表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一一章 アーウェン
173/249

一六七

 雨は翌朝になると弱まり、悪かった視界も随分と目に見えて改善してきた。

 サーザンエンド軍の高官たちは本営において軍議を開き、今後の方策について話し合っていた。

 軍議にはサーザンエンド辺境伯であるレオポルドの他、副官であるキスカ、軍事顧問官のバレッドール将軍、辺境伯軍司令官のジルドレッド将軍とその弟のジルドレッド准将、サルザン族の族長であるラハリ准将、各連隊の指揮官たち、それに加え、侍従武官のフェルディナント・ネルゼリンク卿といった面々が顔を揃えていた。

 ネルゼリンク卿は帝都貴族の庶子に生まれ、多くの貴族の庶子と同じように修道院へ入れられたが、信仰と労働の道に馴染むことができず、レウォント方伯の軍隊に入って将校となり、連隊長や侍従武官を務めた経歴を持つ人物である。

 卿はレウォント方伯女リーゼロッテの輿入れに付き添って、サーザンエンド辺境伯の宮廷に移り、侍従武官を務めていた。

 背が高く、輝くような金髪の持ち主で、すっと通った鼻筋に尖った顎、鋭い金色の眼光の冷厳な印象の顔立ちをしている。軍服をきっちりと着こなし、煌びやかな装飾のサーベルを提げていた。

 レオポルドが彼を同道させたのは、アーウェンの情勢に通じている為である。レウォント地方はアーウェン地方の東隣に位置している上、少年時代にはアーウェン地方にある剣の修道院に身を置いていたこともあるのだ。

「槍騎兵の大半を占める下級のアーウェン士族は集落の一部を支配する程度の小領主かそれ以下の農園主でしかありません。財政的に貧弱であり、長期の財政負担には我慢できんでしょう」

 ネルゼリンク卿は金色の口髭を撫でつけながらアーウェン士族の懐事情を説明する。

 アーウェン士族は免税などの多くの特権を有すが、国会の決議に従い、国軍に参加して従軍する義務を負っている。この軍費は基本的に自弁なのである。先祖代々の甲冑を身に纏い、武器を携え、家にある馬に乗るが、最低でも槍持ちや甲冑持ちなどの従者が数人必要だし、糧秣の費用だけでも馬鹿にならない。

「その上、この時期、アーウェンでは麦の収穫期を迎えます。彼らとしては早くに帰国して、収穫の指揮を執りたいところでしょうな。先の大雨も麦に如何程の影響を与えたか気になる者も少なくないはず」

 アーウェンを含む帝国南部など温暖な地域では麦は冬に種を蒔き初夏に収穫を行うのである。対して帝国北部など寒冷な地域では春に種を蒔き晩夏から初秋辺りに収穫を行う。

 時期的にはもう既に収穫を行っていても良い時期である。

 実際、サーザンエンド軍が布陣している町サイタの周辺では大雨の前に麦は刈り取られ、その多くはレオポルドが殆ど強制的に買い上げて軍の糧秣にしていた。

「この時期の雨は麦を悪くする要因となると聞きます。彼らとしては気が気ではありますまい」

 バレッドール将軍がネルゼリンク卿の言葉に同意するように言い、場に並み居る軍高官たちの間に囁き声が広がる。

 レオポルドを含むサーザンエンド軍の高官たちは、この戦いはアーウェン士族にとって益のない戦いだと考えていた。レオポルドにはアーウェンを侵略する意図などなく、アーウェン人にもサーザンエンドを侵略する意図はないのである。その証左として、ガナトス男爵領以外のサーザンエンド・アーウェン国境付近には両軍の部隊が配置はされていたものの、小競り合いすらなく、全面戦争になる気配は微塵もなかった。

 ただ、彼らは父祖を同じくする同胞ガナトス男爵を見捨てることが名誉に反す為に、渋々と軍を発してるのだというのがサーザンエンド側の認識であった。

 戦をする動機が乏しいのだから戦を続けられない事情が増えれば戦いを止め、アーウェンに引き上げるかもしれない。アーウェン槍騎兵がいなくなれば貧弱なガナトス男爵軍などは敵ではない。

