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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一二章 宮廷
186/249

一八〇

 時を半月程遡る。

 感謝祭の祝宴の開催準備の為、宮廷の誰もが多忙を極める最中、レオポルドに面会を求める者がいた。

 言うまでもなく宮廷の主である彼自身も多くの仕事に追われていた。招待状書きだけではなく、様々な事柄について判断や意見を求められ、裁可を下し、指示を与えなければならず、彼の机には未裁可の書類、目を通しておかなければならない報告書、書き上げたばかりの、書きかけの、これから書く招待状が堆く積み上げられていた。

 最も好む娯楽である入浴すら回数を著しく制限せざるを得ない程、彼が多忙を極めていることは宮中の誰もが知るところであり、そこへ面会を求めるとなれば余程の重大事に違いないというのが通常考え得るところであろう。

 レオポルドもそのように考え、面会者と昼食を共にして話を聞くことにしたのである。

「閣下。我が軍の規律と風紀は危機的な状況にありますぞ」

 四角い赤ら顔に豊かな白髭を蓄えたサーザンエンド辺境伯軍の軍事評議会議長オットー・ケッセンシュタイン将軍は不治の病を宣告する医師のような厳めしい顔で言った。

 厳つい老将の隣には肥満体型の副議長マルクス・ホイル将軍が座り、その向かい側には軍事評議会の構成員でもある宮廷軍事顧問官のバレッドール将軍と侍従武官長のレッケンバルム准将の姿もある。

「危機的、とは」

 羊肉がゴロゴロ入ったムールド風の野趣溢れるスープを食らいながらレオポルドは視線をバレッドール将軍とレッケンバルム准将に向けるが、二人の側近は肩を竦ませるだけだった。

「閣下は御存知ではないかもしれませんが、ハヴィナに駐屯する部隊では先の一ヶ月の間に百人近い兵士が兵舎からの脱走、無断外泊、門限の違反、上官に禁じられた店に出入りしたなどの罪状で処罰されております」

 ケッセンシュタイン将軍は心底腹立たしいとでも言いたげな顔で言い放つ。

「そうなのか」

「確かにそのような報告は上がってきております」

 レオポルドの問いにバレッドール将軍が苦々しげに答える。

「しかしながら、以前より兵卒の中には軍規に従わぬ破落戸やならず者も少なくなく、閣下の御判断を仰がねばならないような重大事は発生しておらず、特段に問題のある状況とは考えておりません」

「何を言うかっ」

 ケッセンシュタイン将軍は口角泡を飛ばしながら怒鳴り、テーブルを拳で叩く。食べていたスープに波が立ち、飛沫が顔にかかったレオポルドはあからさまに不愉快そうな表情を浮かべた。

「戦場を制するのは整然と秩序を保った軍隊なのだぞっ。規律が緩むは軍の弱体化に等しい大事であろうっ」

「仰る通りではありますが、軍規に違反し、処罰されたのはハヴィナに駐屯する兵のうちの一〇〇人程度でしかなく、危機的と言う程の問題ではないと思われます」

 今現在、辺境伯軍のうちハヴィナ城の兵舎と郊外に設けられた基地に駐屯している部隊は、近衛騎兵連隊及び近衛歩兵連隊、サーザンエンド・フュージリア連隊、第一サーザンエンド騎兵連隊、砲兵中隊と工兵中隊が一個ずつ。合わせて五〇〇〇近い兵員である。

 一ヶ月間に処罰された兵の割合はざっと五〇人に一人という計算だ。これが多いか少ないか。ケッセンシュタイン将軍は極めて問題だと言い、バレッドール将軍は大した数字ではないと言う。

 レオポルドが説明を求めるように視線を向けると、バレッドール将軍は話し始めた。

「軍規違反の大半は門限違反です。我が軍の軍規に因れば門限は日暮れまでとなっておりますが、これを厳格に運用することは現実的ではありますまい。兵どもの大半は休暇を取って副業に従事しておるのです。仕事の都合や仲間内の付き合いで日暮れまでに帰れないことも少なくありますまい」

 一昔前から各国や諸侯は傭兵に頼らず常備軍を整備するようになっていたが、これを維持するのは大変な出費であった。特に財政を圧迫したのは兵士に支給する給与である。その結果、度々遅配が発生し、兵たちの士気を大いに下げたのは言うまでもない。

