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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第二章 南都ハヴィナ
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一八

 パウロス卿は線の細い気弱そうな老人だった。痩せ細った体に枯れ木のような手足。顔には深い皺が刻まれ、目は落ち窪み、髪も髭もすっかり白くなっている。人生の苦難に苦悩し疲れ果て、世を儚んで修道院にでも入りそうな様子で、死人が目を開いて話しているような印象だった。

 レオポルドが通されたのは卿の屋敷の二階にある応接室で、館の主人は自らが招いた客人の向かいに座って困ったような顔をしていた。

 卿の隣には中年の大柄で厳つい顔立ちの貴族が座り、レオポルドの背後のドアには腰にサーベルを提げた二人の兵士が立った。

「この度はわざわざご足労頂きまして……」

 パウロス卿はぼそぼそと言って頭を下げた。小さく聞き取り辛い声で、実際、最後の方は何を言っていたのかよく聞き取れなかった。

 卿はレオポルドよりも随分と年上でありながら非常に低姿勢だった。

 というのも、両者は同じ騎士身分ではあるのだが、その家格には明確な違いがある。

 パウロス家はサーザンエンド辺境伯の配下の陪臣たる小領主で、世では城持ち騎士と言われるような身分である。この階層は小さな町や村を一つか複数支配し、上位の領主に従属し、その庇護下にあり、戦争の際には一族郎党を率いて諸侯の軍に参加する義務を負っている。

 これより下には部屋住み騎士と言われる自領を持たず、主君や親類の城、領地などに住む低位の騎士がいる。

 では、レオポルドはどうなのかというと、クロス家も領地を持つ城持ち騎士ではあったが破算した際に領地を手放した為、今は領地を有していない。

 とはいえ、元々は領地を持っていたのでパウロス家と同等の城持ち騎士の家格と言うべきである。

 両家の違う点は直属の主君が誰かということである。

 帝国騎士たるクロス家は皇帝直属の家臣であり、皇帝の宮廷に出仕し、皇帝の軍に参加する。帝国騎士の中には皇帝の宮内官や侍従を務めたり、帝国政府の上級官僚、帝国軍の士官となる者も多い。サーザンエンド辺境伯の陪臣と皇帝直参の騎士では家格が違うのは当然というものである。

 ただ、家格だけが高くとも、実績や財産、名声がなければ何の意味もないもので、今のところ、レオポルドにはそのどれもが欠けており、パウロス卿がそこまで低姿勢になる必要はないはずだ。それでも下手に出ているのは家柄に拘りのある古い人なのか、見た目どおりの気弱な人柄なのか。

「私はシュバルを治めておりますルドルフ・ヨーゼフ・パウロスと申します。こちらは倅です」

 パウロス卿が隣に座る子息を紹介する。

「アウグスト・ルドルフ・パウロスです」

 見るからに気弱そうで、今にも泣き出しそうな面持ちの父親と比べ、アウグストは堂々と胸を張り、眉間には深い皺を刻み、レオポルドを睨み付けんばかりに険しい顔をしている。大柄で厳つい顔立ちは、まるで彫刻のようであり、膝の上に置かれた拳は大きな石のように見える。

「本日はお招き頂きありがとうございます」

 レオポルドも自己紹介と挨拶を返す。

「しかし、南部の方はどなたも非常に親切な方ばかりですね」

 パウロス卿が口を開く前にレオポルドは穏やかな笑みを浮かべて皮肉めいたことを言った。

「南部に入ってから、ここにまで余所者の私を誰もが客人として温かく出迎えてくれます。クロヴェンティ司教にお会いできましたし、レガンス司教区の方とも話ができました。剣の修道院でもお世話になりました」

 レオポルドは他愛ない世間話のように聞こえるが、パウロス卿にとっては耳の痛い話題である。

 南部における神聖帝国の名代ともいえるサーザンエンド辺境伯の空位と継承問題によって、南部は過去にないほど帝国の力が弱まっている。それに反比例するように異民族や異教徒の力は強まっていた。

 そのような情勢下であるからシュバルという小さな宿場町の領主に過ぎないパウロス卿が保身の為にレオポルドの身柄をアーウェン諸侯の支援を受ける有力者であるガナトス男爵に差し出そうと考えるのは無理からぬものである。

