一五五
ハヴィナの宮殿において連日連夜に渡って祝宴が続けられる間、レオポルドはただ黙々と会食や各種の行事に出席し、暇を持て余していたわけではない。
彼は日課である手紙のやりとりを欠かすことはなく、会食の席上に書類を持ち込んでまで手紙のやりとりを続け、同席するリーゼロッテやフィオリア、ハヴィナ貴族たちから呆れられる始末であった。
また、会食や行事の合間にキスカやレンターケット、エティー卿、バレッドール将軍、といった側近との会合を行っていた。この会合において話し合われた内容の大半を占めたのがサーザンエンドの新たな統治機構の構想と辺境伯軍の再編についてであった。
正式にサーザンエンド辺境伯の地位に就き、名実ともにサーザンエンドの統治者となったレオポルドは従来の辺境伯政府、宮廷の機構をそっくりそのまま受け継ぐつもりなど毛頭なかった。
従来のサーザンエンドの統治体制は帝国本土どころか他の辺境諸侯領邦と比べても旧態依然としたものであった。
統治機構は極めて非効率で形骸化しており、名ばかりの役職や組織がいくつも存在し、似通った職務を行う部署が複数あったり、職責や命令系統が不透明な組織構造となっていた。名ばかりのいくつかの役職に就いて、給与だけを受け取り、実際には職務に行っていないなどという腐敗役人がいる一方、多くの実務を抱え込みながらも薄給で多忙を極める官吏もいるといった有様で、無駄な行政コストを産み出すのみならず、実質的な統治が行えていないというのがサーザンエンド行政の現状であった。
これを放置することは目下の重要課題である財政再建の大きな障害となることは言うまでもないことである。有効な統治組織でなければ、複雑にして正確な手続きと仕組みを要する徴税や出納といった重要な行政機能が満足に運用されるわけがないのである。
その為、有効に機能する徴税機構を持たなかった今までの辺境伯政府は徴税業務を徴税請負人に丸投げしていた。民間業者である彼らに任せれば複雑で面倒な業務をせず、最小限の人員で一定額の収入を確保することができる。安易だが賢い選択と言えなくもない。
しかしながら、徴税業務を民間に委託した場合、彼らの徴収業務と徴収額が果たして正確なものなのか確認することができないという問題が生じる。事後的に監査をしたとしても、監査のみによって徴税業務の正確性を保つのは極めて困難だろう。
徴税業務だけでなく、他の行政事務や手続きについても、従来の政府の仕組みは非効率で不正確、杜撰でいい加減なものであった。
このような状況を招いたのは歴代の辺境伯が非常に弱体な権力基盤にあったからだろう。サーザンエンドの情勢は常に不安定であり、慢性的な財政難に悩まされ、領土の多くは四男爵をはじめとする中小領主たちによって支配されていたし、宮廷や辺境伯軍の高官はハヴィナ貴族によって占められていた。彼らの意向を無視した改革などがほとんど不可能であったのだ。
それに加え、ここ数代の辺境伯は病弱であったり幼少であったりして、統治機構改革を行うなどできるはずもなく、その間、実権を握っていたレッケンバルム卿らハヴィナ貴族はといえば宮廷における自らの影響力の拡大と利権の保持に忙しく、統治機構改革どころではなかったのである。
その結果が現状のお粗末な辺境伯政府なのである。
これを放置することなどできようはずもない。統治機構改革なくして財政再建なしを知るレオポルドは、まず、真っ先に辺境伯政府の行政機能を大幅に改編することにしたのだ。
統治機構改革を行うにあたって彼は独裁的、専制的に強行するつもりはなかった。
政府や宮廷の官職や組織を整理するということは貴族たちの名誉ある官位を無くしたり、利権を奪ったりすることに他ならず、ただでさえ反発を招く施策だというのに、それを事前に調整もせずにやって余計な反感を買う必要はないというのがレオポルドの考えであった。
