二〇六
サーザンエンド軍の将兵は三日三晩に渡ってアーウェン士族たちに歓待された。
大量の料理や酒はヴィエルスカ侯が供出し、大の男が三人同時に叩くほど巨大な大太鼓や変わった形の喇叭や鉦といった伝統楽器を用いた楽隊による演奏とアーウェン風の唄や踊りの他、馬上で逆立ちしたり飛び跳ねたりするような曲芸が披露されたり、アーウェン士族とムールド人軽騎兵から選抜された者たちによる競馬などが行われ、両軍の将兵を大いに楽しませた。
その後、両軍は三日間に渡って行軍や整列などの訓練を行い、一日の休養日を挟んでからコルドノを発ち、東へと行軍して間もなくアーウェンとレウォントの国境を越える。
国境のレウォント側には方伯軍の士官が出迎え兼案内役として待機しており、その道案内で両軍はレウォント領内を更に東へと進み、レウォント内陸部の都市ブラストラバ郊外でレウォント方伯軍と合流した。
方伯軍は六個歩兵連隊及び二個騎兵連隊、それに砲兵や工兵、輜重などで合計一万程度であった。これにより南部軍の兵力は合わせて二万を超える。
案内役の士官曰く、レウォント方伯は体調を崩している為、自身の出陣は見合わせ、代わりの者に軍勢を指揮させるという。
方伯軍の指揮官はアルベルト・プルクレスト将軍で、かつて皇帝主催の剣術大会で優勝したことがある剣豪として名が知られ、レオポルドも名前くらいは聞いたことがあった。
「お会いできて光栄です。閣下。道中お疲れではございませんか」
「気遣い感謝する。剣豪と名高き将軍と戦陣を共にすることができ、頼もしく思う」
プルクレスト将軍は長身のレオポルドよりもさらに頭半分ほど背が高く、がっしりとした広い肩幅に太い手足の偉丈夫だった。既に中年ではあるが、若い頃は相当にご婦人方から人気があっただろうと察せられた。
レオポルドらサーザンエンド・アーウェン軍の高官たちは方伯軍の大天幕に案内され、今後の方針を話し合う軍議が執り行われた。
「今後の行軍については、今日と明日は将兵の休養に当て、明後日の朝にはここを発ち、来月初旬には国境線に布陣いたしたい。行軍については地理に明るい我が軍が先導いたしたいのですが、宜しいでしょうか」
プルクレスト将軍の発言に方伯軍の指揮官たちは同意し、サーザンエンド・アーウェン軍の指揮官たちも異議を唱えることはなく、その後も主に将軍の主導によって軍議は進められていく。
形式としては南部軍の総司令官という立場にあるレオポルドも黙って成り行きを見守っていた。
「我々はレウォント・フューラーの国境に通じていないのですが、その辺りの地理について教えて頂けますか」
ラ・コーヌ准将の質問にプルクレスト将軍が答える。
「帝国本土と南部の間はグレハンダム山脈によって隔たれているのはご存知の通りですが、山脈は海岸線近くにまで迫っており、大軍が通過できるような平地は東西五マイルにも満たない幅しかありません」
方伯軍の士官がテーブル上に地図を広げる。
将軍が説明した通り、峻嶮なグレハンダム山脈は海岸間近まで迫っており、大軍が移動できるような平野部はかなり狭まっている。
山脈の東の突端部には要塞を示す絵が描きこまれていた。
「フューラー軍のオスピナー要塞は山肌に張り付くように構築されており、要塞に備えられた大砲は海岸線までを射程内に収めており、この要塞を攻略しなければフューラー領内に進攻することは不可能でしょう。要塞の守備兵は三〇〇〇程度とのこと」
将軍が言った通り、要塞の攻略は不可欠であろう。一方的な砲火に晒されたまま狭い地域を通り抜けるとなれば多大な損害を被ることは間違いなく、その後の補給線や退路の維持などを考えれば要塞を放置して進むことは不可能である。
「オスピナー要塞は断崖絶壁の上に築かれた難攻不落の城ですが、二万の軍勢をもってすれば攻め落とすことは不可能ではないでしょう」
プルクレスト将軍の強気な発言を聞き流しながら、レオポルドは渋い表情を浮かべていた。
確かに二万の軍勢で強攻すれば要塞を陥落させることは可能かもしれないが、敵の抵抗によっては多大な損害を余儀なくされるだろう。
あまり戦争をする気がないレオポルドとしては損害は限りなく少なくしたいところで、言うまでもなく強引な攻城戦などという局面は何としても避けたい事態であった。
「此度の戦では本土の帝国軍本隊と連携することが肝要である。我々だけが突出してフューラー領に攻め入るのは問題になりかねん。まずは総司令官であるルシタニア公にご指示を賜る方が賢明であろう」
レオポルドの尤もらしい発言にプルクレスト将軍は困惑した表情を浮かべる。
南部軍と帝国軍本隊の間にはかなりの間隔がある為、連絡には相当な時間を要し、総司令官に指示を賜るというのは非現実的であり、時間と手間の浪費でしかない不合理な行動と言わざるを得まい。
「しかしですな……」
「我々の独断専行によって帝国軍全体の戦略に乱れが生じることは何としても避けねばなるまい。そうではないかね」
「仰る通りではございますが……」
「方伯としても同様のお考えであろう。まずは国境線に布陣し、敵情を具に把握した上で、総司令官に報告し、ご指示を賜るべきである。異議はあるか」
