二二
レオポルドたちが投宿している宿の周辺には同じような宿や食堂、風呂屋などが多くある地域で、旅人の姿がよく見受けられた。誰も彼も、まずは宿の部屋を取って荷を置き、旅装を解いた後、風呂屋に入って旅の汚れを落として一服してから食堂で飯という流れなのだろう。
旅人の多くは帝国人以外の異民族で多くは南の砂漠地帯を越えてきた隊商のようだった。
彼らはサーザンエンドよりも更に南の砂漠地帯の南端にある港町に陸揚げされる南洋諸島や南方大陸からの商品或いは砂漠地帯の東に位置する東岸地方から東方大陸の商品を運んでくるのだという。前者の多くは香辛料や珈琲、砂糖、奴隷などである。後者は茶や絹織物、陶磁器など。
それらの商品を売り捌くと、彼らは鉄製品や武具、塩、毛織物などを買い込んで、砂漠を越えていく。
それらをキスカに教えられたレオポルドは隊商の引く四足獣を見てぎょっとした。背中にコブがあり、毛色は茶色で強烈な臭いを放っていた。
「アレは何だ……」
「駱駝という獣です。砂漠を越えるには非常に有益な獣です。長い間、水を飲まずに旅を続けることができます」
レオポルドの問いにキスカが答える。
「そうなのか。見たことがない」
「南部ではサーザンエンド以南でよく見受けられます」
「ふむ。砂漠で長時間活動できるというのはあのコブの中に水を貯め込んでいるのか」
「そう言う人もいますが、あのコブを裂いても水は出てきません。脂肪が詰まっています」
その答えにレオポルドは彼女を見つめた。
「あのコブを裂いたことがあるのか」
「はい。うちで飼っていますから」
そういえば、キスカの家は遊牧民であるらしい。砂漠や荒野を遊牧するのならば、そういう地勢で長時間活動できる駱駝を飼っているのは当然であろう。
「じゃあ、なんで、アレはそんな長いこと水なしで生きられるんだ」
「さぁ……」
その仕組みはキスカも知らないらしい。おそらく、隊商の連中も遊牧民も皆知らないで使っているのだろう。
「む。奴ら、こっちに来るぞ」
気が付くと駱駝の背に荷物を載せた隊商はレオポルドたちの方へ向かってきていた。レオポルドは顔をしかめて、強烈な臭いに呻く。
「有益な獣だということは理解したが、この臭いは辛抱堪らん。さっさと離れよう。いくらか前に読んだ『都市と農村、空気と水』という書によれば、悪い空気と水は人体に有害であるという。悪い空気と水はいずれも臭く、不味く、黒っぽい色をしているそうだ」
レオポルドはそんなことをキスカに話しながら隊商から距離を取って離れる。キスカは彼の話を聞きながら大人しく付いて行く。
通りは基本的に狭く、広い箇所でも馬が行き違い、その間を人が通れるかどうかという程度だった。特に狭い箇所では馬が通れば、通りが完全に塞がってしまうような通りもあった。そういう時は人は家壁に張り付くようにして馬を通さねばならない。
わざわざ狭い通りに入って迷子になるのは困りものなので、レオポルドとキスカは比較的広い通りを選んで歩いた。
また、一応、辺境伯にならんという大仰な目的を持ち、その資格もあるレオポルドは命を狙われる可能性が無きにしも非ずなので、あまり人通りの少ない場所を行くのは避けるべきだと思われた。
ただ、白昼堂々都市の中で襲撃するというのは、あまり現実的ではない。
そもそも、宮廷からわざわざ「出てけ」と手紙が来ている時点で、少なくとも手紙の主はレオポルドを今は殺す気はないらしい。殺す気ならば手紙を書いて送るなんていうまどろっこしい手を使わず、以前あったように宿を襲撃すればいいはずだ。
とはいえ、警戒しておくにこしたことはない。二人は人の少ない通りを避け、比較的広く、人や馬、駱駝、山羊、牛、豚、鶏なんかがひしめき合う、下町の中では、まだ広い人通りが多い道を行く。
「しかし、まぁ、大変な混雑だな。この町の都市計画はどうなっているんだ」
「南部の街はどこもこのような感じです。これだけ大きな町はハヴィナだけですけど」
