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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第二章 南都ハヴィナ
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二五

 その戦いは後に聖オットーの戦いと呼ばれた。戦いが起きた日が聖人オットー・ロンダリオンの祭日だったからである。

 聖オットーは異教徒への布教に精力的に取り組み、多くの異民族を西方教会に改宗させたが、ある異民族の不興を買い、拷問の末に異教の祭祀の生贄にされて殉教したという聖人である。なお、聖オットーの祭日は彼が殉教した日に因む。

 ハヴィナの東七マイルの場所に宿営していた辺境伯軍は早朝には陣営を整え、東から向かってくるブレド男爵軍の襲来に備えた。

 その陣容は総司令官であるカール・アウグスト・ジルドレッド卿率いる中央が第一歩兵連隊と近衛歩兵連隊の歩兵二二〇〇に砲兵部隊。

 ヨハンス・ルーデンブルク准将率いる右翼は第五歩兵連隊一二〇〇と軽騎兵連隊八〇〇の合わせて二〇〇〇。

 アルバート・バレッドール准将が指揮する左翼には第四歩兵連隊と近衛騎兵連隊が配置され、増援としてムールド人傭騎兵が加わっている。歩兵と騎兵はほぼ同数で合計二〇〇〇。レオポルドたちはここに加わっている。

 辺境伯軍の総勢は六〇〇〇を超える。中央と両翼にほぼ同等に兵を配分し、最も警戒すべき、敵騎兵による包囲に備え、両翼に騎兵を配している。騎兵はほぼ全員が甲冑を着ない軽騎兵で、武器はサーベルや半月刀とピストルである。

 辺境伯軍の陣地を目指してブレド男爵軍が進軍してきた。こちらの陣容を既に把握しているようで、広く横に展開した戦闘隊形で油断なくじわじわと前進してくる。

 遠目からの観察と事前に得た情報などから推察して、男爵軍の陣容は中央に歩兵二〇〇〇。左翼にムールド人傭兵騎兵一〇〇〇。右翼は軽騎兵五〇〇と駱駝騎兵五〇〇。

 男爵軍の合計はおよそ四〇〇〇である。両翼に騎兵を配する常道的な陣容であり、その機動力を生かして、両側から辺境伯軍を包囲せんとする思惑が透けて見える。ムールド人傭兵騎兵の装備はこちらとほぼ同じだが、駱駝騎兵は槍やマスケット銃を持ち、軽騎兵はその後ろにいてよく見えない。砲を曳いている様子はなかった。

 歩兵はマスケット銃兵が一〇〇〇ほどいるようだが、後はあまり長くない槍を持っているか、棍棒、戦斧、半月刀と盾と、それぞれ思い思いの装備で、あまり統一されていない。

 それは軍服も同じで、毛皮や布の粗末な衣服を着ている者が多い。ちらほらと革の鎧や鉄の胸甲、背甲などを装備している者もいたが全体的に不揃いに見える。中には浅黒い肌の南部人よりも更に肌の黒い南方人らしき男も数多く含まれていた。おそらくは南方の諸島や大陸から連れてこられた奴隷兵だろう。ほぼ統一された軍服を身に纏う辺境伯軍と比べると蛮族の兵という印象をレオポルドは感じた。

 とはいえ、軍服や装備を規格化して、将兵に統一した装いをさせるという概念はここ数十年の間に現れたものである。そのように規格化された揃いの装備の将兵は国家や有力な諸侯の正規軍にしかないもので、帝国南部のような辺境の領主の軍隊の多くは昔ながらの不揃いな装備の軍隊であった。

「駱駝騎兵が前か。奴らは何を考えておるのだ」

 辺境伯軍左翼を指揮するバレッドール准将は向かいに陣取るブレド男爵軍右翼を視察して言った。

 准将は灰色の短い髪に口髭を生やした三十代後半の将軍で顔面に大きな傷跡がある。

 駱駝騎兵とは書いて字の如く馬の代わりに駱駝に乗った騎兵である。

 馬ではなく駱駝に乗る利点としてはなんといっても暑く乾燥して、水の少ない砂漠で運用しやすいという点が第一である。駱駝であれば馬よりも少ない糧秣や水で長期間の軍事行動が可能となろう。次に駱駝特有の臭いである。この悪臭に慣れない馬が混乱して暴れ出したり逃げ出したりする効果が期待できる。

