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二三七

 レオポルド一行はサーザンエンド南部の都市ナジカに至った。

 かつてナジカは、サーザンエンド継承戦争の最中、ガナトス男爵らとの戦いに敗れたレオポルドの入城を拒み、目の前で城門を閉じるという裏切りを犯した都市である。

 その報復として、レオポルドの軍勢によって攻め落とされたナジカは尽く破壊、略奪され、当時の指導者たちとその一族の成人男子は残らず処刑され、その財産は全て没収された。

 その後、暫くナジカは軍政下に置かれた。都市参事会と町の中心部の広場には占領軍が居座り、崩れた城壁と粉砕された城門は放置され、市内各所には半壊したり焼け焦げたりした建物は朽ちるに任され、必要最低限の住宅が修復された以外、町の再建や復興はほとんど進まなかった。懲罰的な意味合いを含む措置であったことは言うまでもない。

 やがて、レオポルドがサーザンエンド辺境伯に即位し、サーザンエンド全域の支配権を確立すると、ナジカが再び反抗する可能性は極めて低くなり、交通の要衝であるナジカを廃墟同然に放置するのは無益であると考えられるようになった。ムールドの産物を南部西岸の港まで輸送する場合、ナジカは重要な中継地なのである。これがいつまでも役に立たないような状況では交易に支障が生じてしまう。

 そこで、レオポルドは生き残ったナジカの有力者たちに都市の再建を命じた。命令の内容は市内の道路を整備し、隊商が泊まる宿、荷を置く倉庫などを建造すること。城壁は修復せず、取り壊して資材を施設の建設などに充てること。費用は有力者たちで分担して拠出すること。必要経費や日数などを記載した再建計画を策定して提出し、辺境伯政府の認可を受けること。年度ごとに進捗状況を報告すること。辺境伯政府の監査を受けること。などである。この間、再建計画に基づいて、税の減免措置を行うこととした。

 つまり、住民自らに公共工事をやらせる代わりに税を減ずるということである。

 破壊しておいて再建しろというのも酷な話ではあるが、ナジカ市民は再建命令を歓迎した。瓦礫と化した自らの街を立て直すのだ。やる気にならないわけがない。そういう気がないならば、とっくの前に町を捨てている。

 ナジカ市民は上下一丸となって再建に取り組み、半年もすると崩れかけたり焼け焦げたりしていた建物は取り壊されて更地となり、市内各所に放置されていた瓦礫の山もすっかり片づけられ、更にその半年後には真新しい隊商宿や倉庫がいくつも建設されていった。

 そういうわけで、今日のナジカは再建されつつあり、高貴な客人を迎え入れ、滞在させることができないというわけではなかったものの、レオポルドはあまり気乗りしなかった。

 ナジカの城壁が地平線の彼方に見え始めるとともに気持ちがみるみる落ち込んでいく。気持ちというものは体調にも影響するもので。

「なんだか腹が痛い」

「小休止いたしましょうか」

 レオポルドが呻くように呟くと馬首を並べていたキスカが気遣う。

「もう少しでナジカだ。こんなところで歩みを止めるものではないだろう」

「しかし、お顔の色も宜しくないように見えます。薬を持ってこさせましょうか」

 前述したとおり、一行には医師も同行している。一声かければ数分もしないうちに駆けてきて薬を処方するだろう。

「いや、結構。大したことはない」

 レオポルドはそう答えたが、キスカはなおも心配げであった。

「この辺りは色々と思い出深い所ですからね。大概気分の良くなるような思い出ではありませんけれど」

 ソフィーネの言葉にレオポルドは苦々しげな表情で黙り込む。

 ナジカ攻防戦の直前、レオポルド軍は精強名高きアーウェン槍騎兵の支援を受けたガナトス男爵軍によって完膚なきまでに打ち破られ、レオポルドは多くの将兵を失った挙句、女装までして命からがら逃げ伸びることとなった。当時の恥辱と苦痛に塗れた暗澹たる心地は未だ懐旧の情と言えるようなものではない。

 この逃避行に唯一付き添い、熱病に倒れて死を覚悟した彼を背中に担いで荒野を歩いたのがソフィーネであった。

「あの折には随分と世話になった。君は私の命を救ってくれた天使のようなものだな」

「あともう少しで不信心なあなたを主の御許へ引っ立てることができたのですけれど、惜しいところでした」

 辛辣な言葉にレオポルドは苦笑いを浮かべながらも満更でもない様子であった。

 ソフィーネはレオポルドに対して遠慮というものがなく、冗談めいた皮肉や嫌味のような発言も少なくないのだが、彼自身はほとんど気にしたことはないどころか、好ましいことと感じていた。

