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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第九章 ハヴィナへ
146/249

一四〇

 出撃を知らせる喇叭の音が戦場に響いた。

 アーウェン槍騎兵を率いるサバロフ将軍が馬を駆けさせながら隊列を組んだアーウェン槍騎兵に呼びかける。

「勇敢なるアーウェンの騎士たちよっ。我らが兄弟よっ。見よっ。あの空隙をっ。我らはあの間隙を突破し、敵の中央と左翼を分断するっ。我らが勇猛を砂漠の蛮族どもに見せつけてやろうぞっ」

 サバロフ将軍の呼びかけに槍騎兵たちは高々と槍を掲げ、雄叫びを上げて応える。

 彼らはアーウェン士族と呼ばれる貴族階級であり、日頃から武術や馬術の鍛練を欠かさない為、傭兵や徴兵された軍隊に比べ、格段に士気も練度も高い。

 その上、大陸でも有数の名馬と名高きアーウェン馬に跨り、頑丈な兜と胸甲を装備し、長槍の他、サーベルやピストル、戦斧などを装備し、それらを戦局に応じて自在に使いこなす。

 大陸最強と謳われるアーウェン槍騎兵は伊達ではない。

 突撃喇叭が高らかに鳴り響く。

「兄弟たちよっ。前進せよっ」

 隊列中央の先頭でサバロフ将軍が叫び、馬腹に蹴りを入れる。その後ろを紅白の旗を掲げた騎手が続き、その他の騎兵たちも後を追った。

 色鮮やかな羽を飾った兜を被り、煌めく胸甲を着け、背中に誇り高い羽飾りを背負った槍騎兵たちは一斉に空を刺していた長槍を前へと突き出し、前へと突き進む。

 騎兵の突撃は当然のことながら最初から全力疾走というわけではない。甲冑や武器を装備した騎兵の重さは相当なものであるから、どんなに丈夫な馬でも長期間疾駆させることは不可能なのである。

 また、槍騎兵の隊列は走り出した当初は散開し、騎兵と騎兵の間を広く取っている。敵の砲撃や銃撃による喪失を少なくする為である。

 最初は歩くよりもやや速く進み、敵に近付くにつれ、騎兵と騎兵の間隔を狭め、速度も増していく。

 アーウェン槍騎兵一〇〇〇騎はガナトス男爵軍中央から東寄りに前進し、前進する自軍中央の歩兵隊を横目に見ながら、ムールド伯軍の中央と右翼の間に向かって突き進む。

 その空隙の危険性に気付いたレオポルドが送り込んだ近衛大隊はサーザンエンド・フュージリア連隊の右側面を防御するように、北東方向を向いて斜めに戦列を組んで布陣しようとしているところだった。更にその側面を防御すべく後方から予備のドレイク連隊が前進を始めている。

 また、ムールド伯軍の砲兵隊は砲撃を繰り返し、アーウェン槍騎兵の行動を阻害しようと試みていた。

 アーウェン槍騎兵は砲撃にも怯むことなく前進を続ける。数騎が砲弾の犠牲となり、落伍するが気に留めることもない。

 先鋒はムールド伯軍の近衛大隊に向かって突き進んでいく。ムールド伯軍の増援が来る前に近衛大隊の薄い戦列を突破し、中央側面に打撃を与えようという思惑である。

「臆するなっ。戦列をしっかりと組めっ」

 サライ少佐がピストル片手に近衛大隊の兵たちを叱咤する。

 近衛大隊は戦列を組み、銃剣を着けたマスケット銃に弾薬を装填し、アーウェンの槍騎兵を迎え撃つ準備はすっかり整っていた。

 しかしながら、近衛大隊を支援する役割を担うドレイク連隊は未だ後方から移動している最中であり、大隊は甚だ脆弱な状態に置かれていた。

 近衛大隊が突破されればサーザンエンド・フュージリア連隊は側面を脅かされることになり、戦闘継続は不可能となるだろう。サーザンエンド・フュージリア連隊の敗北はムールド伯軍中央の崩壊を意味し、中央の瓦解はムールド伯軍全体の敗北と同義である。

