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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第二章 南都ハヴィナ
25/249

二四

「報告によれば、ブレド男爵の軍勢は歩兵二〇〇〇に軽騎兵五〇〇、駱駝騎兵五〇〇とムールド人傭兵が一〇〇〇の合計四〇〇〇余とのこと」

 レッケンバルム卿の屋敷の大広間で行われた軍議の席上で辺境伯軍司令官のジルドレッド卿が報告した。卿は燃えるような赤色の立派な顎鬚を蓄えた赤髪の四十代ほどの大男である。

「軍勢はリソカの町に集結した後、西に進み、ハヴィナまで五日の距離に到達している模様。別働隊や伏兵の動きは確認できぬ」

 どうやら宮廷側はブレド男爵軍の動きをかなり正確に把握しているらしい。

 ハヴィナ周辺は辺境伯の直轄領であり、宮廷の勢力下にある。故に住民の協力と通報が得やすく、斥候も地理をよく知っており、男爵軍に発見されることなく容易に男爵軍を偵察することができるのだ。

 また、南部全域において言えることだが、サーザンエンドは概ね荒野や砂漠が広がる平坦な地勢で、数千もの軍勢を隠しきることは不可能に近い。どうあっても露見する運命にあると言えよう。

 対して辺境伯軍の軍勢はというと、

「直ちに動員が可能なのは近衛歩兵連隊、近衛騎兵連隊、第一歩兵連隊、第四歩兵連隊、第五歩兵連隊。それに軽騎兵連隊。あとはハヴィナ市民から徴募した兵がある」

 帝国軍制では連隊は八個中隊で構成され、歩兵連隊は定員が一二〇〇名。騎兵連隊の定員は八〇〇名である。

 ただ、連隊が常に定員を満たしているとは限らない。というよりは多くの場合、常に定員割れというのが実態であった。戦時であれば死傷者や病人、脱走兵が抜けた穴があり、平時であれば兵務担当者は給与を削減する為に定員を保持しようとしないからである。

 辺境伯軍の場合、定員を満足しているのは二個の近衛連隊だけで、第一歩兵連隊については一〇〇〇名。他の二個歩兵連隊は八〇〇名ほどの人員しかいないようであった。また、軽騎兵連隊は五〇〇程度の人員であった。

「市民から徴募した兵を連隊に組み込んで定員を充足させよう」

「さすれば、正規軍は歩兵四五〇〇に騎兵一三〇〇となろう」

「他にも近隣から五〇〇程度の傭兵を掻き集めることが可能だ」

「残りはハヴィナの守備兵とするべきだ」

 辺境伯軍の高官たちが次々に発言し、それらの意見は概ね了承された。

 続いて軍の兵站関係の責任者であるルゲイラ兵站監が立ち上がった。ひょろりと背の高い痩せぎすの男だ。

「連隊の編成と装備、糧秣、弾薬などの補給は三日程度で完了するでしょう」

「その頃には男爵軍はハヴィナの間近まで来ているな」

 ジルドレッド卿がしかめ面で呟く。

「敵は我らよりも寡兵である。また、装備も士気も我が方が優れていよう。ハヴィナ市内に籠城する手もあるが、喫緊のことにて籠城するには準備をする時間が極めて不足しておる」

 籠城戦には攻撃側は当然であるが、守備側にしても大がかりな準備を要する。攻撃側に包囲されている間、城内或いは市内への補給はほぼ寸断される為、武器、弾薬、食糧、水といった物資の備蓄が必要となる。

 また、城壁を常に完璧な状態に保全できていればいいが、多くの都市や城ではそうはなっていない。平和なときには邪魔にしか思われていない城壁なぞをこまめに整備しているところは少ない。近隣の情勢が不安定になったり、戦の足音が聞こえてきて、慌てて城壁の壊れた部分や弱くなっている部分を補修するのが常というものである。

 それらの準備不足から籠城は困難であるとジルドレッド卿は述べた。

 そして、もう一つ最も重要なことである。

「籠城などできるものか。いつ寝首を掻かれるかわからぬ」

 レッケンバルム卿が不機嫌そうに呟き、並み居る高官たちは首肯した。

 ハヴィナの市民のおよそ半分は帝国人ではない異民族である。多くはサーザンエンドの主要民族であるテイバリ人で、ブレド男爵らと同じ民族である。籠城など迂闊にしようものならば、共に立て籠もっているテイバリ人の住民の裏切りにあって手痛い損失を被る可能性がある。