 それでも卿が未だに決心できず、レオポルドを縛り上げて地下牢に放り込んでいないのは、彼が帝国人であるからに違いない。

 帝国人たるパウロス卿が異民族や異教徒と同じように帝国に対して弓引くような行為に及ぶことは大きな意味を持つ。

 それは言うなれば同胞に対する裏切りに他ならず、今まで付き合ってきた仲間から裏切り者と糾弾され、教会からは異教徒と通じた背信者と断罪されることを覚悟しなければならない。破門をも覚悟しなければならないだろう。正教徒にとって破門は死刑宣告にも等しい。

 そのような大きなリスクを抱えるパウロス卿がレオポルドの捕縛に躊躇するのは当然というものである。

 レオポルドの話はそのリスクを想起させた。彼は自らの教会との繋がりを匂わせたのである。それも南部でも有数の聖界諸侯たるクロヴェンティ司教や大陸でも名だたる剣の修道院との関係を示唆している。

 教会が絶対的な権威を持ち、公伯ら俗界諸侯よりも大司教や司教が力を持ち、下手をすれば皇帝よりも総大司教の方が権勢を振るった時代は既に昔であるが、教会は未だに高い権威を誇り、強い影響力を保持している。

 レオポルドの言葉はその強大な力を持つ教会の権勢を笠に着る如きものだ。

 教会と繋がりを持っていることを語ることによって、自分に手を出せば教会と敵対することになりかねないということを仄めかしたのである。

 実際には教会がレオポルドを如何程に評価し、重要視しているかは彼自身にも分からないところであるが、そんなことを口に出してやる必要はない。レオポルドが教会とどれほど親密であるかをパウロス卿は知らないのだから。

 教会を敵に回したくない卿にとっては機先を挫かれる切り出しだった。

「ところで、パウロス卿は帝都に行かれたことは」

 ひとしきり南部を旅した感想を話した後、卿が本題を口にできない間にレオポルドは更に呑気な世間話を続ける。

「……昔、何度か足を運んだことはあります。倅はないのですが」

「そうですか。帝都に一度は行かれるべきです。帝国中、いや、大陸中、世界中から物や人が集まる大都市ですからね。訪れて数月ばかり滞在しているだけでも大変な勉強になります」

 レオポルドの熱心な勧めにパウロス父子は困ったような顔で聞き手に回っていた。

「失礼ですが、御子息はいらっしゃいますか」

「二人います。一〇と七になります。あとは娘が二人です」

 パウロス卿の子息に尋ねるとアウグスト・ルドルフは硬い表情のまま答えた。

「それならば、是非とも御子息を帝都に留学させるべきです。若い頃に見聞を広め、大いに学ぶことは非常に重要なことです」

「確かにその通りですが、帝都というと中々」

 遠く離れた辺境の地である帝国南部から帝都に行くだけでも多くの旅費と大変な時間と労力を要すことは今までの旅を見てきたとおりである。

 その上、帝都に何年にも渡って留学するとなると旅費の他、多額の滞在費用も必要となる。部屋を借りる代金に飲食代、衣料費、雇い入れる使用人の給金、勉学をするにも本の代金や、大学の教授の講義を受ける受講料、その他、諸々の費用を合わせれば大変な大金となろう。庶民に比べれば莫大ともいえる資産を持つ貴族にしても軽々しく出費できる金額ではない。

 それに金さえ出せば何とかなるというものでもない。

 大事な跡取りを預けるのだから世話をする者は信頼の置ける者でなければならないし、田舎の貴族を相手にした詐欺なども少なくないのだ。部屋を借りる契約をしたが、その肝心の部屋は契約内容とは全く違う襤褸屋で、詐欺だったと気付いたときには相手の行方は分からずなんてこともある。留学を斡旋・仲介すると見せかけて、貴族の子弟を誘拐し、身代金を要求するなんて輩もいなくはないのだ。帝都に縁のない田舎貴族が子弟を帝都に送るのは容易ではないのだ。

