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二三六

 レオポルド個人の業務負担を軽減するとともに、行政事務の効率化と監察機能を強化すべく、統治総監の下に書記官長、首席調査官、首席監察官の三職が設けられ、無事に人選も済んだものの、その翌日からすぐレオポルドの机上の書類が激減するというものではない。

 まず、三職の部下であり、実務を担うこととなる書記官、調査官、監察官に適切な人材を任用せねばなるまい。いずれも定員は各三名である。

 書記官、監察官には辺境伯政府で長く勤務している経験豊かな役人たちが任用された。いずれの職務もサーザンエンド行政事務に通じ、慣習や前例などに詳しくなければ、その職責を十分に果たすことができないと考えられた為である。

 一方、情報収集や分析を任務とする調査官においては、これまでの行政経験よりも俊敏かつ的確な判断力や機敏で大胆な行動力、優れた交渉能力が求められ、行政事務の経験は必ずしも必要といえるものではない。よって、調査官には有能な若手の役人や優秀なムールド人を起用することした。

 また、実務を補佐する書記官補、監察官補、調査官補には前途有望な若手が多く任用された。

 この人事が済んだとて、それですぐに仕事に取り掛かれるわけではない。新しく立ち上げられた組織であればなおのことである。

 無論、慎重で堅実なレオポルドであるから、自分の仕事を引き継ぐ部門ができたからといってそれで一安心できるようなわけもない。

 書記官が様々な行政文書の様式や記載要領、保存規則、報告規則を定めて、行政機関に布告し、監察官が監察要領を定めて、監察を実施してその結果をとりまとめた監察報告書を作成、提出し、調査官が各地の駐在官や連絡要員、情報提供者との連絡を確保して、収集した情報を整理、分析した調査報告書を作成、提出するというそれぞれの仕事が軌道に乗りはじめたのは設置から一月ほども経った頃であった。

 それでも、レオポルドは安堵することなく、三職が問題なく諸々の業務を処理しているか注意深く見守り、書類の処理や管理状況、自分や政府高官たちへの報告体制などを入念に確認し、これならば仕事を任せて安心であると判断したのは、サーザンエンドの厳しい夏が終わり、秋の訪れが明確に感じられた頃であった。

 そうして、ようやくレオポルドは、以前アイラが要望していたムールド行きの準備に取り掛かり始めた。

 夏の盛りに、ハヴィナより更に厳しい暑さに苛まれることが多いムールドへ行くのは気が進まなかったし、酷暑の屋外で卒倒したばかりでもあるので、暑さが和らいできた頃の出発としたのである。

 ムールドへ行くのは、レオポルドの他、キスカ、アイラといったムールド人の妻たち、キスカとの間の子ルートヴィヒとニコラウス、更に辺境伯夫人たるリーゼロッテとその子ヴィルヘルム、レオポルドの姉的な立場であるフィオリアといった家族一同。随行は侍従長ライテンベルガー卿、侍従武官長レッケンバルム准将、女官長ライゼンボルン男爵夫人、首席調査官ネルゼリンク卿、侍従アイルツ卿、侍従武官サライ中佐、女官テレジア・イェーネ・クラインフェルト嬢といった面々である。

 更に、ハヴィナに留学という名目で滞在しているヴィエルスカ侯の末娘シルヴィカ、小宮殿付修道女であるソフィーネが加わっている。

 大変な読書家であるシルヴィカは好奇心も旺盛であり、自ら同行を希望し、レオポルドもこれを受け入れた。

 一方、ソフィーネについては、レオポルドが是非同行してほしいと希望したのであるが、彼女は全く乗り気ではなく、最初は素気無く断られたものの、幾度か説得を重ねた結果、渋々と同行することになったのであった。

 当然、辺境伯一家や随行の貴族に仕える従者や女中といった使用人たち、料理人、衣装係、洗濯係、高貴な人々と荷物を輸送する二〇台もの馬車を操る御者たちと馬丁、背中に荷を載せた一〇〇頭余もの駱駝の面倒を見る駱駝使いたち、司祭、医師、床屋といった人々も追従することとなる。

