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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一三章 内憂の年
197/249

一九一

 レオポルドは傷がほぼ治癒するまでの間、寝室から出ることは一切許されず、安静に過ごすことを余儀なくされた。

 その間、政務は重臣や側近たちに任せて治療に専念するというのができないのがレオポルドという人間で、毎日欠かさず寝台で横になりながら報告書を読み、適宜に指示を出していた。

 特に内務長官兼ハヴィナ長官を務めていたシュレーダー卿の後任人事は他人に任せることなどできない重要なものであった。高官人事は君主の専権事項なのである。

 レオポルドが後任の内務長官として指名したのはクレメンス・ヴァン・キルヴィー卿であった。以前はウェンシュタイン男爵家の家令を務めていた帝都貴族であり、現在は外務長官を務めている。

 卿は冷厳な切れ者で指導力にも事欠かず、内務長官職も満足に務められるだろう。レオポルドへの忠誠心には疑問符が付くものの、数年前に移り住んだばかりのサーザンエンドでは影響力が限られており、内務長官という強権を手にしても忠実に職務を遂行することが自身の利益に適う限り、レオポルドに刃向うような真似はしないだろうと思われた。

 キルヴィー卿の異動によって空席となった外務長官には式部官ゲオルグ・ハルトマイヤー卿。その後任にはベルンハルト・ルーデンブルク卿を当てることとした。

 ルーデンブルク卿を任命したのはレッケンバルム卿への配慮であることは言うまでもない。これまで一族の中で冷遇され、部屋住みを余儀なくされていた為に公職経験を有しない卿ではあるが、儀礼や式典を司る職務である式部官ならば多少の不慣れや誤りがあっても大きな問題は生じないとレオポルドは考えていた。宮中には宮内長官アイルツ卿、侍従長ライテンベルガー卿といった経験豊かな廷臣もいるので、問題が生じても上手く収めてくれるだろう。

 シュレーダー卿が兼務していたハヴィナ長官の後任にはかつて辺境伯宮廷で御料長を務めていたヴォルフ・モールテンブルク卿が任じられた。

 モールテンブルク卿はレッケンバルム卿に近く、ブレド男爵の攻撃を前にしてレオポルドらと共にハヴィナを脱出したハヴィナ貴族の一人でもある。ハヴィナ八家門には及ばないものの、ハヴィナ貴族の中では中の上といった家格で、齢は四〇半ば程。

 レオポルドはあまりモールテンブルク卿とは親しくなく、高官の地位に相応しい人物であるかすら知らなかった。ただ、派閥と家格、年齢を考慮した結果の人事なのである。

 適切な人事とはとても言えないが、サーザンエンド貴族の支持を得る為には上手く官職や役職を配分してやる必要がある。サーザンエンド貴族との協調関係を維持する為には多少都合が悪かろうとも妥協せねばならないのだ。

 そもそも、全ての官職をレオポルドに近い者で占めようというのは到底不可能なことであった。レオポルドと親しく経験も能力も高官の地位に足るという者は数人に過ぎないのだ。

 妥協の産物に他ならない長官人事と合わせて、ラジア代官が廃止され、代わってハルガニ地方一帯の統治を担当する地方総監が新設されることとなった。

 地方総監には南岸地方一帯に駐屯する諸部隊の指揮権も与えられ、地域の防衛と治安維持の責任者となる。

 初代のハルガニ地方総監にはレオポルドの側近であるバレッドール将軍が就任し、将軍が務めていた宮廷軍事顧問官の職務はルゲイラ兵站総監が兼務する。

 民政経験に乏しい将軍を補佐する民政部門の事務方の長首席事務官には更迭されたシュレーダー卿の次男エーリヒ・シュレーダー卿が当てられた。エーリヒは父の秘書官を務めていた為、行政事務にも精通しているのだ。

 徴税や財務を担当する財務官は徴税監督官やファディ市の財務官を務めた経歴を持つカルマン族のアクバイ・アルナフ・バティルが任じられた。彼はアイラのはとこにあたる人物である。

