一五七
レオポルドはとても眠かった。
サーザンエンド辺境伯に就任した帝歴一四一年の終わり頃から、彼はずっと多忙な日々を送っていた。
連日様々な行事に出席し、色々な人と顔を合わせ、いくつもの会議を重ね、何十枚何百枚もの手紙や報告書に目を通し、同じくらいの数の返信を書き、数多くの指示を側近たちに与えていた。
側近たちの補佐があるとはいえ、避け難い行事への出席や要人との会見はレオポルド本人が足を運び、顔を出さないわけにはいかないのだ。
正当な理由なく行事への出席や会見を遠慮したりすれば、何故、あちらの家には顔を出し、こっちは来ないのか。何故、あいつには会ったのに私とは会わないのかなどといった不満が噴出しかねない。些末な問題と思えるかもしれないが、名誉と矜持を重んじる貴族社会においては極めて重大な問題である。軽んじられ、名誉を傷つけられたと感じた貴族が不満分子となり、統治への支障となることもあり得るのだ。
各地の要人との手紙のやりとりについても同様であり、彼は自分あての手紙は全て到着したその日には必ず目を通し、遅くとも一週間後までには返信を書き送っていた。これが日に何十枚と着ており、彼の執務机には常に手紙の山が堆く積まれ、いつまで経ってもその標高が低くなることはなかった。
結果として、彼は多くの仕事を抱え込み、その処理に追われる日々を送ることとなった。
朝早くから机の上の書類の山を片付ける作業をしながら手早く朝食を済ませ、日中の行事や会見、会議をこなし、その合間を縫って様々な報告を受けては適当な指示を出し、晩餐の後、その日に新たに届き、机の上に山を成す手紙や報告書を読み、返事や指示書を書くという生活を送る羽目になっていた。
そもそも、彼は端から端まで全てに目を通し、細部にまで指示を出さなければ気が済まない性質なのだ。忙しさの大きな原因は彼自身の仕事のやりかたにあると言っても良い。
それでも彼は最大の娯楽にして趣味である入浴を欠かすことはなく、日に四度も五度も風呂へ行き、少ない日でも起床後と就寝前の入浴を省くことは断じてなかった。それでも彼は満足に入浴もできないと言って、いつでもどこでも不機嫌そうに不満を漏らしていた。
となれば、当然、削られるのは睡眠時間である。日々の睡眠時間は一日の五分の一どころか六分の一程度を下回る有様であった。
つまり、レオポルドはここ暫くずっと寝不足気味なのである。
そんな状況で長たらしくつまらない話を延々と聞かされれば眠気を覚えるのも致し方ないというものだろう。
純白の聖服に身を包んだ初老の主任司祭は延々と語り続ける。抑揚のないその声は聴衆を神の国に誘おうとしているかの如き心地よい眠気を齎す。彼が説教を行うミサでは信徒の寝息が絶えることはないと言われているのだ。
誰もを夢心地にさせる説教の内容は、崇高にして聖なる主による天地の創造から両性の誕生。主に祝福された男女の結びつきについて。正しき主の子らはどのような家庭生活を営むべきか等々。
それは正教徒の婚礼では司祭が語るお決まりの説教であった。
いくら寝不足で夢の国への引導かの如き話を延々と聞かされているといっても新郎が居眠りしてしまうのは大変問題だろう。
帝歴一四二年に入って一週間足らずのこの日、ハヴィナ市の中心部にある聖マルコ教会ではレオポルドとリーゼロッテの婚礼が華々しく挙行されていた。
聖マルコ教会は異教徒異民族が跋扈する辺境の地にあるとは思えない程に大きく立派な建物であり、内装も大変壮麗な造りであった。祭壇は金銀で飾られ、ステンドグラスは七色に輝き、居並ぶ聖職者たちは純白の絹の聖服を身に纏っている。
