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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第二章 南都ハヴィナ
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二一

 レオポルドが聖マルコ教会で情報収集を終え、宿に戻ると宿の主人から声を掛けられた。

「来客がありましたよ」

 その言葉にレオポルドは顔を顰めた。彼に会いに来るような知人などハヴィナどころか、サーザンエンド、南部にすらいないはずだ。唯一、レオポルドを知る者といえば教会関係者だが、今しがた教会から帰ってきたばかりなのだ。

 では、一体、誰が何の用でレオポルドを尋ねたというのか。

「不在だと言ったら帰っていきましたよ。同行者の方がいることは話したのですが、本人に用があるとのことでしたので。この手紙を置いてね」

 レオポルドは差し出しされた手紙を受け取り、礼を述べてから客人の風体を尋ねた。

 主人の話によれば背の高い若い帝国人で、見たことのない顔だが余所者ではない雰囲気で、立ち居振る舞いや口調からして役人のように見えたという。

 この辺りの街区はテイバリ人が多く居住する地域であり、宿の主人はテイバリ人だ。帝国人とは生活圏が違い、同じ街に住んでいても顔を合わせることは稀なのである。

 それ故、同じ街の住人であったとしても見知らぬ顔であったも不自然ではない。

「成る程」

 レオポルドは重ねて礼を言ってから手紙を上着の内ポケットに突っ込み、階段を上って自分たちが借りている部屋に向かった。

 部屋に戻ったところ、キスカは不在だったがフィオリアとソフィーネは、外が快晴にも関わらず部屋の中に閉じ籠っていた。

「こんな良い天気なのに部屋の中に籠っているなんて不健康だな」

 レオポルドが呟くと、床に寝転がって本を読んでいたフィオリアが不機嫌そうな顔を上げた。

「こんなに暑苦しいのに外なんか出ていられないわ」

 サーザンエンドの日差しは強く、暑さは極めて厳しい。冷涼な気候の帝都で育ったフィオリアには耐え難いのだろう。

 部屋の隅に座っているソフィーネはレオポルドに一瞬視線を向けただけで、何も言わず読みかけていた本に視線を戻す。

「その本はどうしたんだ」

「貸本屋で借りてきたの。あんまり外を出歩きたくないし、暇だからね」

 レオポルドの問いにフィオリアが答える。

 東方から伝わった紙と印刷技術の発展により、数百年前よりは随分と安価になり、流通するようになった本ではあるが未だもって非常に高価であることに変わりはない。

 また、図書館などという高等な施設は文化的に先進した都市にしかなく、しかも、大概の場合、持ち出しは厳しく制限されていた。

 しかし、文字を読むことができる人々の本を求める需要は高いものがある。そこで本を有料で貸し出す貸本屋という商売が成立するわけだ。

「あんまり品揃えはよくなかったわ。これは『良き主婦の為の家庭の料理と薬』って本。ソフィーが読んでるのは何だっけ。聖人の話だっけ」

「違います。騎士物語です」

「あぁ、そう」

 そうして、二人は再び読書に戻る。品揃えに文句を言っていた割に借りてきた本は面白いようだ。

「ところで、キスカはどうしたんだ」

「ちょっと出るってさ。ついでにお昼も買ってきてって言ったんだけど」

 フィオリアは本から目を離さずに答える。

 レオポルドは頷きつつ女性陣の関係性について考える。彼女たちは互いに干渉しないようにしているのか。その割には互いに遠慮がないような。仲が良いのか悪いのか。彼にはイマイチよく分からなかった。

 レオポルドが帽子と上着を脱ぎ、シャツのボタンを緩めて比較的楽な恰好になった頃に、キスカは戻ってきた。律儀に昼飯を買ってきている。固パンを切って、羊の焼肉と羊乳のチーズを挟んだ軽食と山羊乳とお茶を混ぜた飲み物を入れたポットを持ってきた。軽食の方は無難に美味しかったが、山羊乳のミルクティーとも言うべき飲み物は帝国人貴族の舌と鼻に受け入れ難く、クロス家の姉弟は丁重に遠慮した。

