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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一四章 戦争と和平
215/249

二〇八

 帝国南部には春が訪れようとしていた。

 グレハンダム山脈の白い頂は日に日にその白い割合が減じていき、柔らかい日差しは暖かく、吹き付ける風の冷たさも和らぎ、野には白や黄色の小さな花が咲き始めている。

 日増しに濃くなる春の気配を感じながら、サーザンエンド軍の将兵は連日に渡って陣地を増強する工事に励んでいた。

 これまでの行軍では天幕を張り、木柵を巡らせる程度の簡易な野営地を構築して休息を取っていたが、長期の滞陣には適していないことは言うまでもない。より居住性、衛生環境を考慮した陣地が必要であろう。

 そこで、レウォント方伯の許可を得て、近隣の山から木材を切り出して組み立て、いくつかの施設を建設していった。

 木の少ないサーザンエンド、ムールド出身の兵たちは伐採や木造建築に不慣れであった為、地元の木こりや大工を呼び寄せて指導を仰ぎながら作業に当たった。

 一〇〇人の兵が眠ることができる兵舎を五〇棟、三〇棟の倉庫、狭いながらも個室を備えた士官用宿舎五棟、野戦病院、指揮所と食堂を備えた高官用宿舎、レオポルドの専用宿舎、兵士用と士官用の共同浴場と便所などが建てられた。

 また、近くの川から水路を引いてため池を掘り、ろ過した水を飲用と調理、入浴に用い、使用後の水は便所の下を通り、排せつ物を流すような構造になっている。その排水はそのまま海に垂れ流す。

 長きに渡ったラジア攻略戦の戦陣において酷い疫病に見舞われた経験のあるレオポルドは長期の滞陣では将兵の居住、衛生を十分に考慮した陣地が必要であると痛感しており、帝都滞在中に野戦陣地の設営について学び、研究していたのである。

 アーウェン軍陣地も同様の改修が施され、レウォント方伯軍も同じように陣地の改修を進めていた。

 これらの工事には半月以上の日数を要し、その間はアーウェン槍騎兵にオスピナー要塞を遠巻きに偵察させる以外、攻城に向けた準備はほとんど行われなかった。

 プルクレスト将軍は何度か攻城準備に取り掛かるよう進言してきたものの、レオポルドは全く聞く耳を持たなかった。

 その為、将軍は主君であるレウォント方伯とも何かしら連絡を取り合っているようであったが、今のところ、方伯がレオポルドに何かを言ってくる気配はない。

 妹であるリーゼロッテに優柔不断で決断力皆無と評される方伯は意味のある行動などしまいとレオポルドは考えていたが、実際その通りのようであった。


 陣地の工事が一段落した後、レオポルドは宿舎に籠って書類仕事に勤しんでいた。彼の元にはハヴィナや帝都からほぼ毎日のように報告書や手紙、決裁文書、指示や意見を求める書類が舞い込み、それらに目を通し、返事を書いたり、署名したり、備忘録に記録しておいたりといった仕事を片付ける必要があるのだ。

 ある程度仕事が片付くと、たまに片付かなくても仕事を放り投げて、趣味である入浴を楽しんだり、海辺まで遠乗りに出掛けたり、持参した本を読んだりして過ごす。

 陣地工事の後、たまに行われる訓練と警備任務の時以外は大した仕事がなくなった兵士たちは退屈した様子であったものの、アーウェン人やレウォント方伯軍の将兵、近隣の住民と話したり、物を売り買いしたり、士官の許可を得て近くの村や海辺まで散歩したりして暇を潰していた。

 レオポルドとその実質的な指揮下にある南部軍が動きを見せない中、フューラー軍もオスピナー要塞から出てくる気配はなく、一発の砲弾も撃たずに沈黙を守っている。彼らは圧倒的に少数であり、無闇に手を出して消耗する必要はなく、二万の南部軍を釘付けにして国境を越えさせなければ十分にその役割を果たしているのだ。

 フューラー南部の戦線が動きを止めて間もなく、帝国軍本隊が帝都を発ったという知らせが届いた。

 皇帝直属軍四個軍団を中心とする五万の軍勢は帝都からおよそ一月をかけて東へと進み、その途上でアーヌプリン公、ネイガーエンド公といった帝国中部の諸侯、更にフューラー地方の西隣に位置するフェリス地方の諸領主の兵と合流して一〇万以上の大軍となり、フューラーの西の国境に至る。

