一四九
レオポルドと赤獅子館の対立は軍司令官の人事やムールド軍の駐留問題、ムールド人将兵の軍紀に係る問題に留まらなかった。
両者の対立点は大小様々である。恭順したウォーゼンフィールド男爵家の扱いからレオポルドとリーゼロッテの婚儀の日取りや細目、果ては街区のゴミ処理の問題まであらゆる事柄に及んだ。
中でも深刻な問題となったのは裁判権と徴税権についてであった。
サーザンエンド辺境伯領と言っても、正確にはその領域全てが辺境伯の領地というわけではない。辺境伯が所有する直轄地は所有権が曖昧なムールドを除いたうちの四分の一程度であり、その他の四分の三は辺境伯の従属する領主たちの所有地である。ウォーゼンフィールド男爵、ブレド男爵、ガナトス男爵、ドルベルン男爵ら四男爵領の他、サーザンエンド大司教やハヴィナ教会領、いくつかの修道院長領、コレステルケとナジカをはじめとする独立した都市とその付属領土、そして、ハヴィナ貴族たちの諸領地である。
これらの諸領地は領主たちに統治され、その領地内の紛争は領主の裁判所によって裁かれていた。ただし、自由民は領主裁判所の判決に不服な場合、サーザンエンド高等法院に控訴することが可能で、それにも不服であれば帝国高等法院に上告することも法律的には可能であった。
その上、聖職者と貴族たちは免税特権が認められており、彼らはこれまで一切の税を支払うことはなく、その領地から上がる収益の殆どは彼らの収入となっていた。
つまり、これらの諸領地は殆ど辺境伯の支配から独立しており、辺境伯の権限は直接これらの領地には及んでいなかったのである。
レオポルドはこの封建的体制を転換しようと画策していた。
これまでにレオポルドはサーザンエンド辺境伯領からムールド伯領を分離していたが、ムールド諸部族を懐柔する目的から領土の大半を諸部族の所有地としていた。未だに細かい具体的な境界線を引く作業が難航していたものの、とにかく、レオポルドの所有するところではない。
彼がムールドの土地に興味を示さなかったのは、ムールドの土地を直轄地にしたところで得るものが殆ど無かったからである。農作に不適なムールドの土地柄では遊牧くらいしかできず、レオポルドは羊飼いになるつもりはなかった。
ムールドでもオアシス周辺や西部の高地地域においては農地開発が進められていたが、これらが行われている地域もレオポルドの直轄地ではない。レオポルドは農耕に適した地を支配する部族に補助金を与え、農業技術者を顧問として付けて、農作をやらせているだけであった。
ムールドで農業を行う目的は収入源とする為ではなく、人口増大に備えて食糧を確保する為であり、その収益が自身の懐に入る必要はないとレオポルドは考えていたのだ。
しかしながら、レオポルドはムールドにおいて土地の所有権は殆ど有していなかったものの徴税権と裁判権をしっかりと握っていた。
ムールド諸部族は部族内の自治と人頭税と地税の免税という特権を許されていたが、重犯罪や部族間の係争、部族間に跨る事件や紛争の処理は伯領政府の裁判所によって処理され、関税や消費税については免税の対象に含まれず、それらの税はムールド伯領政府財務長官の下の徴税官によって徴収され、政府の収入の大きな割合を占めていた。
レオポルドはムールド以外のサーザンエンドにおいても同様に取り扱おうと考えたのである。
未だに彼はサーザンエンド辺境伯の地位を継承していなかった為、その直轄領を相続してはいなかったものの、辺境伯の椅子が手に入るまでぼんやりと待っているような性質ではなく、直轄領と領主たちの領地を区別するつもりもなかった。
彼は戦後の混乱に乗じた野盗や脱走兵の跋扈による治安の悪化に対処する為、サーザンエンド竜騎兵隊を組織して、サーザンエンド中部の各地に駐屯させると同時に捕らえた罪人を裁く為の裁判所を各地に置くことにした。
具体的にはサーザンエンド中部を四つの地区に分割し、ハヴィナを含む中北部を第一管区、ナジカを含む中南部を第二管区、西部を第三管区、東部を第四管区として、それぞれにサーザンエンド竜騎兵隊の中隊と地区裁判所を設けたのである。
そして、これらの組織の運営費を捻出する為に関税を徴収することとして、各管区に徴税官事務所を置く。
これにハヴィナ貴族が猛反発した。
サーザンエンド竜騎兵は領主の区別なく犯罪を捜査し、罪人を追って捕える権限を有し、それは地区裁判所も同様であったからである。
また、関税についてもサーザンエンド辺境伯領を出入りする商品には等しく課され、その商品が出入りした地が非直轄領であっても、その商品が貴族の所有するところであっても、例外なく課税の対象とされていた。