「しかし、南部に入ってから肉ばかり食べている気がするわ」

 確かにコレステルケで川魚のフライを食べた以外はパンと肉ばかり食べている。たまに南部で広く栽培されるナツメヤシの乾燥させたものを食べたりもしたが、野菜も果実もほとんど摂れていない。

「土地柄、あまり野菜や果実が食べられないのだろう」

 出回っているのは乾燥させたものが多く、時期によっては新鮮な生の野菜・果実は貴重にして高価なのである。キスカ曰くにはもう少し季節が過ぎれば手に入り易い価格になるそうだ。

 部屋の中で軽い昼食を終えた後、レオポルドは上着の内ポケットに入れっ放しにしていた自身の不在中に届けられた手紙の存在を思い出す。

「何それ。誰からの手紙なの」

 取り出された手紙を見てフィオリアが尋ねる。

「俺の予想では宮廷の誰かからだろう」

「宮廷の誰かさんから、どうしてレオに手紙が来るのさ。ていうか、レオがこの宿にいるってことを知っているの」

「それくらい把握しているだろう。してない方がおかしい」

 サーザンエンド辺境伯の宮廷がフェルゲンハイム家の血統を受け継ぐ有力な継承候補の居場所すら把握していないとは考え難い。

 レオポルドはハヴィナに辿り着くまでの間、各地で教会の有力者などと会談を設けており、ハヴィナに入るに当たっては城門で役人とも言葉を交わしている。

 その上、先程、聖マルコ教会の主任司祭と顔を合わせてきたばかりだ。

 サーザンエンド辺境伯の廷臣たちとて教会と全く繋がりがないわけではあるまいし、城門の役人から報告を受けているはずなのである。

 これでレオポルドの居場所が分からないとなれば余程の怠慢か無能としか思えないというものだが、手紙が来たところを見るに廷臣たちはそれほど怠惰でも能無しでもないらしい。

 封を開けて手紙を読む。内容は非常に簡潔。たった一行である。

「当地は非常に危険。直ちに此の地より離れ、御身の安全を確保すべき」

「何それ」

 レオポルドが読み上げ、ついでに差出人の名前はないと付け足すとフィオリアが剣呑な顔で呟く。

「それって忠告なのか注意なのか脅迫なのか、よく分からないわね」

 ここは危険だから何処かへ行けと理由も説明もなく一方的に告げられるのは気分の良いものではない。それが差出人不明の手紙であれば尚更である。

 この手紙から分かることは宮廷の中にレオポルドをハヴィナから遠ざけたいと思っている人物がいるということだろう。それがどういった理由かはこの手紙だけでは推し測ることもできない。

「それで、どうするつもりなんです」

 ソフィーネが素っ気なくあまり興味なさそうな様子で尋ねた。レオポルドと共に行動している彼女としても、これからの方針にはいくらかの関心があるのだろう。

「誰だか分からん人から出てけと言われて、はい、そうですかと、その通りにするわけにはいかんだろう」

 とはいえ、当初の予定どおりにもいくまい。本来は正々堂々と正面切って宮廷に乗り込み、ロバート老ら宮廷の支持を取り付けて、辺境伯になる基盤を固めるつもりだった。

 しかし、教会で聞いた話によれば、宮廷にはウォーゼンフィールド男爵を辺境伯に推す勢力があるようだし、このようにハヴィナからレオポルドを遠ざけようとする意図を持った者もいるようである。そんな中に飛び込んでいくのは飛んで火に入ることにはなるまいかとレオポルドは危惧していた。

「しかし、この手紙の主も今すぐ俺の命をどうこうするつもりはないらしいな」

「殺すつもりなら、ご丁寧に手紙なんて送りませんからね」

 ソフィーネの言葉にレオポルドは頷く。

 ハヴィナを出るつもりはない。

 とはいえ、宮廷に乗り込むのは短慮というものだ。そういうわけで、レオポルドが選択したのは、とりあえず、この宿に留まって様子を見るという日和見的な方策だった。

 その選択にフィオリアとソフィーネだけでなく、キスカもどことなく呆れ顔でレオポルドを見つめた。

「いや、確かに優柔不断な判断に思えるかもしれん。しかし、今は情報が少なすぎるからな。下手に動いて余計なことになっても困る。第一、どう動けば最適か適当もわからんのだから、動かないより他に策はないだろ」

