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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第九章 ハヴィナへ
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一三二

 ムールド伯領政府の最高機関である枢密院の会議は伯領総監府の入る建物の一室において催された。

 会議室に設けられ長テーブルの上座に着いたのはムールド伯たるレオポルド。次席を占めるは枢密院議長ゲオルグ・フライヘア・レッケンバルム卿、その隣に伯領総監であるヨハン・シュレーダー卿、副総監のアルトゥール・フェルゲンハイム将軍、外務長官クレメンス・ヴァン・キルヴィー卿が席を連ねる。枢密院議長の向かいに副議長でサルザン族族長の伯父であるタヒル・ルスタム・イスマイル、その隣が軍事評議会の議長を務めるカール・アウグスト・ジルドレッド将軍、聖職者であるエミール・エスターベルク主任司祭、サイマル族の族長ウサム・ムハッバト・ベスタル、ムラト族の長老タイカル・ハガン・ムスタムといった面々であった。

 この他、キスカ、レンターケット、バレッドール将軍といったレオポルドの側近たちや法務長官を務めるシュレーダー卿の子息、レッケンバルム准将らが控えていた。

 まず、口を開いた枢密院議長たるレッケンバルム卿は満足そうに口髭の先端を摘まみながら言った。

「ハルガニ地方を平定できたのは真に喜ばしい。あとはあの忌々しい逆徒どもを排除し、サーザンエンド全域を支配できれば南部における東西貿易と南洋貿易の全ては我々の手中にあるも同然となろう」

 東方大陸から運び込まれる絹織物や陶磁器、茶、南洋諸島で産する香辛料、砂糖といったものは帝国本土では非常に需要が高く、大変よく売れる商品である。運べば運んだだけ売れるといった有様であり、この交易路を握ることは極めて高い利益を齎す。

 レイクフューラー辺境伯が富裕なのは大陸本土東岸のフューラー地方に拠点を設け、その地の商人たちの庇護者としての地位を確たるものにしている為である。フューラー商人は東岸部の港から船を出し、東方大陸と交易を行っている。

 同様にグレハンダム山脈以南の地である帝国南部においても東西貿易は盛んである。レウォントでも東岸部エサシア地方でも東西貿易は非常に重要な産業であり、南部では例外的に農業が盛んなレウォントはともかく、土地が貧しく、工業も盛んではないエサシア地方において東西貿易は生命線といってもいいだろう。

 エサシア地方に荷揚げされた東方の物産は陸路ならば駱駝の背に積まれ、ムールドの砂漠を横断して西岸部イスカンリア地方の港湾都市カルガーノに運び込まれる。海路ならば南へ下り、南端部唯一の港湾都市ラジアに寄港して補給物資を積み込んでから、船乗りにとっては悪魔の牙や爪とも言える鋭い岩崖が連なるハルガニ地方の海岸を右手に見ながら、ぐるりと大陸南部を回り込んでカルガーノに向かう。

 陸路は時間がかかるが、ムールドの諸部族に金を払って依頼すれば確実で安全に運ばれる交易路である。

 逆に海路は大幅に時間を短縮できるものの、南の海は風強く波高く、穏やかな凪かと思えば急に荒れるということもあり、その上、嵐に遭っても安全に避難できる港がラジアに限られている。その上、海賊の出没も頻発している為、危険度の高い交易路と言える。

 ちなみに、北に向かうとライバルであるフューラー商人の勢力圏に入ってしまう。

 どちらにせよ、ラジア陥落によってその両方がレオポルドの手によって握られることとなった。これは彼に莫大な関税収入を齎すと共にエサシア地方の東岸商人たちに対して大きな優位性を確保したことを意味する。

 また、彼の庇護を受けるサーザンエンドやムールドの商人も大きな利益を手にするだろう。レッケンバルム卿をはじめとするサーザンエンド貴族の中には貿易に投資する者や商会と繋がりのある者も多く、サーザンエンド商人の利益は彼らの懐を潤すことに繋がるのだ。

