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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一四章 戦争と和平
223/249

二一六

 ヴィトワ川の戦いにおける帝国軍大敗の知らせがレオポルドの許に届いたのは五日後であった。

 第一報を寄越したのはカロン・フューラー軍に帯同させていたハルトマン少佐で、その二日後には帝国軍のブレーリンゲン伯からも同様の知らせがあった。

 レオポルドはこの知らせをサーザンエンド本国及び軍陣を同じくしているアーウェン軍のライカーネン将軍とレウォント方伯軍のプルクレスト将軍に転送する。一日も早い攻撃開始を訴えて煩いプルクレスト将軍もこれで静かになるだろう。

 ブレーリンゲン伯の手紙によれば、すっかり弱気になってしまった総司令官のルシタニア公と総司令官代理のクロジア辺境伯は敗北の責任を取って辞任する意向を示しているという。結果を鑑みれば、両人の更迭は免れ得まい。

 責任という意味では戦意に乏しく戦場に出なかった諸侯の方こそ強く責められるべきであろう。諸侯と領主の兵は帝国軍の半分以上を占めていたが、戦場へ出たのは二万しかなく、その働きも十分と言えるものではなかった。

 諸侯の兵があと二万或いは一万でも戦場に出ていれば、戦いの結果は大きく変わったに違いない。

 しかしながら、皇帝直属軍が壊滅した今、彼らの責任を追及し、罰を与えることは不可能というものであろう。諸侯が皇帝に反感を抱いて兵を引き上げてしまえば、帝国東部国境はほとんど無防備に晒され、敵の西進を阻むものは何もない状況に陥ってしまう。

 よって、女帝ウルスラは何としても諸侯をその場に留めることに努めねばならず、彼らを責め、罰することなどできないのだ。

 ただ、諸侯が皇帝の意に背いて兵を引き上げない限り、ヴィトワ川西岸には未だ六万に及ぶ帝国軍が存在し続けることとなり、カロン・フューラー軍は容易に西へと進軍することはできまい。

 その間に帝国が新たな軍勢を組織し、増援を送り込めば、帝国が戦争に勝利することは十分に可能であろう。

 もっとも、慢性的な財政難に喘ぎ、協力的ではない帝国議会や諸侯を説得して、資金を調達し、数万規模の軍勢を組織することは容易いことではない。新たな軍勢が送り込まれるが年内になるか来年になるか数年後になるかは見通せないところである。

 一方、勝利を収めたカロン・フューラーとしても圧倒的に不利であった戦況を覆したとはいえ、損害軽微とは言い難く、東北南を包囲されている状況に大きな変化はない。帝国が新たな軍勢を送り込んできた時に再び同じような勝利を収められるかは甚だ不明と言わざるを得まい。

 ヴィトワ川の戦いはカロン・フューラーの命運を大きく左右した決戦であったことは間違いないが、この結果をもって戦争全体の帰趨が決せられたとは言えず、戦争はまだ暫く少なくとも一年以上或いは数年かそれ以上続き、この戦いの影響は限定的であるとレオポルドは考えていた。

 とりあえず、彼は彼方此方へ戦いの結果を知らせる手紙を書いた後、帝国軍総司令官のルシタニア公とその代理であるクロジア辺境伯、ブレーリンゲン伯、ノイエンベルク将軍といった帝国軍の高官たちに、予期せぬ敗北を知り、驚くと共に慙愧に堪えず、奮闘した将兵への敬意と戦死者への哀悼の意を表する旨を記し、今後の方針について問い合わせる手紙を送った。


 しかし、レオポルドの予想は裏切られることとなった。

 ヴィトワ川の戦いから一〇日経って届いたハルトマン少佐からの新たな手紙によってレイクフューラー辺境伯の壮大な謀略が明らかとなったのである。

 彼女はレオポルドの性格と立場を理解した上で、適度の情報を与えて戦況を様子見させて南部戦線を停滞させただけでなく、北部の戦線にもその長い手を伸ばしていた。その謀略の矛先はアクセンブリナであった。

 大陸北西部の大森林地帯であるアクセンブリナは異教の蛮族が跋扈する地である。

 神聖帝国は百年以上前から異教徒を征服すべく北伐を行い、アクセンブリナの諸部族は同盟を組み、大森林地帯を天然の防壁として、これに抗い続けてきた。

 幾度かの北伐では神聖帝国がアクセンブリナ全土を征服したこともあったが、その際には決まって有力者や異教指導者の虐殺、強制的な改宗、苛烈な支配と過酷な徴税が行われ、帝国軍本隊が去ると間もなくアクセンブリナの民は反乱を起こし、残されていた駐在軍を打ち破って、数年もしないうちに再び独立を取り戻してしまうということが繰り返されてきた。

 そういうわけで、長年に渡って帝国とアクセンブリナは敵対関係にあったわけだが、南隣に位置するフューラーの商人はアクセンブリナ諸部族と頻繁に交易を行っていた。彼らは帝国本土の人々よりも信仰心に薄く、異教徒との交易に励むことにさしたる違和感も罪悪感も抱かず、それを咎めるような諸侯や領主はフューラーの地には全く存在しなかったのである。

 フューラー人が東方大陸やカロン島と交易する際に用いる船舶を建造する為にはアクセンブリナで産する良質の木材が欠かせず、この木材交易の為、アクセンブリナは浅からぬ付き合いのあるフューラー商人は少なくなかった。

