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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第九章 ハヴィナへ
151/249

一四五

 ガナトス男爵軍の攻撃は翌朝早くから始められた。

 ずらりと並んだ三十門以上の大砲がナジカの城壁や塔に砲弾を撃ち込み始めた。彼らが運用する砲の中には敗北したムールド伯軍が戦場に放置し、ガナトス男爵軍が鹵獲した大砲も含まれている。

 ムールド伯軍は城壁の守備を放棄し、ほとんど兵を置いてなかった為、反撃は無かった。

 崩れかけた城壁、打ち破られた城門、沈黙した大砲を前にしてもガナトス男爵はすぐに兵を寄せてくるようなことはなかった。慎重な男爵は反撃がないことを訝しんでいるようであった。

 とはいえ、砲撃だけで都市を攻め落とすことは不可能である。

 正午過ぎになってガナトス男爵は力攻めを決意した。

 主力が展開する北側の兵だけでなく、東西南に布陣する兵も行動を開始する。彼らは砲兵に支援され、武器を手に前進していく。

 常ならば城壁に近付く攻城側の兵には雨霰と銃弾や砲弾が浴びせられるものだが、ナジカからの攻撃は何も無かった。

「ムールドの野蛮人どもは砂漠に逃げ帰ったんじゃないか」

「アーウェンの槍騎兵にやられて連中はすっかり臆病者になっちまったんだろうよ」

「連中はナジカを破壊して我々が補給できないようにして後退したんだろう」

 兵達はナジカに向かって歩きながら口々に勝手なことを言い合う。

 用心深い司令官とは違い、配下の兵たちの間には楽観的な雰囲気が漂っていた。敵は一度打ち破った相手であり、彼らが籠る都市の城壁は見るからに防衛の用を為さないような状態なのである。勝利を確信したとて無理からぬことであろう。

 しかし、僅か一時間後に彼らは地獄を見ることとなった。

 北側のガナトス男爵軍主力は打ち破られたままになっている城門からナジカの市内に侵入した。隊伍を組んで進軍する彼らを待ち受けるのは道路を横切るように構築されたバリケードである。

 城壁の破片や路上の石畳を剥がして積み上げられたそれは大の男の背丈程の高さがあった。

「各自発砲せよっ」

 北側の城門近くのバリケードに陣取ったサーザンエンド・フュージリア連隊第一中隊の指揮官は敵が射程内に入ったことを確認すると配下の兵たちに号令した。

 ムールド兵はバリケードに身を隠したままマスケット銃を突き出し、遮蔽物のない道路を進むガナトス男爵軍の兵たちを狙い撃ちにする。

 ガナトス男爵軍の兵たちは城門を通り抜けたばかりの為、密集せざるを得ず、開けた広場に出た途端に正面から銃撃を受ける形となった。

 不意打ちのような一斉射撃に先頭を進んでいた兵が次々と銃弾に倒れていく。負けじとマスケット銃を構えて撃ち返すが、バリケードに身を隠したムールド兵に命中させるのは極めて難しい。

「臆すなっ。敵は寡兵であるっ。あのような急ごしらえのバリケードで我々の突撃を止められるものかっ。突撃せよっ」

 ガナトス男爵軍の士官が怒号を飛ばし、腰の引けた兵の尻を蹴飛ばす。

 味方が次々と銃弾に倒れていく中、兵たちは味方の屍や負傷者を乗り越えて突撃を敢行する。

 数の上ではガナトス男爵軍が優勢であり、マスケット銃は連射ができず、次弾を装填し、再び射撃体勢を整えて発砲するまでに数十秒を要する。その銃撃と銃撃の間に数歩を進むのである。先頭の兵が撃ち殺されても、彼が倒れるまでの間に後続の兵は数歩進んでおり、次の者が撃たれても、更に後ろの兵が数歩進んでいる。

 ガナトス男爵軍は数を頼みに突撃を続け、城門とバリケードの間には多くの死傷者が転がったものの、その距離は半分程まで縮まり、彼らがバリケードを乗り越えるのは時間の問題と見られた。

