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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一三章 内憂の年
201/249

一九五

 帝都に着いたレオポルドはまずウェンシュタイン邸に入った。ここは元々レオポルドの母親の実家であるウェンシュタイン男爵家の屋敷で、彼が男爵位を継承した後は帝都駐在事務所として使われ、帝都駐在武官のディーテル卿やジルドレッド卿をはじめとする家臣が常駐し、帝都での帝国政府や他家との連絡業務や情報収集に当たっていた。

 ウェンシュタイン邸で帝都駐在の家臣たちと挨拶を交わした後、レオポルドは何はともあれ風呂に入り、汗を流し、垢を落として旅の疲れを癒す。

 彼は入浴を済ませなければ落ち着いて何も手に付かない性質なのだから、これは致し方ないことと言えよう。

 入浴後、帝都駐在の部下たちがまとめた報告書やアルヴィナから送った手紙の返事など屋敷に届いていた手紙に目を通す。

 既に帝国議会に召集されている諸侯の多くは帝都に参集しているらしい。

 ただ、レオポルドの義兄レウォント方伯は未だ到着していないようだ。海路を行くレオポルドと異なり、レウォントから帝都までは陸路を進む以外に道はなく、帝都に至る旅路はかなりの時間を要すのだ。

 皇帝の宮廷で式部長官を務める伯父ベルゲン伯からも手紙が届いており、帝国議会開催の準備状況について詳しく伝えられた。

 皇帝の側近集団である皇帝党の貴族たちは早期の開催に向けて準備を急がせているらしいが、高等法院を中心とする司法関係貴族の派閥にして、帝国政界では最も大きな勢力を誇る法服派の貴族たちが帝国議会開催に係る法的な手続きの不備や瑕疵を指摘するので、その修正などに時間がかかり、準備作業は遅々として進んでいないという。

 法的手続きが云々というのは議会開催を遅延させ、あわよくば開催そのものを阻もうという目論見に違いない。

 とはいえ、時間稼ぎにも限度というものがある。重箱の隅を突くように細々とした法的な不備や瑕疵を挙げ連ねようにも、それは無限に湧き出るものではないのだから。

 その上、帝国法は法服貴族の専売特許というわけではなく、皇帝党とて無能の集まりではないし、その配下には法務行政に通じた役人たちも控えている。法服貴族たちが突き付けてきた底意地の悪い指摘にも適切に対応し、修正してしまうだろう。

 もっとも、法服派としても何の目的もなく無為に遅延戦術を取っているわけではない。こうした法案の修正作業の間に法服派の高官たちは皇帝やその側近たちと会合を重ね、両者が妥協できる点を探るのだ。

 今回でいえば、臨時税が課されるのは避け難いとしても、その金額、課税対象の範囲、納税の方法や期日など、交渉の余地はあると言えよう。

 交渉と並行して皇帝党と法服派は多数派工作に勤しむこととなる。両者とも帝国政界では大きな勢力を誇る派閥ではあるが、帝国議会議員の過半数を占める程ではない為、帝国議会における多数派を形成し、議論や議決を有利に運ぶ為には一人でも多くの議員を味方につける必要があるのだ。

 いずれはレオポルドにも多数派工作の手が伸びてくると思われるが、有数の広大な領地を有する諸侯とはいえ、他の貴族との関係が希薄な彼は後回しにされるだろう。より多くの議員の賛同を得るには幅広い人脈を持つなど影響力のある者を自陣営に引き込むことが肝要であり、彼はその条件には当てはまらない。

 そのことを十分理解しているレオポルドは手紙に目を通すとウェンシュタイン邸を出て、レンターケットとサライ中佐、ソフィーネとシルヴィカ、それに僅かな護衛を伴って彼の実家であるクロス邸へと移った。

