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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一三章 内憂の年
196/249

一九〇

 刺されても比較的冷静なレオポルドであったが、馬車に揺られてハヴィナ城へ向かう途中で発熱し、灰古城の玄関前に到着した頃には馬車から下りるにも支えを必要とする程の高熱となっていた。

 護衛してきた近衛連隊の士官や待ち受けていた侍従たちに担がれるような格好で寝室に運び込まれ、寝台で横になった頃、意識は朦朧としていた。

 寝室には馬車に同乗していた医師の他、宮廷の医師たちが集まってレオポルドの診断を行い、揃って青い顔をしたリーゼロッテやキスカ、アイラ、フィオリア、侍従長や女官長らが見守る中、最年長の医師が重々しげに告げた。

「閣下の御容態は極めて危険な状況にございます。もしやすると凶器に毒が塗られておったのやもしれません」

 医師の告知を聞いたアイラはふらふらと倒れかけ、傍にいたキスカとフィオリアがその体を支え、手近な椅子に座らせる。

「ど、毒だとっ。ならば、解毒せねばなるまいっ。急げっ」

 ライテンベルガー侍従長が目を剥いて怒鳴りつけるような調子で言い放つ。

「しかし、一体全体何の毒が塗られていたのか分からねば解毒薬の処方のしようがございません。まずは容態をよくよく観察せねば」

「そのような悠長なことを申している場合かっ」

「止めなさい。医師を怒鳴りつけてもしようがないでしょう」

 リーゼロッテが嗜めるように言い、侍従長は気まずそうに口を噤む。

「アイラ。大丈夫。下がっていたら。レオが目を覚ましたら呼ぶから」

「いえ、平気です。お気遣いありがとうございます」

 フィオリアに気遣われながらアイラは部屋を出ようとはしなかったが、顔色は真っ青と言って良く、今にも気を失いそうな様子だ。

 キスカは暫くレオポルドの顔を見つめていた後、無言で部屋を出て行く。

「彼女はどちらへ」

「さぁ」

 リーゼロッテに問われ、フィオリアは首を傾げながらキスカの後を追う。

「キスカ。具合悪いの」

「いいえ、平気です」

 フィオリアの問いをきっぱりと否定し、キスカは速足で廊下を突き進む。

「何処へ行く気なのさ」

「牢へ向かいます」

「……まさか」

「犯人から凶器に塗った毒の種類を聞き出します。どんな手を使ってでも必ずっ」

 キスカは眦を吊り上げ、火でも吐きそうな調子で言い放つ。

「ちょっ、ちょっと待ってっ。犯人の尋問は担当の役人がやっているのだから、キスカが行くことはないでしょっ」

 慌ててフィオリアはキスカを止めようと、その腕を掴むが、小柄な彼女では引き摺られるだけでその歩みを止めることすらできない。

 普段は寡黙で冷静、無表情で何を考えているかよくわからないが、実は大変峻烈な性格の持ち主であり、特にレオポルドに係ることでは極めて過激な言動を取ることをフィオリアはよく理解していた。

 何せレオポルドを裏切った自らの一族をその手で皆殺しにしたような女性なのだ。暗殺を試みた者にどのような仕打ちをするか予想もつかない。下手をすれば証言を聞き出す前に殺してしまいかねないだろう。

 なんとか止めようと彼是言いつつ腕を引くフィオリアを引き摺りながら廊下を進み、階段を下りたキスカであったが、踊り場で突然その歩みを止め、口元を抑えて屈み込んだ。

「わっ、何、どうしたのっ。具合悪いんじゃないっ。誰かっ。医者を呼んでっ」

 幾度か咳き込んむようにした後、ついに胃の中身を吐いたキスカの背中を摩りながら、そういえば、彼女は今朝から具合が悪く、レオポルドが城下へ視察に出た時も同行していなかったことをフィオリアは思い出す。

 おそらく、彼女のお腹の中には新しい命が宿っているのだ。


 結局、刺された場所が急所から離れていた為、毒の回りが良くなかったせいか、あまり威力のある毒ではなかったのか、はたまた刃に毒など塗られていなかったのか、或いは毎日の入浴が功を奏して抵抗力が強かった為か、レオポルドの容態は間もなく安定し、一晩寝た翌朝には意識もはっきりとしており、少し熱っぽいが大したことはないという様子となった。

