二〇
レオポルドが足を運んだのは例によって例の如くハヴィナの教会であった。
ハヴィナにおいてレオポルドが頼ることのできる場所は教会をおいて他には何もなかったのである。
西方教会は帝国どころか大陸全土に情報ネットワークを持つ非常に強力な情報力を持つ組織だ。情報を得たければ教会を通じれば大概の情報は手に入ろう。
また、上位の聖職者は宮廷の一員として頻繁に出入りしているだろうから内情にも深く通じているに違いない。
レオポルドが情報の入手先として選んだのは全く妥当なことであった。
しかしながら、レオポルドの同行者たちはいずれも教会に対してあまり良い印象を抱いていない面子ばかりだった。
フィオリアは教会がクロス家を破産させたと見做していたし、異教徒のキスカは教会に弾圧される側だ。ソフィーネに至っては教会が言う悪魔の色である黒い髪のせいで、魔女扱いされかねない立場にある。
そういうわけで、今回もレオポルドは一人で教会に乗り込んでいく。
これから辺境伯になろうというのに供回りの一人もいないのは全く心許無い。と思いつつも、今周りにいる連中を一人二人同行させたところで意味がないので仕方がない。と、レオポルドは諦めの境地で嘆息する。
ハヴィナで最も大きな教会である聖マルコ教会はハヴィナの中心部にあるコンラート一世広場に面している。大理石造りの大きな建物で、鋭い尖塔は天を突き刺し、ドーム状の屋根を有する純白の聖堂。聖人や天使の立派な像がいくつも設けられ、門は数人の大人が一斉に出入りができるほど高く広い。
内装も壮麗で祭壇は金銀で飾られ、ステンドグラスは七色に輝き、聖職者たちは純白の絹の聖服を身に纏っている。
「大変立派な教会ですね」
応対に出た主任司祭にレオポルドは少々皮肉じみた賛辞を述べた。
サーザンエンド辺境伯が金銭的に困窮しているのは有名な話である。サーザンエンドは産業に乏しく、土地は痩せていて、税収が非常に少ない。そのくせ、水路を整備しなければ農地は干上がるし、道路は整備しなければ人や物の往来は途切れるし、反抗的な異民族は抑えねばならないしで、必要な出費は山とある。辺境伯の金庫が空っぽであろうことは想像に難くない。
対して聖マルコ教会は外見からは金に困っている様子に見えない。それどころか、懐事情にはだいぶ余裕がありそうに見受けられる。
レオポルドはその辺りを皮肉に込めて言ったのだった。
「いえいえ、帝都の大聖堂や教会に比べれば、小さくみすぼらしい教会でしょうとも。いやいや、お恥ずかしい」
聖マルコ教会のでっぷりと肥満した初老の主任司祭はそう言って、のんきに笑う。皮肉は通じなかったようだ。
「いえ、これほど、立派な教会は帝都にも多くはありません。それに大きければ良い。華美であれば良いというものでもないでしょう」
そもそも、教会というところは主に祈りを捧げる為の施設であり、その教会を巨大にする必要がどこにあるのか。華美である必要があるのか。主はそんなにも派手好きなのか。聖典を読む限りは吝嗇ともいえるほど、節制と質実を口酸っぱく説教しているイメージがある。ならば、神の家は清廉で質素であるべきではないだろうか。
「いやいや、そのような世辞を申されましても。いやはや、クロス卿は人を持ち上げるのが上手いですなぁ」
しかし、その辺りの思いは主任司祭に全く通じないようだ。
「いや、これも全てボスマン殿の功績なんですな」
皮肉も通じないようだし、社交辞令はこのくらいにして本題を切り出そうとしていたレオポルドの耳に、主任司祭がぽろりと漏らした名前が飛び込んでくる。
「ボスマン殿、というと」
「あぁ、辺境伯の財務長官を務めているボスマン殿です。以前はこの教会の事務長を務めておりましてな。その間、この教会の発展に尽くしてくれました。古かった教会も改築できましたし、祭壇や祭器も良いものを揃えることができました。それに、あとはなんといっても聖遺物を納めることができましたしな。数年前に聖マルコの遺髪を持つという商人がおりまして、その者から聖髪を買い求めるのに、かなりの費用がかかりまして。いや、しかし、聖遺物というものはお金以上の価値がありますから」
ほとんどレオポルドの反応を無視して主任司祭は延々と話し続ける。どうやら、かなり話好きなようだ。