 部屋数が一〇程と少なく、会議室にできるような広間も資料を保管する図書室もない為、多くの家臣に仕事をさせるには狭隘で不向きな家ではあるが、帝都を離れるまでの十数年を過ごした思い入れのある実家である。少なくない費用をかけて暮らしやすいように改築し、各部屋にはフィオリアが選んだ派手さはないが実用性を重視した家具や調度品が揃えられ、レオポルドが最も重視する浴室だけはウェンシュタイン邸と同じらくい広く作られていた。

 客人を呼んだり、会議や執務を行うウェンシュタイン邸が帝都におけるレオポルドの公務の場であるならば、クロス邸は彼の私的な場であり、寛いで過ごすことができる家なのだ。

「やれやれ、やっと一息吐けるな」

 クロス邸の自室に入るとレオポルドは年寄りのように呟き、上着と靴を脱いで、寝台に寝そべった。

 夕食までは時間があるので、このまま少し昼寝しようか或いは風呂にでも入ろうかと考えていると扉が叩かれた。

「私です。宜しいでしょうか」

 その声はレンターケットのもので、レオポルドは嫌な予感がした。レンターケットは大した用もなしに主の休息を邪魔するような男ではなく、彼の話は大概面白くもないことばかりなのだ。もっとも、それはレンターケットのせいというわけではないのだが。

 レオポルドは脱いだばかりの靴を履き、上着を羽織ってから扉を開けた。

「お休みでしたか。これは失礼」

「いや、いい」

 レオポルドは苦い顔でレンターケットを部屋に入れ、手で椅子を勧めてから尋ねる。

「それで、どれくらい悪い話だ」

「いやはや、これは心外ですな。私が持ち込む話が悪い話と決めつけられているようで」

 レンターケットは大仰に肩を竦めた後、レオポルドが無反応なのを見て、小さく咳払いしてから声を落として話し始めた。

「レイクフューラー辺境伯閣下の件です」

 これはレオポルドとしても興味のある話であった。レイクフューラー辺境伯はレオポルドの最大の支援者であり、レンターケットのもう一人の主人でもある。今は大陸東岸沖に浮かぶカロン島の銀猫王国の継承戦争に介入しており、帝都にも来ていない。

「先程、閣下の手の者から知らせが入ったのですが、継承戦争は間もなく終わる見通しであるとのことです」

「そうか」

 銀猫王国継承戦争の情勢については興味はあるものの、帝国南部から遠く離れていることもあって詳しく知っているわけではない。それに加え、それほど重大な関心を寄せているわけでもない。レオポルドにとっては自身の支援者が熱心に介入しているから興味があるという以上のものではないのだ。

「それで、辺境伯が応援していた黒髪姫が勝つのか」

 レオポルドの問いにレンターケットが頷く。

 黒髪姫は急死した銀猫王の第四王女で、闇夜の如き黒髪を持つ姫だという。西方教会が悪魔の色と見做す黒い髪を持った彼女は魔女ではないかと疑われ、長らく帝都近郊に半ば幽閉されていたことがある。

 レオポルドは彼女と面識はないが、かつて帝都を震撼させた反乱騒動において彼女が陣頭に立って急ごしらえの帝都防衛軍で反乱軍を打ち破った活躍はよく知っている。その当時、まだ十代半ばだった彼は反乱事件や帝都での市街戦を間近に見ていたのだ。

「それじゃあ、銀猫王国は黒髪姫が女王に即位するのか」

 銀猫王国は神聖帝国の同盟国として位置づけられているが、国土の大きさなどの力関係からして実質的には帝国の従属下にある。

 西方教会を国教とし、強い宗教色を持つ帝国は魔女のような髪の女王を頂く国とこれからも変わらない関係を保つことができるのだろうか。

 もっとも、黒が悪魔の色であるというのは西方教会の教えで正式に定められたものではなく、聖典にもそのように断定する記述はない。聖職者や神学者の中でも見解は割れており、迷信であるとして一蹴する者も少なくない。とはいえ、一般の習俗の中では忌み嫌われている色であることは間違いないだろう。

