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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一章 サーザンエンドへ
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 破産した貴族クロス家の一人息子レオポルドは、帝都から遥か南の地サーザンエンドからやって来たという異民族の少女キスカが持ってきたサーザンエンド辺境伯に就任できるという話について暫らく黙考した後、口を開いた。

「考える時間が欲しい」

「如何程ですか」

 キスカが尋ねると、レオポルドは顎に手をやって少し考えてから答えた。

「そうだな。一晩くれ。明朝には結論を出そう」

「一晩ですか」

 キスカは無表情で突っ立っている。視線がゆっくりと泳いでいる。漆黒の瞳が右へ左へとゆらゆら泳ぐ。

「都合が悪いのか。一日も惜しいほど急いでサーザンエンドへ行かねばならんのか」

「いえ、そういうわけでは……」

 彼女は言い辛そうに口を薄く開いたり閉じたりを繰り返す。

 すると、レオポルドは段々と苛々が募ってきた。借金問題だの何だので心労が重なっている最近の彼は気が立っているのだ。

「言いたいことがあるならはっきりと言え」

 彼の怒声にキスカは大袈裟なくらいビクつくと、おずおずと口を開いた。

「実は、その、お恥ずかしい話なのですが、路銀が……」

「ほう」

「それに、帝都では、私のような異民族を受け入れて頂ける宿も多くはなく」

 つまりは泊まる場所に当てがないということらしい。となると、何を求めているかは言わずもがなであり、それに対するレオポルドの返答の選択肢も決まってくる。

「まぁ、止むを得まい。うちに泊まっていくといい」

 レオポルドの言葉にキスカは微かに顔を赤らめて頭を下げ、厚く礼を言った。

「毛布の一枚もないような、何もない屋敷だが、まぁ、雨風は凌げるだろう。自由に使ってくれ。俺は外に用事があるから、ちょっと出かけてくる」

 レオポルドはなんだか照れ臭くなってきて、その場を後にした。

 上着の汚れを気にしながら彼は屋敷の外に出た。

 活気も人気もない屋敷の外に出ると、そこは広い道路である。貴族や大商人の邸宅が建ち並ぶ地区だけあって、道路上に目立つ損傷はなく、ゴミも落ちていないし、浮浪者がうろついていたりもしない。ひっきりなしに何処かの屋敷で働いているであろう使用人が行き来し、時折、上等な毛並みの馬に曳かれた馬車が走り去っていく。

 空は赤く染まりかけた頃合で、使用人たちは主人の夕飯の支度に追われているだろう。この忙しさを乗り切れば、大方の使用人は本日のお勤めは終了。家のある者は帰り、住み込みの者は狭苦しい屋根裏の部屋に退く。

 かつてはクロス家にも使用人はいた。執事に料理人、女中が二人。

 執事のベネディクトはレオポルドの祖父の代からクロス家に仕える老人で、家のほとんど全てを仕切っていた。家が破産したとき、彼は既に七十歳を超えていたが、尚も無給でも家に仕えようとしていた。

 しかし、以前から痛めていた体の具合がいよいよ悪くなり、レオポルドは彼の子を呼び寄せて半ば無理矢理ベネディクトを引き取らせた。これ以上、ベネディクト老に迷惑をかけたくなかった。

 料理人のロバーツは雇われてから一年しか経っていなかったが、クロス家に対する愛着は深いもので、立ち去ることを渋っていた。とはいえ、彼にも養わなければならない家族がいる。レオポルドが彼の再就職先を斡旋すると、深々と頭を下げて屋敷を後にした。何度も屋敷を振り返りながら。

 女中の一人マルゲリータは早くに亡くなったレオポルドの母代わりとして、彼を育ててくれた老婆で、クロス家を立ち去るときには一日中泣き続けていたが、彼女は非常に聡明で賢明であった。自分がこの場に留まってもどうにもならないことを理解していた。彼女は修道院に入って、亡きアルベルトを悼み、レオポルドの幸福と健康を願うと言って去って行った。

