一八五
結果から言ってレイナルと名乗る男が扇動した叛乱は呆気なく鎮圧された。
その第一の理由はムールド諸部族の支持が得られなかったからに他ならない。
叛乱を起こしたのはムールド南部の有力部族であるムラト族の族長と対立する氏族の者たちだけで、他の氏族や部族から支持されることもなく、広がりを欠いていたのである。
その上、ムールド伯領総監エティー卿の行動は早かった。ファディに駐屯していた第二ムールド人軽騎兵連隊とムールド領内の竜騎兵隊を掻き集めて軍勢を組織するとと共にムールド諸部族に援軍を要請した。
元より親帝国でレオポルドの忠実な支持者であるムールド北部の諸部族のみならずレイナルの出身部族であるクラトゥン族を含む南部の諸部族も要請に応えて兵を供出し、その中にはムラト族の主流派の者たちも含まれていた。
その軍勢は寄せ集めではあったものの三〇〇〇以上にもなり、アルトゥールが二個騎兵連隊を率いてファディに到着した頃には叛乱は呆気なく鎮圧されており、叛乱を扇動した男も捕縛されていた。
男はレイナルを名乗っていたものの、その顔を見た者たちは口々にレイナルとは別人であると証言し、全くの偽者であった。
レイナルの名はレオポルドの統治に対する叛乱を扇動するにはうってつけなのである。
レオポルドは叛乱の鎮圧と主導者の捕縛の報告を受けると叛乱を起こした主要な者たちをハヴィナへ送るよう指示した。彼らは反乱罪で訴追され、サーザンエンド高等法院で裁かれるだろう。
その頃のレオポルドにはムールド南部の小規模な叛乱に関心を寄せている余裕などなかった。より重大な問題が北の方で発生していた為である。
サーザンエンド継承戦争の終盤におけるアーウェン諸侯との戦いの後、レオポルドとアーウェン諸侯との間には和平が結ばれ、次のことが取り決められた。
ラヨシュ・ガナトス男爵はサーザンエンドを追放され、家督と男爵位は子息マレックが継承する。
その領地の半分はガナトス家の縁戚のアーウェン人系小領主たちに分配される。彼らはアーウェン人と父祖を同じくするアーウェン士族でありながら、サーザンエンドに領地を持ち、辺境伯に忠誠を誓うサーザンエンド貴族でもある。
男爵家の領地が半減されたのはレオポルドに反抗した懲罰なのであるが、その領地がレオポルドの直轄領にならず縁戚の貴族に分け与えられたのはガナトス家の反発を減じる為、前男爵から一族への分与という形式を取った妥協的な措置であった。
ガナトス男爵家からすれば領地を半減されたことは経済的な打撃であるばかりでなく、腸が煮えくり返る程の恥辱でもあったが、それを手にしたのが親類であるからまだ我慢しているのだ。
元よりガナトス男爵家はこの取り決めに大きな不満を持っており、和平を主導した有力なアーウェン諸侯であるヴィエルスカ侯の圧力に屈して渋々と和平を受け入れているに過ぎない。
故に男爵領の半領を手にした縁戚の三家とガナトス男爵家の関係は極めて微妙で繊細なものであった。
ところが、領地を分配された三家のうちの一家であるロッセン家の夫婦仲は極めて険悪で、同じ屋敷に住んでいながら顔を合わせることは滅多になく、もう何年も言葉を交わしていないと云われていた。結婚して二〇年にもなるのに二人の間には子供もなかった。
そして、帝歴一四二年の末、ロッセン卿夫人である前男爵の妹が急死し、ロッセン家はガナトス男爵家にとっては何の所縁もない他人となってしまった。
ロッセン家はガナトス家の縁戚であるが故に、政治的な駆け引きの結果、旧男爵領の六分の一を手にしたのである。縁戚ではなくなってしまった場合、この領地はどうなってしまうのか。
旧男爵領がロッセン家に与えられたのはガナトス家の娘を娶っているからに他ならず、この所領はガナトス家の血統によって継承されるべきであろう。
とはいえ、妻の遺産を夫であるロッセン卿が相続するというのが当然とも考えられる。
本来なれば、所領の正当な継承権を巡る争いは法廷で争われるべきであろう。
実際、サーザンエンド高等法院で係争される訴訟の多くは所領や財産を巡る貴族同士の争いで、特に遺産の継承や贈与、譲渡に係る諍いは極めて多かった。
しかし、ロッセン家は法廷闘争を避けようと試みた。子のないロッセン卿の後継者を弟と定め、旧ガナトス領を含む所領を継承させることとし、ガナトス男爵家の介入に備えて兵を集めると共に友好関係のある貴族たちの支援を求めた。
