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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一二章 宮廷
181/249

一七五

 レオポルドは賭けに勝った。

 南洋貿易会社が南洋諸島へと送り出した商船団のうちの一隻が積荷を全て捨て、這う這うの体でラジアに帰り着いてから一週間後、ラジアの沖に三隻の商船が姿を現したのである。

 嵐の中、一隻を見失った船団はどうにか連絡を保ったものの、一隻のマストが圧し折られるという損害を受けていた。帆船はマストを失ってしまえば言うまでもなく帆走不可能となる。そこで残った二隻が牽引索によって一隻を引っ張ってラジアまで行くこととした為、到着が大幅に遅れたのである。

 この三隻は嵐の中でも荷物を捨てることなく、船倉への浸水もなく、つまり、積荷はほとんど無事であった。

 積荷の大半は砂糖、香辛料、染料、香料などで、いずれも西方大陸では需要が大きく、重宝される物産で売り先に困るようなことはない品々であった。

 これらの積荷は事前の取り決めにより、レイクフューラー辺境伯の影響下にあるフューラー商人が経営する商会がラジア又は南部西岸港町のカルガーノで全て買い取り、帝国本土や西方各国へ運ばれていく。

 というのも、南洋貿易会社やサーザンエンド、ムールドの商人の多くには帝国本土や西方各国への販路を持っていない為である。これを一から開拓するよりは既存の販売網を持つフューラー商人に一括して売却した方が効率的というものであろう。

 無論、レオポルドの最大の支援者であるレイクフューラー辺境伯へ利益を齎す為でもある。

 レオポルドはレイクフューラー辺境伯からの支援にようやく一部報いることができたということだ。

 第一回南洋貿易船団の三隻が運んできた積荷の売上は合わせて一二〇〇万セリンという莫大な金額に上った。これは辺境伯政府の一年の収入に相当する。

 この利益は事前に定められていた比率によって配当される。

 まず、南洋貿易を独占する特許料として辺境伯政府に一割が納められ、運営会社である南洋貿易会社が三割の配当を受ける。この資金は会社の経費、次の航海の準備資金に充てられる。出資者には五割が配当され、この配当金は出資比率に応じて出資者に配分される。残りの一割は乗組員への報酬である。乗組員への報酬の配分比率は四分の一が船長。四分の一が士官たち。残りが下士官、一般の水夫たちとなっている。最も配分が少ない水夫見習いであっても一〇〇〇セリンの配当を受けることができた。これは辺境伯軍兵士の三年分の給与に近く、節約すれば二年は働かなくても食っていける程の金額である。

 しかし、水夫という連中は陸に上がれば寝ている時以外はずっと酔っぱらっているような輩であるからして、配当金は数月もしないうちに酒と博打と女に消えることだろう。

 とはいえ、再び海に出れば遭難や事故、海賊の襲撃、疫病で命を落とすような舟板一つ下は地獄の日々が待ち受けているのだ。いくら金を溜め込んでも死後の世界には持っていけないし、財産を残す家族もいなければ、有り金全てを注ぎ込んで刹那的な享楽に身を任せるのも一興というものであろう。それを無知、浅慮、愚劣と責めるのは現実を知らぬと言うべきではないか。

 また、その消費行動が飲食店や酒屋、売春宿、賭博場、土産物店を儲けさせ、それらの店に品物を納入する業者の仕事を増やし、ラジアの町の経済を潤すことに繋がるのだ。

 彼らの短絡的な行動を批判するのは聖職者くらいものであり、それに耳を貸す者は皆無というものであった。

 前述した通り貿易の成功によって大金を手にしたのは乗組員たちだけではない。最も多くの金を手に入れたのは南洋貿易会社に出資した貴族や商人たちで、割り当ては売り上げの半分を占めている。

 今回の航海は初回ということもあって、船舶の購入や乗組員の募集、支度金などに多くの初期投資を行っていたが、それでも出資者たちは出資金の三倍程度の配当金を得ることができた。

 最大の出資者であるレオポルドは当然最も多くの配当金を受け取った。

 彼は会社設立時から最大の出資者であり、商船団遭難の知らせが齎された後にも南洋貿易会社の株価を買い支える為、株の買い入れを増やしていたので、彼の出資比率は半分近くに及び、配当は全体の四分の一。つまり、三隻分合わせて三〇〇万セリンにも上る。これとは別に辺境伯政府には貿易独占権の特許料として一二〇万セリンが入っている。