その聖堂は大変に広く、百人以上の人々を易々と収容することが可能であったが、サーザンエンドを統治する君主となったレオポルドの婚礼ともなると列席者の数は百人程度に留まらない。
通常の婚礼であれば信徒席に座っているのは新郎新婦の親族、友人といったところだろうが、統治者の婚礼ともなると事情は大いに異なり、席を占めているのはサーザンエンド中の貴族や有力者たちで、その地位によって席順が厳密に定められていた。
最前列に並ぶのは、まず、アウグスト・ウォーゼンフィールド男爵、マティアス・シャンブレン・ドルベルン男爵、シュテファン・ブレド男爵といった三男爵である。
婚礼に出席するということはレオポルドを自らの君主たる辺境伯と認め、恭順の意を内外に示すことに他ならない。
つまり、サーザンエンド辺境伯領内において有力な自治権を有する四つ男爵家のうちレオポルドと剣を交えたアーウェン系ラヨシュ・ガナトス男爵以外の三名がレオポルドに従属することとなったのである。
サーザンエンド北部に領地を持つ帝国系のマティアス・シャンブレン・ドルベルン男爵は辺境伯空位後数年に渡って続いたサーザンエンド継承戦争において長らく中立の立場を保ち、一時期ガナトス男爵と和平を結んだりと、必ずしもレオポルドに好意的ではなかった。
しかしながら、レオポルドがハヴィナに入城し、正式に辺境伯位を継承するに至って、趨勢は決したと判断し、以前より親交があるレッケンバルム卿を通じて恭順の意向を示してきたのだ。
レオポルドとしても北部の有力領主である男爵を従属させることは極めて重要であった。男爵の動向は他の北部中小領主の動きをも左右し、敵対的なガナトス男爵を圧迫することに繋がる。
何より長引く戦乱にサーザンエンドの領土・領民は大いに疲弊し、レオポルドの家計は火の車と化していた。戦をせずに事が済むのは願ってもないことであった。
サーザンエンド土着のテイバリ人系であるブレド男爵家はレオポルドと長く戦火を交えた間柄であったが、その戦いで劣勢となったことから内紛を生じるに至った。分家のカウラント家が独立し、当主だったシュテファンが弟のアルブレヒトに殺害されたのである。
そこでレオポルドは調略の手を伸ばし、殺された父親と同名のシュテファン・ブレドを自派に引き入れ、跡を継いでブレド男爵に就くことを許した。
四男爵の筆頭格たるウォーゼンフィールド男爵も既に恭順しており、かくして三男爵は彼の臣下に組み入れられ、婚礼の場に顔を揃えることとなったのだ。
男爵たちと同列に席を持つのはサーザンエンド辺境伯位を継承してきたフェルゲンハイム家直臣の中でも有力な八つの家門、通称「赤獅子館」と呼ばれる名門ハヴィナ貴族たちである。
レッケンバルム家を筆頭にライテンベルガー家、ジルドレッド家、アイルツ家、シュレーダー家、ヘーゲル家、ハルベルヒ家、それにハヴィナ攻略を目論んだブレド男爵軍と辺境伯軍の間で起きた聖オットーの戦いにおいて軍の一翼を率いながら戦闘を放棄して辺境伯軍の敗北を招き、裏切り者との謗りを受けたルーデンブルク家である。
ルーデンブルク家はハヴィナの主となったブレド男爵やガナトス男爵に味方して、レオポルドとは敵対を続けたものの、ガナトス男爵軍敗北後にハヴィナを脱していた。
その後、彼らは当主ヨハンスに全ての責任を押し付け、ハヴィナへの帰還を願った。新たな当主となったベルンハルトはレッケンバルム卿の妹婿であり、その伝手を頼ったのである。
ハヴィナ貴族との良好な関係を望むレオポルドは自身の婚礼に合わせて、ブレド男爵やガナトス男爵に付いて敵対したハヴィナ貴族の多くを恩赦することとしたのである。
かくして八家門は一家も欠けることなく男爵たちと同列に席を並べていた。
