二一四
教会騎士団とは西方教会総大司教に仕え、主の教えと信仰、教会と善良なる信徒を守り、異教徒や異端を討伐することを目的として創立された組織で、神聖帝国のみならず大陸各地に大小合わせて一〇〇程の騎士団が存在する。
最初の騎士団が創立された経緯ははっきりとはしないが、大陸西部で組織化された西方教会が東部への本格的な布教に乗り出した頃に東部へ赴く宣教師や修道士の団体が自らを守る為に武装化したことにより成立したとか或いは大陸東部の大部分が東方大陸からの異教徒の帝国に侵略された頃に正教徒の国土を取り戻すべく組織されたなどと云われており、少なくとも数百年の歴史を持つことは確かであり、創立より五〇〇年や六〇〇年などと謳う騎士団も少なくない。
教会騎士団の騎士団員はいずれも貴族や上級市民の子弟で、日頃より主の教えを学び、主への祈りを欠かさず信仰を強く持つだけでなく、主の敵と戦う時に備えて剣術や馬術などの修練を重ねている。
古より異教徒や蛮族、異端との戦いでは幾度も戦場に出て、主の御旗を掲げ、全身に甲冑を纏い、長剣や槍、斧などを装備する重装騎兵として獅子奮迅の働きを見せる精鋭とされてきた。
神聖帝国はその起源を教会騎士団の一つである聖十字騎士団に遡ることができる。
大陸東部の異教徒や異端の諸国や蛮族と戦い、これを破り、服従させ、その支配地を大きく拡大させたことにより、その功績を認められた当時の騎士団総長にしてルシタニア公であったゲオルグ・オーエンフォレン・ルシタニアが総大司教によって皇帝位を与えられ、世俗化したものが今日の神聖帝国なのである。
故に神聖帝国と西方教会、またその他の教会騎士団とは密接な関りがあり、神聖帝国は西方教会を国教と定め、正しき教えと主の御家である教会の守護、主の敵である異教徒と異端の討伐を国是としてきた。
また、教会騎士団は神聖皇帝の為に従軍することがあった。もっとも、それは皇帝の利権の為に戦うというわけではなく、異教徒や異端と討伐といった宗教的大義がなければならない。
此度の戦争において、女帝ウルスラはカロン女王キスレーヌとレイクフューラー辺境伯キレニアを異端にして魔女として糾弾し、両名とそれに味方する者どもの破門と教会騎士団の支援を求め、教会は騎士団の従軍は主の御心に適うものとして認めたのである。
カロン及びフューラー地方などの大陸東部辺境は以前より異教や異端に寛容な地域であり、教会の警句にも従わず異教や異民族とも商売や取引など止めず、帝国本土や他の大陸諸地域で宗教的に迫害され、逃れてきた人々を受け入れる土地でもあった。
特にレイクフューラー辺境伯やその父祖のフューラー公らは不信心な輩で、教会に告発された背信者や異端を匿うのみならず、異民族や異教徒とも平然と付き合い、教会の非難に耳も貸さないことで名高く、教会騎士団はいつでもその非難の急先鋒であった。
しかしながら、狡猾なフューラー公らは堕落した高位聖職者に賄賂を握らせて結託し、巧妙に破門から逃れ、幾多の告発や非難を無視し、揉み消し、有耶無耶にしてきた。
つまり、主の正しき教えを守るべく戦う教会騎士団にとってレイクフューラー辺境伯と同輩は討伐すべき憎き敵とも言うべき存在なのである。
異教や異端と結ぶ不信心者や幾度もの煮え湯を飲まされてきた仇敵を討つ絶好の機会に教会騎士団は喜び勇んで馳せ参じ、その士気は極めて高い。
そして、今、遂に彼らが出撃する時が来たのである。
帝国軍中央前衛の歩兵は北側面からのフューラー騎兵の襲撃と正面からのカロン胸甲騎兵の突撃によって窮地に陥り、戦列は崩れ、潰走しつつある。
総司令官代理クロジア辺境伯は教会騎士団に中央歩兵を救援するよう要請し、騎士団は直ちに高々と軍旗を掲げ、馬腹を蹴り、主に仇なす輩を討つべく前進を始めた。
高い士気と練度を誇る教会騎士団の重装騎兵を前にしたキスレーヌは騎兵同士の正面衝突となれば損害が大きいと見て、自軍の騎兵を後退させることとした。