 十数億セリンに上る辺境伯債務に比すれば僅かな金額ではあるものの、目立った収入に乏しいサーザンエンド辺境伯領にとっては貴重な収入と言えよう。

 彼はこの資金を借金返済に充てることはせず、ハヴィナ、ファディ、ラジアといった諸都市の再開発、毛織物、煉瓦、硝子、火薬などの工場の建設、ハヴィナからラジアまでを縦断する街道の建設工事、鉱山開発に投資することした。

 数百万セリンという金額は大金ではあるものの、十数億セリンという莫大な債務の返済に充てたところで焼け石に水となることは明白であり、それよりはサーザンエンドの殖産興業に使い、サーザンエンの収入源となる産業を育成した方が得策だというのがレオポルドと彼の経済顧問たちの意見であった。

 また、レオポルドが得た利益はこれだけではなかった。南洋貿易の成功とその莫大な収益が周知されると暴落しかけていた南洋貿易会社の株価は急騰し、レオポルドが有する株の資産価値は瞬く間に膨れ上がったのだ。

 というのも、南洋貿易は今回の成功をもって終わりというわけではなく、継続される事業であるから今後も高利率の配当が期待される為である。

 その上、南洋貿易会社は第一回航海の成功を受け、一年以内に保有する商船を倍増させ、遅くとも五年以内には商船団を二〇隻体制にするという意欲的な目標を発表し、事業の拡大と更なる収益を目論んでいた。

 南洋貿易会社の成功は瞬く間に帝国南部は勿論のこと、帝国全域、西方諸国にも伝わることとなり、サーザンエンドと南洋貿易会社への注目は高まり、それに比して株価も急騰したのである。

 株価が十分に高まったところで、レオポルドは自身が所有する南洋貿易会社株の半数近くを手放し、一〇〇〇万セリンもの利益を手にすることになった。こちらの金はレイクフューラー辺境伯への借金返済に充てることとした。これで辺境伯からの債務は四〇〇〇万セリン程度まで削減された。


 南洋貿易会社の第一回航海が成功し、サーザンエンド経済の生命線とも言える南洋貿易が軌道に乗り始めた頃、宮廷財務会議はようやくサーザンエンド辺境伯債の整理を一段落させた。

 レオポルドが辺境伯位を得た時、サーザンエンド辺境伯は累積一二億五〇〇〇万セリンという莫大な債務を抱えていたが、宮廷財務顧問官のスターバロー博士らが整理した結果、実際の債務はそれよりもかなり少なくなることが判明した。

 というのも、サーザンエンド辺境伯の借金は辺境伯創設以来百数十年に渡って延々と引き継がれてきたもので、辺境伯領の歴代の財務担当者が債務整理という面倒極まりない事務手続きを避けてきた為、償還期限を超過しているもの、債権者が存在しない或いは連絡は不能なものが少なくなったのである。

 また、サーザンエンド辺境伯継承戦争の過程において、レオポルドから離反した都市ナジカは破壊され、有力者は尽く粛清されたり、財産没収の上、追放されたのだが、彼らの多くはテイバリ人商人で、サーザンエンド辺境伯に多くの金を貸していたのである。

 つまり、レオポルドは意図せずして辺境伯債を残酷な方法で返済不要にしていたのだ。

 債務整理と並行してレオポルドは一部のハヴィナ貴族たちが所有する辺境伯債を放棄させようと試みた。というのも、長くサーザンエンド辺境伯の宮廷を牛耳り、その財政を自由にできた彼らは辺境伯から低利で金を借り、高利の辺境伯債を購入して、その利率の差によって利益を得るという極めて不健全な利殖を図っていたのである。これは不法行為ではないかもしれないが、辺境伯に損失を与える重大な裏切り行為と言えよう。

 レオポルドはこの犯罪的な行為を免し、これまでに得た利益を見逃す代わりに彼らに貸している債権と彼らが有する辺境伯債を相殺させることとしたのだ。

 この試みはレッケンバルム卿ら有力なハヴィナ貴族の同意を得て実施された為、表立った反発が起きることはなく、辺境伯債の大幅な削減に成功した。

 こうして、サーザンエンドが遅い秋を迎える頃には辺境伯債の残額は七億セリンまで圧縮された。

 この頃には南洋貿易会社の第二回航海の準備が整い、修理が必要な一隻を除いた三隻から成る商船団が再び南洋諸島を目指してラジアを出港し、レオポルドはサーザンエンド経済の先行きに光明を見出し始めた。


