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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一三章 内憂の年
205/249

一九九

 そもそも、レイクフューラー辺境伯キレニア・グレーズバッハはいと尊き皇帝の一族である。

 先々代の皇帝カール三世の弟であるフューラー公ループレヒト一世がキレニアの祖父となる。ちなみに、その末弟がルシタニア公である。

 フューラー公は父帝ジギスムントと兄帝ゲオルグ三世の死後、若くして皇帝となった甥とその子二人の幼い皇帝たちの摂政を務めて帝政を壟断し、帝国東部フューラー公領は大いに栄えた。公の取り巻きの貴族たちはフューラー派と称され、当時の帝国宮廷の最大派閥であった。

 ループレヒト一世がその権勢を憎んだ者に暗殺された後、フューラー公位はキレニアの父ループレヒト二世が継いたが、摂政の地位からは離れることとなった。

 二人の幼い皇帝兄弟が短い生涯を終えた後、皇帝の地位を得たのはその叔父であったカール三世であった。

 弟ループレヒトが摂政を務めている間、帝政から遠ざけられ、ほとんど宮廷から無視される存在であったカール三世はその恥辱と恨みを忘れず、甥に対して晴らすこととした。

 フューラー公家は幼帝を輔弼する立場でありながら、帝政を私物化し、多くの賄賂を懐に収め、あらゆる利得を掠め取り、果ては幼帝の毒殺まで試みたという罪により、フューラー公位を剥奪しようとしたのである。

 当然のことながらフューラー公が反抗して領地に籠ると、カール三世は自ら帝国軍を率いてこれを討伐しようとフューラー戦争が勃発。

 一〇万もの大軍勢を動員した帝国軍の前にフューラー公軍は壊滅し、城は陥落した。ループレヒト二世と二人の弟、その息子たちの多くは戦死し、妻子を含めた一族郎党も尽く虐殺され、唯一生き延びたのは末娘のキレニアだけであった。

 幼い彼女の目の前で、母と姉たちは屠場の豚や牛よりも惨たらしく殺され、彼女自身も帝国軍の騎士に顔面を蹴られて片目が潰れたという。部屋の外に蹴り出されたところを保護した従軍司祭の助命嘆願によって許されたらしい。

 あまりにも惨たらしいフューラー公家への粛清に多くの人々が悲哀と同情を覚え、皇帝への不安や不信を感じた。特に旧フューラー派貴族の皇帝への反感は相当なものであった。盟主を殺され、皇帝から抵抗勢力として冷遇された彼らはキレニアを保護して守り支えた。

 カール三世の死後、皇帝に即位した孫のゲオルグ五世はその不満を感じ取り、フューラー公家の遺児キレニアをレイクフューラー辺境伯に封して融和を図り、彼女は母方の姓であるグレーズバッハを名乗って、表向きは皇帝に忠実に仕えてきた。


 つまり、レイクフューラー辺境伯キレニア・グレーズバッハには動機が十分にある。

 神聖帝国と皇帝家に仕えながらも心の底では深い怨恨と憎悪を抱いていたとしても全く不思議ではない。

 臨時税と北伐を中止に追い込めば皇帝の権威と威信は失墜し、その統治には大きな打撃となることは間違いない。

 また、それらの工作がレオポルドの仕業だと皇帝に知らせることによって、南部の有力諸侯であるサーザンエンド辺境伯を帝国から離反させることも期待できる。工作の多くはレイクフューラー辺境伯の人脈や影響下にある商会などを利用して行われた為、彼女はレオポルドがそれらに手を染めた証拠を握っているのだ。

 更に言えば、銀猫王国継承戦争に介入し、黒髪姫を熱心に支援したこともフューラー地方の対岸に位置するカロン島を味方に引き入れることで後顧の憂いを絶つ為であったとも考えられよう。