サーザンエンドの貴族や聖職者は領地から上がる年貢だけでなく、貿易にも関わっていることが多かった。実際の取引は専ら貿易商に任せられていたが商品の売主や買主を彼らの名義にすることによって取引に係る税を免れるということが横行していた。
しかし、新たな関税はそれを不可能とし、彼らの収入に大きな打撃を与えることは必至である。
レオポルドによってサーザンエンド竜騎兵の創設と地区裁判所の設置、新しい関税制度が発表されると赤獅子館に集う名門貴族たちだけでなく、中小貴族も大きな反発を示した。
「ムールド伯は一体何の権限があって我々の権利を侵すのかっ。この権利は我らの先祖が初代の辺境伯より賜り、代々の辺境伯より認められてきたものであるっ。これを我らに諮ることもなく、強引にこの権利を踏み躙ることが許されるものかっ」
赤獅子館の会議室でレッケンバルム卿が吠えたこの言葉こそほとんどのハヴィナ貴族の本音であった。
弱ったのはレオポルド派の貴族たちだ。彼らは今やサーザンエンドで最大の勢力を誇るレオポルドを辺境伯に据えることによってサーザンエンドに安定と平穏を齎すことができると考えており、基本的にレオポルドの政策を支持してきた。
しかし、今回の措置によって先祖伝来の特権が侵され、収入が減るのは彼らも同じなのである。
その上、基本的に事前の調整や根回しを欠かさないレオポルドにしては珍しく今回の措置はほとんど唐突な発表で、レオポルド派にとっても寝耳に水というものであった。
「竜騎兵隊は我々や民の生命や財産を守るものであり、我らにとっても必要なものであろう。彼らは我らの領地を収奪するわけではなく、守る立場なのだ。歓迎こそすれ排撃すべきものではあるまい」
それでもレオポルド派のライテンベルガー卿はレオポルドを支持する立場から好意的な意見を述べた。
「そして、その兵員と馬、武器などを維持する為にはある程度の資金が必要であり、これを税として徴収するのも認めざるを得ないのではないか。誰かが無償で竜騎兵を維持する資金を供出するというのならば別だろうが」
「しかし、かように重大なことを我々に諮ることもなく独断で決めるのは如何なものか。正規の法に則ったやり方と言えるのかね」
レッケンバルム卿の言葉にライテンベルガー卿は渋い顔で黙り込む。
法的にはレオポルドは未だムールド伯という地位にあり、サーザンエンドの解放者という立場である。サーザンエンドの正式な統治者というわけではないのだ。故にサーザンエンドにおいて彼が新たな法を施行する権利などないはずだ。
これに長く法務行政に携わってきたシュレーダー卿が反論する。
「現状、サーザンエンドは閣下の軍隊の軍政下にある。故に占領軍の施行する法は有効であろう」
占領軍は占領地の秩序維持の為に法を施行する権限を有す。レオポルドは法的にはサーザンエンドを外敵から保護する為に占領統治しているような状態と言える。
「では、この措置は軍政下における臨時的なものと解釈して宜しいのか。軍政が終わった時にはこの措置は廃止されるのかね」
レッケンバルム卿の問いにシュレーダー卿とライテンベルガー卿は顔を見合わす。
二人としてもそれは知る由もないことであった。
レオポルドは調整や根回しは熱心に行うが、肝心の目的や趣旨については言葉にしないということがよくあったからだ。その上、今回は調整と根回しすらほとんどされていないのだ。
「私から閣下に確認しておくことと致したい」
シュレーダー卿が苦しい答えを出すとレッケンバルム卿は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
レッケンバルム卿をはじめとしてハヴィナ貴族の大多数が不満を漏らし、残り少ない者も内心では不満に思っていたものの、サーザンエンド竜騎兵隊は組織され、サーザンエンド中部の治安機関として働き始めることになった。
竜騎兵の成り手は乗馬とマスケット銃の取り扱いに慣れ、帝国語に堪能であることが条件であった。条件に合致する者として手っ取り早くムールド伯軍から希望者が募られたが、将兵の多数を占めるムールド人は外国とも言えるサーザンエンドで活動することを好まず、希望者は一個中隊を充足するにも不足であった。
竜騎兵の多数を占めることとなったのは定員を大きく減じた辺境伯軍の兵であった。彼らの多くは帝国人であることから治安機関の構成員として適任と言えた。
また、ただでさえ少ない辺境伯軍の人員を減じることによって、ムールド伯軍の役割を大きくする。つまり、ムールド伯軍を指揮するレオポルドの立場を強化することも意味していた。