「こんな滅茶苦茶な道では迷子になりかねんな。ん。まさか、それが目的か」
レオポルドはふと思いつく。これだけ狭く曲がりくねった道ならば侵入者も易々と街を制圧できないだろう。上手く立ち回れば侵入者を誘い込んで、挟撃し、包囲し、逆襲することも可能であろう。高い城壁がない南部の町はこういった防衛機構を備えているのかもしれない。
「なるほど。防衛上の観点から、こんな曲がりくねった狭苦しい道にしているのだな」
彼の言葉にキスカは曖昧に頷いた。彼女はよく知らないらしい。彼女は南部の住人とはいえ、遊牧民なので都市のことには詳しくないのだ。
二人はその後も相変わらずの曲がりくねった道を進んだ。たまに行き止まりで行き詰ったり、分かれ道で迷ったりしつつ、歩いている間に二人は自分たちがどこにいるのかすっかりわからなくなっていた。が、あえて、それは口にせず街の散策を続けた。迷子になっている事実を口にして現実を目の当たりにするのが嫌なのだった。
殆ど迷子になりながらも二人はひたすら西を目指した。ハヴィナは大通りで十字に分断されているので、どこかしらへ真っ直ぐ行けば大通りか街をぐるりと囲む城壁に当たるはずであり、彼らのいる街区から西へ進めば大通りへ出られるはずであった。
とはいえ、進む方向が分かっていても、ハヴィナの下町の道は曲がりくねっていて、分かれ道や行き止まりが多いので、何度も引き返したり迂回したり考え込んだり道端にある屋台で軽食を食べたりしながら、なんとか大通りへ出ることができた。
当初の予定ではこの街区を抜けた後、大通りを越えた隣の街区へ行くつもりだったが、大通りに到達するまでにかなりの労力と時間を費やしてしまった。この時点で時刻は夕方に迫りつつあったので、隣の街区に入るのは諦めることにした。
その代わり大通りをそのまま北に進んでハヴィナ中央のコンラート一世広場付近を散策することにする。大通り沿いと中央の地区は比較的きっちりと整備された町並みで、迷子になる恐れがなかったからだ。
大通りも人通りが多く帝国人も異民族も旅人も住民も見受けられる。
とはいえ、下町のように道端で子供が遊んでいたり、頭上に洗濯物が干してあったり、奥さん方が井戸端会議に花を咲かせていたり、軒先でじいさんがぼんやりしていたり、屋台で旦那さん方が昼間から酒を飲んでいたりといった生活臭は格段に薄い。また、道幅も広いので大変歩き易かった。
レオポルドとキスカはたまに会話をしつつ建物を眺めたり道端に出ている屋台を冷かしたり隊商が馬や駱駝の背に積んでいる荷物を見つめたりしながら大通りを北に向かって進んだ。
コンラート一世広場にさしかかった頃、ふと背後が騒がしいと振り返ると目前を物凄い勢いで馬が駆け抜けていった。馬上には軍服姿の士官らしき男が乗っており、馬の尻に鞭を食らわせつつ、怒鳴り声をあげて道行く人々を強引に押し退けながら広場に突っ込んでいく。
士官は広場に入ると一軒の大きな屋敷の前で馬から飛び降り、門衛と二言三言話してから屋敷の中に飛び込んでいった。
瞬く間に屋敷の前には野次馬の人だかりができて、誰も彼もが何事かと様子を伺っていた。
レオポルドとキスカもその野次馬の群れに加わった。野次馬根性というよりは情報収集の為である。今日のサーザンエンドの情勢を考えれば、この時期の早馬は何かしら大きな情勢の変化があったことを知らせるものとも考えられる。単純に先程の士官がこの屋敷の家の者で、家族の急病などで駆け付けたという可能性もあるわけだが。
レオポルドは屋敷を囲う塀に寄りかかって胡坐をかいて暇そうにしている痩せこけて年老いた乞食に歩み寄る。老人の手に銅貨を握らせながら尋ねる。
「この屋敷は誰のものなのかな」
彼らは人々の慈悲を求めて日がな決まった所に座っているもので、日によっては一日中同じ所に留まっていることもある。当然、その間、彼らはずっとその辺りを眺めているし、人々の話をずっと聞いている。つまり、その場で交わされた多くの噂話や情報を見聞きしているのだ。