 その頃合を見て、サーザンエンド・フュージリア連隊第三中隊の指揮官は道路沿いの家屋や商店に潜んでいた部下の兵たちに一斉射撃を命じた。

 左右の頭上から浴びせられた突然の銃撃にガナトス男爵軍の兵たちの歩みは止まり、その隙にバリケードを守っていた第一中隊が後退し、代わりに前進した第二中隊がバリケードの守備を引き継ぎ、一斉射撃を見舞わせた。

 三方向からの一斉射撃によって市内に突入していた兵たちはばたばたと倒れていく。

 その上、ムールド伯軍はバリケードに大砲を設けて密集したガナトス男爵軍の隊列に向かって砲弾を撃ち込んだから堪らない。

 ガナトス男爵軍の第一波は算を乱して逃げ出した。敵に背を見せての潰走である。

 ムールド兵はその背中に更に銃弾を浴びせ、幾人かの兵はバリケードから出て敵を追い始める。

「待てっ。追うなっ。敵を追うなっ。陣地に戻り、油断なく次の敵に備えよっ」

 戦死した連隊長に代わって連隊を指揮するハッサン中佐が兵たちの勇み足を窘める。敵軍の数は優勢であり、あくまでも先鋒部隊の撃退に過ぎないことを彼は理解しているのだ。

 同様の戦いは他の城門付近でも繰り返された。城門を大砲で粉砕し、市内に雪崩れ込んだガナトス男爵軍の兵はバリケードや家屋に身を隠したムールド兵に狙撃され、市外に追い返されていった。

 それでもガナトス男爵軍は攻勢を諦めず第二波、第三波と攻撃を続け、城門付近に遺体の山を築きながらも主力である北面ではサーザンエンド・フュージリア連隊第一中隊を後退させた。

 しかしながら、ムールド伯軍はその後方に第二の更に強固な、大砲まで備えたバリケードを構築しており、ガナトス男爵軍はそれ以上の前進ができず、夜を迎える前に市外に後退していった。周囲を敵に囲まれ、身動きの取れない市内に残るのは極めて危険というものであり、慎重なガナトス男爵はその危険を冒すことを嫌ったのであろう。

 翌日の攻勢でガナトス男爵軍は砲兵を押し出し、ムールド兵が身を隠すバリケードや兵が立て籠もる家屋に砲撃を加えて、歩兵の前進を支援したものの、遮蔽物に隠れた兵にはそれほど効果的ではなく、前日と同じように死体の山を築くこととなった。

 三日目になって、ガナトス男爵は攻撃目標を変えることにした。前進を一旦止め、道路沿いの家屋の制圧を目指した。

 ムールド兵が立て籠もる家屋は、予め道路側の入り口を塞ぎ、兵が立て籠もる二階へと上る階段を破壊していた。

 また、ナジカの家々は隣家と壁を共有していた為、ムールド兵は隣家との間の壁に大人一人が通れるくらいの穴を開け、外に出ることなく二階部分で家々の間を移動できるように改造している。

 ガナトス男爵軍の兵たちは塞がれた戸を打ち破り、持ち込んだ梯子を掛けて二階に侵入しようとしたが、狭い屋内では梯子を上る兵を十分に支援できず、梯子を上る無防備な先頭の兵はムールド兵によって順番に殺される羽目になった。

