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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一二章 宮廷
185/249

一七九

 招待客の謁見が終わると次は観劇の時間である。

 大広間の上座で臣下を謁見していた辺境伯夫妻とその取り巻き、集まっていた客人たちは一度控室に戻る。その間に宮廷に仕える人々は大急ぎで大広間に舞台を設け、何百もの椅子を並べて客席を用意し、辺境伯夫妻、宮廷の高官たち、大勢のサーザンエンド貴族やムールドの族長たちをそれぞれの身分に相応しい決められた席に案内して上演まで大人しく座らせておく。これを予定では僅か半時で済ませなければならない。

 既に謁見の時間で予定よりも半時の遅れとなっているのだ。このままでは晩餐会の時間が予定よりも大幅に遅れてしまう。既に厨房では予定時間に料理を出せるように何日も前から準備され、今まさに料理は作られているのだ。これ以上の遅れが生じれば晩餐会の開始に合わせて出来上がるはずだった料理の数々は待ちぼうけを食らう羽目になる。ぬるいスープ、冷めたロースト、溶けかけた冷菓……。致命的な失態となるだろう。晩餐の失敗は主催者である辺境伯に恥をかかせることに他ならない。

 ある宮廷の司厨長は予定時間になっても鮮魚が届かないこどに絶望し、その胸を剣で貫いたという。晩餐会が成功するか失敗するかはそれ程までに重要極まる問題なのだ。

 しかしながら、半時という短時間で観劇の会場を設えるのは大変な仕事であった。

 まず、この仕事を成功させるには人々を大広間から控室に誘導し、舞台を設けて、椅子を並べ、再び人々を招き入れるという一連の作業に従事する多くの人手が必要となるのだが、レオポルドの宮廷は人手が有り余る程あるという状態ではないのだ。

 というのも、サーザンエンド辺境伯の座に収まった彼は宮廷の勤務規則を全面的に改正して、給金を増額する代わりにこれまで役得として見逃されていた物品の横領や横流し、副業などを禁止し、これに違反した者、著しい職務怠慢が見られる者を免職したのだ。その数は百人以上にも上った。

 当然、要員の補充を行ってはいるが、サーザンエンドの中枢とも言うべきハヴィナ城で働く人間であるから、出自定かではない日雇い人を掻き集めるというわけにもいかず、定員を満足しているとは言い難い状況にあった。

 定員不足は宮廷の運営が日常的に停滞するという程ではなかったが、今日のような祝宴などの催し事や行事があると人手不足はより顕著に表れ、宮廷の人々は上から下まで目が回る程の忙しさに追われる羽目になったのだ。

 普段は肉体労働とは無縁な青年貴族や貴族の子女である侍従や女官たちまで椅子を抱えて右往左往しなければならない程の騒ぎの果て、どうにかこうにか会場が整い、観劇は予定よりも一時程度の遅れで開演した。

 本日の演目は「騎士トビアス」という古典的な作品である。

 強く勇敢で慈悲深く信仰心に篤い騎士道の鑑のような騎士トビアスを描いた古い叙事詩を劇にしたもので、トビアスの才能と人望に嫉妬する主君である王から出される無理難題を天使や聖人の加護によって解決したり、王妃との許されざる恋に身を焦がしたり、異教徒との戦いで英雄的な活躍をしたりする物語である。

 終盤になるとヒロインである王妃がトビアスが飲むはずだった毒を身代りに飲んで亡くなり、王の嫉妬を煽っていた奸臣の宰相はこれまでの悪事と不正が露見しそうになって王に毒を盛る。王は死の直前に自らの過ちに気付き、トビアスに許しを請うと共に一人娘の王女と王国を託す。最後には騎士トビアスが宰相を倒して、王女と結婚して王位を継承するというハッピーエンドで終わる。

 これを全てを上演すると一日では終わらないくらいの長さになる為、催し事で上演する際には有名なエピソードだけを上演することが多い。

 全体的に勧善懲悪が貫かれ、英雄的な粗筋にトビアスと王と王妃の三角関係が絡まり、古くから人気のある作品だ。

 もっとも、レオポルドの趣味ではなかった。彼に言わせれば騎士トビアスは胸がムカムカしてくらいに非現実的な正義の味方ぶった気障野郎で、何の計画性も実現性もないのに自ら試練や課題を背負い込み、厄介事に首を突っ込む阿呆でしかなかった。そうして、トビアスはしばしば絶望的な立場に追い込まれるのだが、そういう時には神に祈って奇跡に頼ることしかしていない。偶然にも願いを聞き届けた天使なり聖人なりが助けの手を差し伸べて、トビアスは運良く危機を乗り越えるのだ。