 その為、平時においては教練期間にある新兵と歩哨などの任務を与えられた兵以外には休暇が与えられ、その間は給金の一部又は全部が支給されないことが多かった。休暇中の兵士は軍規や上官の命令に従う義務はあったものの、一般の市民とほとんど変わらず、副業も認められていた。

 辺境伯軍においても例外ではなく、ハヴィナに駐屯する兵の大半は休暇状態にあって、土木や建設、荷役などの副業に従事している。レオポルドの施策によってハヴィナは再開発が進められ、大きな建設現場がいくつもあり、若い労働力である兵士は歓迎された。

 それらの仕事は日暮れ前には終わるものだが、それから居酒屋や屋台に繰り出して仕事終わりの飲食を楽しめば太陽はあっという間に地平線の向こうに沈んでいってしまうだろう。ついつい飲み過ぎて、ほろ酔い気分で兵舎に戻れば門限違反というわけだ。

 バレッドール将軍はこういった理由の軍規違反は止むを得ないと考えているらしい。

「しかし、過去にこれほどまで軍規違反が多発したことはないぞ。先月だけではない。今年はずっとこの調子だ。我輩が一線を退く前はここまで酷くはなかった」

「それは昔は軍規を厳密に適用していなかった為じゃないかな」

 ケッセンシュタイン将軍が不満気に漏らすと隣に座ったホイル将軍が言った。

 将軍曰く、従来、休暇が認められて副業に従事している兵士は前述の如き事情がある為、兵舎の門衛を監督する士官は多少の目溢しをしていたらしい。彼自身にも経験があると言う。

 それが近年は厳密に軍規を取り締まるようになり、門限に一分一秒でも遅れた者は処罰されているというのだ。

「何故、そんな杓子定規に軍規を厳しく取り締まるようになったんだ」

「それは……」

 レオポルドの問いにバレッドール将軍が言い辛そうに口ごもり、隣のレッケンバルム准将と顔を見合す。

「たぶん、閣下の副官が頑張っていらっしゃる為ではないかと思います」

 ホイル将軍はそう言って穏やかに笑う。

 レオポルドの非公式な夫人にして副官でもあるキスカは辺境伯軍の将兵から最も恐れられている上官と言っても過言ではない。彼女は極めて厳格に軍規を遵守し、過酷な厳罰を下すことにも躊躇しないのである。

 その上、彼女は神出鬼没で、朝でも夜でも兵舎や駐屯地を見回り、軍の風紀や規律の維持に余念がなかった。

 その為、兵士たちの間では失敗や悪ふざけをすると「キスカ少佐に鞭打たれるぞ」と言って、慌てて辺りを見回す仕草をするというのがお決まりになっていたし、大半の兵士は彼女の姿を見た瞬間に緊張が走り、石になったように直立不動になってしまう。

 この傾向は兵卒に限った話ではなく、士官も同様であった。彼らはキスカに罰せられることを恐れているわけではなかったが、彼女がレオポルドに最も近しい立場にあることを十分に知っていた。彼女の見聞きしたことは全て軍の最高指揮官に伝わるというのだから、気を使うに決まっている。彼らは彼女の言葉一つで自分の出世が左右されると本気で信じているのだ。実情を鑑みて軍規違反を見逃してやるなんてことができようはずもない。

「キスカは加減というものを知らないからなぁ」

 レオポルドは苦笑いを浮かべながら呟く。

 いつもは寡黙で無表情だが、その性質は極めて苛烈であり、部族の誇りを踏みにじるような義に反する行いをした一族が許せなくて皆殺しにしてしまうような過激派なのだ。

「では、軍規を改正すれば問題は解決するのではないか。休暇中の兵士の門限は撤廃すればいい」

「その通りにいたしましょう」

 ホイル将軍が同意し、バレッドール、レッケンバルムの両将も頷く。

 ただ一人、ケッセンシュタイン将軍はなおも不満顔である。

「しかしですな。閣下」

 将軍はぎょろりとした大きな目でレオポルドを見つめて続ける。

「我が軍の空気は弛緩しきっております。これは極めて由々しき事態ですぞ」

 聞くところによるとケッセンシュタイン将軍は頻繁に兵舎へと足を運んで、下級士官や下士官だけでなく、一兵卒とも直接顔を合わせて話を聞いたりしているらしい。辺境伯軍を監督する軍事評議会の議長にウロウロされて士官たちは迷惑しているという。

