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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一〇章 サーザンエンド辺境伯
162/249

一五六

 青い小宮殿の書斎の控室、つまり、実質的にレオポルドの私室と化している部屋でレオポルドはレンターケットから報告を受けた。その場にはキスカも同席していた。

「裏切り者どもを赦免するなど言語道断です。犯した罪は罰せられるべきです」

 キスカは厳めしい顔つきで言い放つ。

 彼女は自分に対しても他人に対しても常より非常に厳格な性質で、軍令違反や秩序を乱す行為を決して看過せず、一切の情け容赦なく処分を下してきた苛烈なる断罪者なのだ。中でも特に彼女が罪深いと考え、怒りを露わとするのが主君たるレオポルドへの裏切り行為であった。

 元々、ムールド人は仁義を重んじる誇り高き砂漠の民を自負する民族であり、裏切りをはじめとする仁義に悖る行いを殊更に嫌悪する傾向にある。部族長の娘として生まれたキスカは部族の構成員の模範となるべく、余計にその意識が強いのだろう。

 また、過去にレオポルドを裏切った自身の一族を自らの手によって粛清した経験が、裏切りに対する強烈な嫌悪、憎悪と化していた。

「特に裏切りの主犯たるルーデンブルク家の者共を赦免するなどあり得ません。裏切りは当主ヨハンス・ルーデンブルクの独断であるとレッケンバルム卿は仰っているようですが、かような重大事を一族に知らせず決行するはずがありません。一族の者共も裏切りに協力或いは黙認していたはずです」

「まぁ、そうだろうな」

 キスカの言葉にレオポルドも同意する。

 聖オットーの戦いに出陣し、一翼を率いていたにも関わらず戦いに加わらず辺境伯軍の敗北を招いたのはヨハンス・ルーデンブルク准将であり、他の一族は戦場に出ていなかった。その事実をもってレッケンバルム卿は当主ヨハンスの独断行動であったとしているのだが、これは上手く一族の他の者を赦免させる為の詭弁というものだろう。

 いくら当主とはいえ、多くの同輩を裏切り、異教徒にして異民族たるブレド男爵に味方するという家門の命運を左右する決断を一族に相談もせずに決行したというのは非現実的というものだ。

「本来ならば一族郎党まで含めて処断すべきところを、いとも寛大なるレオポルド様の御慈悲により恩赦されるとしても、命のみならず地位も財産も安堵されるというのは如何なものでしょうか。これでは他の者に示しが付きません」

 キスカの言い分は概ね至極尤もというものだろう。

 これまでレオポルドは反逆者や裏切り者を容赦なく断罪しており、ルーデンブルク家だけを赦免するようなことがあれば非難や不満の声が上がることも予想される。

「しかも、これがレッケンバルム卿の要求というのがまた厄介ですなぁ」

 レンターケットは困り果てたような顔で呟く。

 統治機構改革に協力させる代償としてレッケンバルム卿の要求通り、ルーデンブルク家を赦免し、当主を卿の妹婿であるベルンハルトに替えるとなるとルーデンブルク家に対するレッケンバルム卿の影響力が大きくなることは火を見るよりも明らかであろう。

 その上、ルーデンブルク家はブレド男爵に付いて敗れた結果、威信を大きく傷付けたとはいえ、ハヴィナ八家門に数えられる名家であり、その影響力は小さくはない。特に教会にはルーデンブルク家門やその縁戚に連なる聖職者が多いのだ。

 また、レッケンバルム派となったルーデンブルク家を赤獅子館に復するということは、ただでさえ卿の影響力が強い赤獅子館におけるレッケンバルム派の勢力をより強化させることに他ならない。

 更にはレッケンバルム卿の要求をレオポルドが呑んだと知れれば、他のサーザンエンド貴族や他の有力者たちが両者の力関係をどのように見るかという問題も考えねばならない。

 つまり、端的に言うとルーデンブルク家を赦免し、赤獅子館に戻すということは、レッケンバルム卿の影響力拡大に手を貸してやるようなものである。

 サーザンエンド統治の方法についてレオポルドと対立する点も多いサーザンエンド貴族の代表格たるレッケンバルム家はレオポルドにとっては最も警戒すべき勢力といっても過言ではなく、その勢力を強化するような真似は避けるべきであろうことは言うまでもない。

