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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一四章 戦争と和平
224/249

二一七

 アクセンブリナの独立とカロン・フューラーとの同盟は、帝国にとって全く予期せぬ凶報であった。

 皇帝や帝国貴族にとって、アクセンブリナ人は鬱蒼と茂る森の奥、深い谷の底、険しい山の麓、荒波打ち寄せる海辺などに住み着き、獣の皮で作ったみすぼらしい衣を纏い、生の肉や魚や料理とも言えぬような粗末な食物を口にし、耳障りで聞き苦しい言葉を話し、生贄として獣を八つ裂きにしたり焼いたり、夜更けに怪しげな踊りを舞ったりするような迷信に塗れた異教を妄信し、朝から大酒を飲んで酔っ払っては大声で歌うような野蛮な民であり、到底まともに付き合うことなどできない輩という認識なのである。

 故に、同じ正教徒たるフューラー人やカロン人が、そのような野蛮人どもと対等に同盟を結ぶなどということは全く理解できない事態と言えた。

 アクセンブリナ諸部族は軍勢を二手に分かち、二万の兵をラクリア地方東部へ送って、帝国軍北部軍の補給路を断ち、これを完全に孤立させた。もう一軍は三万の兵で、こちらはラクリア地方中部を南下し、帝国軍本隊へと向かう。

 ラクリア地方には帝国に臣従する諸領主が割拠しているが、それぞれの規模は小さく、また、一万ものラクリア兵が北部軍に従軍していた。

 その為、アクセンブリナ軍の侵攻に抵抗できようはずもなく、多くの領主や都市、村落は早々に抵抗を諦めて城門を開き、資金や物資を提供する代わりに攻撃や略奪を免れるという賢い選択をした。

 そもそも、ラクリア人とアクセンブリナ人は祖先を同じくする民であり、言語も宗教も慣習も近しい。ただ、帝国に臣従したか抵抗を続けているか程度の違いでしかなく、互いに親近感を抱いているのだ。アクセンブリナ軍を帝国支配からの解放者として歓迎するラクリア人も少なくなかった。

 アクセンブリナ軍の南下を察知した帝国軍本隊は数日の間、彼是と議論した後、ヴィトワ川を防衛線とする方針を放棄し、フェリス地方西部まで後退することとした。帝国軍は先の戦いにおいて甚大な損害を被り、士気も戦意も著しく低下しており、糧秣や弾薬も心許ない。

 その上、対岸に布陣するカロン・フューラー軍にはフューラー西部国境の各要塞に駐屯していた一万ものフューラー兵が合流しており、先の戦いにおける損害を差し引いても四万余の軍勢となっていた。これに三万のアクセンブリナ兵が加われば、単純な数字では帝国軍本隊を上回る兵力となる。

 帝国軍を率いる将軍たちや諸侯が、ここで一戦交えようという気持ちにはならなかったのは無理からぬことであろう。

 西への後退はヴィトワ川を挟んで睨み合うカロン・フューラー軍に露見せぬよう夜間密かに開始されたものの、アクセンブリナ軍が南下すれば帝国軍が西へ退くということを事前に予測していたキスレーヌは直ちにヴィトワ川を越え、追撃するよう命じる。

 帝国軍が後退を始めて間もなく、フェリス人たちは勝手に軍を離れ、それぞれの故郷や家に帰ってしまい、帝国軍は現地の道案内役も失い、ただひたすら西へ西へとひた走り、遂にはフェリス地方も捨てて、更に西へと敗走を続けた。