 とはいえ、最下層の兵卒の様子を気にかけ、直に言葉を交わそうとする姿勢にレオポルドは一目置いていた。他にそのようなことをする将軍はいないし、全ての士官の中でも稀と言えるだろう。

 そんなケッセンシュタイン将軍が感じた弛緩した空気というのは実際にその通りなのかもしれない。

 夏の盛りにあったサイタの戦いの後、サーザンエンド辺境伯はアーウェン諸侯と和約を結び、懸案であったガナトス男爵の扱いも一応の決着を見た。

 その結果、サーザンエンド辺境伯と直接軍事的に対立する勢力は存在しなくなった。

 無論、アーウェン諸侯やガナトス男爵との協定が破られる可能性は皆無ではないし、ムールド人の中にはレオポルドによる支配に不満を持つ者もいる。東岸部の中小領主たちの動向も気にかかる。

 それでも、長年北にアーウェン、南にムールドという敵対勢力と対峙し続けてきたサーザンエンド辺境伯領が軍事的緊張から解放されるのは久しくないことで、特にここ数年は継承戦争から対アーウェン戦争まで断続的に戦闘が続いたので、戦争がない日々は人々が待望していたものであった。

 また、戦いの連続から解放された辺境伯軍は大規模な再編成を実施し、軍に入ってから数年を経た兵のうち希望者を除隊させ、新たに徴募した新兵を大量に編入していた。これは軍の定員を充足し、士気を保ち、新陳代謝を促す為であったが、一時的に新兵の割合が多くなっていた。

 当分、戦争が起きそうにないという情勢、平和を歓迎する市井の空気、戦いを知らない新兵が増えた兵舎。兵士たちの緊張が解れ、心身が弛緩したとしても無理からぬことだろう。

 レオポルドにはそれが悪いことだとはあまり感じられなかったが、長年軍に身を置いてきた将軍が「由々しき事態」だというのだから宜しくないのかもしれない。ここは一つ意見を聞いてみようという気になった。

「それで、将軍は何をすべきだと言うのかね」

 レオポルドの問いに将軍はよくぞ聞いてくれたとでも言いたげな顔で口を開く。

「軍事演習を実施すべきです」

 要するにケッセンシュタイン将軍は軍事演習がやりたいらしい。

 将軍が議長を務める軍事評議会は辺境伯軍の上級士官の人事や部隊の編制、軍規や軍令の策定や伝達、作戦計画の立案、武器や糧秣などの物資の調達や補給といった軍事上の管理運用業務を統括する組織であるが、実務はほとんど宮廷軍事顧問官を兼ねるバレッドール将軍が取り仕切っていた。勿論、重要な案件については軍事評議会で協議されており、ケッセンシュタイン将軍の関与する割合も小さいというわけではなく、時間を持て余す程に暇というわけではない。

 しかしながら、将軍は長らく前線に立って部隊を指揮を執ってきた現場気質の強い軍人であり、連日の会議や事務仕事は肌に合わず鬱屈とした気分を味わっていた。兵舎に赴いて一兵卒とも話をして現場の空気に触れてみたりもするが、ちょっとした気紛れにしかならない。

 そこで想い付いたのが軍事演習というわけだ。

 将兵の間に漂う緊張感に欠けた弛緩した空気を一掃し、新兵が多く編入された部隊の練度を向上させることができ、自分は演習を指揮し、懐かしき戦場とよく似た空気に触れることができる。

「悪くない考えですが、アーウェン諸侯やガナトス男爵を刺激するようなことにはなりませんか」

「サーザンエンド北部で実施するのではなく、十分に離れた中部や南部で実施すれば良いんじゃないかな。いずれにせよ北部に駐屯する部隊は警戒任務があるから演習には参加できないだろうし」

