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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第二章 南都ハヴィナ
29/249

二八

 サーザンエンド辺境伯領の財務長官を務めるポール・ボスマンは帝国人ではない。

 とはいえ、帝国人とはどういう人間かという定義は中々難しい。国籍という制度のない大陸において自分が何人かという認識は人種的、民族的或いは地域的な意識によって成り立っていた。

 多くの民は自分は何市の市民であるとか何村の人間だとか何地方の人間だとかそういう認識であって、国というものを意識することは少なく、特に帝国はその傾向が強かった。

 帝国は大陸の三分の一という広大な面積と幾千万もの人口と数十、数百とも云われる民族を抱える巨大な多民族国家である。

 帝国直轄領や皇帝私領を除く大部分の地域の統治は数百もの諸侯に委ねられ、皇帝はそれらの諸侯を支配するというのが帝国の構図である。故に皇帝は間接的に全土と全人民を支配している形にはなっているが、諸侯の中には皇帝の意思に逆らったり、命令に異を唱えたり、刃向ったりする者もいて、完全に全土と全人民を支配しているとはとても言える統治体制ではなかった。

 諸侯の支配地域(領邦)はそれぞれ独立した小国家のようなもので、それらの連合体が帝国と言う方が現実に即している。

 そのような帝国においては帝国の中に住む人間が、自分は帝国の人間だと認識することは大変稀であった。それよりかはナントカ公領の人間とかいう方がまだ実感がある。

 また、独自の宗教や文化、習慣を持つ異民族はそれぞれまとまっており、彼らは自分が帝国人だとは欠片も思っていなかった。渋々と帝国に従っているに過ぎず、その内部に取り込まれたとは全く考えていない。中には帝国が自分たちの支配者だという認識を全く持っていない者までいる。

 つまり、帝国に住んでいる人間が帝国人というわけではない。

 では、どういう人間が帝国人と呼ばれるのかといえばこれは非常に曖昧な定義と用語であるが、帝国領土内で生まれた西方教会を信仰する西方人(白人)は大体帝国人と言われる傾向にある。西方人とは大陸西部から東部へと進出してきた人々で、大陸西部の西方諸国と人種的にほぼ同一である。西方諸国家と帝国に住む西方人の枝分かれは僅か数百年程度前である。その中で帝国に生まれれば帝国人。リトラント王国に生まれればリトラント人。クライス地方に生まれればクライス人と呼び称されるのである。僅かに外見と習慣、文化、言語に違いはあるが、非常によく似通っており、共通する部分も多い。

 対して、異民族と称される人々は西方人よりも遥かに前から大陸東部に居住していた人々で、枝分かれは少なくとも数千年以上遡る(当時の人々は知る由もなかったことだが)。当然、違いは大きい。

 さて、では、どうして西方人にして西方教会を信仰するボスマンが帝国人でないのかといえば、それは彼が帝国生まれでないことが最大にして唯一の理由である。

 彼の生地は帝国の北西に位置するクライス地方の何処か或いはその南のバートリア王国と云われている。

 生家も、またはっきりとはしないが、商人か職人の家に生まれた五男だか六男だかであるらしい。成人する前に何処かの修道院に入ったが、二十年ほど前に何かしらの原因で修道院を出ると帝国に渡って教会軍の事務局に入ったという。そこで資金の調達や会計事務などに手腕を見せ、教会軍南部管区事務局の会計責任者にまで出世した。

 当時より常に慢性的な財政難に悩まされていたサーザンエンド辺境伯であるが、同じようにハヴィナの教会も深刻な赤字に陥っていた。教会は借金を抱えており、早急な収支の改善と債務の返済に迫られていた。

 そこで教会は資金調達や会計事務に実績のあるボスマンを事務長に迎えて財務再建を図った。

 とはいえ、ボスマンにとってもこれは難しい仕事だった。ハヴィナの教会の財務基盤は非常に弱かったのだ。

 教会の財源の多くは信者から寄進された土地や寄付金などであるが、西方教会信徒の少ない南部にあってはその寄進される土地も寄付金も格段に少ないのである。にも関わらず、教会の上級聖職者たちは帝国本土並みの贅沢な暮らしと立派な建造物、盛大な儀式や祭典を求めた。実入りは少ないにも関わらず出費は多額であった。

