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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一三章 内憂の年
202/249

一九六

 帝都に到着した翌日、レオポルドは伯父であるベルゲン伯の屋敷へ足を運んだ。

 伯父からの手紙に、とりあえず、帝都に到着した旨を知らせる簡潔な返事を書き送ったところ、早々に会いたいという連絡が来た為、昼食に招かれることにしたのだ。

「おぉ、レオポルド。三年ぶりだな。元気だったかね」

 式部長官ベルゲン伯クレメンス・レッテルゼーヒ・ロッセンダルクは立派な体躯を持ち、もうそろそろ初老に差し掛かる年頃で、感情を素直に表に出す人物であった。

「長旅も大変だったでしょう。お疲れではありませんか」

 ベルゲン伯夫人にしてレオポルドの母の姉であるヘルガもレオポルドの手を取って労わってくれる。

「まぁまぁ、そこそこです」

 相変わらず元気な伯父に背中を激しく叩かれてよろつきながらレオポルドは答えた。実際は昨日レンターケットから聞かされたレイクフューラー辺境伯からの無理難題を如何するか一晩悩んで寝不足であった為、あまり元気とは言えない気分であった。

「そういえば、今回はリーゼロッテもフィオリアも連れてきていないそうですね」

「ええ、息子が生まれたばかりで、長旅が体に障るといけませんから。フィオリアにはリーゼロッテの傍にいてもらおうと」

「名前はヴィルヘルムでしたね。早く顔を見たいものです」

 ヘルガにとってレオポルドの子ヴィルヘルムは実の妹の孫に当たるのだ。両親と妹にも先立たれた彼女にとっては数少ない血縁であり、関心を寄せるのは当然というものであろう。

「うむ。産後の身は大事にせねばならぬからな。無理をさせるのは宜しくない。それに此度はあまり楽しい滞在にはなりそうもないからな」

 伯父の言葉にレオポルドは顔を顰める。

「やはり、臨時税は避け難いですか」

「そうなるだろう。いや、厄介な話は後にしよう。まずは食事にしようじゃないか」

 そう言ってベルゲン伯はレオポルドを食堂へと誘った。

 伯が数年前まで大使として赴いていたオリビア王国は美食の国として名高く、その地で雇い入れたという料理人が腕を振るった料理は、慣れ親しんだ帝国料理ともムールド料理とも違い、レオポルドの舌を大いに楽しませた。

 中でも彼を驚かせたのは芋料理が出されたことだった。輪切りにした芋をバターで焼き、チーズを乗せて、香草を飾った極めて簡素な料理である。

「これは芋ですか」

「そうとも」

 訝しげな顔で芋を眺めるレオポルドの問いにベルゲン伯が笑みを浮かべて頷く。

 芋は二〇〇年近く前に発見された新大陸より西方大陸に齎された植物であるが、未だ大陸全土に普及しているとは言い難く、あまり食されるものではない。

 しかも、芋は寒冷地や荒れ地でもよく育つ為、救貧作物として推奨されている。つまり、貴族のような高貴な紳士淑女の食卓に供される代物ではないのだ。

 美食の国に赴任していた名門貴族の食卓で貧しい農民が食べるような食材が出されれば不審に思うのも無理はない。

「うちの料理人の師匠であたるオリビア王の宮廷料理人が芋を普及させることに熱心な人物でな。曰く芋は痩せ地でもよく育ち、生産性も良く、味も悪くないにも関わらず普及が進まないのは、卑しい食物であるという愚かな考えが信じられている為である。芋が王侯の食卓に芋が上るようになれば、庶民も挙って作り育て食べるようになるだろうというのだ。そのように説得されて実際に食したのだが、いや、これが中々に悪くない。騙されたと思って食べてみたまえ」

 伯父に勧められレオポルドは不安げな面持ちで芋を口に運ぶ。芋はほっくりと柔らかく、甘みがある。濃厚なバター、チーズの塩気とよく合っている。些か粗野な味わいではあるが、口に合わないということはない。それどころか一部の上流階級の食卓に上る下手に凝った味付けが施された料理や珍奇で高価だが、実際にはさほど美味くもない食材を用いた料理などに比べれば格段に美味と称せよう。