 アウグスト・ルドルフがそういった問題を硬い表情のまま並べるとレオポルドは少し考えた後、口を開く。

「それならば、レイクフューラー辺境伯閣下を頼られると良いでしょう」

 レイクフューラー辺境伯の名前が出て、ただでさえ緊張していたパウロス父子の表情が更に凍りつく。

「閣下は留学生の受け入れと支援に御熱心ですから必ずや力になってくれるでしょう。何でしたら私が紹介状を書きましょう。閣下とは少なからず面識がありますので」

 レオポルドのお節介な申し出にパウロス卿は強張った顔で唇をぎこちなく動かす。

「お心遣いはありがたいのですが……」

 相変わらず聞き取り難い声で何やらごにょごにょ言いながら丁重に辞退した。

 レイクフューラー辺境伯といえば帝国屈指の名門貴族である。

 当代の当主キレニア・グレーズバッハの祖父フューラー公ループレヒト一世は、皇帝の弟として生まれ、兄帝の死後は数代の幼帝の摂政を務め、実質的に国政を担っていた。フューラー公とその一党はフューラー派と称せられ、強い力を振るい、一時代を築いた。

 ループレヒト一世の死後、間もなくして帝位を継承した伯父帝とキレニアの父ループレヒト二世は敵対し、フューラー戦争と呼ばれる戦いの後、フューラー公一族は尽く戦死或いは処刑され、フューラー派は瓦解し、その勢力は凋落した。

 しかしながら、ループレヒト二世の末子であったキレニアは母方のグレーズバッハ家を継承することを許されると共にレイクフューラー辺境伯位を得て、旧フューラー派諸侯との結びつきを回復してきた。

 その結果、彼女はかつてフューラー派の牙城であった内務省や治安総監府。つまりは公安系に強い影響力を持つようになり、今では帝国全土どころか大陸中に独自の情報網を持っていて、皇帝の寝室の会話ですら翌朝には辺境伯の耳に入っているという噂されるほどであった。

 辺境の小貴族にもその噂は耳に入っている。教会を敵に回すだけでも大変なことだというのに、それに加えて、帝国でも屈指の権勢を誇る有力諸侯たるレイクフューラー辺境伯にまで睨まれては堪らない。

 しかも、レオポルドは皇帝直参の帝国騎士である。下手に手を出して皇帝の逆鱗に触れないとも限らない。

 教会と親しく、レイクフューラー辺境伯にも顔が通じ、皇帝直参であるレオポルドに手を出すことは非常に危険に思われた。

 万が一、彼を捕えて異民族に引き渡した件が露見すれば、ただでは済まないような気がしてくる。

 勿論、教会や辺境伯、皇帝がレオポルドを保護する為に、わざわざ動いてくれるほど、彼を重要視している保証はない。破算した下っ端の騎士の一人や二人、見捨ててもおかしくはない。

 しかしながら、パウロス卿にはレオポルドがどの程度の者なのかを知る術がないのだ。騎士の中でも有力な者は皇帝の宮廷で大臣の席に座る者もいる。それ程とは言わずとも、一族に皇帝の顧問や側近がいるかもしれないし、皇帝に目をかけられているという可能性もなくはない。

 しかも、クロス家はパウロス家の主家であるサーザンエンド辺境伯フェルゲンハイム家の血縁なのである。辺境伯家の子女を嫁に貰える程の力があるとパウロス卿が勘違いしてしまうのは止むを得ないことだろう。

 実際のところはクロス家は破算し、領地も失い、財力も権力もないに等しい状況で、家族も一族も少なく、サーザンエンド辺境伯から嫁を貰ったのも随分と昔の話で、フェルゲンハイム家の財政が苦しく、嫁の嫁ぎ先に困っていたという事情がある。

 だが、パウロス卿はそれらの事情を知らない。南部においてはレオポルドやクロス家の知名度など全く無いに等しいのだ。

 レオポルドは半時以上も他愛ない世間話を続けた後、

「では、そろそろ、お暇したいと思います」

 と席を立った。

 パウロス父子は腰を浮かし、口を開きかけたが言葉は出てこない。

 その代わり、レオポルドが口を開いた。

「あぁ、そうだ。大変不躾な申し出で申し訳ないのですがレイクフューラー辺境伯閣下やクロヴェンティ司教猊下から私宛の手紙が来るかもしれませんので、見かけたらお手数ですがハヴィナのロバート・フェルゲンハイム様の方に送って頂けますか。おそらく、私はそこに滞在しておりますので」

