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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第九章 ハヴィナへ
152/249

一四六

 アルトゥール軍を追跡する任を負っていたガナトス男爵軍の別働隊が戦場に現れたのはナジカの戦いの翌日のことだった。

 別働隊は高地クライス地方から呼び寄せられたベッゼル傭兵隊二〇〇〇の他、ウォーゼンフィールド男爵家独立派の兵五〇〇。軽騎兵五〇〇騎で構成されていた。彼らはナジカ周辺の地理に疎く、アルトゥール軍を見失ったばかりか道に迷い、糧秣や水の補給にすら悩まされる始末であった。

 一方、アルトゥールが率いたムールド人軽騎兵連隊と第一ムールド人歩兵連隊はいずれも軽装で機動力に優れた部隊であり、マルセラの戦いにおいて戦場に大砲と物資の多くを放棄していた為、極めて身軽であった。

 しかも、ムールド人は交易の要衝であるナジカ周辺の地理に詳しく、水を補給できるオアシスや糧秣を徴発できる町村の位置を正確に把握していた。

 その結果、アルトゥール軍は行動の自由を手に入れ、ナジカに籠って時間を稼いだレオポルドと連絡を取り合い、ナジカ包囲にかかりきりとなっていたガナトス男爵の後背を突くことに成功したのである。

 ガナトス男爵軍別働隊はナジカから東へと撤退した主力と引き離され、孤立してしまった。

 しかも、対峙するムールド伯軍はアルトゥール軍と合流を果たした結果、自軍の倍近い軍勢である。

 援軍も補給も期待できない状況において、指揮官は賢明な判断をした。


 傭兵隊長のフリードリヒ・ヨアヒム・ベッゼル卿は背が高く、髪や髭をきっちりと整え、灰色の軍服をきっちりと着こなした紳士であった。

 そもそも、彼は高地クライスの諸侯カンメルン公の八男という一介の都市貴族に過ぎないレオポルドよりも良い家柄の出自である。

 諸侯の子息とはいえ、八男ともなれば領地の相続は難しい。いくらかの現金くらいは遺されるが、貴族として恥ずかしくない生活を送りたいと思うならば、仕事をしなければならない。

 この時代の貴族が選ぶ職業と言えば概ね二つのうちの一つである。聖職者か軍人である。若き日のベッゼル卿は後者を選んだ。

 大陸東方の大国である神聖帝国と西方の大国リトラント王国に挟まれた大陸中北部はクライス地方と呼ばれ、数十もの中小諸侯が乱立し、紛争やいざこざが絶えない不安定な地域である。軍人となれば仕事に困ることない。

 彼はその地で多くの戦場を駆け、旗手や司令官の副官、小部隊の指揮官などを経験した後、貯めた資金を元手に自前の傭兵隊を組織した。

 戦の絶えないクライス地方を転戦した後、彼は神聖帝国に渡って、北方遠征(帝国は定期的に北東部に居住する異教徒の蛮族を討伐する軍隊を組織して、遠征を繰り返している)に従軍したり、帝国諸侯に雇われて反乱を鎮めたりした後、ガナトス男爵に雇用され、南部へとやって来た。

 その為、彼とガナトス男爵の関係は雇用関係以外の何ものでもない。無論、貰った金の分の仕事はするが、自分の命と天秤に掛ければどちらが重いかは言うまでもない。

「貴君の賢明なる選択を喜ばしく思う」

 レオポルドはそう言って、下馬して畏まっているベッゼル卿を馬上から見下ろす。

「閣下の精強な軍隊と見事な采配には感服いたしました」

 レオポルドを見上げた彼は流暢な帝国語で言い、自らのサーベルをレオポルドに差し出す。

「戦は時の運である。先のマルセラにおける戦場での貴君の指揮は優れたものであった。かような状況になったのは戦女神が我らに微笑んだというだけのこと」

 レオポルドはサーベルを受け取ったが、それをすぐ彼に返した。

「寛大なるお言葉を賜り痛み入ります」

 ベッゼル卿は恐縮した様子でそう言ってサーベルを腰に戻す。

「貴君と貴君の部隊の将兵の行動の自由は保障しよう。ただし、兵どもは武装解除し、ナジカの郊外に分散して宿営させよ。市内に入ることは許さぬ。食糧等は我らから補給する。ナジカ市や近郊の集落に危害を加えるようなことや我が軍を阻害するような行動があれば厳罰に処す」

「承知致しました。神に誓って従いましょう」

 捕虜と言っても、その処遇は時代や地域、立場や状況によって大きく異なる。即刻処刑されてしまうこともあれば、奴隷として売り払われることもあるし、厳しい強制労働に従事させられることもある。異教徒や異民族相手であれば苛酷な処分となることが多い一方、同じ民族や同じ宗教であれば寛大な処分となることも少なくない。