「中々悪くないですね」

「そうだろう。これで痩せ地でもよく育ち実るというのだから、大いに栽培すべきだ。少々見てくれが悪いだの聖典に無き作物だのといって忌避するのは愚かというものであろう」

 ベルゲン伯の言葉にレオポルドも頷く。

「確かに。我が領地でも栽培できるでしょうか」

 酷暑と水不足に苛まれるサーザンエンドでは農耕が難しく、耕作可能な地域は極めて少ない。農耕ができないということは食料の多くを他の地域からの輸入に頼らなければならないということであり、食料の不足や価格の高騰に悩まされることでもある。

 この問題を解決すべくレオポルドは度々サーザンエンドでも生産が可能な食物を探しているのだ。

「ふむ。どうだろうか。冷涼な気候でよく育つらしいからな。暑さの厳しいサーザンエンドでは難しいやもしれぬ」

「やはり、そうですか」

「そういえば、以前の手紙でサーザンエンドの高地で葡萄栽培を始めたと書いてありましたが、そちらは如何でしたか」

 伯母の問いにレオポルドは顔を顰める。

 ムールド西部の高地地方における葡萄栽培は数年前に始めた事業で、帝国本土より農業技術者を招聘して指導に当たらせていた。

 様々な紆余曲折ありつつも先年にはようやくいくらかの葡萄酒が生産され、レオポルドはその味を確かめていた。

「恥ずかしながら生産された葡萄酒の味は満足いくものにはなっておりません。酸味が強く、甘みは弱く、深みがなく、青臭い味でして」

 商品として流通させるにはまだまだ試行錯誤しなければならないだろう。道のりは遠い。

「やはり、一朝一夕で成るものではないからな。そうだ。我が領地で葡萄酒の生産に従事しておる職人を派遣しようではないか」

「それはありがたいことです。是非お願いいたします」

 伯父の申し出は願ってもないことで、レオポルドは素直に礼を述べた。

「次に帝都へ来るときはサーザンエンド産の葡萄酒が飲めることを楽しみにしよう」

「その時はリーゼロッテとヴィルヘルムも連れてきて下さいね」

「勿論です」

 ベルゲン伯夫妻の言葉にレオポルドは笑顔で頷く。


 和やかな昼食の後、レオポルドとベルゲン伯は別室に移り、伯の領地で生産された葡萄酒を飲みながら二人きりの話し合いの場を設けた。

 話題は言うまでもなく帝国政治、中でも臨時税に関することである。

「陛下はアクセンブリナへの北伐を再開されるご意思をお持ちのようだ。此度の臨時税はその為のものであろう」

 大陸の東三分の一の支配を公称する神聖帝国であるが、実際にはその統治が十分に行き届かない地域も少なくない。その代表格と見做されているのが北東部アクセンブリナ地方であった。

 一年の半分近くが雪に閉ざされる極寒の地にして、大森林に抱かれたこの地域に跋扈する蛮族は長らく頑なに帝国の支配や神の正しき教えを拒み、異教の信仰を続けている。

 歴代の神聖皇帝は幾度も北伐の軍を起こして、蛮族を討滅せんと試みたが、満足な成功は得られず、未だアクセンブリナは異教・異民族の地のままとなっている。

 帝国南部がサーザンエンド辺境伯レオポルドによって概ね神聖帝国の支配下に入ったことにより、帝国の領内で支配が全く及ばない主な地はアクセンブリナばかりとなっていた。

 アクセンブリナの征服は教会の守護者を自認し、神の威光を大陸の隅々まで広げんとすることを神聖なる責務とする皇帝にとっては成し遂げなければならない悲願と言うべきものであった。

 また、広大な森林地帯であるアクセンブリナは良質で大きな材木を多く産する地でもあり、この地を支配する経済的な利権も大きい。

 当代の皇帝ウルスラも数年前にアクセンブリナ討伐の軍を起こしているが、その際は皇帝の留守中に帝都防衛を担っていた帝国軍の軍団が反乱を起こすという事件に見舞われ、北伐はなし崩し的に中止されている。