言うまでもなく、この動きはガナトス男爵を大いに刺激した。間もなくロッセン卿夫人が死去したことも男爵の知るところとなり、予想通り男爵は叔母の遺産の継承権を主張した。ガナトス家の血統ではないロッセン家がガナトス家の財産を保有する道理があろうか。
ロッセン家が男爵の要求に従うはずもなく、両家は兵を集めて軍勢を組織し、数日のうちに武力衝突寸前といった情勢に至った。
この事態に慌てたのがレオポルドである。
サーザンエンド継承戦争の最後の懸案であり、アーウェン諸侯との関係にも大きな影響を与えるガナトス問題がようやく片付いたと安堵していたのが半年もしないうちに再燃し始めたのである。
その上、レオポルドが件の問題に気付いた時には既に両家は武装しており、のっぴきならない情勢となっていた。
というのも、ムールド諸部族を主な支持基盤とし、様々な協力者が居住しているムールドを含むサーザンエンド南部に比べ、サーザンエンド北部はレオポルドにはあまり縁のない地域であった。
サーザンエンド北部は勿論サーザンエンド辺境伯領であり、レオポルドの支配下にあるものの、帝国系のドルベルン男爵とアーウェン系のガナトス男爵の影響力が強く、彼を積極的に支持し、様々な情報を細々と直ちに報告してくれるような協力者が極めて少ないのだ。
このような事情からレオポルドの初動は遅れ、北部の情勢に明るいドルベルン男爵に情報収集を、アーウェンとの国境沿いに展開する軍勢を指揮するジルドレッド将軍に不測の事態に備えるよう指示を出す頃には既にガナトス男爵は軍勢を動かし始めていた。
そもそも、マレック・ガナトス男爵はレオポルドという男を全く信用していないのである。彼の父ラヨシュはレオポルドによって追放され、彼が継承した領地は元の半分に削減されてしまった。戦いに敗れた結果とはいえ、恨みを持つのは当然というものであろう。
ガナトス家にとっては仇敵と言っても過言ではないレオポルドの従属下に身を置くことは大変な恥辱であるだけでなく、いつ粛清されるかという不安と猜疑に苛まれる日々でもあった。
マレック・ガナトス男爵が稚拙で無謀な軍事行動を起こしたのはレオポルドへの不信や不満、不安などが根底にあったと言えよう。
ガナトス男爵の軍勢はロッセン領に侵入すると半数にも満たないロッセン軍を打ち破り、ロッセン卿とその後継者に定められた弟をはじめとするロッセン家の一族数十名を尽く血祭に挙げた。
ロッセン家と同じく旧ガナトス領を与えられていた残りの二家は男爵の暴挙に怯えて領地を放棄して逃げ出してしまい、マレック・ガナトス男爵は一週間も経たないうちに旧領を回復した。
ガナトス男爵は更に兵を募って軍勢を強化し、アーウェン諸侯にも支援を求めるなど、レオポルドに対抗する姿勢を鮮明にする。
後手に回ってしまった形のレオポルドはムールドに向かわせたアルトゥール軍を反転北上させると共にサーザンエンド・フュージリア連隊と第二サーザンエンド歩兵連隊を北部の都市コレステルケに送ってジルドレッド軍を支援する態勢を強化する。
しかし、レオポルドは軍事行動には慎重であった。乗り気じゃないと言っても良い。
それは勿論、戦争には金がかかるからであるが、それだけでなく、アーウェン軍との戦闘を避けたかったからである。
レオポルドは何度もアーウェン軍に敗れており、特に大陸一とも名を轟かせるアーウェン槍騎兵の精強さは身を以て思い知っている。真正面からぶつかって勝てるかどうか疑わしい戦争などすべきではないことは言うまでもないだろう。
かといって再び反抗的な姿勢を見せたガナトス男爵を放置するわけにもいくまい。このまま謀反を起こした愚か者を放任してはサーザンエンド辺境伯の権威には大きな傷が付くだろう。
そこでレオポルドは賢明な手段を選んだ。
アーウェン王国元帥を務めるヴィエルスカ侯ユゼル・スタニスワフ・クレーヴィチはアーウェン士族の中でも最も有力な四侯の一人で、アーウェンでは最も豊かな貴族である。
侯の巨大な邸宅はアーウェン中部の都市ポズスクにある。ポズスクはかつてアーウェン王国の首都が置かれていた町で、アーウェンの古都と呼び称されていた。
ポズスクは自治が認められた自由都市であったが、百年程前にヴィウェルスカ侯の支配下に入り、侯領の実質的な首都となっている。
レオポルドの侍従武官フェルディナント・ネルゼリンク卿はポズスクを訪れていた。
