二六
「神よ我らとともにっ」
赤い上着に幅広の帽子を被った近衛騎兵連隊は、その合言葉を叫びながら馬腹を蹴り、ギャロップで駆けさせる。地響きを轟かせ、土煙を舞い上げながら、真っ直ぐ前へ突き進む。陣形は横に広がった横列のままだ。
先頭を行くのは近衛騎兵を率いるロウ中佐である。サーベルを煌めかせ、鮮やかな黄色い飾り帯や羽飾りがひらめく。
ロウ中佐のすぐ傍を駆けるのは赤地に白い立った獅子を描いた旗を掲げた旗手。そして、中隊長とレオポルドだった。更にその後ろに将校の副官や従兵が従う。
近衛騎兵の後ろにはムールド人傭兵騎兵部隊が続いていた。こちらは抜き身の半月刀を煌めかせ、団子のようにまとまった集団で前進している。
その右では第四歩兵連隊の歩兵が騎兵を援護しようと前進をはじめていた。マスケット銃と銃架を持ち、長いマントを着た銃兵が太鼓の音に合わせて横列を維持して前へ進む。その後ろにはパイクを持った兵士が続く。
真正面からは駱駝騎兵の一群が突撃してくる。こちらから見るとやや左に寄りながら横長の陣形のままトロットで向かってくる。辺りには濛々と土煙が巻き上がっている。
駱駝騎兵の陣形はあまりにも広く横に広がっているように見えた。陣形を横に広げることは銃を武器とする兵であれば一度に射撃できる者が増え、敵を包囲しやすいという利点があるが、敵の突撃によって突破されやすいという大きな欠点がある。軍隊にとって戦線を突破されるということは致命的な意味を持つ。戦線が突破されると軍は分断され、背後から回り込まれて無防備な背中を突かれてしまう。
両騎兵部隊は概ね真正面から向き合った状態で距離を詰めていく。
彼我の距離が一〇〇ヤードに差し掛かった頃、駱駝騎兵前列の兵がマスケット銃を構え、一斉に発砲した。マスケット銃の射程距離としては非常に際どいところであり、走る駱駝の上という、かなり不安定な場所からの射撃は非常に命中率が低い。当たる弾の方が少ない。
実際、駱駝騎兵が放った銃弾はほとんどが命中しなかった。数少ない命中弾に当たった不運な騎兵が何人か落馬し、被弾した馬は前脚を折って乗り手ごと倒れ込む。後に続く数百もの騎兵は哀れな落伍者を容赦なく無視して或いは進路上にいれば止む無く馬蹄にかけ、踏み潰しながら突撃を敢行する。
双方の距離が更に半分ほどになった頃、今度は近衛騎兵の前列が一斉にピストルを構えて撃ち放った。ピストルはマスケット銃よりも更に命中率は低く射程も短いが、それでも距離が近かったせいか、少なくとも一〇騎以上の駱駝騎兵が射殺された。
前列以外の騎兵はこの場面ではピストルは撃たず白兵戦での使用に備え、温存しておく。
両軍が撃った銃による白煙と舞い上がった土煙によって辺りは茶と白の煙に包まれ、ほとんど視界が効かない中、近衛騎兵はサーベルを抜き放ち、喊声を上げながら突き進み、同じように突進してきた駱駝騎兵と会敵した。
サーベルと半月刀、槍が交差し、ぶつかり合い、刃が肉を切り、骨を絶ち、血に塗れる。各所で怒声と悲鳴が響き、哀れな犠牲者は馬や駱駝の背から転げ落ち、乗り手を失った四足獣は乱戦の中を自由奔放に駆けていく。
近衛騎兵は立ちはだかる駱駝騎兵を斬り捨て、撃ち殺し、倒しながら駱駝騎兵の戦列を掻き分けるように突き進んでいく。
レオポルドは駱駝騎兵と交差した瞬間、サーベルを振るって駱駝騎兵の腹を狙ったが、半月刀に弾かれた。そのままレオポルドは駱駝騎兵を捨て置き、直進したので互いの刃は相手に届かずに終わった。
レオポルドが逃した駱駝騎兵はその後ろに続いていたキスカの半月刀の一閃で片手を切り飛ばされ、その痛みに悲鳴を上げながら駱駝から転げ落ちた。キスカは止めも刺さず、放置してレオポルドの後ろに続いて馬を駆けさせる。通常ある程度の怪我を負えば、その兵はそれ以上の戦闘行為は不可能となる。わざわざ止めを刺すのは時間の無駄でしかない。
結局、その後は他の駱駝騎兵と斬り合うこともなく、レオポルドとキスカは駱駝騎兵の群れを抜けた。敵はそれほどに薄い横列だった。
レオポルドたちと同じように近衛騎兵は次々と駱駝騎兵の戦列を突破していく。駱駝騎兵たちは薄い陣形が災いして、呆気なく突破を許すと耐え切れないように散り散りになって思い思いの方向へ逃げ去っていく。