 それはともかくとして、銀猫王国の新しい女王が黒髪であろうが、レイクフューラー辺境伯の友人であろうが、レオポルドにとっては興味深くはあるが、さほど重要なことではない。その程度の知らせであれば夕飯の前にでも知らせてくれれば良い話だ。

 レンターケットはそれくらいの機転は利く男だ。話はそれだけではないのだろう。

「目的は果たしたとはいえ、この戦で閣下は少なくない出費をなされたとのこと」

 戦争は金がかかるものである。人の為すことで戦争よりも金のかかることはないと言っても過言ではないだろう。それでも古来より戦争の絶えたことはないのだから、人間というものは度し難いものである。

「何だ。早く金を返せというのか」

 レオポルドは不機嫌に鼻を鳴らす。

 金を借りている側の発言とは思えない態度だが、彼が抱えるレイクフューラー辺境伯からの債務は莫大な額であり、とても早々に払えるものではないのだ。

「それは閣下もあまり期待していないでしょう」

「そうか。なら、いい」

 酷い態度の債務者もいたものである。

「では、閣下は何がお望みなのだ」

「臨時税です」

 その言葉にレオポルドは苦々しい表情を浮かべた。

「レイクフューラー辺境伯閣下は臨時税を一セリンも支払う気がないそうで。その為の政治工作をお願いしたいと」

「臨時税の成立を妨害しろというのか。俺にそれほどの政治力はない。無理を言うな」

「閣下は自身の議決権をレオポルド様に委任されるとのこと」

 帝国議会では出席できない議員は自身の議決権を他者に委任することが可能であり、その旨は事前に議会に通知されなければならない。

 つまり、レイクフューラー辺境伯がレオポルドに議決権を委任するということが議会に通知され、間もなく帝都に知れ渡ることとなろう。それはレオポルドが有力諸侯であるレイクフューラー辺境伯の代理人と見做されることを意味する。

 皇族の血筋に連なり、帝国でも有数の富裕な貴族であるレイクフューラー辺境伯の影響力は少なからぬものがあり、その辺境伯が議決権を委任したとなれば、その受任者に注目が集まることは必然と言えよう。

「そんなことを言われても困る。臨時税を拒絶することなど無理に決まっているだろう。いくらかの時間稼ぎと金額を負けてもらうことくらいは可能かもしれないが、臨時税を阻むとなれば、皇帝陛下の威光に泥を塗るようなものだぞ」

 いくら臨時税は帝国議会で議決が為されなければ有効にはならないとはいえ、それは皇帝の意思なのである。これを表立って阻み、妨げることは皇帝の意思を蔑ろにするものであり、不興を買いかねない危険な行動と言えよう。

「困りましたなぁ」

 レンターケットはそう言って顎を摩る。

「臨時税を支払わねばならないとなれば、レイクフューラー辺境伯はその金をどうにかして工面せねばならなくなるでしょうなぁ。例えば、返済が滞っている債務者の不動産なり船舶なりといった財産を差し押さえて現金化するとか」

「ぐぬぬぬ……」

 レオポルドは忌々しげに唸る。

 彼が所有するウェンシュタイン邸やクロス邸、アルヴィナに停泊しているフリゲートや商船、サーザンエンドから運んできた贈答用の品々を含む荷物、それらをレイクフューラー辺境伯が返済が滞っている債務の形として差し押さえることは十分可能であろう。それらを現金化すれば臨時税を賄うくらいの金額にはなるかもしれないが、帝都の拠点や移動手段を失うレオポルドにとっては金額以上の打撃となろう。

 また、彼女がそれを示唆するということは、お願いとは言っているものの、実質的には要求に近い。これを阻むとなれば、レオポルドは自らの最大の支援者を失うことを意味する。

 彼に残された道は一つしかないのだ。


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