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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第三章 ムールド
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三二 ファディ

 ファディは荒野の真っ只中にある町で、中央に水場を備えた広場があり、それを囲むように茶色い日干し煉瓦製の家々がごちゃごちゃっと集まっている。周辺にはナツメヤシやオリーブの畑が広がり、山羊や駱駝が飼われていた。

 町には中央の広場にある水場の他、各所に井戸が掘られており、この地下水で生活し、農業を営んでいるようだ。

 おそらくは隊商の中継地にもなっており、隊商に糧秣や水を売って商売をしているのだろう。

 レオポルド一行がファディに入るのに大きな混乱は生じなかった。よく隊商が訪れるの客人の来訪に慣れいるのと、クロス卿派一行がファディに入る前にムールド人の使者を立て、事前に用件を伝えていた為だろう。

 町の入り口にはファディの有力者たち、つまりはファディの町の住民であるカルマン族の有力者たちが並んで、レオポルド一行を出迎えた。

「これはこれは、このような辺境まで、遥々ようこそいらっしゃいました。何もない寂れた町ではございますが、どうか、ごゆるりとご滞在下さい」

 カルマン族の有力者たちの中でも最も年老いた長い白髭の老人が代表してレオポルドたちを出迎える言葉をしわがれ乾ききった声の帝国語で述べた。赤茶色のローブのような衣をまとい、頭からすっぽりと布を被っている。

 どうやら、彼がカルマン族の族長であるようだ。彼の帝国語はいくらか拙いが、十分に通じる。ファディはムールド人の居住地域の中で最も北に位置している為、帝国人と関わることも多いのだ。そういう位置関係もあって、彼らは帝国の国力を十分に理解し、それに抗わず、従うことによって命脈を保とうとしているのだろう。

 レオポルドたちは手厚い歓迎を受けた。カルマン族はレオポルドたちに随分と好意的であった。

 町はそれほど大きくはない為、クロス卿派を全員収容できるような建物はない。そこで、彼らは分散して、町に滞在することになった。幹部クラスと女子供や老人、体力の落ちている者は町の集会所に収められ、その他の兵は郊外に馬や駱駝、荷物と共に野営することになった。

 レオポルドをはじめとする幹部たちは集会所の一室でカルマン族の有力者と会談し、歓待された。

 ムールド人の食事にテーブルの類はない。料理を乗せた皿は直接絨毯を敷いた床の上に置かれる。羊肉の焼肉がいくつかの味付けで何種もあり、鶏肉のパイ、スパイスの効いた辛いスープ、いくつかのチーズ、干したナツメヤシの実、平たいパン、山羊乳の酒、葡萄酒などが供された。葡萄酒は帝国人の客が来たことから出されたのだろう。

「我々は閣下を全面的に支持致します。できる限りの支援をお約束いたします。これは七長老の一致した意見でございます。我々はフェルゲンハイム家によるサーザンエンド辺境伯による統治の継続を望んでいるのです」

 カルマン族の族長はこのように発言し、有力者たちの多くも同意するように頷いた。しきりと山羊酒の杯を傾け、顔を赤くしている。それに釣られるようにカール・アウグスト・ジルドレッド将軍らは上機嫌で葡萄酒の杯を重ねた。

「どうにか七長老会議は我々の味方になってくれて、一安心といったところですな」

 レオポルドの右隣に座ったジルドレッド将軍の弟であるパウロス・アウグスト・ジルドレッド大佐が機嫌良さそうに言った。

「ふん。どうだか。連中の言うことなど信用できまい」

 レオポルドの左隣に座ったレッケンバルム卿がしかめ面で呻くように言った。

「また、卿は、それほど異民族を敵視せずとも良いではありませんか」

「真の神から目を背け、邪教を信じる輩の言葉など信用できまい」

 その真の神を奉ずる教会に裏切られた結果、自分たちはここにいるんだが。と、レオポルドは言いそうになって、喉の奥に押し込めた。余計なことを言って、レッケンバルム卿の不興を買う必要もあるまい。