 ともなれば、レッケンバルム卿の機嫌が良いのも頷ける。

 しかし、卿が上機嫌な理由はそれだけではないらしい。

「サーザンエンドの情勢も我々にとって有利な状況となりつつある」

「ほう。それはどういうことですかな」

 帝都貴族である為、サーザンエンドの情勢に疎いキルヴィー卿が尋ねた。

「シュテファン・ブレドは先の戦いにおいて戦傷を負い、病に倒れたという。その為、ブレド・ウォーゼンフィールド両男爵の軍勢は再編成も成っていない有様だとか」

「確かに先の戦い以来、ブレド男爵軍の動きは全くと言っていいほど見られませんな。ナジカまで偵察の兵を送ってもほとんど反応がないようだ」

 ジルドレッド将軍がごわごわの赤髭を撫でつけながら唸る。

「その上、ウォーゼンフィールド男爵家ではブレド男爵に接近した独立派に対し、それに反対していた保守派が勢力を盛り返し、ウォーゼンフィールド男爵自身の統率力の欠如もあって家中は今後の方針を巡って日夜論議が続いているようだ」

「つまり、ウォーゼンフィールド男爵をブレド男爵から離反させられる可能性があるということですかな」

 キルヴィー卿が尋ねるとレッケンバルム卿は酷薄そうな薄い唇を吊り上げて応えた。

「やりようによってはそれも可能であろう。既に私の元にはウォーゼンフィールド家中の保守派の者より幾通もの書状が来ておる」

 確かに卿の言う通り、サーザンエンド情勢はレオポルドたちにとって有利な状況になり始めているようであった。

「しかも、内紛を抱えておるのはウォーゼンフィールド男爵家だけではない」

 レッケンバルム卿の言葉に席上の視線が集まる。

「内紛を抱えておるのはブレド男爵家も同じよ」

 レッケンバルム卿の言葉にキルヴィー卿は意外そうな顔をし、枢密院に議席を持つ三人のムールド人長老たちは顔を見合わす。四人以外のサーザンエンド貴族たちはそれほど大きな反応を示さなかった。思い当たる節があるのだろう。

「もう十数年前のことだが、前の男爵が死去した時、シュテファンとその叔父であるローハンとの間に相続する領地を巡って争いが起きたことがある。最終的にサーザンエンド辺境伯の仲介により、ローハンがブレド男爵領の一部カウラント地方を分割相続することで決着し、ローハンは分家であるカウラント家を興すこととなった」

 この裁定に、シュテファン、当代のブレド男爵は強い不満を抱いたらしい。

 というのも、仲介をしたサーザンエンド辺境伯はブレド男爵の主君であるが、実質的にはその側近であるレッケンバルム卿らの強い影響下にあった。レッケンバルム卿らはサーザンエンド辺境伯の権威を利用してブレド男爵家を分裂させ、その弱体化を狙っていたのである。そのことに気付かないほど男爵は愚かではない。

「それから暫く後のことだ。ローハンとその子ヨハンが相次いで急死し、ヨハンの子エーベンハルトがその後を継いだものの、男爵がその後見役となってカウラント家を実質的に支配するようになった。ローハン、ヨハン父子の死は男爵による暗殺ではないかという噂もあった」

 その状態が暫く続き、カウラント家はブレド男爵に表立って反抗する力を失っていたものの、強い不満を抱いていた。当主のエーベンハルトも成人し、男爵の影響下から逃れることを虎視眈々と狙っていた。

 サーザンエンド辺境伯フェルゲンハイム家の断絶から始まった今回の騒乱をブレド男爵が自身の影響力と地位の向上の好機と捉えたように、カウラント家もサーザンエンド辺境伯位を巡る争いと混乱、ブレド男爵の負傷とその軍勢の敗北をブレド男爵の支配下から逃れる好機と見た。

「カウラント家からも私の元に幾通もの書状が来ておる。ブレド男爵軍の内情や配置、ハヴィナやナジカの情勢、サーザンエンド北部の動向なども知らせて来ておる。連中はシュテファン・ブレドの排除を望んでおるのだよ」