 もう一人の女中フィオリアはレオポルドよりも一つか二つ年上の、異民族であるフェリス人の娘で、父アルベルトが拾ってきた孤児だった。レオポルドと彼女は姉弟のように育ち、物心ついた頃からはマルゲリータに教わって女中として家の家事やレオポルドの世話を焼いてくれた。頑固で分からず屋で、最後まで家を出ようとしなかったが、レオポルドが数日かけて説得した末に別の貴族の家に仕えることになった。

 レオポルドはクロス家を去って行った使用人、というよりは、家族にも等しい人々のことを思いながら、道を歩き、角を曲がり、坂を上った。その先に赤い邸宅があった。


 真っ赤な煉瓦造りの塀に囲まれた赤煉瓦の三階建ての屋敷だ。その敷地はクロス家が十でも二十でも入りそうなほど広い。

 門には数人の門衛が槍やマスケット銃を手に通行人に目を光らせていた。レオポルドが近づくと姿勢を正した。

 レオポルドは会釈して門を通る。誰何すいかも制止もされなかった。顔見知りだからだろう。

 この家は屋敷に他人が入ることを意に介さない。それどころか歓迎すらしている。さすがに一見の者は身分を確かめられるだろうが、何度か来た者ならば、誰であろうとも無条件で中に招き入れる。

 屋敷に入ると右手には大きな厩があり、何十頭もの馬が繋がれ、馬車が並んで停車していた。厩番や御手が馬の世話をしている。屋敷のものもあるだろうが、来客が乗ってきたものの方が多そうだ。

 真正面に屋敷があり、門は開け放たれている。入って少し進むと大広間で、そこは大きなパーティや行事のときに使用される。今日は特に使用の予定は入っていないようで、明かりも最低限しかなく、空っぽのだだっ広い空間だった。

 一階には大広間とは別に小さな部屋がいつくもあり、客はソファや椅子に座って寛ぎ、煙草を吹かせたり、料理をつまんだり、酒を飲んだり、カードゲームに興じたり、話し込んだりしている。

 一階にあるのは、あとは台所と使用人や守衛の控室くらいなもので、屋敷の住人は専ら二階以上で生活している。そちらはプライベートな空間で客人は立ち入りが制限されていた。

 レオポルドはいくつかの広間を見て回った。彼を見た貴族や商人や聖職者、軍人、官僚といった身分の人々は様々な反応をした。クロス家の破産の話は既に帝都中に広まっており、知らぬ者はいない。多くの者はあからさまに彼を避け、ある者は気の毒そうに彼を見やり、慰めの言葉をくれる者もいた。またある者は侮蔑の表情を浮かべ、或いは馬鹿にしたような下卑た笑みを浮かべたり、皮肉を口にする者もいた。無反応な者も興味のなさそうな者もいた。人間それぞれといったところか。

 いくつかの広間を歩き回って、羞恥と屈辱と様々な感情を抱いた末、彼はようやく目的の人物を見つけた。

 その部屋には一際多くの人が集まっていた。その中心にいるのは小柄な若い女だ。セミロングの茶髪に青白い肌。人が良さそうだが表情の読めない細目、薄い唇。上品で高級そうな絹のシャツに履き易く動き易そうな綿パンを履き、大変派手な真紅のマントを羽織っている。左目には交差する二本の赤いサーベルが描かれた白い眼帯を付けている。

 彼女がこの屋敷の主、レイクフューラー辺境伯である。葡萄酒の注がれたグラス片手にソファに座り込んだ辺境伯の周囲には多くの男女が集まって、何やら熱心な議論を交わしている。

 その集まりから一人離れて壮年の男が椅子に座って煙草を吹かしていた。濃灰色の髪に黒い瞳、背格好は中肉中背。細面で控え目な口髭。外見は紳士のよう。ただ、彼の表情は薄く酷薄な印象を受ける。