「やはり、ガナトス男爵ではなく、アーウェンの指揮官との間で交渉すべきではないでしょうか」

 バレッドール将軍の提案にレオポルドは暫く考えた後、首肯した。

 この戦いの根本的な問題はサーザンエンド辺境伯レオポルドに刃向ったガナトス男爵の処遇とその領地の取り扱いにある。これをどれくらいまで安堵してやるか否か、レオポルドと男爵の間では幾度か妥協点を探る為の交渉が為されてきた。

 しかしながら、様々な要因から交渉は尽くまとまらず軍事衝突に発展し、劣勢に追い込まれたガナトス男爵の救援としてアーウェン軍が乗り出してきたのである。

 言うなれば、アーウェン軍は助っ人でしかなく、問題の当事者ではない。故にレオポルドとアーウェン軍との間では全く交渉などは行われていなかった。

 バレッドール将軍は、これを改め、ガナトス男爵の頭越しにアーウェン軍を率いるアーウェン諸侯との間で和平に係る交渉を行おうというのだ。

 当事者であるにも関わらず交渉の席から外されたとなれば、ガナトス男爵の反発は必至であるが、アーウェン諸侯とさえ同意できれば問題はないだろう。男爵はアーウェン軍の援軍なしには戦を続けられないのだから。

 問題はアーウェン側が交渉の席に着くか否かであるが、こちらが考える通り戦を続ける意思が乏しければ話し合いに応じる余地があると考えられた。

「ネルゼリンク卿はアーウェン語にも堪能だとか」

「堪能と言う程ではないが、基本的な会話には不自由しませんな」

 ネルゼリンク卿の返答を聞きながら、そういえばソフィーネもアーウェン語に通じていたな。とレオポルドは思い出す。十字剣を振り回す修道女はハヴィナ城の青い小宮殿に付属している礼拝堂を根城にしていて、レオポルドたちと生活を共にしつつ、市中の孤児院の手伝いなどをして過ごしている。サーザンエンドでも随一の剣士である彼女はレオポルドの警護役を務めることもあるが、余程の事情がない限りは戦地まで随行することはない。

「閣下。ネルゼリンク卿にアーウェン諸侯との交渉役を担って頂くというのは如何でしょうか」

 バレッドール将軍の提案にレオポルドはネルゼリンク卿に視線を向ける。

「不肖ながら御命令とあらば最善と尽くす所存です。幸いにもアーウェン四侯に数えられるヴィエルスカ侯とは幾度か顔を合わせたことがあります」

 ネルゼリンク卿の言葉に居並ぶ高官たちから「おぉ」と期待に満ちた声が上がる。

 アーウェン諸侯の中でも特に有力な四つの侯爵家はアーウェン四侯と呼ばれ、アーウェン王国の意思決定に大きな影響力を及ぼす。南アーウェン東部に所領を有するヴィエルスカ侯はレウォント方伯と領地を接しており、当然にレウォント方伯の宮廷ともいくらかの接触がある。ネルゼリンク卿はそのような関係から侯と顔見知りになったようだ。

「では、卿にはヴィエルスカ侯と接触を図って頂きたい。それとレウォント方伯にもアーウェンに圧力をかけるよう要請して欲しい」

「承知いたしました」

 レオポルドの指示にネルゼリンク卿が応じ、場では様々な囁きが飛び交う。

 積極的な交戦を望まないアーウェン王国との和平交渉が妥結すれば、戦局は大きく動くだろう。それもこちらに有利な形にである。

「しかし、レウォント方伯は何を考えているんでしょうなぁ」

 欠伸混じりにそう言ったのはハワード・ドレイク卿であった。いつも通りの赤ら顔で、酒の臭いを周囲に振り撒いている。

 それはドレイク卿だけの疑問というわけではなかった。この場にいる全員、それどころか今日の南部情勢にいくらかでも通じている者ならば誰もが抱いているだろう。

 レウォント方伯の妹はレオポルドの正夫人であるリーゼロッテである。この婚姻によってサーザンエンド辺境伯とレウォント方伯は血縁関係という実質的な同盟によって結ばれていた。

 義弟であるレオポルドがアーウェン王国と交戦するとなれば、多少なりとも支援の手を差し伸べて然るべきであろう。

 その上、レオポルドは義兄に対し、既に支援を求める手紙を書き送っているのだ。

 にもかかわらず、これまでのところ、レウォント方伯の軍には動きが見られなかった。

 無論、方伯にも事情はあるだろう。隣国との関係を悪くしたくない。無益な戦争に首を突っ込みたくない。軍費だって馬鹿にならない。

 しかし、アーウェン人領主のガナトス男爵と確執を抱えるレオポルドと婚姻を結んだ時点で、遠からずサーザンエンドとアーウェンの間に悶着が起こり得ることは想定して然るべきであり、異民族の隣人との関係と義弟との関係を比べて、どちらを優先すべきかは言うまでもないだろう。

