一四四
翌朝早くにレオポルドはナジカに入った。
未だに体調が優れず、馬に乗ることもできない彼は馬車に乗せられ、周囲を近衛大隊の兵に囲まれて、ナジカの大通りを進んだ。
ナジカの大通りには多くの商店が立ち並び、一年を通じて多くの商人や旅人が訪れ、多くの商談や取引が盛んに行われたものだが、それも過去のことである。
建ち並ぶ商店は一軒残らず略奪を受け、外観に破壊の跡が見られない店は少なく、火を放たれて黒焦げになった店もあった。
略奪された商品の残骸や破壊された家財の破片が散らばり、悲嘆に暮れ、意気消沈した様子の人々が、レオポルドの隊列を恐ろしげに見つめていた。
道端には多くの遺体が転がっていて、ムールド兵に監視された市民が仲間の遺体を荷車に積み込む作業に従事していた。気温の高いこの地では遺体はすぐに腐り始め、疫病の原因となりかねない為、市街にある遺体は早期に処理されなければならないのだ。
遺体のうち、半数は武装した兵士であったが、残りの半分は非武装の市民で、中には女性や老人、子供も多く含まれていた。
高熱でぼんやりする頭を抱えたレオポルドは陥落した街の様子を無表情に無感情に眺めていた。
彼を乗せた馬車はナジカの中央にある広場に入り、集結していたムールド伯軍の将兵から歓呼の声で迎えられた。
「ムールド伯レオポルド閣下万歳っ」
馬車は広場に面した市参事会の建物の前で止まり、近衛大隊の兵士たちがレオポルドを馬車から降ろした。
兵に支えられてどうにか立ったレオポルドは兵士たちの歓声に片手を挙げて応え、広場に集結していた将兵の先頭に立っていたコンラート・ディエップ大佐に声を掛けた。
「我々を裏切り、反逆したナジカは、我々の断固たる決意と神の意志によって罰せられた。それにも増して、此度の勝利は諸君の弛まぬ努力と勇気によって勝ち取られたものである。私は諸君の献身を誇らしく思う。必ずや諸君の忠誠に報いることを約束する。と言ってやってくれ」
「承知しました」
大佐は頷き、将兵に向き直る。
「ムールド伯閣下からのお言葉であるっ」
そう言って、レオポルドの言葉を代弁する。
ディエップ大佐が代弁したレオポルドの言葉を聞いた将兵は喊声を上げ、武器を掲げる。
「ムールド伯レオポルド閣下万歳っ」
歓声が轟く中、レオポルドはディエップ大佐に再び声を掛ける。
「市内の食糧や物資は徴発したか」
「はっ。食糧庫には我が軍を賄うに十分な備蓄がありました。商店からもかなり物資を徴発しております。既に兵たちの腹の中に収まっている分や懐に仕舞い込んだ分を除いてもかなりの量です」
「酒もあったか」
「十分に」
「では、兵士諸君に一パイントずつ支給せよ。麦酒でも葡萄酒でも何でもよい。望むものを支給してやれ」
「承知致しました」
ディエップ大佐が頷くとレオポルドは彼らに背を向け、参事会の建物に入った。背後で大佐の言葉を聞いた兵士たちの歓声が響く。
「閣下。宜しいのですか。昼前にはガナトス男爵軍がナジカまで来ると予想されておりますが」
レオポルドに付き添う近衛大隊長代理のサライ少佐が言った。
「兵たちが酔い潰れてしまっては戦えませんぞ」
「ガナトス男爵とて、何の準備もなく城壁を備えた都市に突入する程、蛮勇ではあるまい。彼らの攻撃は明日以降になる。その前に兵達に酒を与え、休息させた方がよい」
建物の二階へと階段を上りながらレオポルドは不機嫌な面で言い、眉間により深い皺を刻んだ。
「それより、アルトゥールからの知らせはまだか」
「未だありません」
レオポルドは苛立たしげに舌打ちする。
アルトゥールの率いる軍勢二〇〇〇余はナジカより東にあり、主力と合流すべく移動中のはずだった。合流できればかなりの戦力となるのだが、敵の別働隊の妨害を受けているらしい。アルトゥールには何としても敵の妨害を避け、合流して欲しいところであった。
レオポルドとサライ少佐、護衛の兵たちは参事会の会議室に入った。
会議室にはバレッドール将軍やレッケンバルム准将、ルゲイラ兵站総監といったムールド伯軍の高官たちが集まっている他、ナジカの市参事会会長や参事会員ら有力者たちが揃っていた。
市参事会員は一五名から成り、会員は毎年交替されたが、その選出方法は前任者が後任者を指名する方式であり、前任者は自分の一族の者を後任に選ぶのが常であったから、参事会は専らテイバリ人都市貴族の門閥によって独占されていた。
ちなみに、会長は参事会員の中から互選されることになっており、こちらもまた毎年交替性であった。
レオポルドは上座の椅子に座ると溜息を吐き、ムールド兵に監視され、居心地悪そうに立たされているナジカの有力者たちを見やった。
「私は諸君には極めて寛大な気持ちで接していたはずだ」
