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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一四章 戦争と和平
228/249

二二一

 レオポルドがラミタの坂道を上ったり下りたりした結果、ラミタに両外交使節が到着してから半月も経ってようやく全権使節の初会合が実現した。

 この会合において両全権使節は、戦争状態を終結させ、平和を樹立すべく速やかに和平条約を締結することで意見が一致し、和平条約の基本的な内容が大筋で合意された。その内容は次の通りである。

 まず、第一に皇帝はキスレーヌがカロン・フューラー・アクセンブリナの三国国王であること及びその地位が後継者に継承されることを認める。これは三国が求める「独立」という表現を避けつつ、国王という特別な地位と実態として別の勢力であることを皇帝に認めさせつつ、法的・形式的には帝国と別の国家であることを明言しないという大変あやふやな内容であり、政治的妥協の産物というものであった。

 次に三国側が両者の緩衝地帯とすべく中立化を主張していたフェリス・ラクリア両地方については、皇帝が当地における領主たちの旧来よりの特権と自治を確認するという内容で合意が図られた。即ちこの取り決めは両地方はこれまで通り皇帝を君主とする数百もの小領主たちの自治に委ねられるという現状維持を確認するものである。三国側が制限を試みた帝国軍の進駐は彼らの自由意思に依るところとなるが、独立心旺盛な彼らは皇帝の軍隊が自分たちの領地に居座ることを快く思わないだろう。

 その他、合意された項目としては、和平条約の調印後、三国連合軍は速やかにフェリス・ラクリア両地方及びリンデリウムから撤退し、それと同時または連合軍の撤退後一ヵ月以内に全ての捕虜は速やかに解放されること。双方が大使館を設置すること。戦争中に行われた諸侯、領主たちのあらゆる行為、言動その他諸々について、永久に忘却、免責、赦免されること。帝国から三国へ支払われる賠償金は五〇万レミュー以下とするが、その代わりに東部艦隊艦艇の返還は求めないことなどである。

 これらの内容を基礎として、直ちに条文の作成に取り掛かることが確認された。

 全権使節の会合の翌日から両外交使節団の実務担当者たちは顔を突き合わせ、和平条約の条文の作成に取り組み始めた。

 実務担当者の協議に参加しているネルゼリンク卿曰く、作業は概ね順調であるという。

 作業の中心となっているのは帝国側が皇帝秘書官のフェルツ卿、三国側は女王秘書官のワークノート卿であった。両人は全権使節の会合で合意された項目に付随する細かい点を話し合い、次々と具体的な条文の下書きを作成していく。

 その下書きを帝国外務顧問官のブルクレスト卿が公文書として相応しい言い回しと書体に仕上げる。卿は少し前までレオポルドの伯父ベルゲン伯の秘書官を務めていた人物で、宮廷の和平派から送り込まれた立場であるらしい。

 そういう意味ではネイガーエンド公の法務顧問官ミルスナー卿とフューラーのインフェンミルヒ外務顧問官も似たような立場らしく、帝国諸侯とレイクフューラー辺境伯といったそれぞれの主君から送り込まれたのだろう。その目的は自分たちの主君にとって都合の悪い和平条約にならないよう監視することと思われた。

 とはいえ、そのような監視役の存在は条文の作成作業に影響することはなく、冬が訪れるまでには和平条約は締結され、皆はラミタを去り、帰国の途に着くことができるだろうというのが、ネルゼリンク卿の見込みであった。

 既に和平に向けた機運は十分に醸成されており、両者の利害が強く対立する主要な問題については既に概ね解決が図られ、作業も順調となれば、和平を阻む障害は粗方取り除かれ、自分の仕事はほぼ終えたとレオポルドが感じるのも無理はないだろう。

 というわけで、彼は和平条約の条文が完成するまでの間、サーザンエンド本国や帝都、アーウェンなど各所から寄せられた報告書や手紙に目を通し、返信を書くといういつもの日常業務をこなしたり、彼自身の注文で改築された風呂に一日に三度も四度も入ったり、馬に乗って遠乗りをしたり、ラミタの教会に所蔵されている古書を読みふけったりして過ごしていた。

 それ以外に、レウォント地方で高名な画家を呼び寄せて自身を含む両外交使節団たちの集合画を描かせたりしていた。

 この条約が無事に成立すれば歴史的な出来事になることは疑いなく、その記念を残そうと考えたのである。もっとも、実際には両外交使節団が集合している場面にわざわざ画家を呼んで描かせたわけではなく、各人を個別に描かせ、それを合わせて集合画としたのであった。

 しかしながら、その画が完成し、レオポルドに引き渡されたのは三年も経ってからであったが、それは余談というものであろう。

 そうこうしているうちに半月余りが経過したが、未だ和平条約の条文を作成する作業は続いており、和平条約の調印には程遠い状況であった。

 前述の如く確かに主要な問題は解決を見たところであったのだが、その他にも様々な問題が生じたのである。

 ネルゼリンク卿からほぼ毎日寄せられる作業の進捗状況についての報告によれば、条文を作成するにあたって、最初に問題はカロン・フューラー・アクセンブリナ三国国王となるキスレーヌの称号についてであった。