 また、駱駝の背は馬よりも高い為、高所から攻撃することができるので白兵戦では有利となるだろう。

 ただ、小回りが利き難く、背が高いので一度乗ると容易に降りられないという短所もある。その上、気性が荒く扱い難い獣なので、熟練した乗り手でなければ乗りこなせないことも欠点であろう。

 駱駝騎兵は薄汚れた衣服を着て、顔にも目の部分を除いて布を巻いている。武装は槍やマスケット銃だった。

「我々の側面に回り込もうというのに小回りが利き難い駱駝騎兵を前に置くとは理解に苦しむな。こちらの馬が混乱するとでも思っているのか」

 バレッドール准将は少々呆れたように呟く。

 敵の側面に回り込んで突くのが目的ならば、小回りの利く機動力のある騎兵を前に置くべきだろう。

 また、駱駝の長所である体臭にしても、帝国本土の騎兵はともかく、駱駝が広く使役されている南部の騎兵が乗る馬は普段から隣の厩舎に駱駝が繋がれているというような状況にあるので、駱駝の体臭には免疫ができており、混乱することは少ない。

「まぁ、良い。敵の思惑がどうであれ、我々の目的は変わらぬ」

 そう言ってバレッドール准将は背後に控える辺境伯軍左翼の将校たちを見やった。

 その場には准将付の幕僚の他、レッケンバルム侍従長の子息である第四歩兵連隊長レッケンバルム大佐と連隊の士官たち。近衛騎兵連隊を指揮するロウ中佐と連隊の士官たち。レオポルドもその傍に佇んでいた。それにムールド人傭兵の騎兵を指揮するファンリット大佐。

「我々の役割は我が軍の左側面に進出しようとする右翼の敵騎兵を防ぎ、この動きによって空隙ができた敵右翼と敵中央の間を突くことにある」

 この戦いにおける辺境伯軍の目論見はそこにあった。自軍の側面に出ようとする男爵軍の騎兵に自軍の騎兵を当てて側面を守りつつ、側面に進出しようとする敵騎兵と中央にある敵歩兵の間にできた空隙に両翼の歩兵連隊を突入させて敵軍を分断し、各個撃破するという作戦である。

 問題は数で優勢な敵騎兵を自軍の騎兵が防ぎきれるかという点である。自軍の騎兵が持ち堪えられずに崩れ、進軍中の歩兵連隊の横腹に敵騎兵が突撃してくることが最も恐れられる事態であろう。

「騎兵部隊は敵の動きを注視し、敵に動きあれば直ちに行動せよ」

 バレッドール准将の下命に、ロウ中佐とファンリット大佐は頷き、自陣へと戻った。その後にレオポルドを含めた騎兵将校たちが続く。

 騎兵部隊は第四連隊の左に陣取り、近衛騎兵連隊が並ぶ後ろにムールド人傭兵騎兵部隊が控えていた。

「敵陣をよく警戒し、何か動きあればすぐに報告するように」

 騎兵連隊の兵は既に騎乗しており、ピストルにも弾と火薬を込め、いつでも突撃できる体勢をすっかり整えていた。

「レオポルド様」

 ふと背後から声をかけられ、レオポルドは振り返る。茶色い馬に跨ったキスカがいつのものような無表情で彼を見つめていた。ちなみにソフィーネはもっと後方にいる。

「味方との連携はどうなっているのでしょうか」

「歩兵連隊はこちらが敵騎兵を抑えている間に敵の空隙を突く手筈になっている」

「いえ、そうではなくて、後ろの騎兵との連携です」

 キスカは近衛騎兵とムールド人騎兵との間の連携が不十分ではないかと危惧しているようだった。

 確かに今回は騎兵の数が非常に足りないという問題で近衛騎兵とムールド人の傭兵を合わせて左翼に配置しているが、両者の性質は非常に違っている。

 また、指揮系統も統一化されていなかった。

 そもそも、左翼騎兵部隊の総指揮を誰が執るのか明確には定かではない。近衛騎兵の指揮官であるロウ中佐か。しかし、階級はファンリット大佐の方が上である。

 このように命令系統が統一されていない両隊だが、運用上は合同での動きが求められている。目的は合同して敵騎兵に当たり、これを防ぎ、撃破することだ。

「しかし、敵を目前にした今になって、これほど性質が違う二つの部隊をどうこうできるものではない」

「それではいけません」

 キスカは無表情ながら強い視線でレオポルドを射抜くように見つめながら言った。

「できないとか、無理だとか、無駄だとか。例え、本当にそうであっても、そこで努力や対策を諦めたり怠ったりしてはなお悪い結果を招くだけです。悪い影響を少しでも僅かでも弱め取り除く努力と対策を今からでも考え、実行すべきです」