老人は銅貨を大事そうに懐に仕舞い込みながらレオポルドをじろりと見上げて言った。
「旦那。余所の人じゃろ」
「よくわかったな」
「見たことがねぇ顔じゃし、レッケンバルム卿の屋敷を知らねぇなんざ、余所者としか思えねぇさ」
そう言って老人は歯の抜けた口を開けて笑った。
どうやら、この屋敷は宮廷の有力者である侍従長レッケンバルム卿のものらしい。
「あの急使はレッケンバルム卿に何の用で来たのだろうか」
今来たばかりの急使の持ってきた知らせをこの老人が知るわけはないとは思いつつもレオポルドはなんとはなしに呟いてみた。
「どういう知らせかは、ここで待ってりゃあ、いくらか見当はつくってもんさ」
「ほう。そうかね」
「そうさ。ちょいと待ってな。すぐに屋敷から使いが出るさ」
そう言って老人はにやにやと笑う。
彼の言葉を信じてレオポルドはその場に待機することにした。
すると、老人の言ったとおり、屋敷から数人の役人が出てくると何事かと質問を浴びせる野次馬の群れを怒鳴り散らし掻き分けて駆け去っていった。
「成る程。あの使いが何処に行ったか見定めればよいということか」
「なぁに、使いの連中を追いかけるこたぁないさ。まだまだ待ってりゃあいい」
老人がそう言うのでレオポルドはその場に留まり続けた。
半刻もすると多くの野次馬は何の発表も情報も聞けないのに飽きて、その場を後にしていった。それでもレオポルドとキスカは乞食の老人と一緒に屋敷の前に佇む。
行商人が売りに来たお茶を買って、キスカと老人を含めた三人で飲んでいると馬に乗った高官が部下を引き連れて、レッケンバルム卿の屋敷へやって来た。
「今のは」
「市の参事会の顧問官さ」
「そうか。レッケンバルム卿の屋敷が会議の場になっているのだな」
辺境伯不在にして辺境伯代理のロバート老の具合が思わしくないのならば、侍従長であるレッケンバルム卿が宮廷を取り仕切っているのは当然というものだろう。
また、政治や会議が有力者の家で行われることは至極当然にしてよくあることであった。
その後も続々と高官が参集してくる。兵器庫、火薬庫の管理責任者、市の治安当局者、辺境伯軍の指揮官が数人。
「あの赤髪の貴族様はジルドレッド卿さ」
老人の言葉に顔を向けると数人の貴族が騎乗で向かってくるところだった。いずれも燃えるような赤髪である。先頭を行く一人は四十代ほどでの大男で、立派な顎髭を蓄えている。他の面々は彼よりも一回り若いか、あとは息子くらいの年の若者だ。
「誰がジルドレッド卿だって」
「全員さ。あの赤髪のは皆ジルドレッド家の方々だよ」
ジルドレッド家は一族揃っての参集らしい。
確かジルドレッド卿は辺境伯軍の司令官だったはず。ジルドレッド家の誰がその司令官なのかはわからないが。
「ジルドレッド家のカール・アウグスト様は辺境伯軍の司令官で、弟のパウロス・アウグスト様は近衛歩兵連隊長。カール・アウグスト様の御子息のカール・ジギスムント様とパウロス・アウグスト様の御子息フェルディナント・パウロス様は中隊長。カール・アウグスト様のもう一人の御子息カール・ルドルフ様は連隊旗手だったはずじゃ」
「御老人。よく知っているな」
「一日中、ここに座ってりゃあ貴族様やお役人様の話が嫌でも耳に入ってくるのさ。貴族様もお役人様も人事の話が好きなもんで、もう耳にタコができちまう」
しかし、ジルドレッド家は中々面倒な名前が多い。レオポルドは覚えようとしたが厄介なので早々と諦めた。
さて、ここまで集まってきた面子を見れば今回の知らせがどういうものか。確証はなくとも推察はできる。
集まったのはいずれも辺境伯の宮廷の高官である。市参事会顧問官、市の治安当局者、兵器庫や火薬庫の管理責任者、軍高官。
「戦争か」
レオポルドの呟きに老人は黙って頷く。