 レイクフューラー辺境伯はそれらの商人を通じてアクセンブリナの有力者と接触し、親交を結び、その結果、ある密約を結んだらしい。

 密約の主な内容は以下の通り。アクセンブリナはキスレーヌを国王に頂く王国として独立し、カロン、フューラーと同君連合を組む。アクセンブリナ諸部族の有力者は貴族として遇され、カロン・フューラー貴族と同等の特権を得る。彼らは新たに組織されるアクセンブリナ王国の政府と議会の構成員となる。

 異教と異端討伐を国是と掲げる神聖帝国の侵攻と圧制に苦しめられてきたアクセンブリナの諸部族にとって、カロン・フューラーとの同盟は神聖帝国に対抗し得るまたとない好機と言えよう。

 しかし、彼らは冷静であった。帝国人同士の争いに巻き込まれることに消極的でもあったし、そもそも、カロン・フューラー軍が帝国軍に敗北しては元も子もない。

 そこで、彼らは来たる決戦に勝利することをキスレーヌとキレニアに味方する条件とした。帝国軍が一時的にでも大幅に戦力を低下させた段階で、兵を出せば自らの損害は少なくて済むという打算も含まれているのだろう。

 ヴィトワ川の戦いにおけるキスレーヌの大勝はその条件を満たしたことを意味し、アクセンブリナ諸部族はキスレーヌとキレニアに味方することを決したという。

 間もなくアクセンブリナは軍を二手に分かち、一軍はフューラー北部を攻撃する帝国の北部軍の背後を脅かし、もう一軍はフューラーの内陸北西、アクセンブリナの南西に位置するラクリア地方に攻め入り、帝国軍主力に北から圧力をかける計画である。

 というのが、ハルトマン少佐の報告であった。

 カロン・フューラー軍に帯同している少佐との間の連絡は全てレイクフューラー辺境伯に読まれていることは当然のことであるから、この知らせは辺境伯がレオポルドに知らせようとしたと考えるべきであろう。

 この情報を流すことによってレオポルドはより不戦の傾向を強め、日和見なレウォント方伯もそれに足並みを揃え、南部戦線が固定化されることは間違いないのだから。

 アクセンブリナの戦力が如何程のものかは分からないが、少なくとも北部軍は補給路を断たれ、敵地に孤立する状況になる為、壊滅しかねない状況にある。

 同時に帝国軍本隊も東のカロン・フューラー軍主力、北からのアクセンブリナ軍に挟撃されかねない位置にあり、何らかの対策を迫られるだろう。

 その知らせを見るやいなやレオポルドはペンを取り、とりあえず、帝国軍首脳や帝都に居て親交のあるマドラス公や縁戚のベルゲン伯らにアクセンブリナがカロン・フューラーに味方する噂があると通報することにした。

 彼らの方がアクセンブリナに近い為、既に知っている可能性が高いものの、皇帝と帝国に忠誠を誓っていると見せる点数稼ぎくらいにはなるかもしれない。

 レイクフューラー辺境伯としても、わざわざ知らせてきたということは、公になっても構わないと考えているに違いなく、帝国に通報されても何らの痛痒を感じないだろう。

 次いで帝国への手紙を書いたそのペン先も乾かないうちに、レイクフューラー辺境伯に宛てる手紙を書き始める。戦勝を祝うと共に、これまでに辺境伯から頂いた多大な支援を自分は忘れておらず感謝していること。今後も密に連絡を取り合いたいことを記し、カロン・フューラー軍の今後の方針について問い合わせる。

 万が一、この手紙が帝国に渡っても、味方のふりをしてカロン・フューラー軍の動向を調べ、帝国に通報するつもりだったと強弁すれば致命的な事態にはなるまい。

 その後、彼はサーザンエンド本国やレウォント方伯、プルクレスト将軍、アーウェンの有力諸侯ヴィエルスカ侯、ライカーネン将軍らにもアクセンブリナの動向に関して知らせる手紙を書き送った。

 この日、書いた手紙の枚数は十数枚にも及んだが、大変な手紙魔で毎日のように手紙を書いている彼にとっては何ら苦ではなく、それらの仕事の手紙を書き終えた後、リーゼロッテやキスカ、アイラに宛てた私用の手紙まで書く余裕があった。

 山となった手紙の束をそれぞれの宛先に送るよう書記に指示してから、彼は日課であり趣味である入浴をすることとした。

 病的な入浴好きである彼はサーザンエンド軍の陣地に風呂を作り、いつでも入浴ができるようにしているのだ。

 兵卒用の風呂が幾棟も建設され、全ての兵卒が三日に一回は入浴ができるように整備されている。

 士官用の風呂も用意されていたが、君主にして総指揮官であるレオポルドには専用の風呂が設けられ、毎日入浴ができるよう朝から日暮れまで常に湯を沸かせていた。

 もっとも、レオポルド専用の風呂は壁の天井近くに換気と採光用の小さな窓がある以外は剥き出しの丸太の壁に囲まれた狭く薄暗い風呂場で、浴場の内装やそこから見える外の景色にも拘りたいレオポルドとしては大いに不満のある風呂であった。一応戦場であるということを考えれば贅沢な不満ではあるが。

 浴槽に身体を沈め、些か温い湯に浸かるとレオポルドは不機嫌そうに鼻を鳴らして、扉の向こうに立つ兵に温度を上げるよう指示を飛ばす。

 外で兵たちが慌ただしく薪を運んだり、それを火に投じたりする物音に耳を傾けていると湯の温度が上がり、心地よく感じられ、機嫌はすっかり良くなる。

 ぼんやりと天井を見上げながらレオポルドはにんまりと微笑んで呟く。

「それにしても、思っていた以上に面白い情勢になってきたな」

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