 その途上、負傷者や疲労者、脱走兵など多くの落伍者が生じ、フェリス地方西部国境を越えた帝国軍の兵力は四万程に減じていた。

 フェリス地方の諸領主は北隣のラクリア人と同じく抵抗せずに降伏する道を選び、カロン・フューラー軍は易々とフェリス地方を制することができた。

 この頃には、孤立していた帝国軍北部軍は全滅より降伏する道を選び、司令官のクリストフ侯を筆頭に全ての将兵がフューラー軍の捕虜となった。

 これにより、二手に分かれていたアクセンブリナ軍はラクリア地方中部で合流し、全軍が西へと進軍する。

 ラクリア・フェリス両地方をほぼ完全に支配下に置いたカロン・フューラー・アクセンブリナの三国連合軍は休息と補給の後、更に西へと進軍する様子を見せた。

 ラクリア・フェリス地方の西はリンデリウムと呼ばれる地域で、この地域までが東部辺境と云われ、西隣ネイガーエンド地方以西が帝国本土とされている。

 つまり、リンデリウムは帝国にとって本土を守る最後の砦なのだ。この地域を突破されれば、帝国は本土への侵攻を許すこととなる。

 戦意の低い帝国諸侯もさすがにこれ以上の侵攻を許して自領が戦場となることは避けたいようで、リンデリウム東部国境の諸都市及び諸城砦に兵を配置して強固な防衛線を構築した。ここで粘り強く抗戦し、皇帝の新たな軍勢を待とうというのだ。リンデリウムには所領を有する帝国諸侯や貴族も多く、多くの住民は正教徒で、糧秣などの物資の補給も比較的容易であった。

 また、帝国政府は皇帝直属軍のうち帝都や西部国境に配置されていた軍の一部や数年前に反乱を起こした都市エレスサンクロスに駐屯していた兵などをかき集めてどうにか組織した二万の援軍をリンデリウムに向かわせた。


 夏も盛りに入った頃、カロン・フューラー軍四万は南東方向から、アクセンブリナ軍五万は北東方向から、ほぼ同時にリンデリウムへと侵攻した。

 しかし、カロン・フューラー軍の進撃はリンデリウム南東部国境の城塞都市ブグラードに阻まれた。五〇〇〇の兵が籠城するブグラードは頑強に抵抗し、一月経ってもその固い城門を開くことはなかった。

 一方のアクセンブリナ軍は兵の数こそ多いものの、その実態は諸部族から参集された寄せ集めでしかなく、装備も戦術も古く、統率や規律、訓練も行き届いているとはとても言い難く、特に攻城戦には全く不慣れであった。

 この為、アクセンブリナ軍の進軍は遅々として進まず、国境地帯の砦の攻略に手間取っているところをネイガーエンド公率いる三万の帝国軍に奇襲されて敗れ、リンデリウムから追い出されてしまう。

 カロン・フューラー軍はブグラードに進路を阻まれた上、西側の帝国軍主力と北側のネイガーエンド公軍に挟撃される危険性が生じ、難しい状況に置かれることとなった。

 慎重なレコンキニス公やゲーテン元帥はリンデリウムからの一時撤退を主張し、ベルロー伯やロッソ将軍はブグラードに総攻撃を仕掛けて一気に城を落とすべしと主張するなど、カロン・フューラー軍の軍議は大いに紛糾した。

 帝国の側でもここでカロン・フューラー軍を挟撃し、一挙に劣勢を挽回すべしという意見と、追い払ったとはいえ、未だ健在なアクセンブリナ軍を警戒する意見が対立した。

 カロン・フューラー軍は帝国の出方を警戒してブグラードへの攻撃を控え、帝国軍は三国連合軍の次の手を警戒して動きを止め、リンデリウム東部国境での戦況は一時停滞する様子を見せ始める。


 リンデリウム東部での戦火が燃え広がり始めた頃、レオポルドはフューラー・レウォント国境に築かれた軍陣を離れ、レウォント北部の海岸にあるラミタという町を訪れていた。

 ラミタは美しい入り江を持つ小さな港町で、東側の海と西側の小高い山に挟まれており、家々は山肌に張り付くように連なり、山頂には町を見守るように古い教会が建っている。山頂からの見晴らしは大変素晴らしく、特に夜明けの美しさはまるで名画かの如き景色であった。そこから少し下った所にはラミタを含む近隣一帯を治める領主パンタル家の別宅やラミタの有力者たちの屋敷が建ち並ぶ。