 その知らせから暫くして、帝国軍北部軍二万もクリストフ地方の首都アポクリスを出発したという。東隣のアクセンブリナ地方の南の縁に沿って進み、ラクリア地方の兵一万と合流してからフューラー地方北西部に侵入し、北部国境のマッター要塞を攻略する。

 更に数日して、フューラー地方に駐在しているハルトマン少佐からもカロン・フューラー軍の動向を知らせる手紙が届いた。

 レイクフューラー辺境伯は自軍の半数を各国境に分散させて守りを固め、残りはカロン軍と共に内陸中西部の都市エレスエーに駐屯し、西部国境防衛線を支援する構えだという。

 西部国境の要塞線に張り付く守備兵は合わせて一万以上。カロン・フューラー軍本隊は、二〇個歩兵連隊と九個騎兵連隊、大砲一二〇門、その他工兵、輜重兵を合わせて三万五〇〇〇程度。

 西部の戦線における帝国軍はカロン・フューラー軍の倍以上の兵力を有し、主力の野戦軍だけを比すれば、その差は三倍近い。

 レオポルドはハルトマン少佐に返事を書き、可能な限り西部国境近くへ、最低でもエレスエーに赴き、両軍の動きと戦況を逐一詳細に報告するよう指示した。


 南部国境の膠着状態が一月も続き、南部軍陣地の周辺には俄か仕立ての商店や酒場などが建ち並び、行商人や旅芸人、売春婦などが盛んに出入りするようになり、まるで新しい街ができたかのような様相を呈し始めた頃、帝国軍総司令官からの命令書が届いた。

 命令書は一通のみで、宛名はサーザンエンド辺境伯レオポルドとなっている。帝国政府及び帝国軍総司令部では、唯一の帝国諸侯であるレオポルドを南部軍の指揮官と見做しているのだろう。

 帝国の公文書には付き物である仰々しい装飾とまどろっこしい言い回しに彩られた命令書の概要は次の通り。

 帝国軍及び北部軍はフューラー国境に迫りつつあり、間もなくフューラー領内への侵攻を開始する予定である。南部軍においても時機を逸さず速やに攻勢に出るべし。

 レオポルドは命令書をプルクレスト将軍に見せず、南部軍は他の帝国軍各軍と連携して攻勢に出る予定という返事を書いて送った。

 もっとも、この返事が総司令官に届くのは何日も先であり、その頃には帝国軍本隊は本格的な攻勢を開始しているかもしれない。

 数日後、エレスエーに移ったというハルトマン少佐から、帝国軍が西部国境のやや南寄りに位置するフェルケン要塞への攻撃を開始し、カロン・フューラー軍本隊はこれを支援すべくエレスエーを発ったという報告が入った。

 それから間もなく帝国軍総司令官から再度の命令書が届き、帝国軍本隊はフューラー領に侵攻し、要塞攻撃を開始したので、南部軍においても本隊の攻勢と連携し、速やかに攻勢を開始すべしとのことであった。

 レオポルドは命令書を数日放置した後、南部軍はオスピナー要塞攻略に向けて準備に取り掛かっている。準備が整い次第、攻略に係る行動を開始する予定という旨の返事を書いて送った後、更に数日して漸くアーウェン軍の前面に砲兵陣地を構築する工事に着手した。

 主力同士の決着が分かるまで、要塞攻略の開始を一日でも遅くしようという姑息な時間稼ぎであることは言うまでもない。

 とはいえ、時間稼ぎがあまりに露骨過ぎるのも宜しくない。帝国軍がカロン・フューラー軍を破って帝国が戦争に勝利した場合、戦後に戦意が低かったとして責任を追及されては厄介である。

 時間稼ぎをするにしても、長距離の遠征で将兵を休息させなければならなかったこととか帝国軍本隊と連携を図るためとか陣地の構築などに時間を要したとか、多少苦しかったとてもどうにか言い訳できる程度でなければならない。