代わって教会騎士団の突撃を迎え撃つのは第四及び第五カロン歩兵連隊と交代して中央前衛に立った第一及び第二高地歩兵連隊である。
高地兵連隊はカロン島内陸部の高地地方で徴募された兵で構成され、優れた体格と勇猛果敢な気質で知られた精鋭部隊と名高い。
胸甲騎兵及びベルロー伯率いるフューラー騎兵が東方向へ後退し、代わって前へ出た第一高地歩兵連隊は素早く戦列を組み、迫り来る重装騎兵に一斉射撃を食らわせた。
教会騎士団の騎士たちが身に纏う甲冑は近接戦では敵の刃を阻む有効な防備であるが、銃撃の前では無力同然である。銃弾や容易く金属を貫き、その下の皮膚を破り、肉を切り裂き、骨を砕く。
また、騎乗している馬が銃弾によって倒れてしまえば為す術もない。
高地歩兵による一斉射撃は数度繰り返され、その度に教会騎士団には銃弾の雨が浴びせられ、幾人もの騎士が殉教者となったが、それでも彼らは怯む素振りすら見せず前進を止めることはなく、先頭に翻る騎士団旗と甲高く吹き鳴らされる行軍喇叭に導かれ、主の敵へと向かって突き進む。
やがて、十分な距離まで前進した教会騎士団は突撃を敢行した。
「主の望むままにっ」
騎士団は一斉に喚声を上げ、銃剣を着けたマスケット銃がずらりと並ぶ高地兵連隊の戦列を前にしても臆すことなく猛然と突っ込んでいく。
迎撃する高地歩兵連隊も精鋭の名に恥じることなく一歩たりとも退くことなく、教会騎士団の突撃を受け止めたものの、勢いは騎士団の方が強く、戦列に乗り入れた騎士たちは長大な剣を振り回して、次々と高地歩兵を血祭に挙げながら戦列中央を突き破る。
騎士団の先鋒はそのまま突進を続け、第二陣を形成していた第二高地歩兵連隊にも突撃し、その戦列をも貫き、更に東へと突進する。
二個高地歩兵連隊の後ろでは長時間の戦闘によって多大な損害を被り、疲弊した第四及び第五カロン歩兵連隊が後退及び再編中で、予期せぬ教会騎士団の突撃を受けた二個歩兵連隊は大混乱に陥る。連隊長以下士官たちは馬を駆けさせてどうにか兵卒をまとめようと試みるも連隊のど真ん中を教会騎士団が突進している最中ではどうしようもない。
間もなく、その混乱は更にその後方を後退中の騎兵諸連隊にも伝播した。
教会騎士団の先鋒がすぐ背後まで迫っていると知ったフューラー騎兵は長時間に及ぶ戦闘と行軍によって疲弊し切っていたこともあって俄かに恐慌状態に陥り、後方への敗走を始め、負けじと反撃しようと馬首を返すカロン胸甲騎兵と入り乱れ、カロン・フューラー軍中央は瞬く間に混乱のほとんど全部隊が混乱状態に陥った。
キスレーヌとその幕僚らは周囲を近衛胸甲騎兵連隊に守られ、どうにか混乱に巻き込まれずにいたが、彼女の許には次々と伝令が駆け込んできて悲鳴のような声を上げた。
「陛下っ。諸隊は混乱しておりますっ」
「教会騎士団の先鋒が間近まで迫っておりますっ」
「前衛の高地歩兵連隊とは連絡が取れませんっ」
しかし、キスレーヌは狼狽えた様子も不安を感じる様子もなく泰然として、報告に耳を傾けていたが、やおら馬の背に立ち、教会騎士団が迫り来る方向に望遠鏡を向けた。
「陛下っ。危のうございますっ」
「急ぎ後方へ下がるべきですっ」
何人かの副官が声を上げたが、キスレーヌは耳を傾けることもなく、覗き込んでいた望遠鏡を下ろす。
「敵勢は少ないですし、増援もないので、大したことはないでしょう」
教会騎士団は総勢二〇〇〇騎程であり、カロン・フューラー軍中央にある六個歩兵連隊と二個胸甲騎兵連隊、後退してきた三個フューラー騎兵連隊と比すれば大した兵力ではない。
その上、帝国軍中央前衛の歩兵は未だ壊滅的打撃から立ち直っておらず、教会騎士団を支援できる状況になく、残る歩兵は遥か後方にあって未だ移動の途上であった。
この他、総司令官代理のクロジア辺境伯の手許には三〇〇〇騎の近衛騎兵が残されていたものの、この部隊が投入されることはなかった。帝国軍に残された最後の予備戦力である近衛騎兵を手放すことに辺境伯は躊躇いを感じたのである。