 あまりにもレウォント方伯の動きは鈍いと言わざるを得ず、レオポルドとしても苛立ちを感じずにはいられなかった。

「方伯閣下とアーウェン諸侯の間には何か約定があるのでは……」

「静かにっ」

 サーザンエンド・フュージリア連隊の指揮官であるコンラート・ディエップ大佐が疑問を口にしたところで、キスカが鋭い声を発して大佐の発言を制す。

 将校たちは何事かと顔を見合わせたが、すぐ異変に気付いた。

 軍議が開かれているのはサーザンエンド軍本営に設けられた大きな天幕で、出なければ外の様子を窺うことはできないが、物音は聞こえてくる。

 分厚い布一枚隔てた外からは雨音に混じっているが慌ただしげな喧騒が聞こえてくる。直後に緊急を告げる喇叭の音が響く。

「何事だ」

「まさか」

 彼らは不安げに懸念に口にする。数人の将校が立ち上がり、今にも駆け出そうと出入り口の方を向いたところで、軍議が開かれていた天幕の中にずぶ濡れの伝令が飛び込んできた。

「申し上げますっ。敵勢、アーウェン槍騎兵の一群がこちらに向かって進撃中っ」

 伝令の叫ぶような報告を聞いた一同は唖然とする。

 それはレオポルドも例外ではなく、茫然とした面持ちで声を発することもできなかった。

 ここ暫くの間、昨夜まで打ち付けるような大雨が続き、今朝になって弱まったとはいえ、雨は止むことなく続いている。当然、地面が乾く間はなく、足元がぬかるむような状況は機動力を武器とする騎兵には致命的な悪条件となる。

 自らが不利になるような状況の中、敢えて戦いを挑む兵はいないだろう。というのがレオポルドを含むサーザンエンド軍高官の一致した考えだったのである。

 しかし、明らかに不利となる状況を突き破るようにアーウェン槍騎兵は真正面から突撃を敢行してきたのだ。

 サーザンエンド軍の指揮官たちは驚き、呆気に取られ、暫し思考すら放棄してしまう有様となる。

「レオポルド様っ。直ちに退却をっ」

 逸早く気を取り直したのはキスカだった。

 彼女はレオポルドの腕を掴み、強引に安全な後方に連れて行こうとする。

「ま、待て待てっ」

 半ば引きずられそうになりながらレオポルドが叫ぶ。

「ディエップ大佐っ、ドレイク卿っ。直ちに迎撃態勢を取れっ。後退しながらでも、敵の勢いを止めるよう努めよっ。ジルドレッド准将とラハリ准将は両翼の部隊を中央へ移動させ、アーウェン槍騎兵の側面を攻撃しろっ。敵の両翼は無視してよいっ。おそらく、アーウェン槍騎兵よりも遅い」

 レオポルドに指示された指揮官たちが天幕を飛び出し、雨の中を駆けていく。

「バレッドール将軍。近衛連隊を本営に展開させ、敵を迎え撃つのだ」

「閣下。恐れながら、アーウェン槍騎兵の突撃は相当な打撃力を有し、このままでは打ち破られる可能性があります」

 レオポルドの指示にバレッドール将軍は否定的な意見を述べた。

 先の戦いではサーザンエンド軍の戦列を組んだ歩兵連隊はアーウェン槍騎兵の突撃によって為す術も無く壊滅させられている。今回、中央に布陣しているのはサーザンエンド・フュージリア連隊、サーザンエンド・ドレイク連隊の他、近衛歩兵連隊。更に近衛騎兵連隊と第一サーザンエンド騎兵連隊も配置されていたが、フュージリア及びドレイク連隊は先の戦いによって消耗しており、如何に近衛歩兵連隊が成績優秀な将兵を集めた精強連隊といえど、大陸最強のアーウェン槍騎兵と真正面からぶつかって耐えられるかは疑問であろう。

「では、どうする」

「後退いたします」

 レオポルドの問いにバレッドール将軍は即答した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