「しかし、彼らが我々に付くことには道理がありますからな」

 ジルドレッド大佐の更に右に座ったルゲイラ兵站監が細い髭を撫でながら言った。

「七長老会議は以前から帝国に親しい態度を保ってきました。それを今更態度を変え、反帝国に衣替えしても、今まで散々帝国の傘下で働いてきた彼らを他のムールド人が許すとは思えませんからな。反帝国の部族はこれ幸いと今まで帝国の庇護下にいて手を出せなかった彼らの土地に侵入し、征服してしまうでしょう。ムールド人の世界とは、そのように、同族であっても、食い食われる弱肉強食の世界なのです」

 彼はどうやらかなり異民族について詳しく研究しているらしい。レオポルドは感心してルゲイラ兵站監を見つめる。

「それに、今、帝国を裏切れば、帝国の恨みをも買うことになり、彼らは南北に敵を抱える羽目になります。そのような危険を犯すほど彼らは愚かではないでしょう」

「しかし、連中がブレドに付く可能性はあるだろう」

 レッケンバルム卿の言葉に、ルゲイラ兵站監は顎に手をやりつつ、冷静に分析する。

「ムールド人とテイバリ人は古くからこの地に住まう民族ですが、両者の仲は必ずしも良くありません。農耕を営むテイバリ人と遊牧民であるムールド人では文化の違いがあり、相容れないところも多いのでしょう。幾度か境界を巡って衝突を起こしておりますし。両者が手を結ぶことは考え難いのでは」

「しかし」

 そこで、初めてレオポルドは口を開いた。

 レッケンバルム卿と、ジルドレッド大佐、ルゲイラ兵站監が興味深そうに彼の言葉を待つ。

「教会とブレド男爵が手を結ぶこともありますからね」

 レオポルドの言葉に、彼らは嫌なことを思い出したとばかりに顔をしかめる。確かに有り得ないと思っていた間柄で密約が結ばれ、裏切りに遭うという経験を、彼らは既に済ませているのだ。

「では、クロス卿は彼らを信用していないと。彼らがブレドと通じていると考えておられるのか」

 ジルドレッド大佐が抑えた声で尋ねた。

 彼の言葉は丁寧だが敬語ではなかった。

 というのも、レオポルドの立場は非常に曖昧なところであった。

 一応、レオポルドは辺境伯候補として、一行のトップであるはずなのだが、レオポルドは何の力も実績もないただの帝都から来た余所者の若造である。

 対して、彼らはいずれも辺境伯の宮廷で重きをなす有力者である。彼らがレオポルドに素直に従えるわけがない。また、彼らを配下として扱おうとはしなかった。

 両者の関係は微妙なところで、どっちが上とも下とも言い難く、レオポルドの立場は宙ぶらりんであった。

 それはともかくとして、レオポルドの考えもこれまた中途半端なところであった。

「それはまだ判断できません。ただ、容易に信用できないとは思います」

「これだけの歓待を受けているというのに」

 レオポルドの言葉を受け、ジルドレッド大佐が呟く。

「我々を油断させる為やもしれぬぞ」

 そこにレッケンバルム卿が懐疑心に満ちた言葉を挟む。

「しかし、そのようなことを疑っていると、何も信用できないのでは」

 確かにジルドレッド大佐の言葉にも一理ある。そうやって、何もかも疑っていくと、誰も何も信用できなくなっていってしまう。

 信用できない相手からは、はっきりとした約束を取り付けたり、口約束で満足できなければ、文書にしたりするものだ。ただ、これとて、ただの紙切れである。国家間での正式なもので、世界に公開されたものであれば、効力を持つかもしれないが、こんな辺境の地で、非公式な敗軍と部族の間で結ばれたものなど、いくら反故にしたとて何の問題もないだろう。

 では、どうするかといえば、こういう場合は人質を取ったり、交換したりするものだ。

 しかし、人質を望むことは相手を信用していないと言外に言うようなものだ。

 レオポルドらはカルマン族の言葉を、はたして信用してよいものか悩んでいた。

「クロス卿。あのムールド人の娘を使って連中の内情を探ればよかろう」

「キスカですか」

 確かにレッケンバルム卿の言葉通りムールド人のキスカならば、上手くカルマン族の内情を探り、その真意を知ることができるかもしれない。

「そうですね。やらせてみましょう」

 レオポルドはその案に同意し、場に同席しているキスカを見やった。彼女はいくらか離れた席で、カルマン族の老人の話を聞いていた。


「そういうわけで、彼らが、本当に我々の味方であるかを調べて欲しいんだが」

 未だクロス卿派を出迎える宴が続いている集会所を抜け出し、首尾よくキスカを呼び寄せたレオポルドは集会所から程よく離れた家の影で、周囲に人がいないことを確認しつつ、彼女に言った。