 近衛大隊を指揮するサライ少佐は自分たちの役割を十分に理解していた。

「この戦いの勝敗と全軍の命運は全て諸君の働きにかかっているっ。我々がこの場所にたった数十分だけでも踏み止まることができれば、戦いは我々の勝利に終わるのだっ」

 少佐の言葉は誇張や虚勢ではない。近衛大隊がアーウェン槍騎兵の突撃に耐えることができれば、ドレイク連隊が槍騎兵の側面を攻撃し、これを撃退することができるだろう。

 また、両翼においてはムールド伯軍が依然として優勢であり、ガナトス男爵軍の両翼を破り、中央に攻撃を仕掛けるのは時間の問題である。

 少佐の言葉通り、近衛大隊が数十分踏み止まればムールド伯軍は勝利を収めることができるのだ。

 猛々しく突撃喇叭が響き渡る。槍騎兵はその長い槍の穂先を近衛大隊の戦列へと向け、馬腹に蹴りを入れる。今やアーウェン槍騎兵は互いの位置を狭め密集し、全速力で馬を疾駆させている。その密度と速度が打撃力に繋がるのである。

「だいたーいっ。構えーっ」

 少佐の怒号に従い、近衛大隊の兵たちがマスケット銃を構え、砂塵を巻き上げながら突き進むアーウェン槍騎兵の群れに銃口を向ける。

「よく狙えぇっ」

 騎兵は歩兵に比べて的が大きい為、被弾する可能性が高いが、その機動力によってマスケット銃の装填の間に敵へと肉薄することが可能である。

 つまり、近衛大隊には再装填を済ませて、再度の一斉射撃を見舞う余裕がないのだ。

 近衛大隊の兵たちは一斉射撃を見舞わせた後、銃剣を着けたマスケットの槍衾を形成して馬の突進を受け止めなければならない。

 槍騎兵は最早目と鼻の先、手を伸ばせば届きそうな程にまで肉薄している。サライ少佐は敵をぎりぎりまで引き付けて一斉射撃を行うつもりだった。敵が接近している方が命中率が高いからだが、指揮下の兵たちが怖じ気づいて逃げ出さないようにする為でもあった。

 敵を狙い、銃を撃つという作業を終えた後、ただ敵を待ち受けるという時間を多く作ってしまうと兵の恐怖心が高まり、逃げ出してしまいかねない。それよりは射撃という作業に意識を集中していた方がいいと彼は考えたのだ。

 少佐はピストルを構えて叫ぶ。

「放てぇっ」

 銃声が轟き、近衛大隊の目前に白煙が巻き上がる。

 銃弾を受けた兵が馬上から転げ落ちていく。被弾した馬は乗り手ごと転倒する。落馬した兵は後続の味方の馬蹄に踏み砕かれる運命にある。

 ちなみに、甲冑はあくまでも白兵戦において敵の刃を阻む役割であり、銃弾を弾くことは期待できない。

 近衛大隊の渾身の一斉射撃によって数十騎ものアーウェン槍騎兵が脱落したが、突撃の勢いは弱まることもない。

「来るぞっ。銃剣を構えよっ」

 数百騎ものアーウェン槍騎兵の群れが近衛大隊の戦列に突っ込んでいった。

 槍騎兵の長い槍が近衛大隊の兵を貫いていく。突進する馬に体当たりされた兵は吹き飛ばされ、馬蹄は容赦なく兵たちを蹴り、踏みつけて骨を砕く。

 槍騎兵の長い槍は容易に折れるようになっている。槍騎兵は折れた槍を手放し、サーベルやピストルを手にして白兵戦を続けるか、状況によっては代わりの槍を取りに後方へ戻り、再度突撃を敢行する。

 しかし、槍騎兵たちは代わりの槍を取りに行く必要はないだろう。

 近衛大隊の戦列はアーウェン槍騎兵の突破を容易く許し、多くの兵が槍に貫かれ、馬蹄の餌食と化していた。

 士官たちはどうにか指揮下の兵たちをまとめようと四苦八苦していた。どうにかこうにか方陣を組もうとした中隊もあったが、アーウェン槍騎兵の突撃にあって脆くも粉砕されてしまった。