 今回の要求はまさにそれだろう。

 統治機構改革は何としても敢行せねばならない重大課題ではあるが、裏切り者の赦免及びレッケンバルム派の影響力拡大は将来の禍根となりかねない問題なのである。

 故にキスカとレンターケットはいずれも難色を示しているのだ。

 二人の懸念を聞いたレオポルドは苦笑いを浮かべて呟く。

「しかし、これだけ堂々と自らの利益を要求するのだから、レッケンバルム卿はサーザンエンド貴族を言う通りにさせる自信があるのだろう」

 統治機構改革は従来の官職や組織を大幅に削減することからサーザンエンド貴族にとっては極めて抵抗感の強いものである。

 また、改革案には下級官庁の組織改編も含まれており、当然、それは徴税機関も同じくである。となると、必然的に税制についても改革されることは誰の目にも明らかだろう。

 税制改正もこれまた貴族の利権に係わる問題であり、強い反対が予想される課題である。

 レッケンバルム卿は自分の要求を呑めば、貴族からの強い反対を抑え付けることができると自らの影響力を誇示しているのだ。

「それならば、尚更、レッケンバルム卿の要求を呑んで、余計に卿の影響力を拡大させるべきではないでしょう」

「しかし、卿の助力なくして統治機構の改革は難しいだろう。誰がサーザンエンド貴族を説得するんだ」

 キスカの言葉にレオポルドが言い返すと、彼女とレンターケットは渋い顔で黙り込む。

 広大なるサーザンエンドの統治にはサーザンエンド貴族の協力が不可欠である。彼らは辺境伯宮廷の高官であり、軍の士官の出身母体であり、土地の大半を領有する地主であり、商人との結びつきも強い。排除してしまうとサーザンエンドの社会と経済は崩壊してしまう。

 故にレオポルドとしては何としても彼らを説得し、その協力を得ねばならない。

 しかし、サーザンエンド貴族たちは名実ともにサーザンエンド辺境伯となったレオポルドに絶対服従というわけではない。

 たった数年前に帝都から来た若輩の青年貴族なんぞの命令を黙って聞いてられる程、貴族という連中は大人しく従順で扱い易いものではない。彼らには父祖の代より認められ、受け継いできた特権や地位、矜持がある。

 また、同じ帝国人貴族とはいえ、余所者の青二才に対する反感や不信感もあるだろう。

 レオポルドが臣下たるサーザンエンド貴族たちをあまり信用していないように、彼らも主君たるレオポルドを信用していないのだ。彼らにとってみれば、自分たちの地位や利権を脅かしかねない存在なのだから警戒感を抱くのは至極当然というものであろう。

 懇切丁寧に説明をしたとして納得と賛同が得られるだろうか。

 そもそも、貴族各位をそれぞれ説得して回るのは大変な労力を要す。有力なハヴィナ八家門に限ったとしても当主さえ頷かせれば良いというものでもない。家門の中でも力関係があり、当主よりも長老が幅を利かせている家もあれば、幾人かの有力者による合議体によって家門の意思決定を為している家、夫人が力を持つ家もあろうだろう。

 各家門内部の力関係を調べ上げて説得対象とする人物に接触し、改革の意義を説明し、理解と納得を得るのは骨の折れる作業に違いない。

 しかし、レッケンバルム卿が協力してくれればそれらの手間は全て省略できるのだ。

 ハヴィナに生まれ育って半世紀以上を過ごした卿は殆どの家門の関係性や内部の力関係、誰に話を通せば上手く事が運ぶか全て理解しているのだろう。

「サーザンエンドを統治するに当たってレッケンバルム卿の協力は不可欠だ。それとも俺に法も道理も無視した東方の専制君主の真似事でもしろとでも言うのか。独裁的な君主の成れの果てがどういうものか分からないでもないだろう」

 専制君主や独裁者の多くは民衆の反乱に遭って没落するか臣下の暗殺されるか或いは子孫の代で体制が転覆するものと相場が決まっている。いくらか歴史を学んだことのある者であれば、わざわざ歴史書を読み返すまでもなく、そのような例はいくらでも諳んじることができた。

 レオポルドの指摘にキスカとレンターケットは不承不承といった様子で頷く。

「しかし、改革と引き換えにルーデンブル家他の裏切り者どもを恩赦したとなれば、サーザンエンド貴族にレオポルド様がレッケンバルム卿に屈したと見られてしまうのではないでしょうか」

 統治機構改革にレッケンバルム卿が反対しなければ、それだけで多くの人々が疑念を抱き、レオポルドとの間に何かしらの取引があったと推測する者は少なくあるまい。

 その後、婚礼に合わせてルーデンブルク家が恩赦され、新たな当主にレッケンバルム卿の妹婿が収まったとなれば、多くの貴族は二つの出来事を結び付けて考えるだろう。

 つまり、ルーデンブルク家の恩赦が協力の見返りであったことを理解するのである。その取引を人々はどう捉えるだろうか。

 キスカは、レオポルドの妥協がレッケンバルム卿に屈服したと人々に思われることを危惧しているらしい。

 レオポルドとしてもその懸念がないわけではない。

「それを踏まえてもレッケンバルム卿に協力頂くべきだろう」

 要するにどちらの得が大きく、どちらの損が小さいかという問題なのだ。

 レッケンバルム卿の要求を呑もうとも呑まずとも大なり小なりの損得があり、レオポルドとしては卿の要求を呑み、統治機構改革に御協力頂く方が得であるという考えなのであった。