 レイクフューラー辺境伯が神聖帝国転覆を狙っているとすれば、彼女の一連の行動に十分な理由付けができるのだ。

 とはいえ、動機があるからといって容疑者を有罪にしてしまっては裁判官失格であるし、素性不確かな証人の証言を鵜呑みにしてしまうのも迂闊と言えよう。

 果たしてこのレイクフューラー辺境伯の思惑を口にする老人は一体何者なのか。

 レオポルドはレイクフューラー辺境伯の思惑よりも謎の老人の素性に関心を寄せた。何の用もなくこのようなことを言いに来たりはしないだろう。何らかの思惑があるはずだ。

「何故、そのようなことを私に伝えるのか」

「私の主は動乱を望んでいないのです」

 老人は白髭を撫でつけながら言った。

「閣下にはレイクフューラー辺境伯の魂胆を理解した上で行動して頂きたいのです」

「わざわざご親切にどうも」

 レオポルドの皮肉めいた言葉にも老人は穏やかな表情を崩さず、よいしょと年寄りらしい声を漏らしながら立ち上がる。

「では、また、いずれ」

 老人の挨拶にレオポルドは会釈を返し、杖を突いて去っていく背中を見送った。

「何者か誰の使いか聞かなくて宜しかったのですか」

「言う気があれば聞かなくても名乗るだろう。言わなかったということは名乗る気がないということだ」

 傍に控えていたサライ中佐の問いにレオポルドは答える。

「しかし、レイクフューラー辺境伯の魂胆についてですが、あれは真なのでしょうか」

「真だと信じる証拠もないし、信じない理由もないな」

「では、如何いたしますか」

「とりあえず、今は放っておこう」

 レオポルドには帝国転覆の企みに与する理由などないが、レイクフューラー辺境伯に逆心ありと真偽不確かな訴えをするほど迂闊でもないし、その試みを打破しようという程の忠臣というわけでもない。

 とりあえずは様子見しておこうというのが彼の考えであった。

 そのまま中庭で暫く物思いに耽った後、建物の中に戻るとシルヴィカはベンチに腰掛けて熱心に本を読んでいた。傍らには読み終えたものかこれから読むものか数冊の本が積まれている。

 このままでは日が暮れても帰れないと考えたレオポルドは図書館に自分の名前と連絡先を登録し、シルヴィカが読みたい本を片っ端から借りて帰ることにした。その数は十数冊にも及んだ。これだけの分量を読むには一月くらいはかかるだろう。

 比較的治安の良い帝都内とはいえ、帝都に不案内なシルヴィカが一人で行って帰るのは些か不安である為、いつでも来て良いとは言えないのだ。となれば、たまに護衛を付けて何冊かまとめて本を借りていくより他ない。

 シルヴィカは嬉しそうに微笑み、何度も礼を述べた。

 ソフィーネの分も借りようとしたが、彼女はその申し出を断った。優れた剣士である彼女は護衛を付けることなく一人で図書館へ行って帰ることができるのだ。

 気晴らしに図書館へ来たつもりがまた余計なことを背負いこんでしまったと思いながらレオポルドは帰路に就いた。


 帝都では麦価の高騰により市民の不満が高まっていた。

 先月までは一〇ロデル支払えば腹が膨れる程度のパンを買うことができていたのが、値上がりによって今では同じくらいの量のパンを買うには六分の一セリン銀貨(二五ロデルに相当する)が必要となっていた。

 パンや小麦の価格を巡って、パン屋や粉屋では毎日のようにいざこざが起き、小規模な暴動や乱闘騒ぎに発展し、衛兵が出動することもあった。

 巷では皇帝が北伐を計画している為に小麦の需要が高まり、麦の価格が急騰しているのだ。皇帝が戦を起こす為に庶民が苦しむことになっているのだという噂が広まり、市井では声高に皇帝や帝国政府を非難する者も現れ、帝都には不穏な気配が漂いつつあった。

 この為、帝国政府は帝国議会の召集や臨時税法案の取り扱いよりも食料価格の高騰という市民の生活を直撃する課題に優先して対応せざるを得ず、帝国議会の召集や臨時税に関する手続きはほとんど放置される状況となった。

 そんなある日、帝国政府の監察官がレオポルドを訪ねてきた。

 訪問の理由は麦の大量調達についてだった。市場における麦価の高騰に直面した帝国政府も遅まきながらようやく麦を大量に調達する者がいると察知し、何処からか誰からか麦を買い集める商会の裏にレオポルドの指図があると知ったらしい。

 その情報の出所はレイクフューラー辺境伯か例の老人の主か或いは別の誰かか。気にはなったが聞いたところで監察官は答えないだろう。

 とはいえ、麦を買うことは罪ではなく、咎められるような筋合いはない。

 麦を大量に調達したのは、戦の為に糧秣を欲しているレイクフューラー辺境伯の依頼によるもので、通常の商取引から逸脱するものではないと説明したところ監察官は何も言えずに帰っていった。