 カウラント家の兵もブレド男爵軍に動員されている為、その軍勢の内実はよく分かるのだろう。

 彼らやウォーゼンフィールド男爵家の保守派がレッケンバルム卿に通じるのは、卿がサーザンエンド辺境伯宮廷において長きに渡って中枢にいた実力者であり、ハヴィナを去って二年近くになる今でも影響力を保ち続けている証左であろう。

「ウォーゼンフィールド男爵家の保守派とカウラント家は如何程の勢力なのですかな」

「動員できる兵自体は多くはないだろう。それくらいの力があればもっと積極的に動いているだろう。彼らは我々のサーザンエンド中部への出兵を望んでいるようだ。つまり、我々の軍勢がなければ勝ち目がない程度の勢力といったところであろう」

 キルヴィー卿の問いにレッケンバルム卿は冷静に分析してみせた。

「ならば、早々に動くべきだろ」

 それまで黙っていたアルトゥールが端的に言い放つ。

 確かにレッケンバルム卿の言葉を信じるならば、確かにサーザンエンド中部における状況はレオポルドの有利に動いているようだ。

 ブレド・ウォーゼンフィールド両男爵軍の残存兵力がどれほどのものか。ウォーゼンフィールド男爵家保守派、カウラント家との連携をどう保つか。他のサーザンエンド中部の中小貴族や教会の動向。北部のガナトス、ドルベルン両男爵の動向など、考慮しなければならない材料は多くあるものの、あまり悠長にしていると機を逸する可能性もある。

「しかしながら、我が軍は先のラジア攻略戦において、大きな損失を被っておる」

 ジルドレッド将軍は慎重な意見を述べた。

 レオポルドの率いるムールド軍のうちムールド旅団各連隊、それに近衛大隊とドレイク連隊はラジア攻防戦で大きな損失を被っており、兵力の補充も未だ途中段階である為、すぐに動員できる状況ではない。動員できる兵力がサーザンエンド・フュージリア連隊とサーザンエンド歩兵連隊、サーザンエンド騎兵連隊だけでは心許無いというものだ。

 将軍に続いてシュレーダー卿も意見を述べた。

「ラジア攻略戦に際しては多くの物資、特に食糧を徴発しております。その為、領内では食糧の不足が問題となりつつあります。特に小麦の不足は深刻な状況となっており、市場での値は前年の倍に跳ね上がっているとのことです」

 レオポルドはラジア攻略戦の為に多くの食糧を徴発していたが、それは元々食糧生産能力が貧弱なムールドの食糧事情を大きく悪化させる要因となっていた。

 過去、多くの統治者が餓えた民に倒されたことを鑑みれば、言わずもがな重要な課題であることは明白であろう。

「確かに我が部族においても小麦の備蓄が極めて少なくなっております。市場での価格がこのままでは貧しい者は小麦が買えず、家畜を手放す者が出始める可能性があります」

 サイマル族の族長ウサムが言い、隣に座るムラト族の長老タイカルも長い白髭を撫でつけながら頷いていた。

「今、ここでサーザンエンド中部への遠征を強行すれば、より多くの食糧が必要となり、民の手許に残る食料は僅かなものとなりかねず、暴動が発生する恐れがあります。食糧供給は喫緊の課題であり、これ以上の軍事行動は極めて難しいと思われます」

 シュレーダー卿はレオポルドに視線を向けながら言った。

「では、むざむざとサーザンエンドとハヴィナを取り戻す好機を逸するというのか。ウォーゼンフィールドの保守派とカウラントの者らの内通がブレドに知られてしまっては全てが水の泡と化すぞ」

 レッケンバルム卿は不機嫌そうに眉を怒らせて言い放つ。

「食糧の不足は一時的なものであろう。ハヴィナやナジカを占領すれば多くの食糧や物資が手に入る。それで食糧問題は解決するはずだ」

 卿がそう続けるとジルドレッド将軍が口を挟む。

「レッケンバルム卿。それは楽観的過ぎるのではありませんかな。ハヴィナやナジカの攻略に予想外に時間を要してしまった場合、我が軍、そして、ムールド領内の食糧は枯渇しかねませんぞ」