 ともかく、この人事によってムールド地方はエティー卿、ハルガニ地方はバレッドール将軍と、両地域の統治責任者にはいずれもレオポルドの側近が据えられることとなった。これはムールド・ハルガニを重視するというレオポルドの姿勢の表れと言えよう。

 これまでラジア代官を務めていたディーテル卿は駐在武官として帝都に赴くこととなった。この人事はラジア統治の失敗に対する左遷と見られた。

 それに伴い、これまで帝都駐在武官であったジルドレッド将軍の長男カール・ジギスムント・ジルドレッド卿がハヴィナに戻り、レオポルドの身辺警護を担当し、今回の暗殺未遂を阻止できなかった責任を取って更迭された近衛歩兵連隊のハイドリヒ・ハルトマン少佐の後任に収まった。

 同じく警護責任者であった近衛騎兵連隊副長のサライ・ナザム・タキム中佐も更迭され、後任には第一ムールド人軽騎兵連隊の副長ジルベール・タブラン中佐が当てられた。タブラン中佐はかつてアルトゥールの指揮下で働いていた騎兵将校である。

 サライ中佐もハルトマン少佐も長らく近衛部隊の指揮官であったキスカを補佐してきた信頼できる数少ない士官であったから、更迭避け難い事態となったのはレオポルドとしても痛手であった。

 もっとも、レオポルドは二人を無役として遊ばせておくつもりはなく、ハルトマン少佐をレイクフューラー辺境伯領駐在武官に左遷するという建前で、帝国本土東岸部の情報収集に当たらせることとした。近年、レイクフューラー辺境伯は銀猫王国の継承戦争に介入しており、その動向がレオポルドとしても気になっていたのだ。

 サライ中佐は軍事評議会付という無役士官の待機席のような役職に追いやられたが、レオポルドは彼を軍事部門の秘書兼ムールド語通訳として身近に置こうと考えていた。キスカが妊娠によって抜け、バレッドール将軍がラジアへ行ってしまった後の穴を少しでも埋めなければならない。


 レオポルドが寝室に閉じ込められて一月と少し経った頃、アルトゥールとエリーザベトの婚礼がウォーゼンフィールド男爵家のクライセンバート城で催された。

 フェルゲンハイム一門でもあり有力な男爵家を継承するアルトゥールの婚礼となれば本来は出席が当然であり、辺境伯夫妻宛ての招待状も届いていたが、未だ傷が癒えていないレオポルドはこれ幸いと欠席することにした。

 レオポルドとアルトゥールの関係はそれ程良好というものではなかったし、個人的にもあまり相性が良い間柄とは言えない。性格や価値観も合わないと感じており、相手がどう思っているかは分からないが、レオポルドとしてはあまり顔を合わせたり話をしたりした相手ではないのだ。

 とはいえ、一門にして有力な臣下であるアルトゥールとの関係を避けることはできるはずもない。通常ならば婚儀に欠席することなど断じてありえないことであるが、刺された傷が癒えていないというのならば欠席は止むを得ないというものであろう。

 同じようにアルトゥールを個人的に好いていないリーゼロッテも夫の看護をする為として欠席し、辺境伯の代理として宮内長官のアイルツ卿と新任されたばかりの式部官ルーテンブルク卿、それに女官長のランゼンボルン男爵夫人が婚礼に出席することとなった。その他、多くのサーザンエンド貴族がクライセンバート城まで出かけて行った。

 婚儀はそれに伴う宴会や催事を含めて数日に及ぶ。出席者は歌劇、舞踏会、夜更けまで続く宴席を楽しむ。客人たちはクライセンバート城内に部屋を与えられ、そこで数日寝起きすることになる。

 事件はそれら一連の行事が全て消化された最終日に起きた。

 夜まで及んだ賑やかな催事と宴の名残も消え失せ、誰もが寝静まった深夜遅く、ランゼンボルン男爵夫人の部屋に侵入した者があったのだ。

 不埒にも寝台に上がり込んだ何者かに気が付き目を覚ました男爵夫人は咄嗟に脇机に置いてあった蝋燭立てを掴んで無礼者を打ち、護身用として肌身離さず持っていた短刀を振り回して、侵入者を追い払った。