 物語とはいえ、あまりにもご都合主義が露骨に過ぎて、笑い飛ばす気にもならない。出来れば金輪際観たくない劇なのだが、レオポルドは忙しさに演目を確認し忘れており、気付いたときには今更演目の変更はできないという時期であった。

 主催者である辺境伯が退席というわけにもいかず、レオポルドは心を無にして数時間にも及ぶ嫌いな演目の観劇を耐えた。隣席でリーゼロッテは身動ぎひとつせず行儀よく席に座って観劇する姿勢のまま寝ていた。


 観劇が終わり、観客たちの拍手が止み、レオポルドが欠伸を噛み殺し、リーゼロッテが目を覚ますと、再び大広間は模様替えとなる。

 辺境伯夫妻と招待客たちは再び控室に戻り、その間に百人くらいは同時に席に着けそうな大テーブルが三つ運び込まれる。大テーブルには見事なレースの縁取りが施された白絹のテーブルクロスがかけられ、金銀に輝く食器が並べられ、真ん中に置かれた白く照り輝く東方の花瓶には赤と黄色の花が飾られた。

 辺境伯夫妻と客人たちは各々の席に案内され、饗宴の時間が始まる。彼らの前には贅を凝らした帝国南部では最上級の料理が次々と現れる。

 子羊の脂と骨髄を刻み込んだパテ、香辛料をたっぷりと効かせた数種のソーセージ、鹿肉のテリーヌ、羊のひき肉のパイ、香辛料や酢で煮た牡蠣。

 第一のサービスが終わると数種のスープが供される。

 リトラント王妃風スープはニンジン、セロリ、パセリ、タマネギ、松の実、栗の実、カブ、数種のキノコと子牛肉とウサギと小鳥とバターを半日かけて煮込み、丁寧に灰汁を取って、布で濾した濃厚なスープで、西方の大国リトラント王国の王妃が好んだことがその名の由来であるという。

 カワカマスのサルミーヌは、つなぎにアーモンドとエンドウのピュレを用いたとろみのあるポタージュである。

 数種の香味野菜を塩と酸味の強い葡萄汁で茹でたスープは底に塩味のバターを入れた深皿に注がれる。

 ムールド風羊のスープは骨付きの羊肉を岩塩とポロネギ、各種の香辛料で煮込んだ野趣溢れるムールド定番の料理。羊の尾の脂を煮込んでいるので、こってりとした味わい。

 去勢鶏、タマネギ、ニンジン、セロリ、ニンニク、その他、各種の香辛料を数時間じっくりと煮込んで、布で濾した白いスープ。

 レンズ豆、ひよこ豆、そら豆、豚の脂肉、ポロネギ、カブ、キャベツ、キノコが入り、胡椒を効かせた農民風スープ。もっとも、確かに具は農民も食べるような野菜ではあるが、農民たちの食卓に上るスープに入る具は二つ三つで、これほど具沢山ではないし、胡椒味でもない。せいぜいが薄い塩味である。

 付け合せに数種のパン、マリネした白にしん、ソースで煮込んだ子羊肉など。

 第三のサービスには魚が来るのが定番であるが、内陸部で河川湖沼も少ないサーザンエンドで魚介類を食べることは容易なことではない。

 それでも辺境伯の催す祝宴ともなれば遠く離れた海岸部から生簀で運ばれた海水魚や淡水魚、その他の魚介類がテーブルに並んだ。

 たっぷりのバターで焼かれたシタビラメ、燻製ニシン、香味野菜や香辛料、魚のだし汁で作った煮汁で茹でられたカレイ、鮭、カワカマス、鯉。ちなみに海水魚は水から茹で、淡水魚は沸騰する直前の湯から茹でられる。

 第四のサービスは饗宴の中では最も重要な肉料理が並ぶ。

 羊の肩肉の詰め物焼きは骨から切り取った肩肉をみじん切りにして、チーズや卵と混ぜ、各種の香辛料で味付けしてから、再び骨に付けて成形し、卵の黄身で色づけして、こんがりときつね色の焼き上げた料理で、大変手間がかかっている。

 ヒヨドリ、ウズラ、ガチョウといった小鳥や家禽は西方風に味付けされて串に刺してじっくりと炙られていた。骨付きの子羊肉はニンニクと岩塩、大量のハーブを漬け込んだオリーブ油に浸してから焼き上げる。