 レオポルドの弁解を三人の女性陣は黙って聞き流し、キスカは再び外に出かけ、フィオリアとソフィーネは読書に戻った。レオポルドは釈然としない顔で、キスカの後に付いて外へ出た。とりあえず、やることもないので散歩でもすることにした。

「何処に行くんだ」

 先に宿を出て、フードを深く被ったキスカになんとはなしに声をかける。

 キスカはレオポルドを見つめて、なんとも言い難そうに口を微かに開けたり閉めたりした後、顔を伏せた。

「言いたくないなら、いいんだが」

 レオポルドは彼女の妙な様子を訝しがりながら言った。

 考えてみれば、キスカはレオポルドに従ってはいるが、それは自身の部族の為の行動に過ぎず、彼への忠誠心は本来は部族への忠誠心である。故に部族の方針が変化し、彼らにとってレオポルドの存在価値がなくなれば自然とキスカは離れていくだろう。

 旅の間は故郷の部族と連絡を取ることができず、彼女は当初の方針どおりに動くしかなかったわけだが、サーザンエンドに入った今はそうではないはずだ。その気になれば数日の間に手紙のやりとりをすることができる。

 レオポルドはそのことを理解し、彼女が頻繁に外出しているのは連絡の為ではないかと考えた。

 もし、部族の方針が変わったとき、彼女はどう行動するのだろうか。黙って自分の元から離れていくのか。或いは寝首をかかれるかもしれない。そこまで考えてレオポルドは少し憂鬱になった。

「あの、レオポルド様」

 レオポルドの表情が渋いものになるのを見て、キスカが恐る恐る声をかけてきた。

「いや、なんでもない。余計なことを聞いたな。まるで嫉妬深い恋人のようだ」

 彼が発言には特に深い意味はなかった。

 かつて帝都で見た有名な歌劇に、嫉妬心から恋人の浮気を心配して、相手の行動に過剰に干渉し、相手を雁字搦めに縛りつけようとする男が主人公の物語があり、このことが頭の片隅にあって、そういう言い回しになったのかもしれない。

「こ、恋人……」

 レオポルドの思惑とは裏腹にキスカはその言葉を聞いた途端、顔を朱に染めて、目に見えて狼狽える。

「レ、レオポルド様、御冗談でも、そのようなことを言われると、その、困ります」

「あ、いや、別に、深い意味があって言ったわけではないのだ」

 キスカに過剰に反応されて、レオポルドも顔を赤くして弁解する。

 暫く二人しておろおろした後、キスカは俯いて黙り込んでしまう。

 レオポルドはこの何とも言えない雰囲気をどうしたものかと困惑するばかりであった。

「街を……」

 ふとキスカが口を開き、囁くような声で言った。

「ハヴィナの街の道を覚えようと思ったのです。この間は道案内ができず、レオポルド様にご迷惑をおかけしましたから……」

 どうやら彼女はハヴィナに到着した初日に道案内ができず、一行を迷子にさせてしまったことを未だに申し訳なく思っているらしい。

 その為、今後は同じようなことにならないように時間が空けば街を散策して道を覚えるよう努めているというのだ。

 レオポルドは彼女の行動に大変感心する。それと同時に先程まで彼女の裏切りを考えていたことが、とても恥ずかしく申し訳ないと思われた。

「そういうことか。確かに道が分かる奴がいると助かるな」

 彼の言葉にキスカは無言で頷き、フードをより深く被り直す。

「それでは行ってきます。夕食の時間までに戻ります」

 そう言って歩き出したキスカにレオポルドは声をかけて引き留める。

「キスカ。俺も街の中を見て回りたいのだが、あー、一緒に行ってもいいかな」

 彼の問いに彼女は一瞬の沈黙の後、無言のまま微かに首肯して応えた。フードの奥に隠れてその表情は窺えない。

 そうして、二人は連れ立ってハヴィナの街を散策に向かうのだった。

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