「デリエム卿」

 レオポルドは声をかけた。

「久しいな。調子は、まぁ、良いわけはないだろうな」

 デリエム卿は無表情に紫煙を吐いて応じた。卿は辺境伯の側近とされる人物で、若い辺境伯に代わって多くの諸事務を取り仕切っていた。

 レオポルドは苦笑した。デリエム卿は社交辞令を含め必要のない嘘を言わない主義なのだ。

「この度はうちの使用人を受け入れて頂きありがとうございます」

 レオポルドと共に育ってきたフィオリアを受け入れたのはレイクフューラー辺境伯家であり、レオポルドが頼み込み、承諾したのはデリエム卿だった。辺境伯家の屋敷には数百人もの使用人や衛兵が働いており、その一人一人の雇用について辺境伯ともなればほとんど関知せず、部下に一任している。その一任されているのがデリエム卿なのだ。

「その件か。礼には及ばぬ」

 デリエム卿は片手を振りながら言った。遠慮ではないのだろう。これほど大きな屋敷であれば使用人が何人いようとも仕事はいくらでもある。一人二人くらい新たに雇用することは造作もないことだ。

「いえ、大変助かりました」

 それでも、レオポルドは頭を下げて礼を言った。それくらい彼には感謝していた。

「ところで、お願いばかりで申し訳ないのですが、もう一つ、お願いしたいことが」

「ふむ。君も中々図々しいな」

 レオポルドの言葉にデリエム卿は遠慮なく言ったが、その顔はいつもどおりの無表情で、さほど迷惑している風でも嫌がっている風でもない。ただ単に感想として述べただけのようだった。

「家も財産も失った身ですから。遠慮などしても意味はありません」

「確かにその通りだ。それで、そのお願いとやらは何だ」

「はい。南部に詳しい方を紹介して頂けないかと。特にサーザンエンドについて」

 レイクフューラー辺境伯が屋敷を開放して多くの客を招いているのは、ただの道楽ではなく、それ相応の理由がある。これは情報収集の一環なのである。

 辺境伯は情報を大変重要視する人物だった。帝都で、帝国で、大陸で、それどころか世界中で起きていることをなるべく多く詳しく知り得ようと努めていた。彼女はその為にあらゆる手段を講じており、屋敷になるべく多くの人々を集め歓待することもその一環であった。

 単純に人が多ければ多いほど、質はどうあれ情報は多く集まるものだ。辺境伯はなるべく多くの人を屋敷に集め、歓談させることで情報を吐き出させ、それを収集しているのであった。その情報は真偽が定かではないものも多かったが、情報は多ければ多いほど良い。要はそこから正しいものを選べばいいだけの話だというのが彼女の考えであった。

 歓待される客も客で、彼らもまた辺境伯の屋敷で情報収集や情報交換をしている。

 つまり、情報を欲する者にとってレイクフューラー辺境伯の屋敷は非常に好都合な場所であった。その為、彼女がこれを考え、屋敷を開放した十年前から辺境伯邸は多くの人々の情報交換の場となっている。

 クロス家も長年、情報収集と情報交換に利用してきた。父アルベルトは身分に格段の違いがあるものの、辺境伯本人とも懇意であった。レオポルドはまだ若いが既に数年前から世話になっている。

 レオポルドはキスカの言葉の真偽を調べる為に、レイクフューラー辺境伯邸で情報収集をすることにしたのだった。

「サーザンエンドか。そうか。君にはフェルゲンハイムの血が流れていたな」

 デリエム卿はぶつぶつと呟くとレオポルドをじろりと見つめて言った。

「フェルゲンハイム家に身を寄せるつもりか」

「いえ、そういうわけではないのですが……」

 レオポルドは暫し言い淀んだが、デリエム卿には素直に全てを話すことにした。今まで世話になった恩義を感じているし、キスカから聞いた話をデリエム卿に話したところで、自分の不利益になるとは思えなかった。そもそも、失うものなど既に何もないのだ。

「なるほど」

 黙って煙草を吹かせながら聞いていたデリエム卿は顎鬚を摘まみながら呟いた。

「では、上手くいけば、君がサーザンエンド辺境伯に収まる可能性もあるということか」

「いや、まぁ、本当の本当に上手くいけばの話ですが」

「確かに夢物語みたいな話ではある。眉唾である可能性もある。とはいえ、情報を集めてみる価値はあろう」

 そう言って彼は立ち上がった。

「今日はちょうどレガンス司教付司祭が来ていたはずだ。まだ帰っていなければよいがな」

 レガンス司教区はサーザンエンドよりもやや北方にある。帝都にいる連中よりも遥かに南部の事情には詳しいだろう。それに司教付司祭という帝国騎士とは同程度の聖職者ならば話も聞き易い。