「異議ありません」
レオポルドの発言にアーウェン軍を率いるライカーネン将軍がぶっきらぼうに同意し、ラ・コーヌ准将、ルゲイラ兵站総監らサーザンエンド軍の指揮官たちもそれに続く。
帝国諸侯の一員であるサーザンエンド辺境伯レオポルドは、この場では最も高い身分の人間で、家格としては騎士階級に過ぎない他の指揮官たちとはかなりの身分差がある。その発言がいくら不合理で理不尽なものであっても否定することは無礼で身分を弁えない言動と捉えられかねない。
また、南部軍の半分を占めるサーザンエンド・アーウェン軍の指揮権はレオポルドが握っており、いくらプルクレスト将軍が要塞攻略を命令したところで、レオポルドが首を縦に振らない限り両軍は一兵たりとも動かないだろう。
プルクレスト将軍が渋々といった様子で同意を示すと、レオポルドはこれで話は終わりだといった様子で席を立ち、サーザンエンド・アーウェン軍の指揮官たちも後に続いた。
「些か露骨だったかな」
サーザンエンド軍の野営地に設けられた指揮所用天幕の中でレオポルドが呟く。
戦争全体の帰趨が定かではないうちは、積極的な戦闘を避け、自軍の損失を最小限に止めるというのが本心ではあるものの、それが皇帝や帝国に見抜かれてしまうと忠誠を疑われ、立場を失いかねない。
その為、言動には細心の注意を払う必要がある。
「違和感は抱かれたかもしれませんが、まぁ、大丈夫でしょう。戦争の全体方針に忠実な行動を取るならば、帝国軍本隊と足並みを揃えるべきという主張は妥当かと」
ラ・コーヌ准将は楽観的な意見を述べ、ルゲイラ兵站総監も頷く。サライ中佐は少し不安そうな表情を浮かべてはいたが、口には出さなかった。
「プルクレストの性格からして、それほど深くは考えないでしょうから、御懸念には及ばないかと」
ネルゼリンク卿は不機嫌そうな顔でそう言った。数年前までレウォント方伯の宮廷に仕えていた彼はプルクレスト将軍とは同僚であった間柄であり、その人柄や経歴をよく知っているのだが、少なからぬ遺恨があるらしい。
「方伯や他の重臣に報告するようなこともないでしょう。自尊心が高く、同輩の意見を求めたり、受け入れたりするような男ではありませんからな」
「それは卿の経験によるところか」
「さようです」
「なるほど」
レオポルドは納得したように頷くと脱いだ上着を従卒に渡してから椅子に腰かけ、高官たちにも椅子を勧めた。
高官たちはネルゼリンク卿とプルクレスト将軍の関係について聞きたそうな様子ではあったものの、本人が話したがらないを無理に聞き出すような無粋は控え、黙って席に着いた。
「しかし、プルクレスト将軍が我々の同意を得ぬまま攻城を始めたりすると厄介ですな」
「まさしく、それが問題だ」
ラ・コーヌ准将の言葉にレオポルドが頷く。
レウォント方伯軍が勝手に城攻めを始めてしまった場合、味方であるレオポルドたちはそれを支援せず傍観を続けることはできない。それはあからさまな不戦行為であり、戦意なき行動と皇帝や帝国政府に評価されてしまうだろう。
一度、戦端が開かれてしまったならば、それに続かざるを得まい。
「どうにかして、戦場の主導権を我々が握りたいところだが、レウォント方伯軍が先を行くとなると、戦端を開かせぬよう阻むことは困難であろう」
最前線にレウォント方伯軍が布陣されると、レオポルドとしては自らの指揮権を主張して、戦端を開かせないようにするしかなく、心許ないこと極まりない。
もしも、サーザンエンド軍が前面に布陣することができれば、方伯軍の進軍を物理的に阻むことができよう。
「先陣を譲るよう主張いたしますか」
「いや、戦場に近き軍が先陣を務めるのは古よりの慣習であるからな。尤もな理由がなければ先陣を譲らせるのは難しかろう」
高官たちが彼是と議論する中、ネルゼリンク卿が口を開く。
「アーウェン軍に協力を求め、上手く取り計らえるかと思われます」
卿の献策にレオポルドは満足し、彼に任せることとした。
「さて、上手く戦場の主導権を握ることができたならば、その後は暫く様子見だな。かの黒髪姫が自軍の倍する軍勢を相手に何ができるか見てみようではないか」
黒髪姫とはカロン島の女王キスレーヌのあだ名で、西方大陸では極めて珍しくも不吉とされる漆黒の髪であった為、その名で呼ばれている。
帝国の同盟国である銀猫王国から人質として差し出され、長く帝都郊外に住んでいたのだが、その存在が注目されたのは六年程前に帝都近郊で発生した反乱事件である。
北伐に従軍していた皇帝や帝国軍主力が不在の隙を突き、帝国軍の一部や農民が反乱を起こしたこの騒動で、彼女は即席の反乱鎮圧軍の指揮を執って、見事に反乱軍を打ち破り、多くの貴族や帝都市民から称賛を得た。
当時、帝都に住んでいたレオポルドも事件に遭遇していたが、それよりも半月程前に父が倒れて危篤に陥っていた為、屋敷から離れることができず、事の推移や黒髪姫の活躍は耳にしていただけであった。
その為、彼女の人柄や能力については風聞でしか知らず、まずはお手並み拝見と洒落こむつもりなのだ。
黒髪姫の活躍次第によっては、レオポルドの立ち位置も変える必要があろう。