そこでレオポルドは側近たちとの会合によって新たな統治機構の草案が作ると、速やかにそれを赤獅子館に送り、レンターケットに説明をさせた。赤獅子館に集うハヴィナの名家門の賛同が得られれば大なり小なりその影響下にある中小貴族の反発は大きく抑えることが可能なのである。
レオポルドと側近がまとめた新たな統治機構は、基本的にはムールド伯領政府を発展させたものであった。
辺境伯領を代表する最高合議機関としてサーザンエンド辺境伯領議会を設置し、サーザンエンド貴族と上位聖職者、諸都市の代表、それにムールド諸部族の代表を議員として、各種の法令や税金、条約の批准、宣戦・和議などを認可する。ただし、それらの決議には辺境伯の署名がなければ効力を発揮しないものとする。
議会を設置し、法令や税金を認可させるのはサーザンエンドの有力者たちを政治に関与させて懐柔し、統治に協力させるという意味もあるが、それ以上の意味を持つ。
君主が一方的に法令や税金を課しても、有力者たちがそれに反対し、遵守しなければその庇護下或いは影響下にある領民とて守ろうはずもない。
武力を用いて順守を無理強いしたとして、自分たちが同意していない法令や税金を課されて黙っている者がいるだろうか。歴史を紐解けば、数々の反乱の理由となってきたのは君主の都合による増税であり、反乱によって血祭に挙げられてきた君主も少なくない。レオポルドはその新たな一人になるつもりはなかった。
しかし、その逆であればその施行は確実に為されるであろう。
議会を召集し、有力者たちの意見を聴取し、必要に応じて修正を行って新たな法令や税金を彼らに認めさせることができれば、反発は必要最小限に抑えることができ、彼らの協力を得ることもできる。
また、議会によって認可された法令や税金は実行の可能性が確実となる。それは税収の確実性が増すことであり、辺境伯の財政的信用度の向上にも直結する。辺境伯の財務の信用が増せば債権の返済が確実に為される保障となり、低利かつ長期の債権を発行することが可能となり、より効率的な財政運営を行うことができる。
立法機関たる辺境伯領議会が決議した法令や税金を実際に施行する行政機構としては枢密院とサーザンエンド辺境伯領統治総監府が設置される。
枢密院は辺境伯と議会の最高諮問機関であり、重要案件や要職の人事に関する諮問に与ることとされた。枢密院の構成員は赤獅子館の面々と有力なムールド部族の代表者とされ、議長にはムールド伯領政府時代から引き続きレッケンバルム卿が就く。
形式上は枢密院の権威の下に置かれた辺境伯領統治総監府が実際の行政機関と言うべきである。統治総監の下に治安関係と地方関係を担当する内務長官、外交を取り仕切る外務長官、財政及び経済、税制を管轄する財務長官、法律関係を所管する法務長官、辺境伯の印璽を管理し、議会の召集などを司る尚書長官、それに首都ハヴィナの行政の長たるハヴィナ長官、ムールド伯領の統治を統括するムールド伯領総監が連なる。
地方の統治機構としてはハヴィナ長官の施政下にあるハヴィナを除くサーザンエンド北部と中部はそれぞれ東西に二分され、ムールドは四分、それに南岸ハルガニ地方を加えた九地区に地方管理官、地方財務官、地方法務官、地方裁判所といった地方行政機関を設ける。なお、コレステルケやナジカといった主要な都市はこの地区には属せず都市参事会の市政下に置かれる。
また、内務長官の指揮下にサーザンエンド竜騎兵隊を組織し、各地区に中隊を駐屯させて地方の治安維持を担う。これも都市内には展開しない。
この他、軍事を統括する機関として辺境伯軍軍事評議会が設けられ、辺境伯軍とムールド伯軍は統合され、各連隊は統合・整理された。
辺境伯軍の近衛連隊とムールド伯軍の近衛大隊は統合・整理され、近衛歩兵連隊と近衛騎兵連隊として再編成される。
ムールド伯軍サーザンエンド・フュージリア連隊はそのまま存続し、兵力が減少していたサーザンエンド歩兵連隊をこれに統合させる。
これまでレオポルドに雇用されていた傭兵部隊であるドレイク連隊は指揮官を含めて丸ごと正式にサーザンエンド辺境伯軍に編入されることとなり、サーザンエンド・ドレイク連隊の名を冠することとなった。