 三国側が自国の君主の称号として示したのは「神の恩寵によるカロン、フューラー及びアクセンブリナ国王、諸国民及び正義と信仰の擁護者、ローズ公、ランバル公、ネッティンガム伯」というものであった。ローズ公及びランバル公、ネッティンガム伯はカロンの王族が所有する称号である。

 帝国側が問題としたのは「神の恩寵による」と「信仰の擁護者」という称号である。

 「神の恩寵による」はその地位が神より授けられた不可侵の絶対的権力であることを示し、「信仰の擁護者」は西方教会の正しき信仰を守護する者であることを示す。

 いずれもカロン島を治めてきた歴代の銀猫王国国王に付随してきた称号で、西方教会を国教とする国々の多くの君主が名乗る称号でもある。三国側はキスレーヌにもこれを継承させるつもりであった。

 しかしながら、西方教会の正しき信仰の擁護者を自負する神聖帝国としては、異教の蛮族の国であるアクセンブリナの王も兼ね、異端や異教に寛容な姿勢を見せるキスレーヌがこのような神聖な称号を名乗りことに抵抗を感じたのであろう。

 これには帝国のみならず、西方教会を代表して出席している総大司教全権使節アルス枢機卿も強い反対を表明していた。

 ちなみに、皇帝ウルスラの称号は「神の恩寵による諸国民の神聖なる皇帝に選ばれたる者、正義と信仰の守護者、アーウェンの君主、ノーマ公、エルダー公、リッターライヒ伯、アイニッツ伯」である。ノーマ公、エルダー公、リッターライヒ伯、アイニッツ伯はいずれも過去の相続や贈与等によってウルスラに継承された称号である。

 問題となったのはキスレーヌの称号だけではない。レイクフューラー辺境伯キレニア・グレーズバッハの地位についても両者の主張が対立することとなった。

 三国側は彼女をフューラー公に叙することとし、これを皇帝も認めるよう求めたのである。

 フューラー公という称号は彼女の祖父ループレヒト一世が叙され、父ループレヒト二世に継承されたものであり、フューラー戦争の結果、剥奪・抹消されたものである。

 三国側はこの称号を復活させ、戦後の論功行賞としてキレニアに与えようというのだ。キレニアにとっては父祖が名乗っていた称号を取り戻し、自らが名乗ることは、皇帝と帝国に対する雪辱の一環なのであろう。

 そういう意味合いを持つ称号であるからこそ、皇帝と帝国にとっては受け入れ難い称号と言える。帝国側からすればフューラー公という称号はかつての反乱者の名に他ならず、その称号が復活するということは、フューラー戦争において撃ち滅ぼした敵の完全な再興を名実ともに許容するようなものであり、皇帝の名誉と矜持を大いに傷付けることとなろう。

 いずれも称号という形のないものを巡る争いであるが、称号とはそれを名乗る者の地位や栄誉、権威、特権、功労、業績などを内外に示すものであり、これによって王侯は自他の立場や関係性を位置づけることとなるのだ。状況や場合によっては領土や財産、特権といったものよりも優先され得るものであり、その称号によってそれらを獲得する大義となることもあり得る極めて重大なものなのである。

 よって、キスレーヌとキレニアの称号をどう扱うかは両者ともに簡単には譲歩できない互いの名誉と矜持に関わる問題であった。

 この問題を解決するために両者は一〇日余も彼是と議論して浪費した結果、今度の和平条約において、キスレーヌの称号は「カロン、フューラー及びアクセンブリナ国王、ローズ公、ランバル公、ネッティンガム伯」と記載され、キスレーヌがレイクフューラー辺境伯キレニアをフューラー公に叙することを皇帝が認めることが取り決められた。

 これで条文作成の作業が順調に進むかと見られたが、そう上手くはいかず、またぞろ和平を阻む障壁が現れた。それはフューラー領内における聖界諸侯や教会の領土の扱いについてである。

 フューラー戦争の後、旧フューラー公の領地は皇帝直轄領とフューラー大司教領、聖シュテファン大修道院領に分割された。そのうち皇帝直轄領はウルスラの兄である先代皇帝によってレイクフューラー辺境伯に与えられたが、大司教領と大修道院領はそのまま残されていた。

 この他にもフューラー地方には十数もの教会領や修道院領があり、これらは他の諸侯や領主たちの権限が及ばない独立した領邦であった。

 言うまでもなく、これらの教会は西方教会総本山及び総大司教の強い影響下にあり、神聖帝国皇帝の主権の下にある。当然ながら今回のカロン・フューラーの独立に与するわけもない。