 更に、護衛として近衛騎兵連隊四個中隊と近衛歩兵連隊第一大隊が付くので、総勢は一〇〇〇名にも及ぶ。

 当初、ハヴィナ貴族の有力者である枢密院議長レッケンバルム卿やライテンベルガー卿、ライゼンボルン男爵夫人といった宮廷の貴族の大半はレオポルド一家揃ってのムールド行きに反対であった。

 というのも、生粋の軍人であった初代サーザンエンド辺境伯とムールドから攻め上ってハヴィナを攻略し、サーザンエンド辺境伯の地位を掴んだレオポルドを例外として、代々の辺境伯は誰もムールドに下向などしたことがなかったのである。それどころか、辺境伯の宮廷に仕えてきたハヴィナ貴族の大半も、失脚してムールド代官などに左遷された者や物好きな変人といった極少数の例外を除いて、ムールドに足を向けたことなどなかった。

 辺境伯一家が揃ってムールドに下向するなどということは前代未聞であるというのが、反対の大きな理由であった。

 また、ムールドのような野蛮な辺境の地に辺境伯夫人とまだ幼少の嫡子を連れていくのは、あまりにも危険であるというのである。

 しかし、レオポルドはそのような反対意見を一顧だにしなかった。

 長らく離れていた妻子と家族揃って一緒の時間を過ごしたいというのも理由の一つではあるが、より政治的な目的もある。

 レオポルドがこれまでの辺境伯と比べ、サーザンエンドをより強く安定的に統治することができているのはムールド諸部族からの強い支持がある為であることは言うまでもない。

 ムールド人軽騎兵は強力な軍事力であり、帝国本土では物珍しい砂漠の産物は産業に乏しいサーザンエンドにとっては貴重な商品であり、ラジアという南端の港湾都市は、大きな富を獲得する南方貿易の極めて重要な拠点である。

 これまでの辺境伯が手にすることができなかったこれらの大きな財産を手にすることによってレオポルドは歴代の辺境伯よりも遥かに強い権威と権力を有しているのである。

 ムールド諸部族からの支持を手放すようなことは断じて許されず、なんとしても、これを次代に、我が子に引き継がなければならない。

 その手段の一つがムールドへの下向であった。

 今手にしているムールド諸部族の支持の上に胡坐をかき、誇り高い彼らを軽視し、無下に扱い、放置するようなことがあれば、その支持は時とともに霧散し、砂漠の蜃気楼のように消えていってしまうだろう。

 彼らの忠誠心が風化する前に、統治者たる辺境伯が自らムールドまで出向くことによって関係性を更新し、両者の紐帯を深めなければならない。

 尚且つ、後継者の顔をムールドの有力者たちに披露することによって、自らの対する忠誠心を我が子に継承させようというのだ。

 また、子供たちをムールドの気風に触れさせておく必要があるとも考えていた。

 キスカとの子であるルートヴィヒとニコラウスはムールドの血を半分受け継いでいながら、ほとんどハヴィナ城内で育てられている。少しでも幼い頃から自らに流れるムールドの血を自覚させ、将来的には次の辺境伯となる異母兄弟とムールドを結び付け、ムールドからこれを支える役割を担ってほしいのだ。

 また、リーゼロッテとの嫡子であるヴィルヘルムも、帝国諸侯たるフェルゲンハイム・クロス家の後継者であり、偉大なる主の僕たる正教徒たる意識も重要ではあるが、ムールド人をはじめとする異民族、異教徒の統治者にして、擁護者でもあるという自覚を持たせなければなるまい。

 人間の価値観や考え方は、幼少の頃の周囲の環境、受けた教育や刺激によって形成されるものであり、これを成人してから変化させるのは中々容易ではなく、父アルベルトが異民族や異教徒に寛容であったが故に、自らも同じような価値観を有していることを自覚しているのだ。

 まかり間違っても多くの帝国人と同じように、異民族を野蛮人と見下したり、主の敵たる異教徒は尽く改宗させるか地獄に送らなければならない妄信するような狂信者になるようなことがあってはならない。

 保守的なハヴィナ貴族の反発を受けても、ムールド下向に家族を同行させることを断固として主張したのはそのような理由からであった。

 引き下がる様子のないレオポルドに手を焼いた保守的なお歴々は辺境伯夫人たるリーゼロッテにムールド下向を思い留まらせようと試みた。帝国諸侯レウォント方伯家の姫であり、帝都での生活も長い彼女ならば、荒涼たる砂漠の地になど行きたがらないだろうと考えたのである。