お喋りな主任司祭を勝手に喋らせておいて、その間にレオポルドは思案する。
どうやら、辺境伯のボスマン財務長官は以前は教会の事務長を務めた人物で、若しかすると聖職者の身分であるようだ。
聖職者が宮廷の役職に就くことは珍しくない。聖職者は教会で高い教育を受けており、教会という巨大な組織に身を置いている為、有能な者が少なくないのだ。
また、聖職者の給与を教会が払っているので宮廷が払う給与が少なくて済むのも利点である。教会からしても身内の者を宮廷の役職に置いて影響力を及ぼすことができるのだから、メリットは十分にある。
とにかく、ボスマン財務長官は教会との繋がりが深い人物のようだ。
また、教会の財務を改善している実績があるようなので、財務担当者としては有能なのだろう。
主任司祭の長い話が一段落したところで、レオポルドは早々と本題を切り出すことにした。
まずはクロベンティ司教とレガンス司教から預かった聖マルコ教会宛の手紙を渡す。封がされているので内容は分からないし、レオポルドには読む気もなかった。教会間の手紙を隠し読むような姑息な真似をして、教会からの信用を失っては元も子もない。
「それで、宮廷の様子はどうですか」
「どう、といいますと、そうですね。ロバート様は政務に復帰されまして、今はボスマン財務長官と財務関係について連日協議されているようですよ」
病を得て明日をも知れぬ命とされていたロバート老はどうやら、まだ生きており、政務を執れるほどに回復しているようだ。血の繋がりはそれほど濃くはないが、一応同族であるロバート老生存の報にレオポルドは安堵する。同族ならばレオポルドに味方してくれる可能性もあるだろう。赤の他人に辺境伯位を奪われるくらいならば、フェルゲンハイムの血を引く遠縁の若造を支持してくれるかもしれない。
「商人たちに借金の返済期限と利子を猶予してもらったので、どうにか破綻は免れたのですが肝心の後継問題は未だに妙案がないようです。唯一候補として挙がっているのはウォーゼンフィールド男爵のようですな。男爵の祖母はヴィルヘルム三世后のお妹でして。その姉妹というのは更に先代の辺境伯カール四世の娘で。それにカール五世の母君はウォーゼンフィールド男爵の伯母ですし。コンラート三世后は男爵の御息女で」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
ただ話を聞いているだけでは頭の中で家系図がこんがらがってくる気がして、レオポルドは主任司祭の話を遮り、もっと詳しく分かり易い説明をお願いした。主任司祭は面倒臭そうな顔をしたが話し始めると、お節介なくらい丁寧に事細かく教えてくれた。
まとめると、まず、第八代辺境伯カール四世には娘が二人がおり、このうち姉の方が第九代辺境伯ヴィルヘルム三世の后。妹はウォーゼンフィールド男爵家に嫁いだ。
なお、ヴィルヘルム三世は元々フェルゲンハイム家の分家の出身で、当主の娘を娶って辺境伯位を継承したようだ。
さて、そのヴィルヘルム三世には子が三人いた。一人は妾に産ませた非嫡出子のロバート老。残りの二人は嫡出子で一人はゲオルグという男子だったが当主になる前に若死。もう一人は娘ではるばる帝都の帝国騎士クロス家に嫁いだ。
ゲオルグは若死したがウォーゼンフィールド男爵の伯母との間(つまり、従兄妹婚になる)に子を一人残していた。この子がヴィルヘルム三世の死後、第一〇代辺境伯カール五世となるが、病弱で十代のうちに早々と没す。
ここでフェルゲンハイム家の血筋は一旦手詰まりになったが、ヴィルヘルム三世には弟がいて、その弟が分家を相続しており、孫が一人いた。これを持ってきて第一一代辺境伯コンラート三世とした。
ちなみにフェルゲンハイム家は幾度もそんな目に遭っており、生き残りが一人になっても、どうにかこうにか頑張って凌いだということが少なからずあるらしい。
しかしながら、コンラート三世は精神病を患っていた。普段より言語不明瞭で、その言葉を理解できるのは侍従長のレッケンバルム卿のみであったという。更には唐突に怒りだしたり暴れたりすることも多々あり、何度か殺傷事件まで起こしているらしい。
宮廷はこの醜聞を外に漏らさないようにしており、主任司祭はコンラート三世が椅子に縛り付けられているのを見たこともあったという。