 それは傍目からもよくわかるもので、ソフィーネがレオポルドから特に目をかけられ、大事な扱いをされていることはハヴィナでは公然たるものであった。

 一介の修道女に過ぎない彼女がハヴィナ城付聖堂の一室を与えられ、宮廷内にいつでも出入りできるどころか、レオポルドから度々食事の席に呼ばれたり、今回のように事あるごとに行動を一緒にしているとなればどんな鈍感でも理解できようというものである。

 とはいえ、彼女は控え目で謙虚というわけではないものの、修道女らしく無欲で政治には無関心であったから、ハヴィナ貴族は黒髪の修道女のことを訝しく感じながらも無害な存在と考えて然程の関心を払ってはいないようであった。

 しかしながら、誰もが二人の関係に無関心というわけではあるまい。

 ソフィーネのレオポルドに対する辛辣な態度や言動は忠義心厚いキスカにとってあまり愉快なことではないらしく、無言で責めるような鋭い視線を向けていた。


 レオポルドたちがナジカに入城したのは昼もかなり過ぎた頃であった。

 一行はナジカの有力者たちと駐屯している第三サーザンエンド歩兵連隊幹部たちの出迎えを受け、市の中心部に会堂へ案内された。

 会堂に至るまでの沿道には多くの市民が見物に出ていたが、あまり歓迎されているとは言い難い雰囲気が漂っていた。レオポルドの行列と市民の間は一〇〇〇人近い第三サーザンエンド歩兵連隊の兵士の壁によって遮られていた。

 会堂は復興途上のナジカで一番大きく立派な建物であると聞いていたが、ほとんど装飾のない素っ気ない石造りの四角い建物で、大きな石煉瓦に申し訳程度の窓を設けたような外観をしている。建設時間と費用を惜しんだのであろうことが一目で察せられた。

 レオポルドたちは会堂の前で馬や馬車を降りると控えの間に入り、旅装を解いて着替え、一休みした後、都市参事会主催による歓迎の宴席の会場である大広間へと向かう。

 大広間には羊毛の赤い絨毯が敷かれ、色とりどりの花で飾り付けられ、テーブルには真っ白なテーブルクロスがかけられている。

 レオポルドと辺境伯夫人リーゼロッテの席は最も上座にあり、傍らには侍従のアイルツ卿と女官のクラインフェルト嬢が控えている。その前に二つの長テーブルが並び、上座に最も近い席にはキスカ、侍従長、女官長、首席調査官ネルゼリンク卿、近衛騎兵連隊と近衛歩兵連隊の連隊長、侍従武官サライ中佐、フィオリア、アイラ、ソフィーネ、シルヴィカらレオポルドの近臣たちが座り、更に第三サーザンエンド歩兵連隊の幹部たち、ナジカの教会の上級聖職者たち、ナジカの都市参事会の面々といった出席者が並ぶ。

 レオポルドの幼い子供たちは別室で乳母や育児係に預けられている。

 会場の下座には笛や太鼓や鉦その他テイバリ人特有の楽器を携えた十数人の楽隊が控えていた。

「長くの旅路。お疲れ様でございました。この度はナジカまでの御成りを頂き、こうして歓迎の宴を主催できますことは、光栄至極に存じます」

 長テーブルの端の方に立ったナジカ市の参事会長が歓迎の言葉を述べる。長い黄色い衣に赤い飾り布を身にまとった小太りの中年男だった。頭には小さな円筒形の赤い帽子をかぶっている。

 参事会長は、サーザンエンド辺境伯レオポルドのこれまでの功績と才能、ナジカの過去の罪を許した慈悲深さを称賛し、ナジカに歓迎できたことは光栄であるという趣旨の言葉を延々と言い連ね、隣席のリーゼロッテがあからさまに不機嫌な表情になりはじめたので、いい加減話を止めさせようかとレオポルドが思い始めたところで、ようやく話を終わらせ、一同は杯を掲げ、ようやく喉を潤すことができた。

 一同が杯をテーブルに戻したところで、楽隊が演奏をはじめ、大広間の扉が開き、うら若きナジカの娘たちが数々のナジカ料理を持って入ってきた。

 ナジカは帝国から見ると異教徒異民族であるテイバリ人が主体の町なので、出される料理もテイバリ料理である。

 レオポルドは長らくムールドの地でムールド人とともに暮らしてきたので、ムールド料理には馴染みがあったが、本格的なテイバリ料理を食べるのは初めてだった。

 まずは前菜である。オリーブの塩漬け、各種のチーズ、ヨーグルト、チーズや肉のパイなど。これらの前菜とともに葡萄から作られた蒸留酒を水で割って飲むのが定番らしい。もとは透明だが、水を注ぐと白く濁った。口をつけると喉が焼けるように強い。

