得があろうか。かつての仲間を斬り捨て、敵に売り渡すことが自らの安寧と利益に繋がることもある。それが政治というものだ。

 今回の彼らの行動は、ムールド人にしては政治的に大変優れた選択だった。

「今回の行動はムールド人にしては珍しい行動なのでしょうか」

 レオポルドの質問に彼はしっかりと頷いた。

「ムールド人は頑固で誇り高く、一度こうと決めた道を外れることを大変不名誉なことと考えます。騙し討ちや裏切りを何よりも嫌悪しますからな。故に当初、我々の味方であるふりをして、このように捕えるというような行動を取るのは予想外でした。彼らの思考や行動様式も変わってきているのかもしれませんな」

「しかし、唐突にこのような行動をすると、部族の中に反発する者もいるのでは」

「可能性は十分にありますな。今回の行動を不名誉なものと考え、乗り気ではない者も少なくないはずです」

「なるほど」

 レオポルドは渋い顔で頷くと、再び黙って何やら考え込む。


 暫くして、クロス卿派の幹部たちが押し込められている部屋の扉が開いた。

 一斉に集まる視線を受けたムールド兵は、片言の帝国語でレオポルドを呼んだ。

「来い。族長が、話がある」

 幹部たちの視線を受けたレオポルドはゆっくりと立ち上がり、扉へ向かって歩き出す。

「さて、どうしたものかな」

 レオポルドは歩きながら、誰にも聞こえないように、口の中で呟いた。

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