 彼をこの地に案内したのは侍従武官として帯同しているフェルディナント・ネルゼリンク卿であった。

 元々レウォント方伯に仕えていた卿は、風光明媚で落ち着いた地はないかというレオポルドの問いにラミタの名を挙げ、速やかに領主のパンタル家と交渉して、別宅やその他いくつかの建物を借り受ける話をまとめてきたのだ。

「思っていた以上に良い所だ。海辺から山までの坂道は些か苦だが、それを差し引いてもこの眺めは素晴らしい」

「ご満足頂けたようで何よりです」

 山頂からラミタの街並みと海を一望しながら言ったレオポルドにネルゼリンク卿は恭しく頭を下げる。

「ここはレウォントでは有名なのか」

「いえ、それほど名が知れているわけではありません。もう少し南に、レウォント貴族が好んで別荘を建てている地域がありますが、そちらは些か落ち着きに欠けるかと思いましたので」

 卿の返答にレオポルドは満足げに頷く。

「確かに落ち着きのある場所の方が都合が宜しい。ラミタは理想的と言っても良い」

 しかし、不満がないわけではない。

「ただ、この別宅はいかんな。特に風呂場は最悪最低だ」

 借りることができたパンタル家の屋敷は老朽化していて長く改修されておらず、特にレオポルドは風呂場に強い不満を抱いていた。母屋と渡り廊下で繋がった離れにある風呂場は狭苦しく、換気用の小さな窓しかないので薄暗く、息が詰まるような場所であった。その上、併設されている便所の臭いが入り込み易いようで、常に酷い悪臭が入り込むような有様である。

「既にパンタル家からはこの屋敷を好きなように改築してよいとの了解を得ております。近隣の大工や職人にも声掛けしておりますので、宜しければ数日以内には改築工事に取り掛かれます」

 どうやらネルゼリンク卿はレオポルドが不満に思うことを予想していたらしい。素晴らしい手回しの良さと言えよう。

「それはありがたい。すぐに取り掛かってくれ。工兵も動員して一月以内には完成させたいところだな」

 レオポルドはそう呟いてから傍らに立つ卿に視線を向ける。

「しかし、よくすぐに話をまとめられたな。パンタル家とは知己があったのか」

「まぁ、浅からぬ縁がございまして」

 卿は一瞬苦い表情を浮かべた後、言葉を続けた。

「パンタル家は私の妻だった女の実家でして」

 だったと言うからには、既に妻ではないということに他ならず、そもそも、卿はサーザンエンドの宮廷に移るにあたって家族などを連れてきていない。となれば、妻はもういないということなのだろう。

 レオポルドが何と返答すべきか迷っている間に、ふっきれたような様子で卿が口を開く。

「妻とはもう五年程前に離縁いたしましてな。まぁ、その理由というのが、お恥ずかしいのですが、妻の不義でございまして」

「あぁ、うん、なるほど、それは、災難だったな……」

「その相手がプルクレストなのです。あの男は昔から女癖が悪く、何人もの他人の妻を手籠めにするような輩でして。名声と外見に騙される婦女が少なくないのです」

 溜まっていた鬱憤を晴らすようにネルゼリンク卿は苦々し気に愚痴めいたことを言い連ね、レオポルドはどういう反応をすべきか悩みながら大人しく話を聞いていた。

 そういえば、ネルゼリンク卿とプルクレスト将軍の間には浅からぬ因縁があると聞いていたような気がする。

「妻の不義が露見した後、プルクレストに決闘を挑んだのですが、まぁ、剣豪と云われるのは伊達ではなかったようで、全く歯が立たず、妻を寝取られた挙句、決闘にも敗れた負け犬としてレウォント宮廷には居場所がなくなりましてな。それを不憫に思われたのかリーゼロッテ様から輿入れに同行するよう言い渡され、閣下にお仕えすることになったわけです」