 サーザンエンドの軍人貴族の名家であるジルドレッド将軍の言葉には反論し辛いのか、レッケンバルム卿は不満そうに鼻を鳴らして黙り込む。

 枢密院議官たちの発言が一段落したところで、レオポルドは口を開いた。

「確かに好機であると思われるが、これ以上の軍事行動は我が軍にも領民にも負担が大きく、慎重に判断する必要がある」

 レオポルドは慎重な判断をした。

「軍の再編成を急ぎ、ウォーゼンフィールド家の保守派、カウラント家との連絡を保つよう努めて頂きたい」

 レオポルドの指示にジルドレッド将軍は頭を下げ、レッケンバルム卿も不機嫌そうな面持ちながら首肯した。

「小麦価格の高騰は早急に改善する必要があるだろう。備蓄している小麦を放出して、価格を抑えるよう努め、小麦商などが買占め、売り渋りをしていないか調査せよ。また、イスカンリア地方や帝国本土の小麦を買い付けて輸入したらよいと思う」

「承知致しました。そのように取り計らいます」

 シュレーダー卿が応じ、食糧不足対策が取られることとなった。

 一先ず、今後の対策を話し合ったところで、レオポルドは冷めた茶を満たしたカップに口を付けた。

「ところで、ラジアに潜伏していると思われていたレイナルの行方は如何なったのでしょうか」

 そう言ったのは枢密院副議長のタヒルであった。

「レイナルは生死と所在は不明のままです」

 ラジア攻略の指揮官であったバレッドール将軍が苦々しげな顔で答える。

 そもそも、レオポルドに幾度も反抗し、ムールド人の反帝国勢力の旗頭ともなったレイナルの身柄引き渡しをアスファル族が拒んだことがラジア攻撃の名分となったのだ。

 実際にはラジアを手にすることによる交易路の独占や後背地を掌握するという戦略的な意義の方が大きかったものの、レイナルの生死と所在も重要な問題であることには疑いはない。

 レイナルはムールドの反帝国・反レオポルド勢力が結集する旗頭となりかねない存在なのである。

 しかしながら、攻略後のラジアにレイナルの姿はなく、ラジアの高官たちを尋問しても行方は知れなかった。

 そもそも、ラジア市内にレイナルがいたのか。実際にはいなかったのかも定かではない有様で、ラジアに駐屯するレオポルドの軍勢は未だにレイナルの捜索を継続していた。

「砂漠の民の中には過激な反帝国主義を唱える者が未だに少なくなく、彼らにとってレイナルは英雄と見做されており、早急にその生死を確認した方が宜しいでしょう」

 タイカルの発言は現実味を帯びた危惧だろう。彼のムラト族はクラトゥン族と同盟を結んでいたムールド南部の有力部族であり、ムールド人の中でも特に反帝国感情の強い者たちと接しているのだ。

「レイナル如きは既に敗れ去った負け犬だというのに、未だにそのような者に心酔するとは愚かな」

 レッケンバルム卿が不快そうに吐き捨て、ムスターベルク主任司祭が口を開いた。

「彼らに偉大なる主の教えを広め、誤った思想を正すべきではないでしょうか」

「司祭殿のお考えは結構だが、ムールド南部は未だに危険な地域。布教は慎重に為さるべきでしょう」

 キルヴィー卿が制止するように言い、シュレーダー卿やジルドレッド将軍も同意する。反帝国感情が強い地域で布教などしては火に油を注ぐようなものだ。

 エスターベルク主任司祭は異教徒は皆殺しにすべしなどと言うような過激な狂信家ではなく、穏和な善人ではあるが、神の道ばかり見ているせいか、俗世の事柄には少々疎いようであった。

「レイナルの捜索は継続する。過激思想の蔓延は危惧すべき案件である。そのような言動を行う者を調査し、行動を観察して、危険な行為に及ぶ前に制止できるよう努めよ」

 レオポルドが指示を下し、この日の枢密院の会議は終了した。

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