 とはいえ、傷が癒えるまで暫くの間は安静にしているようにとの医師の宣告を受けた彼は、リーゼロッテによって寝室から出ることを禁じられ、寝台から起き上がることすら制約される始末であった。三度の食事も寝台から出ることなく、上体を起こした姿勢でスープや粥を食べさせられ、布団から出るのは幾度かの用便と一日一回身体を湯で拭う時のみとされた。

 入浴が禁じられたレオポルドはこの世の終わりのような顔をしたが、リーゼロッテに睨まれ、アイラに涙で潤んだ瞳で見つめられ、口から出かけた不平不満は腹の中に押し込んだ。

 レオポルドが押し込められた寝室に訪れることができる人間は厳しく制限され、控えの間には侍従や女官、医師が交代で常時待機していて、医師は日に三度診察を行った。

 寝室にはリーゼロッテかアイラが半日交代で常駐してレオポルドの看護に務め、食事の世話は勿論、身体を拭う作業や用便の世話まで手ずから行うような献身ぶりであった。

 フィオリアは日に何度か訪れて小言を漏らしながらシーツやタオルを回収したり、リーゼロッテやアイラへ食事や飲み物を差し入れたりした。妊娠の兆候が見られるキスカは一日に一度だけ顔を見せにやってきた。

 ソフィーネは数日に一度くらい冷やかしに訪れ、小娘の短刀すら避けられないとは嘆かわしい。武芸の鍛錬を怠っているからだと説教じみたことをぐちぐちと言ってレオポルドを馬鹿にしたが、全く仰る通りなのでレオポルドは反論もせず黙って聞いていた。

 傷が塞がり始めるとサーザンエンド貴族のお歴々がお見舞いに訪れた始めた。互いに気を使うだけであり、決して心身に良いものとは言えないが、お見舞いに行かないわけにも、それを拒むわけにもいかない。

 もっとも、高官たちの用事はレオポルドの枕元に花と果物を供えるだけではなく、むしろ、それは建前というものである。

「ラジアではアスファル族の暴動が起こり、ハルアクとその甥や息子ら数人が殺害されたとのことです」

 真っ先に面会に訪れた宮廷軍事顧問官バレッドール将軍は深刻な面持ちで告げた。

「暴動は程なくしてラジアに駐屯していた第三ムールド人歩兵連隊によって鎮圧されたようですが、南ムールドではまたもやレイナルを名乗る男が現れ、一部の不埒な者どもを扇動し、武装蜂起を起こしたようです。直ちに第四ムールド人歩兵連隊と第二ムールド人軽騎兵連隊が鎮圧に向かっております。ムールドやハルガニの諸部族の多くには叛乱に同調するような動きは見られません」

 これらの一連の騒ぎはハヴィナでレオポルドが刺されてから数日と経たないうちに起きている。明らかに前もって計画されたものと見做すべきであろう。

 暗殺が成功していた場合、ラジアの暴動や南ムールドの武装蜂起に加担する者が現れ、叛乱はより大規模なものとなって、ムールド・ハルガニの混乱はより大きなものとなって長期化する可能性は十分にある。

「あの娘が全てを画策したとは思えんな」

 寝台に横になったままレオポルドが呟く。

 叛乱はアスファル族が住むラジアだけでなく南ムールドにも及んでいる。そもそも、暗殺の実行犯となったニクをハヴィナまで連れてきて、実行の時まで匿い、資金を提供した者がいるはずである。アスファル族の残党や南ムールドの反レオポルド派の一族だけで計画・実行できるものではないとレオポルドは考えていた。

「目下、関係や協力者、背後関係も含め捜査中です。しかしながら、枢密院では内務長官と護衛の任に当たっていた近衛連隊の責任を問う声が上がっております」

 内務長官は辺境伯領内の治安維持の総責任者であり、サーザンエンド竜騎兵隊などの治安組織の上役でもある。現在はハヴィナ貴族の長老でムールド伯領総監を務めていたヨハン・シュレーダー卿の子息ゲハルト・シュレーダー卿がその職にあり、ハヴィナ長官も兼務していた。