 葡萄酒で煮込んだウサギ。香草などの詰め物をした去勢鶏の丸焼き。表面は黒々と炙られ、中身は血が滴りそうに赤い鹿肉のローストは薄く切り分けられている。

 肉料理の付け合せはレタス、キャベツ、クレソン、ポロネギ、ラディッシュ、エンドウ豆、インゲン豆などの野菜とハーブや香草。

 肉料理の後は「中間の料理」と呼ばれるサービスの出番である。

 白鳥と孔雀、雉はきつね色にこんがりと焼かれ、針金で形を整えてから再び皮を被せて羽を付けられている。要するに生きているかのように調理されているのだ。

 「宝石」と名付けられる米料理は、肉汁で炊いた米を揚げ、肉団子、ナツメヤシ、イチジク、干しブドウ、アーモンド、栗、エンドウ豆、レンズ豆、炒めたクルミ、ゆで卵などを飾った東方風の華やかな料理。

 その他に羊のひき肉を小麦の生地で包んで蒸した東方伝来の料理、ネズミイルカのソース添え、羊脳のムールド風炒め、ラクダのコブの東方風煮込み、東方風砂糖飯などが並ぶ。

 いずれもあまり食す機会がない珍味や異国風の料理である。

 西方諸国の宮廷の饗宴における「中間の料理」は食事の間の余興的な立ち位置で、中には食べられないような「中間の料理」まで存在する。木や金属で作られた人形や舞台、車が付いていて移動できるような物から、数種のワインを滾々と湧き出す泉、果ては人が載って歌ったり劇をしたりするような物まで現れる始末であった。

 しかしながら、レオポルドが「食べられない物を饗宴に出す必要はない」と言った為、料理と言うよりも出し物と化した「中間の料理」ではなく、余興的な変わった料理に留まっていた。

 以上の食事の間、常に葡萄酒は供され、出席者が少しでも合図をすれば給仕が葡萄酒を注ぎに飛んでくる。

 第六のサービスはデザートの時間となる。

 モモ、ナシ、ブドウ、サクランボ、ナツメヤシ、アンズ、イチジク、マルメロなどのドライフルーツ、或いは蜂蜜漬け、若しくは砂糖漬け、または砂糖煮。

 東方風果汁砂糖入り氷水。色々な味、臭いの各種のチーズ。パイ、タルト、焼き菓子。卵とチーズの塩味の揚げ物。

 デザートを食べ終えると、既に時刻は夜半を過ぎて真夜中となっている。

 出席者一同は主に感謝の祈りを捧げた後、大広間を後にして、控室など各々の寛げる部屋に移って、香辛料や香草、トウガラシ、蜂蜜などが入った温めた葡萄酒か果実酒を楽しむ。一緒にオレンジなどの果実の皮の砂糖漬け、ショウガやバラ水の香りを付けた砂糖のペーストなどが出され、それらを口にしながらカードゲームや談笑に興じる。

 辺境伯夫妻はいくつもの部屋を渡り歩いて、客人たちと顔を合わせ、改めて今宵の祝宴に招かれた御礼の言葉に耳を傾け、鷹揚に「楽しんで頂けたならば何より」などと言って乾杯したりした。形式的な儀礼や式典を忌避する彼らは内心では早く寝たいから早く帰ってほしいなどと思っていたりもするが、二人ともそんな気持ちは億尾にも出さなかった。

 最後の客が帰り、レオポルドとリーゼロッテが寝室に戻ったのは空が白ばみ始めた頃で、レオポルドにしては本当に珍しく就寝前の入浴もせず正装を脱ぎ捨てると早々に寝台に潜り込んだ。

「もうこんな行事はたくさんだ……。二度と御免だぞ」

「まったくその通りね……」

 二人ともすっかり疲れ果てていたのだ。ほとんどの時間は姿勢良く椅子に座っているか食べているかの時間ではあったが、常に数百にも及ぶ視線が注がれていたのだ。ほとんど気を抜くことが許されない一日だったのである。心身共に疲弊するのは当然というものであろう。

 そのまま二人はふかふかの布団の中に沈み込むような気持ちで泥のように眠り込んだ。

 翌日、ライテンベルガー侍従長が年始にも今日と同じような祝宴を行うと告げることを眠りに落ちたばかりの二人はまだ知らない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 4回目の読み返しに入るくらい好きです [一言] ちなみに海水魚は水から茹で、淡水魚は沸騰する直前の湯から茹でられる。 →185話の中ほどの宴会シーンでのこちらの調理法ですが、海水魚を自ら茹…
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