 隣で同じように杯に口をつけたリーゼロッテがむせて、柳眉を寄せる。

「これ、結構きついわ」

「お茶を用意させましょうか」

 傍に控えていたクラインフェルト嬢の言葉に彼女は頷く。

「でしたら、こちらは如何でしょうか」

 給仕のナジカ娘が手にしているポットの中身は薔薇と砂糖で作ったシロップを加えたお茶で、本来は食後に飲むものであるらしい。

 リーゼロッテはカップに注がれた赤茶色のお茶を胡乱うろんな目で眺め、慎重に香りを嗅いだ後、恐る恐るといった様子で口をつけた。

 レウォント、帝都、ハヴィナと基本的に帝国風の衣食住しか経験したことのない彼女にとってテイバリの料理や飲み物はいずれも異質なものに感じられるのだろう。

 思えば、ムールド下向もレオポルドが一緒に行こうと誘ったから付いてきたものの、それほど乗り気という様子でもなかったので、彼女はそれほど自分から新しい刺激を求める性質ではないのかもしれない。

「……悪くない味ね」

「お口に合いまして幸いです」

 リーゼロッテの感想にナジカ娘が恭しく頭を下げる。

 素っ気ない感想だが、一杯目を飲み終えた後、すぐにお代わりを所望したので、気に入ったのだろう。

 前菜のに運ばれてきたメインディッシュは様々な味付けがされた羊肉の串焼き、若鶏の丸焼き、ラクダのコブの煮物といった肉料理と香辛料で赤、黄、橙、白、黒などに色づけされた焼き飯で、羊の内臓のスープ、山羊乳のスープ、豆の甘いスープ、バターがたっぷり塗られた平焼きのパンなどが添えられている。

 最後のデザートはシロップ漬けされた木の実のケーキ、クレープのような小麦の皮を幾重にも重ねたケーキ、スイカ、メロン、桃、イチジク、ナツメヤシなどの果物などである。

 テイバリ料理は、帝国料理は勿論、ムールド料理ともまた少し違う料理の数々で、興味深くはあったものの、相変わらず腹具合の優れないレオポルドの手はあまり伸びなかった。

「閣下。ナジカの料理は如何でございましょうか。お口に合いますと幸いでございます」

 参事会長がのそのそとレオポルドの席へ歩み寄ってきて媚びるような笑みを浮かべて言った。緑色の陶器の酒瓶を手にしている。

「心尽くしのもてなしに感謝する」

「身に余るお言葉を頂き、恐れ入りまする」

 レオポルドの言葉に参事会長は大仰に頭を下げた。

「この宴の後でございますが、お泊り頂く宿舎に風呂を用意しております」

「何だと、それはありがたい」

 その言葉にレオポルドは素直に喜ぶ。旅の最中は熱い湯にゆっくり浸かることは難しく、せいぜい、熱い湯を張ったたらいで体を拭くくらいで、もう何日もまともに入浴できていなかったから、喜びも一入ひとしおであった。

 参事会長はレオポルドが大変な風呂好きだということをどこかで知り、歓待の為に用意したのだろう。

「しかしだな。参事会長、それは宴の前に言ってほしかったな。旅の疲れと体の汚れを落とした後の方が、食事も酒も美味しく感じられるというものだ」

「それはそれは、配慮が足りず申し訳ありませんでした」

「冗談だ。とにかく、入浴できるのは嬉しいな」

「狭い浴室ですので、ご満足頂けるか不安ではございますが」

「いや、熱い湯に浸かれるだけでありがたい限りだ」

 レオポルドは浴場や浴室の設計や建設にも口出しするほど、風呂場にも拘りがある性質ではあるものの、久々の入浴ともなれば、どんなに小さな浴槽でも文句は言うまい。

「お喜び頂けたならば何よりでございます」

 参事会長はそう言って再び頭を下げた後、酒瓶を持ち直す。

「ご入浴の前に、こちらをどうぞ。東方大陸から取り寄せた上等のザクロで造ったザクロ酒でございます。大変良い出来ですので、是非とも味わって頂きたくお持ちいたしました」

 ザクロは豊穣や子孫繁栄を意味する高貴な果実とされる。東方大陸高地地方のものが最も上等として知られるが、鮮度を保ったまま海を越え、運んでくるのは容易いことではなく、費用も時間もかかる。その酒となれば、帝都でもあまり手に入らない上物と言えよう。

 レオポルドはそれほど大酒飲みというわけではないが、酒が嫌いというわけでもない。それにせっかく勧められた酒を無下に断るというのは礼を失していると言えよう。異民族異教徒の平民だからといってぞんざいに扱う程、レオポルドは傲岸尊大な人間でもない。

 勧められるがままに手に取った青いガラスの杯に、血のように赤いザクロ酒が注がれる。

「さあ、どうぞどうぞ」

 レオポルドが杯に口をつけようとした時、

「お待ち下さいっ」

 キスカの大声が響き渡り、レオポルドは手を止めた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新を心待ちにしておりました。 ありがとうございます。 [一言] 毒酒? 遅効性の毒なら疑われないと思った?
[良い点] 更新深謝です
[良い点] 更新ありがとうございます。面白かったです。
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