 ウルスラは再び北伐の軍を起こし、アクセンブリナを神聖帝国の支配下に収めることを欲しているという。

 彼女がアクセンブリナ征服を目論む理由としては先に述べた皇帝の神聖なる責務と材木の産地を押さえるという利権だけではない。それは彼女の皇帝としての権威を高め、求心力を保つ為である。

 というのも、神聖帝国創始以来初めての女帝であるウルスラの統治基盤は決して盤石なものではないのだ。

 彼女の祖父カール三世は、短い在位で相次いで死去した兄とその子、孫二人の後を継いで皇帝となり、若年の無力な皇帝が続いたことによって弱体化した帝国政府を立て直し、有力な皇族や諸侯を討伐して皇帝の権威と強大な力を誇示することに成功した。

 しかしながら、カール三世は一人息子に先立たれ、若年の孫ゲオルグ五世に皇位を譲ったものの、ゲオルグ五世は即位より僅か五年で跡継ぎを残すことなく世を去ってしまった。

 その結果、その妹であったウルスラが女帝として即位したのだが、この短い在位の兄帝と年若いウルスラの即位は、祖父によって一時的に回復した皇帝の権威を揺らがせるには十分であった。若い女帝というだけで侮る者も少なくない。

 そこで彼女は祖父の用いた手法を真似ることとした。とはいえ、その対象は皇族や諸侯ではなく、目障りな異教の蛮族とする。歴代の皇帝の悲願であったアクセンブリナ征服を成し遂げれば皇帝ウルスラの権威は高まり、教会や熱心な正教徒からの支持も盤石となろう。アクセンブリナを直轄地とすればそこで産する材木によって皇室財政も潤うというものだ。

 その為にはまず金が必要となる。宗教的情熱があっても元手がなければ異教の蛮族どもと戦う北伐軍を編成することすらできない。元より帝国政府の財政は赤字であり、軍事遠征を行う余裕など皆無。ならば、諸侯より臨時税を徴収するより他ないというものだ。

 皇帝の責務は帝国の国是に他ならず、皇帝の臣下たる帝国諸侯としても、これに異を唱えることは極めて難しい。むしろ、積極的に協力する義務を有していると言っても過言ではない。異教徒を駆逐し、主の正しき教えを広めることは皇帝のみならず全ての正教徒の神聖なる責務なのである。

 臨時税を課する名目としては十分過ぎる程に十分と言えよう。これを拒むとなれば不忠であるだけでなく、異教徒に味方する不信心者という烙印を押されかねない。

 レイクフューラー辺境伯はこの非の打ち所のない名目を掲げる臨時税を止めさせろというのだ。

 しかも、既に帝国政界の上層部では話し合いが進みつつあり、後は徴収額や時期などの調整が続いている段階である。これを引っ繰り返すのは並大抵のことではあるまい。レオポルドのような年若い辺境諸侯に何ができるというのか。

「臨時税に向けた話し合いは如何程まで進んでおるのでしょうか」

「異教征伐が名目であるからな。教会は諸手を挙げて賛同しておる。他の諸侯の間でも異議を唱える者は少ない。今は税額を如何程にするかが焦点になっているようだ」

「それは如何程になるでしょうか」

「大蔵大臣は帝国税の五年分という金額を提示したそうだ」

 本来帝国税は帝国臣民の収入の十分の一とされているが、いつの頃からか代行して徴収し、納税する諸侯や貴族の収入の十分の一というのが慣例となっている。帝国税五年分となると年間収入の半額に相当する。

 レオポルドは年貢や関税、各種の商品税といった基本的な税収の他、南洋貿易会社やサーザンエンド銀行の運用による収入も得ているが、こちらは辺境伯政府としての公的な収入ではないので、課税対象からは外すことができるだろう。

 そうなるとサーザンエンド辺境伯領の年間の税収は一五〇〇万セリン程あり、本来の帝国税は一五〇万セリン。大蔵大臣が提示した通り臨時税が帝国税の五年分となったならばその金額は七五〇万セリンとなる。