 ボスマンの財政再建策に対しても教会の上級聖職者たちは出費の削減には強く抵抗し、彼を叱責までした。

「外国人である貴様を事務長にしてやったのは我らの出費を削減する為ではないっ。出費が減らせぬならば収入を増やせばよかろう」

 とはいえ、収入は限られているのだ。しかも、その収入は不安定で一定していない。

 辺境伯の宮廷と同じくらい教会の財政も切羽詰っており、八方塞がりであった。

 しかし、そこで投げ出すわけにもいかない。事務長に就いてしまったからに何かしらの成果を挙げなければ、免職されるのは間違いないだろうし、彼の経歴にも傷がつく。その上、教会から悪い意味で目を付けられる。

 そこで、彼はある手を使うに至った。

 教会は度々多くの物を必要とする。教会の儀式で使う品々や教会の聖職者が必要とする衣類や消耗品、貧者に分け与えるパンを作る為の小麦や葡萄酒。通常、これらの品は市内の商人から購入されるが、市内にないものは市外から輸送される。

 通常、市外から市内に運ばれる品には関税が課される。関税の税率は品物によって違い、城門の役人が検査を行って税率に基づき関税を徴収する。

 しかし、帝国においては教会の品物には税を課さないことが特権として認められており、教会向けの品は無検査で城門を通ることができた。

 これを活用して、ボスマンは密かに外から市内に入れる品物に金や香辛料といった小さく高価で、特に関税の税率が高いものを紛れ込ませ、関税の検査と課税を逃れ、これを密かに結託した商人に転売することにした。関税分まるごと安い品を売ることができるのだから利益が大変大きいのは言うまでもない。

 無論、これは密輸であり、教会の特権をしても逃れられない犯罪であった。発覚すればボスマンの首は比喩的な意味でも飛ぶであろうし、文字通りにも飛ぶことは間違いなかった。

 ボスマンは巧妙に事を進め、帝国人と関わりがほとんどない遊牧民から品物を買い、特定の商人と強く結びつき、何人かの役人を買収し、有力な貴族を味方に付けていた。密輸は断続的に行われ、密輸品は違法な品と発覚しないよう密かに運ばれ売られていった。

 全ては上手くいき、教会の収入は数倍に増え、借金は返済され、会計は改善し、教会の建物を改築する余裕まで生まれた。

 事務長であったボスマンの名声は高まり、この当時、サーザンエンド辺境伯の宮廷を取り仕切っていた侍従長マクシミリアン・ルーデンブルク卿から財務長官への就任を要請され、これを受けた。

 財務長官になったボスマンは辺境伯の宮廷の財政再建に奔走した。彼は財政再建にあたり、関税や商取引に関わる税金の軽減や規制の撤廃を唱えた。そうして商取引を活発化させ、物の出入りを多くして結果的に税収を増やすということだ。

 しかし、この案に死去したルーデンブルク卿の後任である侍従長レッケンバルム卿が強く反対した。商取引を活発化させるのはいいが、多額の借金を抱えている現状にあって、減税を行えば、ただでさえ低い辺境伯の債務返済能力の信用が更に下がり、新たな借金の借り入れが難しくなるとの理由であった。

 レッケンバルム卿は新税を導入し、税金の徴収方法を合理化することを主張した。一定の税収を確実に確保して、辺境伯の財政に信用を取り戻すことが肝要であり、その上で既存の債務を整理し、低利長期の債務に切り替えて、安定的な財政運営ができるようにすべきであるというのだ。また、侍従長は教会財産への課税にも乗り出す構えを見せ、教会とも対立した。

 レッケンバルム派と教会派は強く対立し、基本的にはレッケンバルム派の方が強い権力と影響力を持っており、優勢であった。

 ボスマン財務長官は危機感を募らせた。商人からは税金を軽減しろとせっつかれ、特に教会事務長時代の密輸で共謀した商人からは事あるごとに様々な便宜を図るよう陳情が来ていた。

 そんな中、レッケンバルム卿による本格的な改革が行われる前に辺境伯継承問題が持ち上がった。第一六代辺境伯コンラート二世は没し、辺境伯位は空白となった。改革や財政再建どころの話ではなくなってしまう。