卿は前の和平でも交渉を担当し、ヴィエルスカ侯とも何度か顔を合わせて話し合った人物である。元々はレウォント方伯の家臣でリーゼロッテの輿入れに同行してレオポルドの宮廷に入り、アーウェン語に堪能でヴィエルスカ侯とも顔見知りであったことからアーウェン担当外交官のような立場になってしまっていた。
「和平を結ぶのは容易であろう。反対する者は多くないのだ。皆、ガナトス家の我がままに振り回されるのに辟易としておる」
ヴィエルスカ侯は不機嫌そうに言うと真っ赤な葡萄酒の入った杯を傾けた。
「我々が何度支援の手を差し伸べてやったと思っておるのだ。同胞を見捨てるわけにはいくまいとて助勢してやったのを良いことに、それを幾度も繰り返しておるのだぞ。口に出しては士族の沽券に係わる故、誰も言わぬがな。ガナトスの連中がやっておるのは同胞の善意をただ食いしているようなものだ」
侯は真っ赤な顔で捲し立てる。空になった杯には再び葡萄酒が注がれる。もう何十回も見た光景だ。
「御心情お察しいたします」
ネルゼリンク卿は恭しく言って頭を下げる。
「君が頭を下げることはない。士族たる者はそう易々と頭を下げてはいかんぞ」
そう言って侯はネルゼリンク卿の頭を上げさせてから、
「いや、君はアーウェン士族ではなかったなっ」
と言って大笑いした。
幾度も顔を合わせた結果、ヴィエルスカ侯はすっかりネルゼリンク卿を気に入っている様子であった。同胞であるガナトス家に対する不平不満を言って聞かせるのがその証左と言えよう。
無論、それはネルゼリンク卿が努めて侯に気に入られるようにした結果でもある。
外交とは交渉であるが、それ以上に重要なのは相手と信頼関係を構築することである。
交渉で言い負かしたりより良い条件を勝ち取ることは格下相手の容易い外交において行うものであり、同格或いは各上相手の外交ではどう相手に信用してもらうかが重要となる。約束を守るか守らないか確信できないような相手では取り決めを結ぶことは勿論のこと話し合いすら時間の無駄となろう。
よって、外交においてはしっかりとした信頼関係の構築こそが最も重要とも言える。
この信頼関係の構築において外交担当者の個人的な信頼関係や友好関係が有利に働くことは言うまでもない。
ヴィエルスカ侯はひとしきりガナトス家を批判した後、ネルゼリンク卿に向き直って言った。
「此度は戦にならんよう努力すると約束しよう。アーウェン国会で反対の演説をしてもよいが、そうするまでもなくアーウェン軍は動くまい。とはいえ、サーザンエンド軍がガナトス家を攻撃してしまっては介入せざるを得なくなるやもしれん」
「それは勿論。閣下やアーウェン王国の御立場は十分に理解しております」
「我々が支援しないとなれば孤立したガナトスは自滅するだろう」
単独ではレオポルドに対抗できないガナトス男爵にとってアーウェン軍は最も頼りとするものであり、この支援が得られないとなれば男爵の立場は非常に苦しいものになるだろう。これまでの戦費も馬鹿にならない額になっており、ガナトス家の財政は火の車であることは間違いない。いつまで軍勢を維持することができるだろうか。
アーウェン軍の支援もなく、サーザンエンド軍に圧迫され、軍勢を維持できないガナトス男爵に残される道は多くないだろう。
「ガナトスが去った後の男爵領の処分は辺境伯にお任せしよう。我々は口出しせん」
「恐れ入ります」
「しかし、アーウェン士族の中には未だに辺境伯への警戒感を持つ者も少なくない」
そう言ってヴィエルスカ侯は長い髭を撫でつける。
神聖帝国とあまり友好的な関係ではないアーウェン諸侯にとってサーザンエンド辺境伯は背中に突き付けられた帝国の剣のようなものであった。万が一にもアーウェン王国が神聖帝国からの離反を図った場合、アーウェンは帝国本土から送り込まれる神聖皇帝の軍勢とサーザンエンド軍に挟まれることになるだろう。
ガナトス男爵を支援し続けたのはサーザンエンド辺境伯の力を削ぐ為でもあったのだ。
そのガナトス男爵を見捨て、サーザンエンドとの関係改善を図ろうというのがヴィエルスカ侯の目論見であったが、これに賛同できないアーウェン士族も少なくないのだ。
「そこでだ。アーウェンとサーザンエンドの和平の証というものが必要ではないかな」
「と言いますと……」
「古より和平と友好の証と言えば一つであろう」
侯の言わんとするところを察してネルゼリンク卿は思わず渋い表情を浮かべた。なんとも主君に言い難いことが和平の条件になりそうな気配であった。