 監察官の追及は躱すことができたが、これは宜しからぬ事態と言える。レオポルドが麦を大量に買い集めたということが食料価格の高騰に不満を募らせている市民の耳に入れば屋敷が暴徒に襲撃されるような事態を招きかねない。

 レオポルドは暫し思い悩んだ後、上手く立ち回る方策を思い付き、早速方々へ手紙を書き送った。


 数日後、それまでほとんど動きを見せていなかった帝国議会が唐突に召集された。

 選任が難航していた帝国議会議長に就いたのは前の副議長アーヌプリン公であった。

 まだ若い女公で、甚だ優柔不断という評価の持ち主で、紛糾する議論を調整できる能力など欠片も持ち合わせていないと見られていたが、既定事項の議事を進行するだけのお飾り議長ならば十分に務まり、文句も言わない人物である。

 その議会に主たる議題であり、利害調整が難航していた臨時税法案の内容はといえば、当初とは大きくかけ離れたものとなっていた。

 臨時税の税額は諸侯と帝国都市の場合は年間収入の一割、それ以外の帝国貴族はその半分の金額を今年中に納入することとされた。

 それまでの利害調整では年間収入の半額とされていたので、驚くほど大幅な減額と言えよう。

 というのも、本来の目的であった皇帝によるアクセンブリナ征服は諸般の事情により中止されることとなり、臨時税の名目は麦価高騰により困窮する帝都市民をはじめとする貧民救済に変更されたのである。

 北伐は未だ正式に決定されたものではなかった為、中止としても皇帝の権威を失墜させる程の大きな打撃ではなく、帝国議会の召集と臨時税の徴収という勅令は無事に実施することができた為、辛うじて皇帝の面子は保たれた。

 もっとも、それは建前というもので、実際には実施することがほぼ既定されていた北伐を撤回せざるを得なかったことは皇帝の権威を大いに損ねたと言って良い。

 一方、帝国諸侯、貴族としては徴収される臨時税を当初の目標よりも大幅に低く抑えることに成功したばかりか、地域を不安定化させかねない北伐も中止に追い込むという望外の成果を得ることとなった。

 この臨時税法案の真の起案者はレオポルドと言っても過言ではない。

 食料価格の急騰によって帝都には不穏な雰囲気が漂い、暴力的な騒ぎや暴動まで生じる事態を受けて、帝国政府内では北伐の実施が極めて困難な状況にあるとの認識が広がっていた。この状況で糧秣を大量に調達するとなると戦費が膨張するばかりか、食料価格の更なる高騰は避けられず、市民の強い反発を招きかねない。

 これを察知したレオポルドは幾度か顔を合わせたことがある皇帝側近の帝室大臣サンシュレティア伯に北伐を中止し、それに伴って臨時税を撤回するのではなく、臨時税を貧民への食糧援助や食料価格の抑制に当てるよう助言した。

 この提案にマドラス公、ネイガーエンド公、ロンドバーク侯、クリストフ侯といった大諸侯も相次いで賛意を示し、帝国政府はその提案を受け入れることとしたのである。

 勿論、賛意を示した大諸侯にはマドラス公を通じて事前に賛同してくれるよう根回ししておいたのだ。

 臨時税法案は帝国議会でも異議なく可決され、その旨は直ちに布告された。

 政府による貧民救済、食料価格の抑制が実施され、噂されていた北伐の中止が確実になった為、帝都市民の台所を直撃していた食料の値上がりは落ち着きを見せ始め、間もなく麦価は急落することとなった。

 市場の麦価が下落を見せ始める直前にレオポルドは自分に割り当てられていた臨時税を大量調達していた麦で現物納付することにした。

 この麦はレイクフューラー辺境伯の影響下にある商会が買い集めたものなので、本来は自分の財産ではないのだが、そのまま放置していると価値が減損する為、それを処分する権限を握っているレオポルドが市場価格よりも大幅に安い価格で買い上げて、臨時税の支払いに充てたのだ。

 レオポルドは帝都に来てから一月以上もレイクフューラー辺境伯の難題に取り組み四苦八苦したのだから、それくらいの役得はあって然るべきだろう。

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