 バレッドール将軍の懸念にホイル将軍が応える。

 発想の動機が少々不純ではあるが、辺境伯軍にとっても悪い発案ではない。自らの権限や力を誇示する為に開戦を目論むような好戦的な軍人よりは遥かにマシだと言えよう。

 もっとも、この多忙の時に言い出さなければの話である。

 昼食のスープを飲み干し、パンを口に放り込んでからレオポルドは立ち上がる。

「結構。演習に向けて準備を進めるように。ただし、実施時期については適切に選ぶこと」

 そう言って席を立ち、食堂を後にする。

 扉を開けて廊下に出ると、宮廷財務顧問官にして南洋貿易会社理事兼会計主任のゲルフェン・スターバロー博士が待ち受けていた。

「閣下。お話が」

「急ぎなのか」

「南洋貿易の件について、お耳に入れておきたいことがございます」

 博士の顔つきは険しく楽しい話題ではなさそうだ。

「歩きながらでも結構です」

 その言葉にレオポルドが頷くと博士は説明を始めた。

「南洋貿易会社は今月か来月にも第二次商船団を送り出す予定ですが、その利益は第一回よりも縮小する気配です」

「何故そう思う」

「帝都からの知らせでは香辛料の相場が大きく下落しておるのです」

 南洋貿易会社は様々な荷を商うが、中でも最も多く扱い、利益も大きいのが香辛料である。香辛料価格の変動は南洋貿易の利益に大きな影響を与えるだろう。

「南洋貿易会社の成功を見た東岸商人や西方各国の商人が香辛料の在庫を放出し、その値を下げていると見られます」

「我々を妨害しようと目論んでいるのか」

 レオポルドの言葉に博士が頷く。

 これまでの数世紀、西方大陸の香辛料市場は東岸部エサシア地方の商人や東方大陸の商人、西方大陸南西部の海運都市国家の商人たちが支配し、大きな利益を上げてきた。

 レオポルドが立ち上げた南洋貿易会社はそこに新規参入したわけだが、自らの商圏に乗り込まれた彼らにとって面白いわけがない。様々な妨害を仕掛けてくるのは当然と言ってもよい。市場に供給する香辛料の量を増やして値を下げるのはその一環だろう。市場価格の下落は彼らにとっても損失ではあるものの、資金力や営業規模に劣る南洋貿易会社にはより大きな損失となるだろう。多少の痛手を被ってでも新規参入者を弾き出すことを優先したと見られる。

「妨害はこれだけに止まらんでしょう。前回の貿易で品を打ってくれた者が此度も売ってくれるかどうか……」

 博士はこれまで香辛料を商ってきた商人たちは香辛料を生産する南洋諸島の諸国・部族にも南洋貿易会社に商品を売らないよう圧力をかけると予想しているらしい。香辛料を生産する諸国・部族にとって一番の商売相手は彼らであり、彼らが「南洋貿易会社と取引するならば、貴君からは商品を買わない」と言えば、生産者は南洋貿易会社との取引を中止するだろう。その圧力に屈しなかったとしても売値は以前よりも高くなることが予想される。

 売値が上がり、市場価格が下がれば、当たり前だが利益は大幅に落ち込むだろう。

「また、五年以内に商船を二〇隻体制にする計画を立てておりますが、実現が難しい状況になりつつあります。というのも、商船となる適当な大きさで南洋での航行に耐え得る船舶の調達に難航しております。南洋貿易の成功が世に知れ、商船の需要が高まると予想され、値が高まっておるのです」

 五年で二〇隻体制は野心的な目標ではあったが、少々楽観的過ぎたのかもしれない。

 もっとも、この事態は全くの予想外というわけではない。商圏を荒らされた既存の商人たちが反発し、妨害してくることは容易に予見できる。ただ、思ったよりも反応が強く早かった。

 それでも、南洋貿易会社が拠点を置くラジアは南洋諸島に最も近い港町であり、航海に要する距離は他の商人よりも大幅に短くて済み、それだけ時間や危険を減らすことができるのだから有利な立場でもあるのだ。もっとも、その点が他の商人たちから強く警戒される要因にもなっているのだが。

「とりあえずは、如何程の妨害があるか様子見といこう。第二次商船団の結果を踏まえて、今後の経営を考えねばならないだろう」

「市場や他の商人の動向に十分注意いたします」

 スターバロー博士はそう言ってレオポルドから離れ、自身の仕事場へと戻っていった。

 そうして、招待状書きの仕事が待ち受ける書斎に戻ってきたレオポルドにキスカは鋭い視線を向ける。

「昼食にしてはやけに遅かったですね。まさか、入浴されていたわけではありませんよね」

 そう言って彼女はレオポルドの首筋に鼻を寄せて犬のように嗅ぎ始めた。

 彼女はレオポルドが仕事をサボって風呂に浸かったりする人間だと思っているらしい。まるで信用されていないが、過去の自身の行いを鑑みればそう思われるのも当然というものであろう。

 黙ってキスカに己の体臭を嗅がれながら、レオポルドは風呂に入ってゆっくりしたいと溜息を吐いた。

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