 借金の返済は辺境伯代理ロバート老の半ば強引な手法によって延期され、一先ずはどうにか息を吐ける状態には落ち着いていた。

 ボスマン財務長官にブレド男爵からの手紙が来るようになったのはこの頃からだった。

 ブレド男爵は遊牧民とも通じており、その情報力は異民族との関わりに忌避的な辺境伯宮廷よりも優れていた。そして、彼は教会がどのような手を使って財務を改善させたのかをよく理解していた。

 初めは情報提供を求められた。宮廷内の情報を男爵側に連絡するだけである。

 次にブレド男爵からウォーゼンフィールド男爵やサーザンエンド司教への仲介と連絡を行い、その密やかな交渉を調整した。そこに密輸の際、協力した貴族ルーデンブルク家が入って交渉を円滑に進めることに一定の役割を果たした。

 教会が密輸に手を染めていたという事実が明るみに出ることを恐れ、レッケンバルム派から主導権を取り戻そうという思惑がブレド男爵との協調に繋がった。

 ブレド男爵が辺境伯に就任した暁には帝国人にも西方教会信徒にも危害は加えず、その生命と身体と財産を保障する。何なら西方教会に改宗しても良いとまでブレド男爵は言い、両者の利害はほぼ一致した。

 聖オットーの戦いにおける辺境伯軍右翼の沈黙。ヨハンス・ルーデンブルク准将の裏切りはこの流れで起きたものであった。


 さて、聖オットーの戦いに敗れた辺境伯軍左翼騎兵に属していたレオポルドは近衛騎兵の崩壊後、キスカと共に馬を走らせていたが、敵の追撃がないと見ると速度を緩めた。

「さて、これからどうしようか」

 レオポルドはキスカに向かって尋ねた。

 戦闘はまだ継続しているとはいえ、二騎だけで戦場に戻っても戦況に影響を与えることはできそうにない。それどころか、どうにか逃れられたのに再び敵の手中へと飛び込むようなものだ。

「とりあえず、自軍の騎兵を再編成してはどうでしょうか」

 キスカは冷静に戦線の様子を伺いながら助言した。

 周囲にはレオポルドたちと同じように敵から逃れてきた騎兵がいくらかいた。彼らは自らの身の振りように戸惑い、右往左往しているように見える。

 レオポルドはキスカの助言に納得し、周辺でうろうろしている騎兵たちを掻き集めて再編成を試みた。

 集まった騎兵は近衛騎兵とムールド人傭兵騎兵を合わせて一〇〇騎ほどで、将校はレオポルドだけのようだった。

 そこへ馬に乗ったソフィーネもやって来た。手にした十字剣は赤く染まり、血が滴っている。いくらか敵兵を斬ったようだ。

「その馬はどうしたんだ」

「近くで拾いました」

 レオポルドの問いにソフィーネは素っ気なく答える。乗り手を失った馬はそこら中にいるので手に入れるのは簡単だろう。

 とりあえず、一個中隊くらいの戦力が揃い、これならどうにか敵を牽制するくらいはできるかと思って、戦線に戻ると既に辺境伯軍は崩壊し、潰走に移っているところだった。

 ここで今から敵軍に突撃していっても無駄死にというものだ。

「ハヴィナに戻ろう」

 レオポルドは素早く決断を下し、一〇〇騎を率いてハヴィナへと引き返した。

 途中、敗軍の兵から情報収集して、ルーデンブルク准将率いる右翼が不動を決め込んだという情報を知り、驚きつつも城門を潜った。

 戦場がハヴィナからさほど離れていないこともあって、辺境伯軍敗北の知らせは速やかにハヴィナに届いていたようだった。

 市内は混乱し、人々は右往左往していた。中には家財を荷車に積み込んで逃げ出す市民もいるが、民兵が混乱を抑えようと表に出て人々の往来を規制していた。

 敗軍はレッケンバルム卿の指示で、広場に集められているらしく、レオポルドたちもそこへ向かった。

 レオポルドはキスカと連れ立ってレッケンバルム卿の屋敷に入り、ソフィーネにはフィオリアを迎えに行ってもらった。これからどうなるか分からないのだ。できるだけ集まって行動するべきだろう。