彼らの多くは宮廷の重要な役職に就いている。
ハヴィナ貴族の筆頭格であるレッケンバルム卿は辺境伯宮廷の最高諮問機関と位置づけられている枢密院の議長を務め、八家門の当主は等しく枢密院に議席を有した。枢密院はハヴィナ城内にある「赤獅子館」と称す建物に置かれることとなり、以後、赤獅子館はハヴィナ八家門を意味すると同じく枢密院の呼び名ともなった。
ライテンベルガー卿は辺境伯議会の議長を務め、アイルツ卿は宮内長官、ハルベルヒ卿は尚書長官、ジルドレッド卿は辺境伯軍の司令官に就任する。
ハヴィナ貴族の長老格たるシュレーダー卿はレオポルドがムールド伯の地位を得た時、行政の最高責任者たる伯領総監としてレオポルドの統治を助けてきた。辺境伯政府においてもその仕事を続けることが期待されていたものの、老齢と体調不良により総監職を辞することとなった。
レオポルドはその後任に内務長官エティー卿を当てることを希望した。卿はサーザンエンド竜騎兵の創設と運用に手腕を発揮し、長引く戦禍に混乱するムールドの治安を維持した実績があり、何よりも忠実なレオポルド派であった。
この人事に難色を示したのが赤獅子館である。
エティー卿はあまりにもレオポルドに近いとして、レオポルドと距離を置く貴族たちが警戒感を抱いたのだ。
その上、エティー家はハヴィナ貴族としては中堅である為、家格が格下或いは同程度の者が辺境伯に次ぐ行政権を握ることに多くの貴族が反発するというのである。
となれば候補者はハヴィナ貴族の中で最高の家格を持つ赤獅子館に絞られてしまう。
その中からレオポルドが選んだのは辺境伯宮廷においてハヴィナ長官を務めていたギュンター・オイゲン・ヘーゲル卿であった。卿は年齢も家格も適任で政治的立場は中立。また、生真面目で争いを好まない穏健な性格として知られていた。
そのような経緯によって、ヘーゲル卿が初代サーザンエンド辺境伯領統治総監に就任した。
この他、最前列に座ったのはフェルゲンハイム家の庶流であるアルトゥール・フェルゲンハイム少将と新婦リーゼロッテ・アントーニア・フライベルの妹ニーナ・アレクシア・フライベルの二人。
次の列には辺境伯政府の長官たちが顔を揃える。
名目的にはシュレーダー卿の後任となるムールド伯領の統治を担うムールド伯領総監に就いたエティー卿、内務長官兼ハヴィナ長官に就いたシュレーダー卿の子息。若シュレーダー卿の後任の法務長官ブラウンフェルス卿、ムールド伯領政府から留任となっている外務長官キルヴィー卿と財務長官マウリッツ卿。
従来までの辺境伯の軍隊とレオポルドがこれまでの戦いで率いてきた軍隊が合流し、新編された辺境伯軍の将軍たちも同じ列に肩を並べていた。
辺境伯軍の最高機関である軍事評議会の議長には隠棲していた老将ケッセンシュタイン将軍が現役に引っ張り出されていた。高級指揮官の不足に悩んだレオポルドの苦肉の策である。
この他、宮廷軍事顧問官バレッドール少将、辺境伯軍司令官ジルドレッド将軍の弟、侍従武官長に就いたレッケンバルム卿の子息、サルザン族の族長で長くムールド人歩兵連隊の指揮官を務めたラハリ・ブリ・ルスタムは准将に昇進し、この位置に席を与えられた。
辺境伯領議会議長の子息である侍従長若ライテンベルガー卿、ムールド伯領政府で宮内長官を務めていた式部官ハルトマイヤー卿、リーゼロッテに随行し、辺境伯宮廷の女官長に指名されたカレニア・ザビーナ・ランゼンボルン男爵夫人といった宮廷の高官たちも同じ列である。
ネルサイ族、カルマン族、サイマル族、ムラト族といったムールド部族でも有力な部族の族長或いは族長代理もこの列に座ることを許されている。