 結果として暗殺は未遂に終わったものの、ハヴィナ市内に潜伏していたニクやその一党を見逃し、白昼堂々とレオポルドを襲撃されたとなれば、治安責任者や護衛の油断や責任を問う声が出るのは当然というものであろう。

「シュレーダー卿も辞任を申し出ております」

 バレッドール将軍の隣に立ったレンターケットが言った。

「まぁ、仕方ないか」

 ハヴィナ八家門の中では数少ない親レオポルドの立場を明確とするシュレーダー卿が政府高官から退くのはレオポルドにとって大きな打撃ではあるが、これほどの失態となれば辞任は避け難い。

 問題となるのはその後任に誰を据えるかである。治安機関の長である内務長官の地位は極めて重要であり、レオポルドとしては自身の息のかかった者を当てたいところだ。

「レッケンバルム卿は内務長官にルーデンブルク卿を推挙する意向のようです」

「馬鹿な。あり得ん」

 レンターケットの言葉にレオポルドは渋い顔で即座に却下した。

 ルーデンブルク家はハヴィナ八家門の一家であり、家格として不足はないものの、レオポルドに敵対した後、現当主ベルンハルトの義兄であるレッケンバルム卿の働きによって恩赦された過去を持つ。

「ルーデンブルク卿はこれまでほとんど官職を経験していないだろう。いきなり内務長官という重職を任せるわけにはいくまい。レッケンバルム卿の操り人形になることは明白だ」

「まぁ、そうでしょうなぁ」

 レオポルドの言葉にレンターケット、バレッドール将軍は素直に頷く。

 後任の内務長官は暗殺に加担した者を探し出し、その背後関係を調査する指揮を執らねばならず、その仕事は容易いものではなく、高い指導力が求められることは言うまでもない。

 とはいえ、強力な権限を持つ地位であるから万が一にもレオポルドに背かないような人物を当てたいところである。

 また、近衛連隊の主だった指揮官たちの更迭も止むを得ず、こちらの後任人事も考えねばならない。

「ディーテル卿も交代させるべきだな」

 レオポルドは今回の騒動の元凶は代官であるディーテル卿のラジア統治の失敗にあると感じていた。

 これまでのラジア統治は貿易港としての役割を過度に重視し、港湾施設の復旧と南洋貿易会社関連の施設の整備に重きを置きすぎて、戦禍に見舞われたラジア市民の生活復旧などは後回しにされていた。

 民政はほとんどラジア代官ディーテル卿とハルアクらに丸投げされ、彼らはアスファル族の生き残りに厳しい態度を示し、困窮する生活を救済しようなどとはほとんど考えなかった。

 アスファル族が反感を抱くのは至極当然と言えよう。

 ある意味では今回の一件は起こるべくして起きたとも考えられ、ラジアの港湾都市としての機能のみを重視し、そこに住むアスファル族の生き残りに関心を示さなかったレオポルドの責任とも言える。

 とにかく、アスファル族に兄を殺されたという遺恨を持つディーテル卿をラジア代官に据え続けるのは無益な人事であることは明白であった。

 それから暫くの間、レオポルドは日がな寝台で横になったまま人事に頭を悩ませることとなる。

 バレッドールやレンターケットら側近たちの見舞いを兼ねた情勢報告を受けた翌日からはハヴィナ八家門をはじめとするサーザンエンド貴族のお歴々が連日に渡って見まいに訪れた。

 さすがに怪我人であるレオポルドに向かって内務長官や近衛連隊の責任を問うたり、後任人事について尋ねたりするような不躾な者はいなかったが、中にはレオポルドが後任人事について口にすることを期待したり、もしかするとこの場で自分が指名される僥倖に見舞われるのではないかと落ち着かない様子の者もいた。