 この時代としては同じ正教徒の将兵であれば身代金が支払われれば解放されることが一般的であった。貴族や士官の捕虜は利敵行為や脱走さえしなければ拘束されることもなく、ある程度の行動の自由も認められていた。

 レオポルドは降伏したガナトス男爵軍の将兵三〇〇〇に寛大な処分を行った。

 彼は必要とあれば誰かの命を奪うことを厭わないが、基本的には無益な殺生を好まないし、捕虜をいたぶるような趣味も無い。

 捕虜に食わせる食事に金がかかるが、それとて数日のことと見込んでいた。


 レオポルドの見込み通り、その日の夕刻にはガナトス男爵から使者が送られてきた。

 用件は言わずもがな和睦を乞うものである。

 糧秣を奪われ、大きな損害を被り、別働隊の兵三〇〇〇が降伏してしまった現状においては、最早ガナトス男爵の勝機は薄い。彼自身もそれを認識しているのだろう。

 レオポルドとしても、これ以上の戦争継続は好ましくないところである。

 ムールド伯軍は連日の行軍と戦闘によって酷く消耗しており、休息と再編成を必要としていた。それに戦いは続ければ続ける程、金がかかる。

 現状のガナトス男爵軍と戦って負けるとは思えなかったが、条件次第では和睦して、兵の損耗を避けた方が望ましいと彼は考え、和睦に応じることにした。

 お互いの使者を送り合っての幾日かの交渉の結果、ガナトス男爵はハヴィナをはじめとする占領地を放棄し、ブレド男爵家やウォーゼンフィールド男爵家の継承問題に介入せず、その軍勢は速やかにサーザンエンド北部の彼の領地に退却することとなり、両軍の捕虜は解放されることとなった。

 解放された捕虜の中には行方不明になっていたムールド伯軍の工兵隊長ヨハネス・リッケンジン中佐やレオポルド付の士官だったキオ族のナタル・ハヴィド・ジブ大尉、ルドルフ・ライマン士官候補生、ヴィクトール・ルゲイラ士官候補生といった面々も含まれていた。彼らはレオポルドと別れた後、ガナトス男爵軍の追跡から逃れることができず捕虜となっていたのだ。

 ムールド伯軍が獲得していた捕虜のうち、ナジカの戦いで捕虜となったガナトス男爵軍の兵や別働隊の騎兵隊などはガナトス男爵軍と共に北へと退却していったが、ウォーゼンフィールド男爵軍の兵はレオポルドの手許に留められた。

 ガナトス男爵はウォーゼンフィールド家に介入しないことが取り決められた為、彼らはその指揮下から離れ、ガナトス男爵軍の捕虜とは見做されなかったのである。

 同じようにベッゼル卿が率いる傭兵隊についても雇用契約が破棄された為に残された。戦争を終わらせたガナトス男爵にとって傭兵隊との雇用契約は最早必要のないものなのである。

 一方的な契約破棄に憤慨していたベッゼル卿にレオポルドは声を掛け、ドレイク卿と同条件で彼の傭兵隊を雇用することとした。レオポルドはまだ兵を必要としているのだ。

 レオポルドが降伏した敵軍に寛容な処遇を取ったのは、こうなることを期待していたからでもあった。

 契約が結ばれれば昨日の敵の下でも喜んで働くのが傭兵というものである。ベッゼル卿はレオポルドの下で働くことを了承し、レオポルドは早速、彼の軍勢をウォーゼンフィールド男爵の居城クライセンバート城へと送り出した。

 クライセンバート城ではレオポルドに近い保守派の家臣たちが男爵夫妻の身柄を確保して、城に立て籠もり、それをブレド男爵やガナトス男爵と接近していた独立派の兵が囲んで睨み合う状況が続いていたが、ベッゼル卿の傭兵隊の登場で独立派は瓦解するだろう。

 レオポルド自身はその後も暫くの間、ナジカに留まった。

 大きな損害を受けたムールド伯軍を再編成し、兵を休息させて体力と気力を回復させなければならなかったし、激しい攻防戦によって甚大な被害を受け、多くの指導者が粛清されたナジカの復興を指導する必要もあった為である。