この後ろに辺境伯領議会の議員たち、ムールド諸部族の族長、宮廷の侍従や顧問官、女官、政府の高級官僚、辺境伯軍の連隊長、聖堂座参事会員らの席が連なり、更にその後ろに無役の貴族や有力な市民、有力者の妻子ら百人以上が信徒席にぎゅうぎゅう詰めになっていた。
参列者が熱心な視線を向ける先、祭壇の前には辺境伯軍近衛連隊の紅い軍服に身を包んだレオポルドと流れ落ちる滝を凍らせたような純白の衣に身を包んだリーゼロッテが並んで立っている。
少し痩せ気味だが背が高く手足の長いレオポルドに真紅の軍服はよく似合い、背筋をピンと伸ばし、堂々として身動ぎ一つしないその背中から凛とした威厳が醸し出されているように見えた。
その隣に立つリーゼロッテの美しさは言うまでもなく多くの人々に知られていたが、今日の装いは彼女の美貌を更に引き立たせるものであった。聖堂に差し込む陽光に照り輝く銀糸の如き長髪に飾られた純白の衣は、彼女の高く張った胸部、衣を着ても分かる程に括れた腰つき、女性的な丸みを帯びた臀部、すらりと伸びた手足といった魅惑的な体つきを強調するかの如き造りで、老若男女問わず見る者全ての目を自然と引き寄せてしまっていた。
過去類を見ない素晴らしい新郎新婦だと幾度も溜息を漏らす聴衆の視線に二人はずっと背を向けていたが、それは幸いというものであった。
両人の瞼は錘が吊るされているかの如く、揃いも揃って今にも落ちそうになっているのだ。
二人は共に教会の教えには熱心ではなかったし、退屈な儀礼の意義を好まず、その手の式典に付き物の長い話は文句なしに大嫌いなのである。
四つの瞼が錘に敗れ、ついにはコックリコックリと船を漕ぎ出しそうな頃に至って、ようやく司祭が目を落としていた聖典を閉じた。
その微かな音で新郎新婦は自分たちの仕事を思い出す。
「それでは誓いの接吻を」
地域や時代によって差異があるものの、西方教会において催される婚礼では新郎新婦の誓いの接吻は結婚の成立と見做し、決して欠かせぬ儀式であった。
王侯貴族では様々な事情から相手不在の婚礼などもあり、そういった場合は代理の品(多くは指輪などの装飾品)に接吻することによって代わりとすることもあった。
だが、それは本人不在の場合の緊急避難である。相手が出席している婚礼ならば本人にすれば良い。わざわざそれを避ける意味などありはしない。
衆目監視の中で接吻を交わすなんてことは新郎新婦の趣味ではなかった。
そもそも、華々しく美しく演出された儀式とは裏腹に、これはサーザンエンド辺境伯とレウォント方伯の同盟を強化する為の政治的な打算による婚礼であり、燃え上がった恋が行き着いた果ての結婚ではない。恋愛感情とは関係なく挙行されているのだ。
また、二人の性格からしても接吻なんて恋愛的行為を他人に見せびらかすなどという厚顔無恥な行為は決して好まざることであった。
もっとも、両人の感情的な違和感など婚礼とは関係ない。嫌でも何でもこの聴衆の面前で接吻を交わさねばならないのだ。列席者の目の前で行われる接吻こそが男女の結びつきの証であり、それを見た人々が結婚の証人となるのだ。
新郎新婦は婚礼の場においては不自然極まりない程に苦み走った顔を見合わす。
この時、初めて二人は互いが同じような渋面をしていることに気付き、揃って苦笑いを浮かべた。
レオポルドはリーゼロッテが被っている精緻な刺繍が為された面紗を上げ、暫し新郎新婦は見つめ合う。
「何見てんの。やるならさっさとしなさい」
リーゼロッテが朱を差した唇で毒づき、レオポルドは微かに溜息を吐く。
両端を皮肉っぽく微かに吊り上げた二組の唇はゆっくりと近付いていった。
そうして、結婚は成った。