ムールド人歩兵連隊は兵員が補充され、第一から第四までの四個連隊が編成される。
サーザンエンド辺境伯軍には八個歩兵連隊が編成されていたが、定員を満たしていない連隊も多く、書類上は存在するものの実際には存在しない中隊もあった為、第一サーザンエンド歩兵連隊から第六歩兵連隊までの六個連隊体制となる。
騎兵はムールド人軽騎兵連隊の他、第一サーザンエンド騎兵連隊と第二サーザンエンド騎兵連隊の三個に再編成される。
この他、海軍の編成が予定されているものの、これはまだ希望的なものであった。
司法機関としては従来の高等法院を存続することとした。
一方、大きく改編されたのは宮廷官職である。従来の宮廷にあった多くの名ばかりの形骸化していた官職が削減されることとなり、宮内長官、式部官、家政事務官、官房長、手許金会計官、御料管理官、辺境伯付書記官、侍従長及び侍従、侍従武官長及び侍従武官、女官長及び女官といった最小限の官職のみが残された。
これらの上位官職の他に下級官庁も大きく改編され、実現すれば辺境伯政府の統治機構は大幅に様変わりしたものとなる計画であった。
「これでは反発が出よう」
赤獅子館の一室にて草案を見たレッケンバルム卿はいつもどおりの不機嫌そうな顔で感想を述べた。
「やはり、そうですか」
説明役であり、自身も改編草案の作成に大きく関わったレンターケットからしても予想通りの回答であった。
しかし、ここで大人しく引き下がるよう者ならばレオポルドも身近に置いていたりはしない。彼が側近たる官房長を務めるのは伊達ではないのである。
「恐れながら……」
レンターケットが説得すべく口を開くと、それを遮るようにレッケンバルム卿が片手を挙げて制す。
「とはいえだ。政府と宮廷の改革が必要であろうことは否定し難い。辺境伯軍の再編、税制の改正についてもその必要性についても、少なくとも私は理解している」
レッケンバルム卿は傲岸と顎を上げ、足を組み、白い口髭の先を摘まみながら言い、対面に立つレンターケットに鋭い視線を向ける。
「となりますと、その必要性について解さぬ方々に今一度詳しく説明さしあげるべきでしょうか」
レンターケットの言葉にレッケンバルム卿は呆れたように鼻を鳴らす。
「貴様らがいくら事細かく微細にわたって説明したところで理解せぬ者は理解せぬ。元より理解しようという気概のない者にいくら言葉を尽くしたところで意味などなかろう」
「それでは……」
「それに連中は貴様のような外国人を信用せぬ。シュレーダー卿やエティー卿においても、外国人に籠絡されたと見做しておるからな。話を聞く耳など持たぬ」
卿の言葉は確かにその通りだとレンターケットは考えていた。懇切丁寧に説得して話が収まるならば苦労などしない。
では、どうするのか。説得役を変えるしかない。同じ話であっても話をする人間が違えば人は捉え方も大きく異なる。
「となりますと、恐れながら貴卿にご助力願えましたならば幸いなのですが」
「まぁ、私がこれに同意せよと言えば連中も表立って反対はできまい」
レッケンバルム卿は自らの権威と影響力を誇示するように改めて言った後、平然と続けた。
「私は改革に反対する連中を黙らせることができる。それで、貴様は何ができる」
卿は無条件に協力するほどお人好しではない。
その上、交渉において回りくどいのも好きではないようだ。
「貴卿には枢密院議長として、引き続き閣下の諮問に与り……」
「それは当然だ。そんなことではない。あぁ、ついでだが我が子息の地位も考えよ。それと甥のヴェステルもな」
「閣下はレッケンバルム准将は侍従武官長にとのお考えです。ヴェステル・アイルツ卿は侍従で宜しいでしょうか」
「結構。だが、それはそれだ」
卿の要求は自身と身内の地位だけに留まらないようだ。
レンターケットを手招きし、声を落として尋ねる。
「ハヴィナ長官のヘーゲル卿だが、奴の娘がどこに嫁いでいるか知っているか」