 勝利は確実と思われていた戦いの結末を知り、さすがのレッケンバルム卿も狼狽しているようであった。それでも、宮廷でも第一の実力者だけあって、既に対応策を講じていた。

 まずは状況把握に努める。市内各所に部下を送り込み、どこで誰がどのような行動を取っているか調査する。というのも、戦場で裏切り者が出たのならば市内にも裏切り者がいるという可能性は十分に考えられることだろう。それと同時に敗退してきた軍を受け入れ、広場にまとめて収容し、整理、編成するように指示する。この敗軍をなんとか蘇らせ、市内の裏切り者を捕えて、どうにかハヴィナ市内に籠城できないかと考えていた。

 こうした中で市内に残していた民兵のかなりが不穏な動きをしており、教会とロバート老、ボスマン財務長官の動きは非常に怪しく、少なくともこちら側ではないということがわかってきた。

 レッケンバルム卿は愕然とする。

 まさか、宮廷の有力者が、それどころか、辺境伯代理のロバート老まで味方ではないとはどういうことか。その上、異民族であり異教徒であるブレド男爵にどうして教会が味方するというのか。

 これをレオポルドもちょうど聞いていた。

 どんなことがあっても異民族、異教徒に味方することがないと思われていた教会どころか、顔を見たこともないが同族であるロバート老までブレド男爵寄りであることを知って、レオポルドも強い衝撃を受けた。

 とはいえ、茫然自失しているような暇はない。宮廷の実力者までもがブレド男爵派であるということは籠城が不可能であることを意味している。元より市民の半分以上は異民族というハヴィナにおいて、教会までもが敵方に付けば立て籠もることなどできようはずもない。

 籠城戦とは攻守において非常に我慢を強いられるものである。敵に囲まれているという極限状態に加え、水や糧食の制限などなど守備方は一致団結して籠城戦を耐え抜かねばならない。裏切り者や卑怯者、臆病者が多ければ守備方は戦う前に敗れる。

 今のハヴィナはどう考えても籠城できる状況ではない。

 籠城できなければ、どうするか。

「逃げるしかないな」

「逃げるんですか」

 レオポルドが呟いた言葉にキスカが無表情に応じる。

「逃げるしかないだろう」

 レオポルドははっきりと言い切った。

 彼の最終的な目的は辺境伯に就任することであり、ハヴィナに入り、宮廷の支持を取り付けることはその為の手段である。そのハヴィナに固執して、当地に留まり続けることは現状では賢明とは言えまい。いくらか抵抗できたとしても最終的にはブレド男爵の手に捕まることは間違いないし、辺境伯の椅子を狙っている男爵が有力な辺境伯候補であるレオポルドを厚遇してくれるとは思い難い。

「それで相談なんだが。逃げる先に心当たりはあるか」

 レオポルドに尋ねられてキスカは黙考する。

 ハヴィナ近郊及びサーザンエンド中部はブレド男爵とウォーゼンフィールド男爵の勢力下にある為、逃亡先には向かないだろう。逃げてもすぐに見つかり追手が来ることは間違いない。

 北部に逃げても同じように辺境伯位を狙うアーウェン人系のガナトス男爵の勢力下である。追手がブレド男爵からガナトス男爵に代わるだけだ。

 北部の有力者である帝国系のベルドルン男爵を頼るという手もあるのだが、帝国人ではないキスカには頼る先として頭には浮かばなかった。

 となると、あとは南部しかない。南部を支配しているのはキスカの民族であるムールド人である。彼らの世界は部族社会であり、民族としてのまとまりはない。帝国に反感を持つ者もいるが、キスカのような帝国寄りの者もいる。まとまりがなく混在しているが故に逃げ込みやすく紛れ込み易い。また、キスカの出身部族ならば彼を匿ってくれると思われたし、キスカからも口を利きやすい。

「サーザンエンド南部の、私の部族など如何でしょうか」

 キスカはそう提案してから細々と理由を言い並べた後、補足するように言い足す。

「私の部族であるネルサイ族は遊牧民ですが、友好関係にある部族は町や村に住んでいます。それらの町を拠点とすることもできるかと思われます」

「なるほど。それは妙案だ。それでいこう」

 レオポルドは即座にキスカの提案に同意した。それ以外に良い方策がないように思えたし、のんびり腰を据えて考えている余裕もないのだ。

 そうして、レオポルドたちはハヴィナを後にすることにした。

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