「そうか……」

 レオポルドは渋い顔で相槌を打つ。

「しかし、そのような経緯があったのに、よくパンタル家と話ができたな」

 普通ならば離縁した元妻の実家とは二度と関わりたいなどとは思わないだろう。

「まぁ、それなりに時間が経っておりますからなぁ」

 ネルゼリンク卿はどこか遠い目をして口髭を撫でつけながら呟く。

「あちらも要望を快く受け入れてくれましたし」

 不義を犯して離縁されたとなれば、一族の大きな恥というのが王侯貴族の社会での価値観であり、場合によっては相手方から婚資の返還などを含む賠償を求められることも少なくない。

 パンタル家としてはネルゼリンク卿には大きな負い目があり、なおかつサーザンエンド辺境伯の配下としてやって来たのだから、無下にするわけにもいかず、その要求に応えざるを得なかったのだろう。

 しかし、決して愉快ではないはずの過去を利用できる卿は中々にしたたかな人物のようだ。

「まぁ、そんなことはさておき、会議の開催はいつ頃になるのでしょうか。状況次第では工事を急がせねば間に合わない可能性もありますからな」

「既にマドラス公とベルゲン伯には手紙を書き送っている。ご両人ならば上手く事を進めてくれるだろう。レイクフューラー辺境伯にも話をせねばならんが、まぁ、あの方ならば、こちらの意図はそれほど言わずとも理解なさるだろう」

 ネルゼリンク卿の問いにレオポルドは楽観的な見通しを口にする。

「遅くとも夏が終わる頃には、ここに帝国とカロン・フューラーの外交使節が顔を揃えているだろう」

 彼はこの戦争の当事者である双方の外交使節をラミタに招いて和平会議を催し、戦争を終わらせようというのだ。

 戦争は膠着状態に陥りつつあり、双方ともに国力や兵力、財政、諸侯の不服従といった不安要素を抱えており、戦争が長期に及ぶことを望んでいる者はいないだろう。特に帝国諸侯は一日も早く戦争を終わらせたいはずであり、和平の機運が高まれば皇帝に対する和平への圧力も強まっていくことは想像に難くない。

 となれば、双方が和平のテーブルに着くことは十分にあり得るとレオポルドは考えており、自らの主導によってそれを実現しようとお得意の手紙作戦を始めているのだった。

 手紙の送り先であるマドラス公とベルゲン伯は両人とも帝国宮廷中枢に長く身を置いていて広い人脈と大きな影響力を有しており、レオポルドとは頻繁に連絡を取り合う関係である。早くも届いている返信では和平には前向きな反応を見せていた。

 和平会議が実現し、仲裁者であるレオポルドが議論を主導し、上手く和平条約を成立させることができれば、彼の発言力と影響力は飛躍的に向上するであろう。

 その為には、まず、何よりも先に会議を催す環境整備が必要である。

 外交使節の全権代表ともなれば、かなりの地位の人間が任じられるはずであり、その随員も数十人規模となろう。当然それなりの規模と質の会場が求められ、彼らが宿泊する宿所も同等のものを用意する必要があろう。食料や水など生活物資の供給、警備などの準備もしなければならない。

 レオポルドはパンタル家の別宅は会議の会場として想定しており、その為に改築を行おうとしているのだ。停滞しきった南部戦線が退屈なので遊楽に居心地の良い別荘を作って寛ごうというわけでは決してないのだ。

「ところで、風呂場なんだが、広さを倍にして、天井を高くするように。便所との間の仕切りをきちんと作り直すべきだな。あぁ、それと、海を臨む側に大きな窓をしつらえてくれ。工事を行う前には必ず設計図を見せてくれ」

 風呂場については彼の趣味が大いに反映されるのは間違いないであろう。

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