レオポルドの言葉に彼らは青褪めた顔で黙って頷いた。
先月、ナジカにムールド伯軍が迫った時、ナジカは四つの条件を提示して開城した。その条件とは、これまで通りにナジカの自治を保障すること。住民の生命と財産を保障すること。ナジカに対する課税又は法を施行する場合、ナジカ市参事会の同意を得ること。そして、ナジカ市内に軍を常駐させないことであった。
糧秣や物資の不足に悩まされ、長期に及びかねない攻城戦を避けたかったレオポルドはナジカの過大とも言える条件を丸呑みすることとした。
レオポルドに弱味とも言える事情があったにせよ、寛大な姿勢を示し、ナジカを尊重したことは間違いない。
しかし、ナジカはレオポルドが一敗地に塗れるとあっさりと彼を見捨てたのであった。
一か八かの夜襲によって陥落したが、これが失敗に終わっていたら、レオポルドたちはナジカとガナトス男爵軍に挟撃され、これまで以上にない窮地に陥っただろう。
この裏切りに怒りを感じない者がいるだろうか。陥落に際して、レオポルドが翌朝になるまで入城せず、ナジカ市内を怒り興奮する兵たちの略奪と暴行を制止しようとしなかったのは懲罰的な意味合いからであった。
「諸君の行動には幻滅させられた」
レオポルドの冷たい言葉に参事会員たちは気まずそうに俯く。
ただ一人、参事会長だけが顔を上げて口を開いた。
「いとも偉大にして寛大なるムールド伯閣下。どうかお許し下さい。何卒ご慈悲を頂けますようお願い申し上げます」
「私との約束を破り、敵に追われた我々を裏切って、門を閉じた輩がどうして私の慈悲を期待するのか」
「それは……」
「私はこれ以上、諸君と話をする気はないし、諸君の顔を見たくもない」
そう言ってレオポルドは傍らに立つサライ少佐に視線を向けた。
「直ちに参事会員とその一族の成人男子全員を処刑せよ」
「そんなっ。話を聞いて下されっ」
無慈悲で残酷なレオポルドの宣告に参事会員たちが騒ぎ出す。
「さっさと連れて行け。広場に着いた者から順に片っ端から首を刎ねよ」
そう言ったきりレオポルドは興味を失ったように顔をバレッドール将軍に向けて尋ねる。
「ナジカの防衛体制はどうなっている」
喚きながらムールド兵に連行されていく参事会員たちを横目に見ながら将軍が答える。
「城門や城壁の損傷は大きく、復旧には相当な日数がかかると思われます。おそらくは、ガナトス男爵軍との戦いには間に合わないかと」
「となると、籠城も難しいということか」
レオポルドはしかめ面で呟いて唸る。
「糧食は確保できたのだ。ナジカに火を放って退却するか」
「確かに物資は十分ですが、兵たちがこれ以上の長期行軍に耐えられるか疑問です。せっかく手に入れた都市を一日で明け渡すというのも兵達の士気にも悪影響があるかと思われます」
ルゲイラ兵站総監の言葉に他の指揮官たちも頷く。
「ところで、本当にあの者たちを一人残らず処刑してしまっても宜しいのですか」
参事会員たちが会議室から連れ出されたところを見計らってバレッドール将軍が尋ねた。
「確かに連中の裏切り行為は許されないものです。見せしめという意味でも何人かには死んでもらわねばなりますまい。しかし、ナジカの有力者層を一掃してしまっては今後の統治に差し障りがあるのではないでしょうか」
レオポルドは無表情で首を振った。
「連中には全く失望した。私を裏切ったことには確かに怒りを感じるが、それ以上に失望すべきは、この町の防衛体制だ」
そう言って窓の外に視線をやった。ナジカは周囲をぐるりと高い塔を備えた城壁に囲まれている。だが、それだけだ。
「随分と昔の城壁を修復もせず朽ちるに任せ、現在の戦術に応じた要塞に改修、増築することもなく、大砲を最新のものに更新することもせず、十分な数の守備兵を揃えることもなく、ただ状況の変化に流されて戦争に挑むなど愚かにも程がある」
ナジカは現在の軍隊と戦える状態ではなかった。にも関わらずナジカの指導者たちは戦いを挑んだのである。敵を知るどころか自らの城の状況すら理解していなかったのである。
「時として愚かな味方は賢明な敵よりも我々を危険に晒す。連中にナジカを預けることはできん」
レオポルドがそう言い放った時、参事会の建物に面した広場では、会議室から連行された参事会長の首が容赦なく、鶏の首を落とすように呆気なく切り落とされていた。
「それはともかく、今考えるべきはガナトス男爵軍を如何にして迎え撃つかだ」
そう言ってレオポルドは窓際の席で広場の処刑を見下ろしているドレイク卿に視線を向けた。
主君の視線に気付いたバレッドール将軍が咳払いをして苛立たしげに声を掛ける。
「ドレイク卿。公開処刑がそんなに珍しいかね」