近衛騎兵は目的である敵騎兵の自軍側面への展開を防いだばかりでなく、敵騎兵の前衛を打ち破ることにすら成功したのだ。殆どの近衛騎兵は些か早過ぎる勝利の予感に胸躍らせた。
しかし、興奮と高揚感から無暗に逃げる駱駝騎兵を追う者はいなかった。指揮官は追撃の命令を出さなかったし、駱駝騎兵の後ろには軽騎兵五〇〇が控えているという情報があったからだ。
近衛騎兵は勢いを維持し、そのまま直進する。土煙と白煙を抜けた瞬間、彼らが見たものは一列に並んだ百人以上のマスケット銃を構えた歩兵の姿だった。その後ろには乗り手のいない馬が見える。この歩兵は実は騎兵である。
竜騎兵は名こそ騎兵とされており、移動は馬によって行うが、戦場では下馬してマスケット銃を撃つ兵である。つまりは馬に乗る銃兵と称して問題ない。ただ、恰好は騎兵のものを着ているので、遠目からの偵察では単なる軽騎兵と見られても止むを得ないと言えよう。
駱駝騎兵の戦列を突破した近衛騎兵と下馬して一列に並び銃を構えた竜騎兵との間の距離は五〇ヤードもない。騎兵であれば一瞬ともいえる時間で詰めることができる距離だ。
しかし、その前に銃兵は騎兵を狙って引き金を引くことができる。そして、騎兵のような大きな的ならば、十分に命中させることができる距離でもある。
連続した発砲音が響き渡り、真っ赤な上着の近衛騎兵が次々と落馬し、被弾した馬が甲高く嘶きながら倒れ込む。唐突な一斉射撃に近衛騎兵は大きな損害を受けた。その中には指揮官であるロウ中佐も含まれていた。
竜騎兵の歩兵のものよりも短く軽いマスケット銃が撃ち放った銃弾はロウ中佐の胸を穿ち、その身を馬上から引き摺り落とした。同時に一人の中隊長が頭を撃たれて声も上げずに馬から転げ落ち、旗手は腕を撃たれて旗を取り落とした。
「糞っ。誰かっ。旗を拾えっ」
下馬して駆け寄った従卒に抱えられながらロウ中佐は血を吐きながらそう怒鳴った後、絶命した。
旗はもう一人の中隊長が拾い上げて高らかと掲げた。
「者どもっ。臆するなっ。蹴散らせっ。進めっ」
中隊長は号令を下すと馬腹を蹴って前へ進む。
竜騎兵はマスケット銃を撃ち終えるとすぐに後退した。その合間を縫うように後方から別の部隊が突き進んできた。大きな体躯の立派な馬に跨り、鋼の胸甲と背甲を装備し、丸い兜を被り、半月刀を振りかざしている。その数三〇〇騎ほど。明らかに軽騎兵ではなく、重騎兵に分類される重装備の騎兵である。
「報告では駱駝騎兵五〇〇に軽騎兵五〇〇ではなかったかっ」
レオポルドの隣を進んでいたもう一人の中尉が狼狽したように叫んだ。
おそらく、敵はこちらに偵察されることを理解しており、その上で重騎兵の存在を隠蔽すべく工夫を凝らしていたのだろう。例えば行軍中は装備を外しておくとか、周囲を竜騎兵で固めておくとか。三〇〇騎程度ならば数日隠し通すのは難しいことではない。
近衛騎兵と重騎兵はぶつかり合い、激しい白兵戦を繰り広げる。サーベルや半月刀を振り回し、ピストルを撃ち、馬上から蹴りを繰り出す。犠牲者は落馬して土に塗れ、流れ出る自らの血潮を見ながら意識は闇に包まれる。
重騎兵は集団となって敵の戦列に突っ込み、それを分断し、粉砕することを目的とする兵である。甲冑も白兵戦での防御に備えてのものだ。甲冑くらいでは銃弾を弾くことはできないが、敵の刃を防ぐ役割は十分に期待できる。要するに重騎兵は近接戦を目的とした兵なのである。駱駝騎兵との戦いを潜り抜け、竜騎兵の一斉射撃で指揮官を含む多数の犠牲者を出し、勢いを殺された近衛騎兵が敵う相手ではない。
近衛騎兵はあっという間にその数を半数近くまで減らし、壊滅的打撃を受けていた。
レオポルドにも鈍い銀色の甲冑を着た重騎兵が襲いかかってきた。曲線に反り返った半月刀をレオポルドめがけて振り下ろしてくる。彼はその一刀をサーベルで防ぐが、勢いが強く右手のサーベルは弾き飛ばされてしまった。
敵は間髪入れず半月刀を振り回す。レオポルドは顔をしかめながら体を逸らして二撃目を紙一重で避けたが、バランスが崩れ、馬上から転がり落ちた。
強かに地面に背中から叩きつけられ息が詰まり、一瞬意識が飛ぶ。幸いにも意識はすぐに戻り、すぐに立ち上がることができた。