 しかし、意外にも彼女の反応は、

「まぁ、いいじゃない」

 とあっさりとしたものであった為、反対していた貴族も渋々と引き下がる他なかった。

 形骸化した式典や儀式、硬直化した慣習、形式主義を嫌う彼女にとっては帝都宮廷の小型版とも言うべきハヴィナ宮廷よりもそういったものとは無縁と思われるムールドの地の方が魅力的に感じられたのかもしれない。


 さて、そうして、夏もすっかり終わり、だるような暑さになるような日もなくなった頃、レオポルド一同は隊伍を組んで、ハヴィナを出立し、南へと向かった。

 かつては、ハヴィナからサーザンエンド南部の都市ナジカまでは街道が通じているものの、その更に南に行くには道標もない道なき砂漠をひたすら南を目指して下るより他なかったが、レオポルドはサーザンエンドを南北に貫く街道をファディまで延伸させていた。この街道は更に大陸南端の港湾都市ラジアまで繋がる予定である。

 整備された街道を進むとはいえ、子女を含む辺境伯一家やご婦人方が乗る馬車の速度に合わせ、更には生活道具、寝台や毛布、衣服、天幕、テーブルや椅子、半年分の食糧や水といった大量の荷物を輸送するとなれば、その歩みは軍隊以上に遅いもので、目的地までは一月近い旅程であった。

 ハヴィナ近郊はまだ麦畑や菜園などがある地域であるものの、半日も行くと緑はすっかり消え失せ、荒涼とした荒れ地へと変貌する。目につくのは岩と土の他は乾ききった低木や干からびたような草ばかりで、時折、放牧されている山羊や牛が姿を見せるくらいであった。

 ほとんど初めてハヴィナ市外の景色を目にして興奮していた子供たちも数日も経てば全く変わり映えのない外の様子にすっかり飽きて退屈し、同じ馬車に乗っているアイラやフィオリア、シルヴィカ、ソフィーネらが遊び相手をしたり、本を読み聞かせてやったりしていた。

 騎乗したレオポルドは近くから黙ってその様子を眺めていた。

「そんな遊びに混ざれない内気な子供みたいな顔をしていないで、貴方も一緒に混ざったらどうですか」

 そう言ったのは、いつの間にか隣を歩いていたソフィーネであった。いつも通りの修道服に長大な十字剣を担いでいる。彼女はファディまでずっと徒歩で行くつもりのようだが、今のところ平然とした様子である。

「そんな顔をしているか」

「手伝いをしている施設でもそんな顔をしている子がたまにいますよ」

 彼女はハヴィナ市内の教会の施設や病院などの手伝いをしていることが多く、貧しい家庭から預けられたり、家族を失ったりした子供たちの面倒を見ることも多いらしい。そうした経験の中で、遊びの輪に入りたいものの性格的にそうできない子を見ることもあるのだろう。

「まぁ、生まれてから何年も放ったらかしにしていたくせに、今更どんな顔で父親をやればいいのかわからないというのも理解できますけど」

 手厳しい指摘にレオポルドは苦笑いを浮かべる。実際その通りなのだ。反論の余地もない。

 ソフィーネは常に超然としていて、一歩離れた場所から物事を見ているように、レオポルドには感じられるのだった。

「今更、父親ぶるなんて何様って感じではありますけど、己の罪を悔い改め、主の教えを受け入れることに遅すぎるということがないように、父子の触れ合いを始めるのに遅すぎるということもありません」

「そうだろうか」

「ええ、あの子たちも貴方のことを待っているはずです」

「……そうだろうか」

 レオポルドは腕を組み、首を傾げながら子供たちが乗る馬車へと視線を向ける。と、馬車の窓からこちらを見ていた子供たちが慌てて首を引っ込める。

「ほらね」

 ソフィーネが得意げな様子で言った。

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[良い点] 文書、構成がしっかりしている。読みやすい。
[一言] 面白いです、更新期待してます
[一言] まだ着地点は見えないけど頑張って。
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