 キスカはいつものとおり、無表情でじっとレオポルドを見つめる。

「彼らの言葉を疑いたくはないのだが、本当に我々に味方してくれるという保証はないからな。それに彼らが現状をどの程度把握しているのかも気になるところだ」

「疑っているのですか」

 レオポルドが独り言のように話していると、低く静かな声が聞こえた。

「私たちを、疑っているんですか」

 彼女はいつものように無感情ではなく、いくらか気色ばんでいるようにも見える。

「私たちが、異民族だから、同じ帝国人ではなく、異教を信じているから、信用できないというのですか」

 キスカは詰め寄るように、レオポルドを見つめながら迫った。

「いや、そういうわけではない。私は、」

 そこまで言って、レオポルドは、ふと、この町に来るまでの間に読んでいた「ムールドの民たち」という本に書かれていた一文を思い出す。砂漠の民は誇り高く、約束を違わず。嘘と裏切りを最も軽蔑するという。百年も前の本だが、彼女は、確かに、誇り高く義を重んじる砂漠の戦士であるようだ。

「私は、誠心誠意、貴方に尽くし、仕えてきたつもりです。それでも、私を、信じられないのですか。異民族である、私など、信じるに値しないのですか」

 キスカはレオポルドを睨みつける。その目は怒りに燃えているとも、悲しみに濡れているとも思えた。

「そんなことはないっ。君は十分に仕えてくれた。疑うことなど……」

 そう弁解するが、レオポルドは言葉に詰まる。自分は本当に彼女を信用していたか。出会った瞬間から、今まで彼女を心の底から信用していただろうか。答えは、否である。

 彼女が自分に仕えているのは自分の存在が彼女の部族の利益に適うからだと理解していたから、どこか彼女を疑う心は常にあった。失うものなど何もなかったから、裏切られても良いと思って彼女の言葉通りに行動してきただけだ。実際、彼女のことなどほとんど信用していなかった。いつ寝首を掻かれてもおかしくはない。と考えていた。

 彼のその思いをキスカは敏感に感じ取ったようだ。

 キスカはレオポルドを一際強く睨んだ後、踵を返して立ち去って行ってしまった。

 遠くなる彼女の背にレオポルドはかける言葉を持たなかった。


「あれ、キスカは」

 部屋に入るとフィオリアに尋ねられた。

 レオポルドとフィオリア、ソフィーネらは、三人一組と思われているようで、三人で一つの部屋を割り当てられていた。姉弟のような二人は構わなかったが、ソフィーネは強く反発した。とはいえ、じゃあ、余所の家族の部屋に御厄介になるかといえば、黒髪という西方教会では悪魔と同一視すらされている髪色の彼女ではそれも難しく、渋々と今までどおりの部屋割りを受け入れた。

 キスカだけは親しい部族ということで、縁戚の者がいるようで、その家に泊まる。

 ただ、彼女はレオポルドに仕えているという認識が強く、町に着いてから、ほとんどの間、レオポルドの傍に付いていた。

 それがレオポルドが一人で帰ってきたものだから、フィオリアは疑問に思ったようだ。

「あー、うむ、親戚の家に行ったのではないか」

 レオポルドは歯切れ悪く答えて、フィオリアは不思議そうな顔で首を傾げる。

「何。なんかあったの」

「いやいや、別に。何も」

 レオポルドは慌てて否定するも、姉の如く、一緒に育ってきたフィオリアに、誤魔化しが通用するはずもない。

「レオ。何隠してるの。言いなさい」

「いや、何も隠してなど……」

「言いなさい」

 そうやって睨まれると、レオポルドはどうにも弱いのだった。


「そりゃ、あんたが悪い」

 全ての事情を洗いざらい喋らせた後、フィオリアははっきりと言い切った。

「何、あんた、こんだけ一緒にいて、あの人のこと、全然信用してなかったのっ」

「いや、フィオだって、信用できないとかどうとか言ってなかったか」

「そんなこと言ってないわよっ」

 そうだったか。いや、そんなことない。と、レオポルドは首を傾げる。帝国本土から南部へ至る大蛇の峠にて二人で散歩したときに、そんなことを言われたような気がするのだが。