「レオポルド様がそのように仰るのならば……」

 キスカは不承不承といった様子ではあったが口を噤んだ。

「政治において最も重要なことは孤立しないことだ」

 彼女の不満げな顔を見たレオポルドは苦笑いを浮かべながら言った。

「味方や協力者を増やし、常に多数派を形成することが望ましく、それが難しくても可能な限り敵対者を増やさないことだ。現状のハヴィナにおける多数はレッケンバルム卿たちなのだから、彼らを宥めて敵に回らないようにしつつ、上手く取り込んでやることが肝要だ」

 彼は生まれた頃から帝都の貴族社会の一員であり、若い頃から幾度となく政治的駆け引きを目にしてきたのだ。父親が急進的な思想から帝都で孤立し、実家が破産したという苦い経験も糧となっているのは皮肉というものだろう。

「ところで、レッケンバルム卿はフィオリア様の結婚に反対であるとも仰っておりましたが如何なさいますか」

 思い出したかのようにレンターケットが尋ねるとレオポルドの苦笑から笑みが失われた。

 義理の姉とも言うべきフィオリアは、親兄弟がいない彼にとって数少ない肉親的な存在である。

 故に彼女の立場は必然的に政治的性質を帯びることとなる。血の繋がりはなく、異民族のフィオリア人の孤児という出自であってもレオポルドと最も近しい人間であることは確かであり、レオポルドが非常に大事に扱っていることは誰の目から明らかなのである。

 以前までサーザンエンド貴族の多くは彼女を異民族の孤児として見下していたものだが、レオポルドが正式にサーザンエンド辺境伯に就き、名実ともにサーザンエンドの統治者になると考えを変えたようであった。

 それまでの態度を変化させ、レオポルドが彼女を宮廷女官という地位に就けて正式な場にも同席できるようにしても不満を口にする者は多くなく、それどころか彼女と誼を通じて間接的にレオポルドに接近しようと試みる者は少なくなかった。

 そのような立場にある彼女の結婚が重要な政治的問題となることは言うまでもない。

 フィオリアと結婚するということは親類が極めて少ないレオポルドの縁戚的な立場になることができるということを意味する。

 レオポルドの公然たる愛人と見做されているキスカとアイラの出身部族であるネルサイ族とカルマン族がムールド諸部族の中で最も優遇されている現状を見れば、そのように考える者が現れるのは当然というものであろう。

 そこでレオポルドは実質的に義姉というべき彼女をハヴィナ八家門の一翼を占め、サーザンエンドの軍事貴族の代表格であるジルドレッド家に輿入れさせようと考え、ジルドレッド将軍の子息と婚約させていた。

 ジルドレッド家は以前からレオポルドに比較的協力的であったし、政治的な主張が控え目で、軍事貴族の代表格であるジルドレッド家を味方に付けるのが得策であると考えられたのである。

 婚約は公に宣伝されたわけではなかったが、かなり以前に為されたもので、多くのサーザンエンド貴族には知られていることであった。それを今になって反対を表明してくるのは如何なることなのだろうか。

「今更、反対だの何だのと言われても困るぞ。向こうにはもう話を通してしまっている。今になって婚約を解消すればジルドレッド将軍の顔に泥を塗るようなものだ」

「どうやらレッケンバルム卿はこれまでフィオリア様に関心がなく、その婚約についても聞き流していたようです。それが最近、会食でフィオリア様と顔を合わせる機会があって、これは拙いと考えを改めたとのことで」

 レオポルドがフィオリアの地位を引き上げ、サーザンエンドの貴族社会に加えたことによって、レッケンバルム卿は彼女の立場と重要性に勘付いたのだろう。

 その上でジルドレッド家がレオポルドの縁戚になってしまうとサーザンエンド貴族の代表格たる自らの地位を危うくする可能性があると思い至ったらしい。

「何にせよ厄介なことだ」

「如何なさいますか」

 レンターケットの問いにレオポルドは顎を擦りながら考え込む。

 レッケンバルム卿の反対を押し切って婚約を強行すれば、ルーデンブルク家の恩赦と引き換えに得られた卿との協力関係が崩れかねない。卿を上手く取り込みたいというレオポルドの思惑も遠退くだろう。

 かといって言われるがままに一方的に婚約を解消すればジルドレッド将軍の面子を大いに傷つけることになる。名誉と矜持を重んじる貴族にとって一方的な婚約解消など下手をすれば決闘に発展しかねない重大事である。ジルドレッド家との協調関係にも悪影響を及ぼす。

 無論、レッケンバルム卿としてはレオポルドとジルドレッド家が接近しないことが目的であり、両者の関係性が傷付くことは願っても無いだろう。

 二進も三進もいかない状況にレオポルドは暫く思い悩む。

 とはいえ、年明け早々にはレオポルドとリーゼロッテの婚儀が予定されているから、どちらにせよ近いうちにフィオリアとジルドレッド家の御曹司の婚儀を執り行うことはできない。婚儀を立て続けに連続して行うことは準備等を行う家政部門に大きな負担となり、望ましいことではないのだ。

 故に時間的猶予はある。

 悩んだ末にレオポルドは口を開いた。

「とりあえず、放っておこう」

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