 その結果、これらの教会領はカロン・フューラー軍の侵攻を受け、さしたる抵抗もできないまま占領されているのが現状であった。

 西方教会はこの状況を解消し、大司教領と大修道院領、その他全ての教会及び修道院の領土を元の通りに復帰させるよう求めたのである。

 とはいえ、神聖帝国と極めて密接な関係にあり、神聖騎士団や教会軍といった独自の戦力まで保持している西方教会がフューラー国内に広大な領土を保有し続けることを三国側が許容するわけがない。

 三国側外交使節団は教会の要求を拒否し、和平協議は再び暗礁に乗り上げた。

 隣人愛を謳い、世の平穏と平和を訴えるべき教会が和平の妨げになるばかりか、よりにもよって領土や財産といった俗物に執着する様にレオポルドが心底呆れ果てたのも無理からぬことであろう。

 しかし、厄介なことに彼は教会の為に働かなければならない状況に立たされていた。

 というのも、マドラス公からフューラーにおける教会領及びその財産と特権の保持、復帰に力を貸して頂きたいとの要望が寄せられていた。

 公は一族から多くの上級聖職者を輩出している教会寄りの貴族の代表格であり、その広い人脈と教会への影響力は侮れないものがある。

 実際、その人脈と影響力を存分に駆使して、レオポルドに宮廷の内情や帝都の情勢を知らせ、今回の和平会議の開催にも少なからず貢献していると言えた。

 つまり、レオポルドとマドラス公は協調関係にあり、その信頼関係を維持する為には協力を求められた場合に様々な便宜を図る必要があるのは当然と言えよう。

 マドラス公からの要望に頭を抱えていると総大司教全権使節のアルス枢機卿から面会を求められ、レオポルドは坂を上ってラミタの教会へと向かった。

「マドラス公からも聞き及んでいるかと思われますが、私からもフューラー大司教や聖シュテファン大修道院、その他の教会や修道院の財産の保持に尽力頂けるようお願い申し上げる。これは主の御心にも叶う崇高なる働きと言えましょう」

「率直に申し上げまして、フューラーにおける全ての教会領を元の通りに戻すというのは非常に困難ではなかろうかと存じます」

 レオポルドの言葉に枢機卿は渋い顔で頷く。

「確かに困難な仕事となりましょう。しかし、神の家たる教会はフューラーの地にもあり続け、弱き子らを救い守らねばなりません。その為には相応の財産も保有せねばなりますまい」

 教会とそこで働く聖職者たちの仕事は祭儀を執り行い、聖典を読むばかりではない。信徒たちに主の教えを説き、正しき道を外さないよう教導し、困難に直面する者に手を差し伸べ、救いを求める者の手を取ることも、また彼らの崇高な使命である。教会は創始以来、君主や領主、都市や村落の共同体や市民から見捨てられ、無視され、見放された数多の貧しき人々、寡婦や孤児、様々な障害や病苦を持つ人々を救い助けてきたのである。いわば、教会は公共の福祉の重要な担い手と言えよう。

 その為には主の齎す奇跡を願うだけでは不可能であることは言うまでもなく、教会や修道院を維持運営し、助けが必要な人々に衣食を施し、寄る辺なき子を養う為には相当の財産が必要であり、教会領はその為の重要な財源なのである。

 その点についてはレオポルドにも異論はない。今日の教会の行き過ぎた教条主義、教会の意に沿わぬ者(異端や異教)への不寛容、一部の聖職者の贅沢や堕落、汚職、強欲に不信を抱いてはいるものの、主の教えや教会の役割全てが無価値で不必要なものと否定しているわけではないのだ。

「カロンやフューラーにも教会の役割について理解される方もおられるはずだが、我々に不信感を抱いている彼らが素直に受け入れるとは思えませぬ。しかし、閣下の話ならば耳を傾ける方もおられましょう」

 枢機卿の期待に応えられるかレオポルドにはあまり自信がなかった。彼が知る限りレイクフューラー辺境伯は教会の役割にあまり価値や意義を見出しているようは思えなかったのである。

「万が一にもフューラーの教会領や修道院領が不法に没収されるようなことがあれば、教会はそれ相応の対抗措置を取らねばならぬでしょう。総本山ではカロンの女王やレイクフューラー辺境伯を破門にせよという声も決して小さなものではありません」

 破門は西方教会の世界からの追放を意味し、信徒は破門された者とのあらゆる関係が禁止されることとなる。

 西方教会の守護者を自認する神聖帝国が破門者との和平など許されるはずもない。それは帝国の存在意義に関わる問題となる。

 要するにキスレーヌやキレニアの破門という事態はせっかく構築されかけてきた和平の崩壊を意味するのだ。

 レオポルドは思わず吐きそうになった溜息を飲み込み、口を開く。

「主の御心に叶うよう善処いたしたいと存じます」

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