 そういう態度を見せる輩は漏れなく面会には必ず同席する侍従長のライテンベルガー卿に軽蔑するような目で睨まれ、

「閣下はお疲れである。早々に退出されたい」

 と追い出された。

 見舞客は基本的には誰もが沈痛そうな顔をしたり、無事を祝ったり、主に感謝したり、中には涙を浮かべる夫人までいた。それらの表情や言動、仕草が本心なのか演技なのかレオポルドには判別できなかったが、他人の虚飾や社交辞令や嘘を見抜くのが得意なリーゼロッテは見舞客が来るとその様子をそっと観察し、部屋を出て行くと、

「今の夫人の涙は嘘よ。淑女はあれくらいの涙は平気で流せるものだから」

「先の老人は本心では残念がっているように見えたわ。恨まれることでもしたの」

 などと彼是解説をして見せた。

 レオポルドは彼女の言葉が必ずしも正しいとは思っていなかったが、おかげで退屈しないでいられた。何せ見舞客と交わす言葉は誰と会っても毎度ほとんど同じで、毎日何度も何度も同じようなことを言われて同じことを言い返す日々に飽き飽きしていたのである。

 ただし、例外もいた。まず、レッケンバルム卿は見舞いの言葉は口にしていたが、表情と態度はいつもとさして変わらぬ不機嫌そうな仏頂面であったし、アルトゥールは見舞いの言葉の後にエリーザベトの婚礼について話し始めてすぐさま侍従長に追い出された。

 見舞客の中で最も沈鬱とした面持ちで訪れたのはアーウェン士族の一行で、レオポルドは彼らが怪我人の見舞いではなく、葬儀に招かれたと思っているのではないかと疑ったくらいに揃って暗い顔をしていた。

「この度は我らの短慮により閣下の御命を危険に晒してしまい誠に申し訳ありませぬ」

 年嵩のチェルボスク卿が代表して謝罪し、アーウェン士族たちは揃って頭を垂れた。常に誇り高く堂々と胸を張っている士族らしからぬ態度である。

 彼らはニクの仲間に愚弄されて激昂し、街中で剣を抜きかけるような騒動を起こしてしまい、警護の兵をレオポルドから離す為の陽動にまんまと引っ掛かってしまったのである。そうして、身の回りが手薄となったレオポルドをニクの刃が襲ったのだ。

「閣下にはいくら重ねてお詫び申し上げても足りない限り。責任を取って我が首を差し出すべきかと存じますが……」

「いや、それは結構」

 いつもはピンと伸びている長い口髭がなんとなく萎れているベギンスキ卿の申し出をレオポルドは即座に却下した。首を貰っても嬉しくも何ともない。

「それよりも思いがけず此度の滞在が貴殿らにとって不愉快な滞在になってしまったことをお詫びいたしたい。主人として歓待すべき私がこのような様と成り果て面目次第もない」

 そう言ってレオポルドが頭を下げると、アーウェン士族たちは途端に狼狽し始めてしまった。

「滅相もございませんっ。どうか頭を上げて頂きたいっ」

「此度の事態は我らの失態っ。閣下の責ではございませぬっ」

「このような無様を晒した挙句、閣下にかような御言葉を頂いては申し訳ないっ」

 挙句の果てには己の不甲斐なさからか悔しさからか涙を浮かべ、鼻を啜る士族まで出る始末であった。

「貴殿らを愚弄した無礼者は厳罰に処し、二度と同様の事態が起こらないよう注意いたしたい」

 レオポルドが言葉を続けるとアーウェン士族一同はその場に膝を突いて再び頭を下げる。

「閣下の御配慮と御恩情には感激のあまり言葉も出ませぬ」

「我輩は此度のことは決して忘れませぬぞっ」

「我も同じくっ」

「同じくっ」

 厳めしい髭面の大男たちは揃って感涙に瞳を潤ませ、レオポルドに感謝の言葉を述べた。

 この一件によって、滞在中の歓待によって親近感を覚えていた彼らはレオポルドに恩義まで感じ、すっかり親レオポルド派となってしまう。彼らはアーウェンに帰国した後も事あるごとにサーザンエンド辺境伯に味方するよう主張し、レオポルドを大いに助けることとなる。

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