 彼がナジカを発し、ハヴィナに馬首を向けたのは、サーザンエンドの厳しい夏も終わりを迎え、しぶとく残っていた暑さも消え失せた頃合であった。

 レオポルドは第一ムールド人歩兵連隊を残し、連隊長のラハリ大佐にナジカの統治と防衛を任せ、自身は四五〇〇の兵を率いて南部を南北に縦断する街道を北へと進んだ。

 その途上、ナジカを発して一週間もしないうちにハヴィナから使者がやって来て、レオポルドに面会を求めた。

 使者はギュンター・オイゲン・ヘーゲル卿というハヴィナ貴族であった。

 ハヴィナ貴族とはハヴィナ在住の帝国人貴族たちのことで、辺境伯宮廷の構成員であり、サーザンエンド中部の各地に所領を持つ騎士階級である。

 ヘーゲル卿はハヴィナ長官というサーザンエンド辺境伯領の首都を監督する重職にある有力貴族であったが、ブレド男爵のハヴィナ入城後はハヴィナ長官を辞職し、蟄居していたらしい。

 男爵がハヴィナを支配した時、これに強く反発したレッケンバルム卿やジルドレッド卿といった面々はレオポルドと共にムールドへ去ったが、ハヴィナに残った貴族の全員が男爵に好意的、協力的であったというわけではない。中には渋々と従った者もいたし、表立って反抗はしなかったものの自宅に引き籠っていたような貴族も少なくなかった。

 彼らは密かにレッケンバルム卿と通じて、ハヴィナの内情を流したりしていた。ヘーゲル卿もその一人で、レオポルドも幾度か書面でのやりとりをしている。

 卿は形式的な挨拶と戦勝の祝いを述べた後、本題に入った。

「ハヴィナにおいては閣下の入城に反対する者はおりません」

 その言葉に同席していたムールド伯軍の高官たちは顔を見合わせる。

「ガナトス男爵の退却と同時に、ブレド男爵やガナトス男爵に協力していたルーデンブルク家やハヴィナの教会の聖職者たちは夜の間にハヴィナを捨て、何処かへと姿を消してしまいました。ロバート老は病に伏せっており、ボスマン財務長官は自宅に蟄居しております」

 残されたのはブレド男爵やガナトス男爵に非協力的だったが中立的だったハヴィナ貴族だけとなり、彼らにはレオポルドの入城を拒む理由などあるわけがない。

 そうして、ハヴィナを代表する官職を務めていた経歴を持つヘーゲル卿がレオポルドにハヴィナの現状を報告し、出迎える役目を担うこととなったようだ。

 ルーデンブル家やハヴィナ教会の一部の聖職者たちはブレド男爵やガナトス男爵に協力することによってサーザンエンドにおける自らの影響力を発揮しようとしたようだが、二男爵が相次いでレオポルドに敗れ去った今となっては、その過去は攻撃される格好の名分と化している。彼らは自らの立場の危うさを認識し、粛清される前に逃げ出したのだろう。賢明と言うべきだとレオポルドは考えた。

「ハヴィナ市内では混乱に乗じ、傭兵崩れや脱走兵が徒党を組んで盗みや強盗に手を染め、貧しい民が暴動を起こしております。市民は一刻も早い閣下とその軍勢の入城を心待ちしております」

「報告御苦労。直ちにハヴィナに入ることとしよう。ヘーゲル卿にはハヴィナを統治する際には助力願いたい」

「仰せのままに。私を含め閣下への協力は惜しむ者はおりませぬ」

 そう言ってヘーゲル卿は頭を下げた。


 帝歴一四一年一〇月の初め。

 ムールド伯レオポルド・ウェンシュタイン・フェルゲンハイム・クロス率いる軍勢は無血開城したサーザンエンド辺境伯領の首都ハヴィナに入城した。レオポルドがハヴィナに足を踏み入れるのは聖オットーの戦いに敗れた時以来、二年以上ぶりのことである。

 二年以上もの間、テイバリ人のシュテファン・ブレド男爵、アーウェン人のラヨシュ・ガナトス男爵という異民族に支配されていた帝国人貴族と市民はレオポルドとその軍勢を歓呼の声で出迎えた。

 ムールド伯軍は市内各所に展開して、一日のうちに市内の治安を回復させた。

 レオポルドはサーザンエンド辺境伯の宮殿に入り、ハヴィナ貴族とハヴィナの教会の聖職者たちを謁見した。事前にヘーゲル卿が言っていた通り、ブレド男爵に協力した貴族や聖職者の姿はなく、ロバート老とボスマン財務長官も自宅から出てくる様子はなかった。

 ハヴィナに入城した翌日にはクライセンバート城から、ウォーゼンフィールド男爵家中を保守派が掌握し、男爵がレオポルドに恭順する意向を示しているという知らせが届けられた。

 この結果、レオポルドは首都ハヴィナを含むサーザンエンド中部をほぼ制し、ハヴィナ貴族と教会の支持を得たことになる。

 これはサーザンエンド辺境伯の地位を獲得する条件がほぼ揃ったことを意味している。

 つまり、レオポルドは目標としていた辺境伯の椅子に手を掛けたのだ。

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