 城内は大変な騒ぎとなったが、犯人の素性が知れる前に男爵夫人を含めた客人たちはハヴィナへ帰り、以後の捜査はウォーゼンフィールド男爵に任されることとなった。

 数日して男爵からは城に仕える下男が犯人であったとして直ちに処刑したという知らせが届いた。

「ウォーゼンフィールド男爵は此度の不祥事の責任を取ってクライセンバート城に蟄居するとのことです」

 寝台に寝そべりながらレンターケットから報告を聞いたレオポルドは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「その男が下手人だという証拠はあるのか」

「さて、男爵からの報告にはその者が犯人であるという具体的な根拠は記述されておりませんな」

「確たる証拠もなしに処刑したとなれば重大な不法行為ではないか」

 大陸の辺境とはいえ、サーザンエンドも法によって統治されている。戦時ならばいざ知らず平時において罪を罰するには裁判手続きが必須であることは言うまでもない。レオポルドを暗殺せんとしたニクもサーザンエンド高等法院による裁判を受ける予定となっており、糾問官の取り調べが続いている。君主を暗殺しようとした者でも裁判を受けるのだ。淑女の寝室に入り込んだ者が裁判も受けずに処刑されるのは不法ではないだろうか。

 しかしながら、未だ守旧的な慣習が色濃く残るサーザンエンド辺境伯領において領主はその領内の裁判権を有していた。つまり、自身が統治する領内の問題を自ら裁定することができる。故にウォーゼンフィールド男爵が自身の領内で起きた犯罪の下手人を自らの裁判権によって処断したことは全くの無法とまでは言い切れないかもしれない。

 もっとも、領主裁判権が認められているとはいっても、法に基づいて取り調べや裁判、記録が行われるべきであり、確たる証拠もなく容疑者を処断したことは法による統治に反するものとして非難されるべきであろう。

 たった数日の捜査で犯人を断定し、即刻処刑したにも関わらず、確たる証拠も述べないというのは、正式な法手続きを無視したあまりにも稚拙過ぎる措置と言わざるを得ない。

 そこにレオポルドは疑念を抱いていた。

「リーゼロッテが男爵夫人から聞いたところによれば、伸し掛かってきた不埒者からは葡萄酒や香水の匂いがしたそうだ。暗闇の中で顔は確かめられなかったそうだが、背が高く、がっちりとしていて、着ている衣服は上等なものに見えたようだ」

「犯人は別にいるということでしょうか。となると、男爵の稚拙な措置も真の犯人を隠匿する為、真実が露見する前に身代わりを処刑し、早期の幕引きを図ったと説明ができますな」

 レンターケットの言葉にレオポルドは渋い顔で頷く。

「では、真犯人は誰でしょうな」

「それを探るとややこしくなる。男爵夫人には申し訳ないが、今は放っておくしかないだろう」

 そう言ってレオポルドは軽蔑するように吐き捨てる。

「全く下劣なことだ。糞忌々しい」

 ちょうどその時、扉が叩かれ、彼は咳払いをしてから入るように告げた。

 やって来たのは新任されたばかりのハルトマイヤー外務長官で、その顔色は緊張と興奮が入り混じったものであった。

「閣下。先程、帝都より知らせがあり、皇帝陛下の勅使がハヴィナへ来られる予定とのことでございます」

「勅使とは、一体何の用で来られるのでしょうな」

 レンターケットが素直に疑問を口にする。

「未だ不確定ではございますが、帝都からの知らせによりますと、どうやら帝国議会への召集を命じる勅使ではないかとのことです」

「帝国議会への召集だと……」

 ハルトマイヤー外務長官の言葉にレオポルドは嫌そうに顔を顰めた。

 君主が議会を召集する理由は概ね決まっているのだ。増税である。

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