「いやいや、そんなもんは見慣れたもんでさぁ。酷いときにゃあ一〇〇人くらいいっぺんに吊ったこともありますからなぁ」
ドレイク卿は気にした様子もなく、いつも通りの赤ら顔でにやにやと笑って言った。
「卿は敵を迎え撃つに良い考えはないか」
レオポルドは呆れ顔で溜息を吐いてから尋ねた。
「そうですなぁ。敵を城壁の外で叩くんでなくて、城壁の中で叩いては如何ですかね」
「つまり、敵をナジカの市中に誘い込んで市街戦に持ち込むということですか」
レッケンバルム准将の副官であるエリー・エティー大尉が声を上げた。
「お嬢さんの仰る通り」
「お嬢さんと呼ばないで下さい」
「あぁ、今はご夫人でしたな」
ドレイク卿にからかわれてエリー・エティー大尉、レッケンバルム准将の夫人は顔を真っ赤に染め、怒りに震えた。
「ドレイク卿。我々には余裕がないのだ。戯言を言っている暇などないぞ」
「そうでしたな」
バレッドール将軍に言われてドレイク卿が頷き、大尉は怒りを抑えて黙り込んだ。
「つまり、市中にバリケードを構築し、道路沿いの商店や家屋を補強し、市内に入り込んだ敵を四方八方から攻撃するというわけですな。バリケードなんぞは城壁の破片やら道路の石畳やらをひっぺがして積み上げればいいだけですからな。いくらでも簡単に作れるでしょう」
ドレイク卿は数年前にリトラント王国に傭兵隊長として仕えていた時、都市の反乱を鎮圧に向かったのだが、その際に市民が取った戦術が前述のものであったという。市内に張り巡らされたバリケードには非常に手を焼いたとのことであった。
「宜しい。ドレイク卿の案を採用する。兵と市民を動員し、直ちにバリケードの構築と道路沿いの商店や家屋の補強を行え。材料が不足すれば城壁を切り崩しても構わん」
「承知致しました」
バレッドール将軍が応じ、すぐに会議室を出ていった。指揮官たちも席を立ち、自らの部隊の指揮に向かう。
「少佐。後でいいが、ナジカ市内や市当局の内情に詳しい者、書記とか事務官とかを適当に選び出しておいてくれ。そいつらに統治を手伝わせる。協力すれば本人と家族の生命と財産を保障する。無論、非協力的な者の財産は保障されないだろう」
「承知致しました」
レオポルドの指示を受けてサライ少佐は会議室を出ていった。
会議室に一人残されたレオポルドは疲れ果てたような顔で溜息を吐く。
開け放たれた窓の向こうから助命を嘆願する悲鳴じみた喚き声が聞こえてくる。それに対するムールド兵の嘲笑、罵倒、非難の声。少しして助命を求める喚き声はぱたりと聞こえなくなり、ムールド兵の残忍な歓声が上がった。彼らは自分たちを裏切り、目の前で門を閉じた敵が無残に処刑される様を見ているのだ。
士官の怒号が響き、兵たちをバリケードを構築する作業に追い立てる。
外の喧騒を聞きながらレオポルドは再び憂鬱な溜息を漏らした。
ガナトス男爵軍の主力が現れたのは夕方近くになった頃だった。
その数はおよそ六〇〇〇余と見られ、その中には精強名高いアーウェン槍騎兵一〇〇〇騎の姿もあった。
男爵軍は、アーウェン槍騎兵を含む三〇〇〇近い主力がナジカ北側に布陣し、他の東西南それぞれに各一〇〇〇の兵が布陣して、ナジカをほぼ完全に包囲した。
ガナトス男爵は到着してすぐにナジカを攻撃するような無謀を冒すことはなく、陣地を構築し、兵に食事と休養を取らせていた。彼らとて五日間の行軍をしており、疲労を回復させる必要があると考えたのだろう。
しかしながら、ナジカの城壁や城門が激しく損傷し、その防御機能を大きく落としていることは見れば分かるというもので、明朝にも攻撃を仕掛けてくるものと思われた。
とはいえ、レオポルドには一晩の猶予が残されたことになる。
この間にレオポルドはバリケードの構築を急がせた。工事に当たったのは主にナジカ市民である。
ナジカにはバリケードの構築に従事する等、ムールド伯軍に協力した者については生命と財産を保障するとの布告が出されていた。つまり、非協力的な者については財産没収等の対象となるわけで、ナジカ市民の多くは嫌々ながらも工事に協力せざるを得なかったのだ。工事と言っても城壁の破片を運び、石畳を剥がして適当に積み上げるだけであるから、素人でも女子供でもできないことはなく、一万人以上の市民が動員され、夜通し街中にバリケードを築いていった。
ムールド伯軍の工兵隊は道路沿いの家屋や商店の壁を補強して兵が籠って戦えるように改造し、壁を壊して隣の建物との間に通路を設けたり、建物の裏手に出入りできるようにした。
その間、工事を監督する者以外のムールド兵はたっぷりと栄養のある夕食を食べ、屋根のあるベッドでぐっすりと数日ぶりの休息を取ることができた。