 それならば、兵力も装備も士気も勝っているのだから外に打って出て野戦で勝敗を決するのが妥当であろうとジルドレッド卿は考えているようであり、他の高官らの意見も同じようだ。

「では、各連隊は三日後を目途に編成と補給を済ませ、出陣できるように準備を執り行え。また、集められるだけ騎兵を集めて連隊を一つ編成する」

 ジルドレッド卿はそのように指示を出した。

 騎兵を集めるようにと特に指示を出したのは辺境伯軍が男爵軍より劣る点として騎兵の不足を危惧しているせいだろう。男爵軍に加わる一〇〇〇のムールド人傭兵はそのほぼ全てが騎兵だからである。多くのムールド人は遊牧民であり、生まれながらの乗馬の名手である。馬か駱駝かは別として騎乗であることは間違いない。故に男爵軍は全軍のほぼ半数が騎兵で構成されているということになる。

 騎兵の武器は機動力にある。両翼から展開した男爵軍の騎兵が辺境伯軍の左右に展開し、包囲されるというのが最も危惧された。

 その為の騎兵の徴募である。サーザンエンドには遊牧民が数多く居住しているので、騎兵になり得る傭兵を掻き集めることはそれほど難しいことではない。

「ところで、ジルドレッド卿」

 軍議が一段落したところで、レッケンバルム卿がジルドレッド卿に声をかける。

「こちらのクロス卿を然るべき地位で使って欲しい」

 卿は軍議の間中、傍らで大人しくしていたレオポルドを示して言った。

 ジルドレッド卿は訝しげな顔で老齢の侍従長と見慣れぬ青年貴族を見つめる。

「クロス卿は亡きエレオノーレ様の御嫡孫だ」

 エレオノーレとはレオポルドの祖母であり、前々代サーザンエンド辺境伯カール五世の伯母であり、その前の辺境伯ヴィルヘルム三世の娘である。

「おぉ、なんと。エレオノーレ様の」

 レッケンバルム卿の言葉にジルドレッド卿をはじめとする高官の多くが驚きを隠さなかった。レオポルドが見る限り、彼らはレオポルドの正体について全く知らなかったようだ。揃いも揃って役者並みの演技力を持っているのならば話は別だが。

「クロス卿にはゆくゆくはサーザンエンドで重要な立場に立ってもらうつもりである」

 レッケンバルム卿の言葉にジルドレッド卿は頷き、然るべき地位を用意すると約束して退出した。多くの軍人たちもそれに続き、場に残ったのはレオポルドとレッケンバルム卿だけとなった。

「あやつは武人としては優秀だが、政治家としては下の下というべきであろう」

 ジルドレッド卿たちがいなくなった途端にレッケンバルム卿が毒づき、レオポルドは何とも言えない顔で曖昧な返事をする。

「これだけ後継問題が騒がれているというに、エレオノーレ様の血統については頭にも浮かばなかったのか」

 しかし、レオポルドが聞いた話によれば、ジルドレッド卿は後継問題にあまり口を挟まなかったらしい。あくまで自身は軍司令官として、軍務に専念し、後継問題や宮廷の内のことはレッケンバルム卿たちに任せていたのかもしれない。それはそれで立場を弁えていると言えるのではないか。

「ところで、ロバート様とボスマン財務長官の姿が見えないようですが」

 レオポルドは先程から疑問に思っていたことを尋ねてみた。

 宮廷側の命運を左右する重大事を決する会議に、辺境伯代理であるロバート老と財務長官という要職にある人物が出席しないのは不自然というものであろう。

「ロバート老はまだ病状が思わしくないらしい。ボスマンは所用だそうだ」

 そう言ってレッケンバルム卿は険しい顔で不機嫌そうに黙り込んだ。


 後日、レオポルドに与えられた地位はサーザンエンド辺境伯軍の近衛騎兵連隊中尉であった。

 本来であれば将兵には布地が支給され、それをもって衣服を仕立てるところであるが、喫緊のことでそのような時間はない。

 そこでレオポルドが軍服を揃えられるようレッケンバルム卿とルゲイラ兵站監が特別に取り計らってくれた。

 辺境伯軍近衛連隊の軍服は概ね赤色で統一されている為、朱色の毛織物の上着、濃灰色のズボン。革製の乗馬ブーツと革のベルト。白い羽飾りを付けた縁の広い帽子に絹の襟飾り。黄色の飾り帯。