「あたしはともかくっ。レオが信用してないのはおかしいでしょっ。あんた、あの人に言われて、ここまで来たんでしょっ」

 どういうわけだか、フィオリアは怒り出す。

「いや、それは利害が共通していたからであってだな……」

「利害が共通って、利益の為だけだっていうのっ」

「まぁ、そうだなぁ」

「利用してたってことっ」

「いやいや、それはお互い様ってわけであってだな」

 レオポルドが辺境伯になるという利益はサーザンエンドにおいて引き続き帝国の威信が維持されるということに繋がり、親帝国派である部族の立場が強くなるという利益にも繋がるのである。それこそがキスカの目的なのである。

 これが両者の利害の共通である。その為、レオポルドが辺境伯になれないといった事態やキスカの部族が反帝国派に鞍替えするといった事態になると、両者の利害の共通は失われ、キスカはレオポルドから離れていくのではないかと思われた。

 レオポルドはそういう理屈で彼女が自分に仕えていると思っていた。

「レオがそういうふうに考えてても、彼女もそう考えていたとは限らないじゃない」

 フィオリアにそう言われて、レオポルドは咄嗟に否定しようとしたが、言葉に詰まった。

 確かに、キスカが自分に仕えるようになったきっかけは彼女の部族の利益の為だったかもしれないが、だからといって、そのことが今の彼女の忠誠心を否定することには繋がらないのではないか。レオポルドとキスカの主従は、この数ヶ月もの時間を共に過ごしてきたのだ。その数ヶ月という時間は二人の間に何らかの繋がりを作るのに不足であろうか。

 レオポルドにしても、キスカに親しみを覚えているし、二人の仲は初対面のときよりも進展していると思う。最初は何を考えているかよくわからなかったが、今でも表情は薄いが、何を考えているのか理解できていた。今までの旅路や戦場での彼女の忠誠心や働きは称賛に値すると思う。

 そして、先程のキスカの反応である。普段から表情の乏しい彼女にしては珍しく感情を露わにして、自分が、自分の部族が信用されていないことに憤っていた。彼女は嘘や裏切りを軽蔑する砂漠の戦士であった。

 結局、レオポルドはフィオリアに反論することができず、もごもごと口籠る。

「とにかくっ。悪いのはあんたなんだから、謝ってきなさいっ」

 フィオリアに怒鳴られ、追い出されるようにレオポルドは部屋を出た。


 外に出ると、既に日は傾き沈みかけており、時刻は夕刻から夜へと移ろう頃だった。

 キスカは集会所の近くに一人で佇んでいた。暗い所に立っているせいか、彼女の背中はどこか悲しげに見えた。

「あー、キスカ。ちょっといいか」

 若干の気まずさを感じながらレオポルドが話しかける。

 キスカはレオポルドに背を向けたまま俯いた。

「先の件なのだが、あれはだな」

「……レオポルド様」

 キスカはレオポルドの言葉を遮った。いつも控え目な彼女が人の話を途中で遮ることは珍しい。

「申し訳ありません」

 そうして、彼女は謝罪の言葉を口にしたのだった。

「いや、君が謝ることは何もないだろう。あれは、私が悪かった」

「申し訳、ありません……」

 レオポルドが謝罪する必要性を否定しても、キスカは背を向けたまま謝罪を繰り返す。

 彼女の言動にレオポルドは違和感を抱いた。

 キスカがこれほど謝罪を繰り返す意味が分からない。仕える主君であるレオポルドに無礼とも取れる言動をしてしまったからか。それにしては謝罪が過ぎる気がする。これほど何度も謝罪を繰り返さなければならないほど重大ではないだろう。キスカが過剰に責任を感じすぎているのだろうか。それとも他に何か謝罪せねばならないことがあるのか。

 レオポルドがキスカの言動に戸惑っていると彼女は背を向けたまま、

「……失礼します」

 と、微かに呟くと、駆け去って行ってしまった。

 キスカは終始レオポルドに背を向けたままで、一度も顔を見せなかったし、見せようとしなかった。

 彼女の一連の言動が理解できず、レオポルドは一人首を傾げた。

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