 レオポルドは面喰っていた。いつも寡黙で従順な彼女がここまではっきりと意見というよりは痛烈な批判とも思える言葉を口にすることは初めてであったし、ここまで的確にして率直な意見を持っていたことにも驚きを感じていた。彼女はいつも何も語らないし、感情も思考を表に出にくいので何を考えているのかよくわからないのだ。

「あの、差し出がましいことを申しました。申し訳ありません」

 ふと我に返ったキスカは自分が主君に対して失礼で率直過ぎる意見を言ったことに気付いたのか、慌てた様子で謝罪の言葉を口にした。

「いや、君の言う通りだ。中佐に話してみよう。指揮官をどっちにするかだけでも、どうにかできるかもしれん」

 レオポルドはそう言ってロウ中佐のいる方を見やった。

 その時、戦場にラッパの音色が高らかに鳴り響いた。

 見れば、敵陣が茶色く曇っていた。馬が地面を蹴り上げて舞い上げる土煙に間違いないだろう。

「敵が動き出したぞーっ」

「ぜんぐーんっ。突撃準備っ」

 下士官の怒号が響き、騎兵たちは顔を引き締め、腰に提げたサーベルとピストルを確認し、真っ直ぐ前を見つめる。

「こうなってはどうにもならんな」

 レオポルドはキスカの提案を早々と諦めた。敵が動いたとなってはあとはもう敵を打ち破ることに注力する他ない。

「合同で動くと決まってはいるのだ。指揮系統が別であっても、戦いの中で自然と統一された動きができるものと期待しよう」

 非常に楽観的な見方ではあったが、今となってはそう考えるしかない。

 レオポルドとキスカは中隊のちょうど中央部先頭に馬を進めた。そこには既に近衛騎兵隊の指揮官ロウ中佐に中隊長、旗手ら中隊幹部が揃っていた。レオポルドは中隊長の横に馬を並べ、帽子を取って敬礼した。

「見たまえ。駱駝騎兵が動き出すぞ」

 中隊長の言葉に顔を前へ向けると、正面の駱駝騎兵がまっすぐこちらへ向かってきたところだった。横に大きく広がった陣形を維持したまま突き進んでくる。

「側面にこないぞ」

「正面突破する気か。なんと愚かな」

 下士官が驚きの声を上げるとロウ中佐がせせら笑いながら言った。

 胸甲騎兵を代表とする重騎兵ならまだしも軽騎兵による正面突破は非常に難しい。銃剣を着けたマスケット銃やパイクを揃えて待ち構える歩兵の陣地を突破することは大変な犠牲を伴う。多くの場合、その突破は失敗に終わり、手痛い損害を被る結果を招く。

「横にいる歩兵連隊が見えていないのか」

「先に歩兵を前に出しましょうか」

 中隊長が助言するとロウ中佐は暫し考えてから首を横に振った。

「このまま敵の自由にさせるわけにはいくまい。途中で方向転換して側面に回り込む意図かもしれぬ。それに」

 そう言ってから、中佐はサーベルを抜いた。

「騎兵の相手は騎兵が務めるものと古来より決まっておる。行くぞっ。我に続けっ。突撃っ」

 ロウ中佐は抜き放ったサーベルを前に倒してから、馬腹を強く蹴って叫んだ。

「皆の者っ。続けっ。とつげーきっ」

 すかさず中隊長と旗手が続き、レオポルドもサーベルを抜くと同時に馬腹を蹴り飛ばした。馬は悲鳴を上げるように嘶いてから走り出す。

 騎兵たちも馬の腹を蹴って馬を駆けさせた。

「神よ我らとともにっ」

 近衛連隊の突撃のときに合言葉なのか、そんな文句を叫びながら近衛騎兵は突撃を開始した。

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