 どうにかこうにか二階に迫るとムールド兵はその家を放棄して、隣家へと後退していく。隣家との間には狭い穴しかない為、隣家への攻撃はこれまた骨の折れる戦いであった。

 ムールド兵十数人が立て籠もる家一つを攻め落とすのに数十人の兵と半日近くの時を要し、攻勢は遅々として進まなかった。

 ガナトス男爵はバリケードへの再度の突撃や他の城門からの攻撃も試みたものの、ムールド伯軍は少数の兵で効率的に迎撃できる防衛体制を整えており、攻撃は困難を極めた。

 それでも防衛側が大きな損失を出す前に後退する戦術を取った為、男爵軍の占領地域は徐々に増えつつあった。


 この間、無事に快復したレオポルドは前線の指揮を将軍たちに任せ、本営としている市参事会の建物に籠っていた。

「ずっと屋内にいて、よくも飽きないものですね」

 いつの間にか部屋に入り込んでいたソフィーネの言葉にレオポルドはペンを走らせながら答えた。

「これが私の仕事だからな」

「一日中書類を読んだり書いたりすることがですか」

 ソフィーネは机の上に山のように積まれた書類を眺めて尋ねた。

「まぁな」

 そう言ってレオポルドはペンを置き、書き上がったばかりの手紙に息を吹きかけてインクを乾かす。

 ソフィーネは乾かされる手紙を一瞥して眉間に皺を寄せ、訝しげな顔でレオポルドを見つめた。

「……貴方、実はまだ熱が下がってないんじゃありませんか」

「何故、そんなことを言うんだ」

 むっとしたレオポルドが言い返すと彼女は先程書き上がったばかりの手紙の宛名を指差す。

「死人に手紙を出す気ですか」

 手紙の宛名には「シュテファン・ブレド」と書かれていた。

「この世を去った人に手紙を出すという感傷めいた趣味を否定するつもりはありませんけど、今まさに敵に包囲されて攻撃されている最中に、あまり親しくもないどころか敵対していたブレド男爵にお手紙を送るのは正気とは思えませんね」

 彼女の言葉にレオポルドは可笑しそうに口の端を吊り上げる。

「確かに君の言う通りだ。しかし、私には死人に手紙を送る趣味はないな。親父や御袋にも手紙を出してない。そもそも、天国行きの郵便配達夫を知らんからな」

「じゃあ、何ですかそれは」

 レオポルドは手紙の宛名を指差して言った。

「こいつは亡きブレド男爵の同名の倅だ」

 シュテファン・ブレド男爵はウォーレンフィールド男爵との同盟を確固としたものにしようと、その息女であるエリーザベト嬢との政略結婚を画策したことがあった。その際、元々の妻と離縁したのだが、その前妻との間に成人前の息子が一人いた。その子が同名のシュテファン・ブレド。レオポルドの手紙の宛先である。

「シュテファン・ブレド・ジュニアはあっちの方にいる」

 そう言ってレオポルドはナジカの西門の方角を指差した。

「あちらにはアルブレヒト・ブレドの兵が展開していますね」

 シュテファン・ブレド男爵の弟アルブレヒトはガナトス男爵に従ってブレド家の軍勢を率いてナジカ攻囲に参加していた。

 若きシュテファン・ブレド・ジュニアは父を殺した叔父に服従することを余儀なくされているという。

「とはいえ、父親を殺した仇敵だ。心から従っているわけがない。それに今度はいつ自分が殺されるか分かったものではないからな。シュテファンが殺されていないのはまだ少年だからとアルブレヒトがまだ家中を十分に掌握できていないからだろう」

 アルブレヒトは兄を暗殺してガナトス男爵に服したが、その直後から従軍させられている為、家中の亡兄に忠誠を誓う勢力を排除できていないだろう。

 また、先にガナトス男爵に服従した分家のカウラント家への対応を巡っても家中は意見が割れているという。ガナトス男爵の配下に収まり続けるならば、カウラント家の独立は認めざるを得ない。これに反発する者が少なくないのだ。

 レオポルドは、このブレド家中の対立に付け込み、シュテファン・ブレド・ジュニアと亡き男爵に忠誠を誓う勢力と連絡を取って、ブレド家の分裂させようと画策していた。

 交渉は最終局面に入っており、シュテファン・ブレド・ジュニアがレオポルドの為に働くならば、ブレド家の家督をシュテファンが相続することを認め、カウラント家の独立を認めない。といった内容である。これにシュテファン派は好意的な反応を見せていた。