それでも唯一残ったフェルゲンハイム家の生き残りというわけで、どうにかして血筋を遺そうと、ウォーゼンフィールド男爵の息女を娶らせて子を為そうとしたが上手くいかず、昨年にコンラート三世は没したという。病死との報だったが自殺したとか暗殺されたとかいう噂もある。
話を聞いていて、目立つのはウォーゼンフィールド男爵の存在である。周辺に適当な帝国系の諸侯がいないとはいえ、フェルゲンハイム家は異様に臣下であるウォーゼンフィールド家と縁組することが多いようだ。今聞いた限りでは八代目のカール四世の娘がウォーゼンフィールド男爵家に嫁いでいるし、その娘は九代目ヴィルヘルム三世の子息と縁組している。その上、昨年に没した一一代目コンラート三世の后もウォーゼンフィールド家の娘である。
聞けばフェルゲンハイム家とウォーゼンフィールド家の繋がりは以前から深いらしい。
ウォーゼンフィールド男爵は辺境伯の配下の領主層では筆頭の家柄で、サーザンエンド中部の首都ハヴィナにも近い広大な地域を領有している。
血の繋がりもあり、実力も十分にあるというわけで、宮廷ではウォーゼンフィールド家がサーザンエンド辺境伯を継承するという線で動いているようだ。
ただ、ウォーゼンフィールド家はフェルゲンハイム家に度々娘を后として出してはいるが、その血統を受けているのは現当主アウグスト・ウォーゼンフィールド男爵の祖母まで遡らなければならない。
しかも、齢四十を超える男爵には娘は二人いたが男子がいない。これは今まで後継問題に悩まされてきた宮廷にとっては大いに懸念材料である。
また、男爵自身も己の辺境伯就任にそれほど積極的ではないという。その理由は野心がないとか病を得ているとか諸説あるが、そう言われるくらいに温和で控え目、表に出ることを好まない人物なのだそうだ。
その為、レオポルドにお鉢が回ってくる可能性は十分にあると考えられるだろう。彼の祖母は第九代辺境伯ヴィルヘルム三世の娘であり、血統の近さからいえばレオポルドの方が近いとも言える。
しかも、彼はまだ若く健康で、後継者ができる可能性は男爵よりも高い。
ただ、彼には何の実績も知名度もないのが欠点であろう。それどころか、宮廷の面々がレオポルドの存在を知っているかどうかすら疑わしい。
いや、本当に知らないのだろうか。
レオポルドの脳裏に一つの疑念が浮かぶ。
後継問題に悩む宮廷の面々が誰一人として、レオポルドの存在に気付かないなんてことがあるだろうか。宮廷では後継問題に思い悩む度に家系図を広げ、線をなぞって適任な人間がいないか探しているだろう。その中でレオポルドの存在に気付かないとは考え難い。顔を知らずとも存在は知っているはずだ。少なくとも宮廷にいる連中は知っているに違いない。
それでもレオポルドに対して何の音沙汰もないというのは何か思惑があってのことなのか。それとも本当に見逃しているのか。或いは使者が行き違いになっているという可能性も否定できない。
「宮廷の方々は私の存在を存じているのでしょうか」
レオポルドは思い切って、目の前のおそらくハヴィナでは数少ないレオポルドの立場と顔を知っている聖マルコ教会の主任司祭に尋ねた。
「はて。どうでしょうね。宮廷ではクロス卿の名前を聞いた覚えはありませんねぇ。ということは、おそらく、気付いていないのではないでしょうかね」
主任司祭はのんきな返事を寄越してきた。
レオポルドは愛想笑いをしながら少し前から思っていた疑念を確信に深めた。
この主任司祭は使えない。
『サーザンエンド辺境伯』
サーザンエンド辺境伯位の創設は帝歴三三年。
アーウェン戦争及び南部征討に功績のあった神聖帝国のカール・フェルディナント将軍がサーザンエンド辺境伯の称号を授与され、アーウェン王国以南の内陸部に封土を与えられたことに始まる。
以来一〇〇年以上に渡ってフェルゲンハイム家によって継承されている。
歴代の辺境伯は次の通り。
初代 コンラート一世
第二代 カール一世
第三代 ヴィルヘルム一世
第四代 ヴィルヘルム二世
第五代 カール二世
第六代 カール三世
第七代 コンラート二世
第八代 カール四世
第九代 ヴィルヘルム三世
第十代 カール五世
第十一代 コンラート三世