その躊躇が騎士たちの運命を決めた。
戦場の西端から数マイルもの長距離を強行軍し、突撃を敢行した後、高地歩兵連隊と激しく戦った騎士団は酷く疲弊していた。突撃の勢いは失われ、馬の脚は止まり、口から泡を吹いて倒れる馬も少なくない。
カロン胸甲騎兵は果敢に応戦して騎士たちと互角に刃を交え、教会騎士団の数が少なく、増援がないと知った高地歩兵やカロン歩兵も戦意を回復し、士官たちは早々と兵卒の混乱を収拾させることに成功した。
高地歩兵連隊による数度の一斉射撃によって既に甚大な被害を受けていた教会騎士団は激しい白兵戦の中で隊伍は崩れ、疲れ切った多くの騎士たちは散り散りになって孤立し、周囲を敵兵に取り囲まれ、四方八方から突き出される銃剣に貫かれ、馬上から引きずり下ろされて袋叩きにされた。
「教会の犬どもを無闇に殺すなっ。出来る限り捕えよっ。帝国と教会から身代金を取ることができるぞっ。身代金は捕虜とした中隊で山分けだっ」
伝令がそう叫びながら戦場を駆け、カロン歩兵たちを喜ばせた。楽観的な呼びかけは自軍の勝利を兵卒に確信させた。
教会騎士団がカロン歩兵に取り囲まれ全滅を待つばかりとなった頃、混乱から回復した二個高地歩兵連隊は戦列を組み直し、帝国軍中央に向き直った。
また、キスレーヌは最後の手持ちであった第一近衛歩兵連隊と近衛高地歩兵連隊を前進させ、高地歩兵連隊にも前進を命じた。
高地歩兵及び近衛歩兵の四個歩兵連隊は戦場を西へと進み、帝国軍中央歩兵とぶつかり合い、激しい銃撃戦を交えた。
帝国軍中央の歩兵は元々は一万五〇〇〇という大軍勢であったが、緒戦における左翼の崩壊によって五〇〇〇の兵を左翼へと送り、次いで中央前衛の五〇〇〇がフューラー騎兵とカロン胸甲騎兵の突撃によって粉砕され、当初の半数以下の兵力にまで減じていた。
兵力としてはカロン軍の四個歩兵連隊を上回っていたものの、緒戦の劣勢や精強で名高い教会騎士団の壊滅を目にした兵たちの士気は危うい程に落ち込んでいた。
一方、緒戦より優勢であったカロン・フューラー軍右翼の先鋒である第四及び第五フューラー外人歩兵連隊及び第二陣のチェスター連隊、コンコル連隊は帝国軍左翼に迫りつつあった。
帝国軍左翼は帝国本土中部の諸侯らの寄せ集めの軍勢であったが、そのうちの半数近くが壊滅した結果、戦意を失い、戦場の北西の端に縮こまっている有様であった。
止むを得ずクロジア辺境伯は中央の歩兵五〇〇〇余で左翼を支えようと試み、どうにかカロン・フューラー軍右翼が帝国軍中央の側面に展開することを阻んでいた。
唯一、帝国軍が優勢なのは戦場の南で、帝国軍右翼は五〇〇〇の歩兵を南にも展開させて、ゲーテン元帥率いるフューラー軍に西と南の二方向から圧力をかけていた。
フューラー軍はカロン騎兵や砲兵の支援も得て、頑強に抵抗していたものの、損害は大きく、じわじわと押されつつあった。
堪らず元帥は援軍を求める伝令を送ったが、総司令官キスレーヌの返答はにべもないものであった。
「無理ですね」
副官らによる注意に耳も貸さず相変わらず馬の背に立った彼女は無表情で言い放つ。
「このままではフューラー軍は、左翼は壊滅してしまいますっ」
伝令の悲鳴のような訴えに彼女はちらりと視線を向けて答える。
「何としても左翼は持ち堪えて頂かなければ困ります。状況を維持するように」
「しかしっ」
「しかしも何もねえんだよ。もう兵の余裕なんてどこにもないことくらい理解しろよ」
なおも言い募る伝令をマシュリー・ピガートが阻み、苛立たし気に言い放つ。
「そもそも、うちの大将やあたしらがこんな不利な戦場に突っ立ってんのは、あんたらフューラー人の復讐の為だろうが。それを弁えて物言ってんのか」
マシュリーの三白眼に睨みつけられ、二の句が継げない伝令にキスレーヌが声をかける。
「まぁ、そういうことで」
結局、フューラー軍は自軍の倍以上もの帝国軍左翼の強烈な圧力に晒され続け、正午までには三割近い兵力を失った。