 未だに七億セリンという莫大な債務を抱えるレオポルドにとっては大した金額ではないような気もしてしまうが、大金であることに違いはない。満足できる安定的な収入も確保できていない現状において七五〇万セリンもの課税は大きな負担である。

 もっとも、帝国でも有数の富裕な諸侯であるレイクフューラー辺境伯ならば、貧しいサーザンエンドの十倍以上の収入を得ているから臨時税は一億セリン近い。多少無理をしても臨時税を潰したくもなろうというものだ。

「何やら顔色が悪いな。確かに臨時税は痛い負担であるからな」

 苦渋に満ち満ちたレオポルドの顔を見てベルゲン伯が声をかける。

「いや、まぁ、その、戦続きでもありましたし、辺境伯位を継承した後も国造りに彼是と出費もあり、恥ずかしながら我が家の財政は火の車なのです」

「うむ、そうであろう。事情は理解できる。私から陛下にいくらかでも軽減できるようお願いいたそう」

 臨時税は基本的に全ての諸侯、帝国貴族、帝国都市に等しく同率で課税されるものであるが、実際には様々な特権や慣習、事情、人間関係などによって免税されたり税額が軽減されたりするのだ。

 ベルゲン伯は皇帝の側近くに仕える自らの地位を利用して親族であるレオポルドに課される臨時税を軽減しようと働きかけようというのだ。無論、これは伯だけが行っていることではなく、皇帝の近臣ならば誰でも同様のことをしている。

 故に、仮に帝国税五年分の臨時税を徴収したとしても、実際に納税される金額は大幅に少なくなるのだが、それでも皇室にとっては大きな収入となるだろう。

「大変ありがたいお言葉痛み入ります」

「それにしては悩みは尽きていないと見えるな」

 伯父の申し出は幸いではあったが、それだけがレオポルドの悩みの種というわけではない。むしろ、自身に課される臨時税は大した問題ではなく、それよりも強要されたお願いの方が彼の頭を痛めているのだ。

 レオポルドは暫し悩んだ末、レイクフューラー辺境伯から依頼された件について打ち明けることにした。ベルゲン伯自身も辺境伯とは昵懇の間柄であり、相談相手としては最適と言えよう。

「なるほど。キレニア様も厄介なことを仰るな」

 事情を聴いたベルゲン伯は顎を摩りながら顔を顰める。

「確かにレイクフューラー辺境伯領に課される臨時税は莫大な金額となるだろう。しかし、それだけの為に無理難題の如き依頼をしてくるとも思えんな」

「と言いますと……」

「キレニア様には別の目的があるのではないか」

 ベルゲン伯に言われてレオポルドは暫し考え込む。

 言われてみれば、レイクフューラー辺境伯が吹っかけてきた無理難題には違和感がある。多額の臨時税から逃れたいという理由は確かに頷けるが、それならば、臨時税を中止させるよりもレオポルドに借金返済の督促をするなり金の工面に走るべきではないか。

 レオポルドはある考えに思い至る。

「もしかすると北伐を中止させたいのでは」

「むぅ。それはあり得るな。アクセンブリナはフューラー地方より程近い。カロン島の継承戦争に介入している最中に、近隣の情勢が不安定化するのを嫌ったのかもしれん。その上、北伐は一種の聖戦だからな。公には反対を唱え難い。異教徒の味方と謗られる恐れがある」

 何らかの理由で臨時税が集められなければ、当然に北伐軍の編成は成らず、アクセンブリナ攻略は延期を余儀なくされるだろう。

「いずれにせよ、無理難題であることには違いない。何か上手い方策がないか私も考えてみよう。しかし、私も立場があるからな。あまり期待はせんでくれ」

「勿論です。相談に応じて頂けるだけでも幸いです」

 ベルゲン伯の申し訳なさそうな言葉にレオポルドは頭を下げる。皇帝に睨まれれば伯父はあっという間に式部長官の地位を失ってしまうだろう。それは伯父にとっても、レオポルドにとっても得策ではない。

 臨時税を差し止める策はレオポルド一人で成し遂げねばならないだろう。


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