各地区に置かれる裁判所と徴税官事務所も適当な建物が政府によって買い上げられ、然るべき修繕や改修が行われ、判事や役人、徴税官が赴任していった。それは誰の目からも一時的とは思えない恒久的な施設に見えた。
ムールドにおける消費税と関税収入に加え、サーザンエンドにおける関税収入も手にしたレオポルドであったが、その台所事情は改善されたとは言い難いところであった。
彼にはそれらの税収の他、ムールドで生産される岩塩、翡翠の一部を受け取る権利を有し、本格的な開発が始まった鉱山からの収入があった。更に鉱山の運営権の売却益、ナジカを攻め落とした時に没収した財産などといった臨時収入もいくつかあったが、それらを全て合わせても彼の莫大な借金は減るどころか増える一方であった。
彼はムールドを統一し、軍隊を強化し、ファディを整備する過程で莫大な資金を支援者であるレイクフューラー辺境伯から借り入れており、ムールド伯の称号を得る為、帝都に向かう際にはナジカ商人からも借金をして、皇帝や帝国高官への贈り物にも多額の資金を使い、ドレイク連隊の雇用費、軍艦の購入費、帝都にある自宅の修繕費もレイクフューラー辺境伯に立て替えて貰っていた。その後のラジア遠征、マルセラの戦い、ナジカの戦いでも少なくない出費をしている。
このうち、債権者であったナジカ商人の多くは愚かにも債務者を相手に戦って没落した為、この債務は上手いこと帳消しにされていたが、その額は彼の借金の一割にも満たない。
やはり、レオポルドの最大にして殆ど唯一の債権者はレイクフューラー辺境伯であり、その債権の合計は軽く七〇〇〇万セリンを上回っていた。
兵士一人の月収が三〇セリン。年収にすると三六〇セリンであるから、ざっと計算して兵士一人が一九万四〇〇〇年働いて稼ぐ給金よりも多く、言い換えれば一九万以上の軍勢を一年以上雇用できる金額ということになる。平民には一生縁のないくらいの大金であることは間違いない。
レオポルドが一年に得る収入はこの頃ようやく四五〇万セリンを上回ろうかというくらいであったから、彼は年収の一五年分以上の債務を抱え込んでいることになる。
しかも、借金は更に膨張し続けていた。
彼が雇用する軍勢は一万近くになり、その維持費は年間五〇〇万セリンにも上っており、これだけで既に年収を上回る支出となっている。更に裁判所や官庁の役人の給与も必要だ。
その上、レオポルドはサーザンエンド中部のハヴィナをはじめとする各都市の再開発や道路の修繕、農地の整備、学校の建設などに取り組み始め、総額一〇〇〇万セリンの予算を投じようとしていた。
「レオポルド様……。さすがに、これはどうにかなされた方が宜しいのではないでしょうか……」
ファディからハヴィナへと馳せ参じ、レオポルドの副官たる立ち位置に復帰した彼の第一夫人たるキスカは暫くの間、見ていなかった間に膨れ上がっていた債務の総額を計算して眩暈を覚え、青褪めた顔でレオポルドに意見した。
「このままの調子で出費を続けると来年の今頃には債務の合計は一億セリンを超えてしまいます」
「そうか」
キスカの深刻な様子とは裏腹にレオポルドはどこ吹く風といった調子であった。
「そんなことより、ハヴィナに大浴場を作ろうと思うのだが」
「そんなお金はありません」
「辺境伯閣下が貸して下さるさ」
憮然とした顔のキスカに言われた彼はいつもの言葉を繰り返す。
「さすがに、レイクフューラー辺境伯閣下もこれ以上の借金は難しいのではないでしょうか」
「現金でなくとも債務保証してくれればいい」
実際、彼の債務の多くはレイクフューラー辺境伯による立替払いや債務保証が主で、現金の貸付はそれほど多くはなかった。どちらにせよ債務には変わりないが。
「借金をするにしても使い道を絞るべきです。本当に必要なことにだけ使い、不要不急の出費は避けねばなりません」
「大浴場は大事だ」
「それはレオポルド様がお風呂好きなだけでしょうっ」
キスカは思わず苛立たしげに声を荒げたが彼は気にする様子もない。
「入浴は体の老廃物を洗い流し、体内の水分と温度をちょうどよく整え、心身を健全に保つ重要なものだ。これを市民にも幅広く安く気軽に広めるべきであろう。何より風呂に入れば気持ちにゆとりが生まれ、健やかな気持ちになれる。余計な反抗心を抱くことも無くなるだろう」
風呂をこよなく愛し、日に二度も三度も入浴したがる夫にして主の言葉に彼女は呆れ果て言葉を失っていた。
「しかし、大浴場を城壁の中に造るとなると極めて窮屈だな。住人を立ち退きさせて造るしかないな。いや、いっそのこと城壁を取り壊して、その石材を流用するか」
妻にして副官の呆れ顔に気付かぬレオポルドはハヴィナの市街図を覗き込み、大浴場建設計画に没頭していた。