先程の重騎兵は自身の馬の向こうにいて、こちらの止めを刺そうと回り込んでくるところだった。
レオポルドは咄嗟に馬の鞍に付いているホルスターからピストルを抜いて、狙いもつけずに撃ち放った。
銃弾は幸運にも相手の馬に命中し、重騎兵は馬ごと倒れ込んだ。レオポルドは先程自身が落としたサーベルを拾うと乗馬の下敷きになってもがいている重騎兵の元へ駆け寄り、その首に無我夢中でサーベルを突き刺した。重騎兵は声も上げられずに血を吐きながらもがき苦しんだ後、動かなくなった。
レオポルドは荒い呼吸を繰り返しながらサーベルを引き抜こうと柄を掴んだ。引っ張っても中々抜けず、止む無く死者の頭を踏みつけて力を入れて引っ張ると、ようやくサーベルを抜くことができた。
初めて人を殺したことを遅ればせながら自覚し、早かった動悸が更に早くなるのを感じる。頭の中が真っ白になり意識が自分の頭上高くを飛んでいるような気がした。
不意に背後に馬蹄の音が響き、慌てて振り返ると馬上から黒い瞳が彼を見下ろしていた。
「レオポルド様っ。御無事ですかっ」
そう叫ぶキスカの右手にある半月刀は真っ赤に染まり、鮮血が滴っている。
「今しがた殺されかけたが何とか無事だ」
レオポルドはそう言いながら再び馬上に舞い戻り、すぐに馬を駆けさせる。戦場で一ヵ所に留まり続けるのは危険であることは言うまでもない。その横をキスカも並走する。
「落馬したときに骨をやらなくてよかった。落ち方が悪かったら俺は天国にいただろう」
「それは、良かったです」
主君の死にかけた話を聞いて、キスカはちょっと答え辛そうに頷く。
「ところで自軍はどうなっている」
「総崩れです。中隊長が落馬するのを見ました。私たちも退きましょう」
レオポルドは苦々しい表情を浮かべて頷く。
「後方のムールド人傭兵騎兵が支えてくれることを期待しよう」
彼はそこに一縷の望みをかけた。
しかし、レオポルドの期待が叶うことはなかった。
時を少し遡り、近衛騎兵が下馬した竜騎兵から一斉射撃を浴び、重騎兵と衝突した直後、後続していたムールド人傭兵騎兵は兵を分散させていた。
というのも、近衛騎兵に蹴散らされた駱駝騎兵はそのまま潰走するかと見せかけて、再び反転して、自軍に襲いかかろうという構えを見せていたのだ。
つまり、彼らの敗退は偽装であった。駱駝騎兵の役割は後方の竜騎兵と重騎兵を敵の目から隠すことであり、その後、重騎兵に打ち破られた敵に追い打ちをかけることであった。
そもそも、駱駝騎兵たちは正規兵ではなく、普段、遊牧や隊商の護衛をしている連中で、特別な訓練も為されていない。その為、彼らは集団行動よりも単独行動の方が得意なのだ。陣形を組んで戦うというより散開して思い思いに敵に襲いかかる方が性に合っている。
それを見たムールド人傭兵騎兵部隊の指揮官ファンリット大佐は敗退したように見せかけて再び遅いかからんとする駱駝騎兵に対応せねばならないと考え、自身の隊を分け、各一〇〇騎を左右に派遣して、駱駝騎兵に当てることにした。
この時、直進した近衛騎兵が重騎兵と死闘を繰り広げている状況は後続のムールド人傭兵騎兵に伝わっていなかった。キスカが危惧したとおり、両隊の連携と命令伝達は非常に不確かであったのだ。
そもそも、彼らの間にはムールド人傭兵騎兵の運用に関して共通した認識が欠如していた。近衛騎兵の指揮官たちはムールド人傭兵騎兵は黙っていても自分たちの後に続くものと思い込んでいたが、ムールド人傭兵騎兵部隊の指揮官たちにはそのような意識はなく、その場の状況に応じて、独自に判断し、行動するものと考えていた。
そして、その判断と行動を前方を行く近衛騎兵たちは知らなかったのである。
近衛騎兵はムールド人傭兵騎兵の十分な援軍が来ることを期待して、重騎兵と死闘を続け、じりじりと数を減らしていく。
ムールド人傭兵騎兵は間もなく来援したが、三〇〇騎ほどの数では重騎兵を押し返すには不十分であった。一時的に均衡を保ったかのように見えたが、今度は乗馬した竜騎兵が今度はマスケット銃の代わりにサーベルを振りかざして来援し、辺境伯軍左翼騎兵は完全に粉砕された。その死傷者は全体の半数にも及び、特に近衛騎兵は殆どが死傷するという壊滅的打撃を受けた。