 二人の騎士は連れ立って屋敷の中を歩き回り、ある部屋で目的の人物を見つけた。

「プロア司祭殿」

 デリエム卿が声をかけると非常にふくよかな体型の中年の聖職者が振り向いた。白を基調とし、銀の刺繍や飾りの入った聖服を身に纏っている。頭はつるりと禿げあがっていて、顔は真っ赤に染まり、汗でてかてかと輝いていた。丸っこい手にはなみなみと葡萄酒が入ったカップを握っている。

「おほほほ、これはこれは、デリエム卿。挨拶が遅れまして失礼を」

 プロア司祭は機嫌よく笑いながらデリエム卿に歩み寄った。

「いや、しかし、フューラー産の葡萄酒は大変格別ですな。それに、この魚介の料理も非常に美味で。いやはや、このような代物があるから、暴飲暴食がいつまで経ってもなくならないのですなっ」

 プロア司祭はそう言って豪快に笑った。

「おっとっと、そうだそうだ。暴飲暴食を慎むように言うべき聖職者である私がこんなに飲んでいてはいけませんな。そろそろ、控えねば」

「葡萄酒は主の血ですから。それくらいは主も大目に見てくれるでしょう。それに我々がこのような美味なるものを口にできるのも、また、偉大なる主の恩寵でありましょう」

「んん、なるほど。それは確かに。いやはや、それならば問題ないかな。なんて、また、飲み過ぎて酔っ払っては神に怒られずとも、司教様に怒られてしまいますなっ」

 プロア司祭は再び豪快に笑うと、そこで初めてレオポルドに気付いたようで、表情を引き締めた。さすがに初対面の人間を相手にずっと笑っているわけにもいかない。

「司祭殿。こちら、レオポルド・フェルゲンハイム・クロス卿」

 デリエム卿に紹介され、レオポルドは軽く時候の挨拶を述べながら右手を差し出す。

「ほう。フェルゲンハイムといいますと、サーザンエンド辺境伯のフェルゲンハイム家の縁戚の方ですかな」

 司祭はレオポルドの手を握りながら呟くように言った。

 クロス家の破産については知らないようであった。一帝国騎士家の破産など帝都の外に出るほど大きな事件でもないからだろう。レオポルドにとって自家の破産という負い目を晒さずに話せる相手はここ最近いなかったので心情的にだいぶ楽な気がした。

「えぇ、私の祖母がフェルゲンハイム家の出自なのです」

「なるほどなるほど。それで南部にご興味が」

 レオポルドが答えると司祭が応じる。そこへデリエム卿が口を挟む。

「そういうことです。帝都におりますと南部の情報はあまり見聞きできないものですからな。南部に関して些かご教示願えませんか」

 プロア司祭は人のよさそうな笑みを浮かべ、胸を打って請け負った。

「それくらいお安い御用です。おぉ、そうだそうだ。お二人も、どうぞどうぞ。いや、私の酒じゃなくて、デリエム卿の敬愛すべき主君辺境伯閣下の酒なのですがね」

 司祭はそう言って高笑いし、レオポルドも釣られて笑った。デリエム卿は苦笑いを浮かべていた。

『騎士』

 かつて騎士といえば、由緒正しい家柄の武門の誉れある者、或いは戦場で目覚ましい功績を与えた勇士に与えられる称号であり、戦場においては全身を甲冑で固めた重装騎兵として王の軍の主力として活躍していた。

 しかしながら、時代を経て、この時代においては騎士の称号は戦場に限らず、功績を与えた者に対する称号となっている。授与の基準は定まっていないが、高位の貴族の子弟、長く勤務した上級士官や上級官吏、帝国或いは帝室に多額の納税・寄付を行った者などに与えられることが多く、貴族の中では下級の称号として扱われている。

 基本的に一代限りで世襲できないものだが、多くの場合、騎士の子は騎士に叙任されるのが慣例となっている。

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