 帝国本土において多くの将校や富裕な騎兵が着るバフコート(もみ革製の短い上着)は南部ではあまり着られないようだ。おそらく、気候的な問題で着ていると暑くてしょうがないのだろう。また、軽騎兵なので甲冑や兜の類も装備しない。

 それにピストルを二挺と赤毛の馬が与えられた。中尉身分である場合、本来ならば馬は四頭用意しなければならないところであるが、今回は一頭しか用意できなかった。とはいえ、長い遠征ではないので、一頭でも事足りるだろう。

 それらを装備すれば、すっかり立派な将校である。

「馬子にも衣装とはよく言ったものね」

 将校姿になったレオポルドを見てフィオリアが呟き、レオポルドは黙って顔をしかめる。

 レオポルドの隣にはいつもの恰好のキスカとソフィーネがいる。彼女たちも従軍するのである。キスカはレオポルドの副官。ソフィーネはなんと従軍司祭代わりとか何とかいう名目で付いて行くようだ。二人の戦闘能力があれば、戦場でも生き延びられるどころか活躍すらできそうである。レオポルドよりも余程軍人に向いている。

 ただ、さすがにフィオリアは従軍するわけにはいかない。そういうわけで、彼女だけハヴィナに待機することになっていた。

「勝てるの、よね」

 暫く黙ってレオポルドを見つめていたフィオリアは不機嫌そうなしかめ面で確かめるように尋ねた。

「数はこちらの方が多い。聞いた話だが指揮官は優秀な将軍らしいし、兵の士気も練度もこちらの方が上のようだ。装備もこちらの方が整っているとの話だ」

 レオポルドは冷静に自軍の優勢を言い並べる。それを聞いてフィオリアの表情がいくらか和らぐ。

「とはいえ、戦は時の運だからな。勝敗を確実に予測することは難しい」

 しかし、その後、レオポルドが続けた話を聞いて再び険しい顔つきに戻った。

「要するに勝てるかどうか分からないってことね」

「まぁ、そうなるな」

 フィオリアはなんとも言い難い複雑な表情で押し黙り、コンラート一世広場に集まる将兵を見やった。

 編成と補充が済んだ近衛騎兵連隊はハヴィナ中心部の広場に集結し、すっかり進軍の用意が整っていた。揃いの赤い上着を着込み、幅広いつばの帽子を被り、歩兵はマスケット銃を担ぎ、騎兵は腰にサーベルとピストルを提げている。将校は上着にレースやリボン、帽子に羽を飾っている。

 広場の片隅には近衛騎兵連隊と行動を共にする予定であるムールド人傭兵騎兵がたむろしていた。揃いも揃って茶色いフードを頭から被り、腰には半月刀を提げている。

「れんたーいっ。連隊っ。せいれーつっ」

 短い鉾を持った下士官が怒鳴り、兵士たちが慌ただしく駆け足で、分隊ごとに集合し、更にそれが小隊になり、中隊としてまとまっていく。

 レオポルドも中尉としての職務がある。いつまでもぼんやり突っ立っているわけにはいかない。

「じゃあ、行ってくる」

 レオポルドはそう言うと鐙に足をかけ、さっと馬の背に乗った。貴族たる者、乗馬は心得ているものである。彼も不自由ないくらいには乗馬をこなすことができた。

 遊牧民であるキスカも難なく馬上の人となる。ソフィーネは徒歩で付いて行くようだ。従軍牧師は勿論戦闘要員ではないから馬がないのは当然である。

「レオっ」

 中隊に合流すべく進み始めたレオポルドたちの背に声が浴びせられる。

 その声にレオポルドは振り返る。ただ、あんまり大きな声で呼びかけたものだから、周囲の兵士たちまで何事かと声の主を見つめた。

 大勢に注目されて顔を赤くしたフィオリアは至極不機嫌そうなしかめ面で、レオポルドの傍まで歩いてきて、彼を見上げた。

「絶対に帰って来てよっ。こんなとこまであたしを連れてきておいて勝手に一人で死ぬなんて許さないんだからっ」

 彼女はそれだけを言い放つと踵を返して、さっさと歩み去ってしまった。

「連れてきたわけじゃなくて、付いて来たんだろ」

 レオポルドはそれだけ誰にともなく呟くと再び馬腹を蹴って馬を進める。

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