ヘーゲル卿はブレド男爵にレオポルド派が敗れた後もハヴィナに残留した八家門のうちの一家であるが、立場としては中立派にあってブレド男爵に協力的というわけでもなかった。
レンターケットはサーザンエンド貴族の縁戚関係について把握に努めようとはしていたものの、全ての家の関係を網羅するまでには至っていなかった。
「不勉強ながら存じておりません」
「ルーデンブルク家だ」
ルーデンブルク家はハヴィナ八家門の一家であるが、当主ヨハンス・ルーデンブルク准将は聖オットーの戦いにおいて一翼を担っていたにも関わらず戦闘に関与せずレオポルドらの敗北を招いた戦犯とも言うべき人物であり、その後もブレド男爵、ガナトス男爵に協力し、レオポルドと敵対してきた。
「ヘーゲル卿はブレド男爵を良しとはしていなかったが、娘婿を見捨てることができず、ハヴィナに残ったのだ。今に至ってはさすがに見限ったようだが、婿はともかく娘とその子はなんとしても保護したいところであろう」
「つまり、ルーデンブルク家の帰還を許せと」
「その通りだ。あの裏切りは愚かな者のヨハンスの仕業であって、その謀反を知らされていなかった家族に罪はあるまい。ヨハンス以外の一族は帰還を許し、その家督はヨハンスの叔父ベルンハルトに相続させ、赤獅子館に出仕させるのがよかろう」
「ちなみに、ベルンハルト・ルーデンブルク卿の奥方はどなたですか」
「我が妹だが、何か問題でもあるかね」
つまり、ルーデンブルク家をハヴィナに帰還させれば、ルーデンブルク家だけでなく、縁戚であるヘーゲル家に恩を売ることができ、当主を自らの妹婿であるベルンハルトに挿げ替えることで、ルーデンブルク家をレッケンバルム家の影響下に置くことができるというわけだ。
これが実現すれば赤獅子館に集うハヴィナ八家門のうちレッケンバルム派は元よりレッケンバルム卿に近しいハルベルヒ家を含めて四家となる。その上、他の一家であるアイルツ家もレッケンバルム卿の縁戚であるから、過半数がレッケンバルム卿の影響下となりかねない。
しかも、各家門はいずれもハヴィナにおいては古くからの名家であり、その影響下にある中小貴族も多く、間接的にサーザンエンド貴族のかなりの割合を支配できるとも考えられる。
「閣下の御婚礼祝いということでハヴィナを逃げ出した連中に恩赦を与えれば良い。さすればハヴィナ貴族の閣下への忠誠心は確たるものになろう」
レッケンバルム卿の言葉にレンターケットは硬い笑みを浮かべ、レオポルドの判断を仰ぐと答えて退出することとした。
「あぁ、それから」
部屋を出る寸前にレッケンバルム卿はレンターケットを呼び止めた。
「そろそろ、エリーザベト嬢の結婚問題をどうにかせねばなるまい。アルトゥールと結婚させるかどうかはともかくとして、いつまでも相手を見つけずに放置しておくわけにもいくまい」
フェルゲンハイム家とも縁戚であるウォーゼンフィールド男爵家の令嬢エリーザベトは一時、フェルゲンハイム家の庶流であるアルトゥールとの婚約が持ち上がったことがあったものの自らの地位を脅かしかねないとのことでレオポルドが強く反対した結果、取り止めとなっていた。以来、エリーザベトの結婚相手を誰にすべきかという問題は放置されてきた。
アルトゥールとの結婚を持ち出してレオポルドを牽制したのは誰あろうレッケンバルム卿であるはずだが、まるで他人事のように言うのでレンターケットは思わず苦笑いを浮かべた。
「それから、閣下の御尊父の養女であるフィオリア嬢であるが」
卿からフィオリアの話題が出たことにレンターケットは密かに驚きを覚えた。
レッケンバルム卿は良くも悪くも誇り高きサーザンエンド貴族であり、異民族の孤児などという下賤な出自の娘に興味を示すことは珍しいどころかこれまで無かった。
「ジルドレッド家の倅と婚約しておるそうだな」
「仰る通りです。ジルドレッド将軍の御子息カール・ルドルフ・ジルドレッド大尉と婚約いたしております」
レッケンバルム卿は黙って口髭を幾度か撫でた後、いつものようなしかめ面でレンターケットを睨み付けて言った。
「私はその婚約には反対である」