「やれやれ、どうにか背負っている重荷が軽くなりそうな気がしてきたな」

 今年に入ってからもう何十回目かの宮廷財務会議を終えたレオポルドは会議室を出て廊下を歩きながら機嫌良さそうな様子で呟く。

 三年半前にフェルゲンハイム・クロス家を破産させた彼がサーザンエンド辺境伯位の継承を目指してサーザンエンドへ下り、継承戦争を戦ってその地位を獲得して更に半年以上が過ぎた今日まで、彼が背負う借金は膨張の一途を辿り続けてきたのである。

 それがここにきてようやく大幅な削減が成り、彼は支援者であったレイクフューラー辺境伯にまとまった金を返済することができたのだ。

「しかし、レイクフューラー辺境伯も三年半も金を借りたまま一文も返さないくせに、無心を繰り返すような輩に金を貸し続けたもんだな」

 レオポルドが自嘲するように呟くと、彼の後ろに影のように付き従うキスカは眉間に皺を寄せ、いつも以上に険しい顔をした。

 彼女はもう何年も前からこれ以上の借金を重ねるべきではないと主張していたのだが、夫にして主君である彼は決まってその忠告を無視してきたのだ。言いたいことの一つや二つもあるに違いないが、聡明で従順な彼女は不機嫌そうに顰め面をするだけだった。

「レイクフューラー辺境伯閣下は大変寛大な御方なのです」

 同じように後ろを付いて歩いていた辺境伯官房長レンターケットの言葉にレオポルドとキスカは揃って閉口する。

「ところで、レイクフューラー辺境伯は何やら東の島国の内戦に首を突っ込んでいるそうだな」

「なんとっ。さすが、閣下。既にお聞きでしたか。耳聡いですなぁ」

 大げさな反応を示すレンターケットをレオポルドは不機嫌そうに睨む。

「それは皮肉のつもりか。もう一年くらい前から介入してるそうじゃないか」

 レオポルドはその話を正夫人のリーゼロッテから聞き、彼女はレウォント方伯の兄から手紙で知らされたらしい。レイクフューラー辺境伯の本拠地であるフューラー地方は帝国本土東岸であり、レウォント地方の北隣に位置しているのだ。

 レイクフューラー辺境伯が介入している島国はフューラー地方の対岸にある島で、サーザンエンドからはかなり遠く離れた地で、内戦が起きようが国が引っくり返ろうが直接的な影響はほとんどないだろう。

 それにしても、一年近く前から起きていることを今まで知らせてくれないレウォント方伯の鈍さは何なのかとレオポルドは不満に感じていた。

「閣下はカロン島の銀猫王国の王位継承問題に介入しているようですな。ちょうど一年前に先代の銀猫王が病に倒れ、皇太子が即位したそうなのですが、一週間も経たぬうちに気の触れた小姓に暗殺されたとか。その後、他の王子や王女が王位を巡って争う内戦状態に陥っているとのことです」

「レイクフューラー辺境伯はそのうちの一人に肩入れしているのか」

「仰る通りです。軍資金や武器弾薬を注ぎ込んでいる他、兵二〇〇〇を援軍として送り出しているとか。傭兵団もいくつか雇い入れて送り込んでいるようですな」

 こっちには金を貸すだけで東の島国には援軍も送るのかとレオポルドは微かに反発のようなものを感じたが、フューラー地方から見れば銀猫王国は外国ではあるが海峡を挟んだ対岸であり、船で数日の距離だという。一方、サーザンエンドは遥か南の果てでフューラー地方からは馬でも半月近くを要する。より近い地域の問題により真剣に向き合うのは当然というものであろう。

「レイクフューラー辺境伯がレオポルド様に増援を求めるようなことはあり得るでしょうか」

 キスカが険しい顔で尋ねる。彼女はレオポルドが厄介事に巻き込まれることを懸念しているらしい。

 一〇〇〇万セリンを返済したとはいえ、レオポルドは未だレイクフューラー辺境伯からかなりの金を借りている。これまで支援してもらった恩義もある。支援を求められれば拒み難いだろう。

「サーザンエンドからカロン島まではかなり遠いですからなぁ。直接的な支援を求めるようなことはないでしょう。ただ、いくら富裕なレイクフューラー辺境伯閣下とはいえ、軍事費は馬鹿にならんでしょうから、これまでのような気前の良い支援は期待できないでしょうな。或いは返済の督促が増えるかもしれません」

 レンターケットがそう言った直後、一行はレオポルドの執務室に入った。

 レオポルドの机の上には届いたばかりの手紙が置かれ、そのうちの一つはまさしくレイクフューラー辺境伯からの手紙だった。

 封を切り中身を読んだレオポルドは皮肉っぽく口端を歪めてから言った。

「早く金を返せとさ」

 レオポルドの借金返済はまだまだ続く。

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