「グロヅィノ卿。ここの敵の掃討を任せる。私は敵の本営に突っ込む」

 サバロフ将軍は部下の士官にそう命じると五〇〇騎余を引き連れてムールド伯軍の本営が置かれているマルセラの町へと馬首を向けた。


「近衛大隊は破られましたっ。敵はこちらに向かいつつありますっ」

 伝令の言葉にレオポルドは机に拳を叩きつけた。

「クソッタレめっ」

 顔面を真っ赤にして怒鳴り、机を蹴飛ばす。机の上に広げられていた地図や駒が部屋中に撒き散らされた。

「直ちに全軍を退却させよっ。将軍はサーザンエンド・フュージリア連隊を左翼方向に移動させ、左翼部隊と合流させよ。然る後、ナジカへの退却を指揮せよ」

「承知致しました。しかし、右翼は如何しますか」

「アルトゥールに任せるしかない」

 顔面蒼白といった様子のバレッドール将軍の問いにレオポルドは不機嫌そうに言い捨てた。

 伝令を出そうにもレオポルドたちがいるマルセラから右翼の間にはアーウェン槍騎兵が入り込んでしまっているのだ。遠回りした伝令が届く頃には情勢は手遅れとなっているだろう。その前にアルトゥールが包囲を免れようと自主的に退却の判断を下すことを期待するしかない。

「閣下は如何されますか」

「俺はドレイク連隊と合流してどうにか敗残兵をまとめて退却する。さっさと行けっ」

 レオポルドに怒鳴られたバレッドール将軍は黙って去って行った。

「人や物に当たっている場合ではありませんよ」

 いつの間にか傍に控えていたソフィーネがいつものように皮肉めいた様子で言った。

「貴方も早くしなければ槍騎兵の餌食になり、神の御許に参上する羽目になりますよ」

「連中とて再編成の時間がいるだろう」

「アーウェンの槍騎兵は移動しながら隊を再編成できます」

 レオポルドが不機嫌そうに言うとソフィーネがさらりと言った。彼女がいた剣の修道院はアーウェン地方にある。アーウェンの事情にある程度通じているのだろう。

「知っているのならば早くに言ってくれ」

「修道女に軍事を聞きますか」

 ソフィーネは素っ気なくそう言った。

 その時、総退却を知らせる喇叭が鳴り響き、レオポルドも着の身着のまま司令部としている町長宅を出た。

 マルセラの町の中は閑散としていた。町民たちは町が戦場となることを恐れ、とっくの前に逃げ出している。町に駐屯していた近衛大隊も既に移動しており、町に残っているのは輜重部門の兵員や人夫、書記などの事務職員、傷病兵くらいであった。誰も彼もが迫り来るアーウェン槍騎兵から逃れようと右往左往していた。

 彼らを護衛して退却を支援してくれる兵はいないのだ。どうにかこうにか自力で逃げ出すより他ない。身動きが難しい傷病兵は自らの運命がここで終わりでないことを天に祈るしかないだろう。

 レオポルドは身の回りにあまり多く人を置かない性質で、書記や料理人などには先に後退するよう指示していた為、彼に付き従うのはソフィーネを含めて九名しかいなかった。

「軍旗を忘れるな。あとの物は捨ておけ。馬は何処だ」

 レオポルドは部下に彼是と指示を飛ばしながら辺りを見回す。

「馬丁はもう逃げたようですっ。厩に残っていた馬はこれだけで」

 近衛大隊の旗手でレオポルドの傍に残っていたカール・ハルトマイヤー中尉が六頭の馬を曳きながら叫んだ。彼はムールド伯領政府の宮内長官を務めるゲオルグ・ハルトマイヤー卿の子息で、二十歳前の若者である。