 ロバート・フェルゲンハイムはフェルゲンハイム家の唯一ともいえる生き残りで、現在は辺境伯代理として、フェルゲンハイム家の相続問題に取り組んでいる。

 レオポルドはロバート・フェルゲンハイムと面識はないが、口から出任せで勝手に繋がりがある風を装って言っておいた。言うだけならばタダだ。

 結局、レオポルドは虎の威を借る狐が如く、自身の背後に権力者がいるようなことを散々に匂わせた。彼を捕縛してガナトス男爵に引き渡すべきか否か迷っていたパウロス卿はこの話を聞いて、すっかり決断する気を失くしたようだ。

 そもそも、パウロス卿は次期辺境伯候補の帝国騎士を捕縛して、異民族に売り渡すという裏切り行為を働けるほど悪人ではなかったし、悪人になる勇気や決断力もなかったようだ。そこらの庶民ならばいざ知らず、貴族を一人捕まえて取引に使うという犯罪をやるには教会や皇帝に喧嘩を売るくらいの気概がなければできないというものであろう。


 何事もなかったかのように悠々と宿まで帰ってきたレオポルドを見て、連れの三人は一様に驚いていた。

 レオポルドが事の顛末というか、口から出任せに虎の威を借りる狐みたいなことを散々言って、弱気なパウロス卿が手出しするのを諦めたことを説明するとフィオリアとソフィーネはすっかり呆れ果てた。

「何それ。諦めるんなら最初から手出してこなければいいじゃない」

 フィオリアの言っていることは大変ご尤もである。

 とはいえ、そうもいかないのが政治というものだ。

 レオポルドがパウロス卿に呼び出されている間、三人はどうしていたかと尋ねると、三人は顔を見合わせた。

「いつ、どこで、どの段階で、レオポルド様を救出するか話し合っていました」

 キスカが無表情に述べた。

 三人はこのままレオポルドが拘束され、ガナトス男爵の下へ送られるようであれば、移送中に隊列を襲撃して、レオポルドを救出するつもりだったらしい。

「なんて、無茶な」

「夜闇に紛れて奇襲をかければ、成功の余地は十分にあります」

 レオポルドが呆れるとキスカは大真面目な顔で言い切った。

 そこまで大真面目に言われると、なんだか、できそうな気もしてくるが、三人のうちフィオリアは戦力にならないから実質的には二人だけで、少なくとも十数人はいるであろう護衛を打ち破ってレオポルドを救け出すなど成功の確率が極めて低い危険極まりない賭けであることは間違いない。

 そこのところはキスカも十分に理解していたらしい。それでも彼女はやるつもりだったようだ

「レオポルド様がいなくなっては今まで旅してきた意味がありませんから。私は貴方をサーザンエンドにお連れして、辺境伯になって頂く為にお仕えしているのです」

 キスカは真剣な顔でそう言い切った。

「あ、あー、そう、か。うん。ありがとう」

 真っ直ぐな忠誠心を向けられて、レオポルドはなんだか気恥ずかしい気分になってきて、顔を赤くしながら礼を述べた。

 気恥ずかしい気分になっているレオポルドを見て、今更ながらキスカの方も恥ずかしくなってきたのか、顔を朱に染めて黙り込んだ。

 顔を赤くする二人の主従を見て、フィオリアは非常に不機嫌そうな顔をして二人を睨み、ソフィーネは呆れ顔で三人を眺めていた。

『帝国騎士』

 神聖帝国皇帝に叙任された騎士で、諸侯には従属せず、皇帝に直属している。

 形式的には諸侯に叙任された騎士と同等の地位であるが、皇帝に謁見する権利や帝国議会での発言権など、諸侯に準ずる権利を有す為、家格としては諸侯の陪臣である多くの騎士よりも格上とされている。

 皇帝の宮廷や帝国政府、帝国軍に出仕して、高い地位に就き、大きな権勢を振るう者や莫大な財産を築く者も少なくない。

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