 レオポルドはシュテファン派が自分に恭順するのならば、これまでの敵対行為を許し、罪には問わないこと。彼らと家族の生命と財産を保障することを「神に誓った」。

 レオポルドが手ずから書き署名した宣誓書は伝令の手によって密かに市外へと運ばれていく。

 ナジカには市民の一部しか知らない下水道を利用した秘密の地下通路があって、城外と出入りが可能であった。

 レオポルドの夜襲が予期せぬものであった為、ナジカの有力者たちは利用することができなかったが、賢明にも新たな支配者に協力することにした参事会の書記からその存在を聞かされたレオポルドはこれを有効に利用していた。

 彼の伝令は秘密の地下通路を毎日のように行き来して何枚もの手紙を持ち出し、持ち帰って来た。

「失礼します」

 扉がノックされ、近衛大隊長代理のサライ少佐が数枚の手紙を持って現れた。

「閣下。朗報でございます」

「キスカさんがまた懐妊したとかですかね」

 ソフィーネの言葉にレオポルドは不機嫌そうに顔を顰め、少佐は困ったように苦笑いしながら手紙をレオポルドに手渡す。

「アルトゥール様との連絡が取れました。アルトゥール軍は敵の別働隊の追撃を振り切ることに成功し、ガナトス男爵軍主力の背後に向かって進軍中とのことです」

 手紙を開いて少佐が報告した内容を確認したレオポルドは嬉しそうに口角を吊り上げた。


 翌朝、ガナトス男爵は自軍が絶望的な状況に追いやられていることを知った。

 夜も明けきらぬ早朝に何処からともなく現れた敵の騎兵隊が後方の補給拠点を奪取してしまったのだ。その上、すぐに歩兵一個連隊が入って防御を固めてしまった。その数二〇〇〇余。

 ナジカを包囲するガナトス男爵軍主力は六〇〇〇で、そのうちの半数は市内に入り込んで市内に立て籠もって市街戦を繰り広げるレオポルドの軍勢を睨み合っている。

 敵の別働隊を追跡したはずの自軍の別働隊は一体どこをほっつき歩いているのか戦場に現れる様子はない。

 彼の軍勢はいつの間にか軍隊の生命線である糧食を奪われ、ナジカと組み合って身動きできない状況で、背後を取られてしまっていたのだ。

 しかも、そのタイミングで西門から急報が入る。

 兄を殺して自分に降伏したアルブレヒト・ブレドが、夜の間に亡兄の遺児とその一派に殺されたというのである。その上、叔父を殺したシュテファン・ブレド・ジュニアはレオポルドに恭順し、ブレド軍の大半がその意向に従った。西門の主力であったブレド軍の裏切りによって西門を担っていた軍勢は瓦解した。

 更にそこへ新たな知らせが舞い込む。包囲から解放された西門からムールド伯軍の騎兵隊が出撃し、南門を担当していた軍勢の後背に強襲をかけ、同時に南方向への反撃を強めているという。

 突然の背後からの奇襲と、市内からの反撃によって挟撃された南門の部隊はあっという間に壊滅するだろう。最早、南門の部隊を救援することは不可能というものだ。

 ガナトス男爵は挟撃を避けようと軍を移動し始めた。市内に展開していた部隊を後退させ、攻撃を受けていない東門に布陣した部隊と共にナジカの東方向へ逃がそうという意図である。

 しかし、レオポルドがそれを許すわけがない。

 市内に温存されていたムールド兵が追撃に動員され、市内に残っていたガナトス男爵軍の兵の多くが殺されるか捕えられた。

 市外に出て東へと向かったガナトス男爵軍にもムールド伯軍の騎兵隊が追撃を行ったものの、アーウェン槍騎兵隊の反撃によって撃退され、撤退を許すこととなった。

 とはいえ、ガナトス男爵軍は壊滅的な損害を被り、レオポルドはアルトゥール軍との合流を果たして軍を再編成し、今度こそ後顧の憂い無くハヴィナに向けて再び進軍できる状況になった。

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