 レオポルドは馬の数えて眉間の皺をより深くした後、幕僚の一人が持ってきた軍旗を中尉に預けることにした。

「中尉。軍旗を持って馬に乗れ。必ずや軍旗を敵に渡すな」

「しかし」

「君は軍旗の重要性を知らんのか。この喫緊の状況で無駄な議論をさせるな。必ずや軍旗を守り通せ」

 レオポルドが険しい声で言い放つとハルトマイヤー中尉は軍旗を持って馬を駆けさせていった。

 残されたのはレオポルドとソフィーネ。工兵隊長のヨハネス・リッケンジン中佐と彼の副官。レオポルド付の士官でキオ族のナタル・ハヴィド・ジブ大尉。護衛のムールド人伍長が二人。それにルドルフ・ライマン士官候補生とヴィクトール・ルゲイラ士官候補生。二人はそれぞれサーザンエンド歩兵連隊副長のライマン中佐、ルゲイラ兵站総監の子息であり、レオポルドの傍で従兵的な役割を担っていた。

「閣下。我々と士官候補生は徒歩で別行動を取ります。大尉。君は閣下をお守りしろ」

 リッケンジン中佐はそう言って、副官とまだ十代前半という若い二人の士官候補生を呼び寄せた。確かに士官候補生は若過ぎて護衛を務めるのは不可能だろう。また、リッケンジン中佐は乗馬が大変苦手であった。

「わかった。すまんが若い二人を宜しく頼む」

「同僚の息子を死なせるわけにはいきません。何としても逃げ延びますのでお構いなく。閣下こそお気を付けて。アーウェンの馬は速いと聞きますので」

 リッケンジン中佐はルゲイラやライマンとほぼ同年代のサーザンエンド辺境伯軍時代からの同僚なのである。

 中佐は敬礼をした後、副官と若い二人を連れて走り去っていった。

「閣下。急ぎましょう」

 ナタル大尉が慌てた様子で言い、レオポルドは黙って頷いて馬の乗った。大尉とソフィーネ。二人の伍長もそれぞれの馬に乗り、揃って馬首を南に向ける。まずはマルセラの南にいるはずのドレイク連隊に合流しようという考えである。

 突撃喇叭の音に背中を押されるようにレオポルドたちは馬を駆けさせた。

 ついにアーウェン槍騎兵はマルセラの町に突入してくるようだ。マルセラは城壁などない小さな町である。彼らを遮るものは何もない。

 町長宅があった町の広場から南へと向かう道を進んでいると向かう彼方の左手から特徴的な長い槍を携えた騎兵の一群が現れた。

「糞っ。回り込まれているぞっ」

 レオポルドは悪態を吐き、慌てて手綱を引く。

 アーウェン槍騎兵を率いるサバロフ将軍は町に部隊を突入させる前に、一個中隊を町の南に送り込んでいたのだ。目的は勿論、退路を断つ為である。

「西へ向かいましょうっ」

 ナタル大尉が叫び、彼らは馬首を西に向け、家と家の狭い道に馬を入れた。

 東からやってきたアーウェン槍騎兵の一部が南を塞いだとなれば逃げ道は西しかない。北ではサーザンエンド・フュージリア連隊が正面から向かって来るガナトス男爵軍歩兵の攻撃を凌ぎながら、どうにかこうにか西に逃げようとしているはずだ。

 背後からアーウェン語の怒声が飛んでくる。何を言っているのか理解できないが、どうやら見つかったらしい。

「追いかけろ。と言っていますね」

 隣で馬を駆けさせるソフィーネがこんな時でも醒めた顔で言う。修道院では帝国語が話されているはずだが、地元の言葉であるアーウェン語も理解できるのだろう。

「そんなことは言われんでも分かるっ」

「このままでは捕まりますよ」

 ソフィーネの言葉は多分正しい。馬の質は相手がいくらか有利であり、乗り手の技術ではムールド人はともかく、レオポルドとソフィーネはそれほど熟練ではない為、相手の方が数枚上手だろう。ただ馬を走らせて逃げるのでは遅かれ速かれ捕まってしまう。

「じゃあ、どうするっ。諸手を挙げて降参するかっ」

 苛々とレオポルドが怒鳴ると彼女は暫く考えてから口を開いた。

「相手とはまだ結構な距離がありました。敵はこちらが何騎かまでは確認できていないはず」

「それでっ」

 レオポルドが苛立たしげに促すように怒鳴ると、彼女は冷笑を浮かべて言った。

「一か八か賭けてみますか」

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