 砲兵陣地が完成してもレオポルドはすぐには砲撃を開始せず、オスピナー要塞に降伏を勧告する使者を送ることにした。

 使者に選ばれたネルゼリンク卿は単騎でオスピナー要塞に向かい、半日程して帰ってきた。要塞側は城内で検討するので数日時間を頂戴したいとのことであった。

「時間稼ぎに決まっているっ。直ちに攻撃を開始すべきだっ」

 ネルゼリンク卿が持ち帰ってきた要塞側の回答を聞いたプルクレスト将軍は怒鳴るように叫んだ。

 レオポルドの時間稼ぎにほとんど強制的に付き合わされて国境に布陣してから二月近くも無為に浪費している為、焦れに焦れているのだろう。

「まぁまぁ、降伏するとなると軍人としては重大な決断であるからして時間をかけて考えたいというのは無理からぬことでしょう。多少待ってやる温情を示すのは騎士道と言えませんかな」

 ラ・コーヌ准将が宥めるように言い、レオポルドも同意するように頷く。

「敵であろうとも情けをかけ、敗者の降伏を受け入れるのは騎士の務めであろう。降伏を拒み、無用な流血を招くのは蛮族の所業に他なるまい」

 剣豪として名高きプルクレスト将軍は自らを騎士の鑑と任じている気があるらしく、騎士としての名誉や矜持を重んじる人物だという。

 元同僚であるネルゼリンク卿からその人となりを聞いたレオポルドは将軍を言い包めるためにそれを利用していた。

 思惑通り騎士道を持ち出され、プルクレスト将軍は躊躇した様子を見せる。

「確かにその通りではありますが。しかし、これは敵の策謀ではございませんか」

「そうかもしれないが、我が軍は大勢にして精強であるからして、幾日か時間稼ぎをされたとて要塞の攻略にはさほどの影響はあるまい。我が軍がその気になれば城は数日で落とせよう。そうではないかね」

 レオポルドが楽観的な見通しを語るとサーザンエンド・アーウェン軍の諸将は一様に頷く。

「あのような小城如き、ご命令あらば、我が軍だけでも一日で落として見せましょうぞ」

 アーウェン軍の指揮官ライカーネン卿が大言を放つと同輩の士族たちが口々に同意する。

 そこまで言われて、それでも拙速な攻撃を主張するとなれば、騎士道を蔑ろにし、要塞を短期に攻め落とす自信がない人物と見做されかねない。

「これが小賢しい時間稼ぎだとしても、大勢に影響など与えまい。我々は泰然として敵の答えを待ち、降伏を拒否するなれば軽く踏みつぶしてやればよい」

 レオポルドが平然と言い放つとプルクレスト将軍は渋々といった様子で頷き、南部軍は更に数日を無為に過ごすこととなる。

 案の定、オスピナー要塞の回答は降伏拒否であった。


 春もすっかり色濃くなり、野に色とりどりの花々が咲き乱れ、蝶や鳥が舞い踊る中、うららかな日差しに温められた砲身は鈍く光っている。

 合わせて二〇の大砲が並ぶ陣地で砲兵たちは忙しなく働いていた。

「装填っ」

 砲兵隊長の号令で、砲口に火薬袋と共に砲弾が詰め込まれ、火門から錐で火薬袋に穴が空けられる。続いて火門には点火薬が入れられた。

「発射準備っ」

 そう叫んで砲兵隊長はサーベルを掲げ、砲兵たちは固唾を飲んで、次の命令を待ち受ける。

「撃てっ」

 その号令で導火棹によって点火された。

 直後、立て続けに二〇門の大砲が火を噴く。春の野に轟音が響き渡る。

 音よりも速く空気を切り裂いて飛び抜けた二〇の砲弾はオスピナー要塞が築かれた山の麓辺りに着弾し、盛大に土埃を巻き上げた。

「やはり、遠過ぎるか」

 望遠鏡を覗き込んで砲弾の行く先を見守っていたレオポルドが呟く。

「そうでしょうな」

 隣に立って同じように望遠鏡を目に当てたラ・コーヌ准将が言った。

 サーザンエンド軍の砲兵陣地は要塞の砲弾が届かないぎりぎりの場所に構築されている。それはこちらの撃った砲弾も要塞に届かないことも意味する。

「まぁ、いい。そのまま適度に撃て」

 望遠鏡を下ろしたレオポルドはそう言ってから溜息を吐く。

「火薬が勿体無いな……」

 暫くして要塞からも砲声が聞こえ、砲煙が見えた。その一瞬の後、砲兵陣地のだいぶ手前の野原が抉り返され、草花と土塊が高く舞い上がった。

 やはり、要塞の大砲の射程もこちらまでは届かないらしい。

 その日は日が暮れるまで両軍は無為な大砲の撃ち合いを繰り返した。


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