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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第八章 南岸
134/249

一二八

 ファディからの急使がレオポルドの下に訪れたのは目標としている外塁に対する二度目の攻撃が惨めな失敗に終わった日の夕刻であった。

「閣下っ。朗報でございます」

「今さっき、我が軍の二度目の総攻撃が失敗し、百名以上の兵員が失われたところだが、これ以上の朗報があるというのかね」

 机に肘を突き、脚を組んだレオポルドは不機嫌そうに急使を睨みつけた。

 レオポルド軍によるラジア攻撃は前回同様、ラジアの頑強な抵抗と海側からの砲撃によって大きな損失を被り、目標としている東側外塁を攻略することができなかった。

「いとも寛大なる閣下の親愛なるご令室が無事に御子を出産なされました」

 使者の口上を聞いたレオポルドはぽかんとした顔で使者を見つめた後、その場に控える高官たちを眺めた。

「これはなんという僥倖。おめでとうございます」

 バレッドール将軍が祝いの言葉を述べ、他の将校たちも口々にお祝いを述べた。

「御子は男子であります」

「ほう。それは尚のことめでたい」

 ジルドレッド准将はそう言ってからレオポルドに視線を向けた。

「閣下。御子息にお名前をお付けになるべきでしょう」

「ん。うむ。勿論、そうだろうな。考えておこう」

 レオポルドは唸るように言って腕を組んだ。

「また、もう一つ朗報が」

 使者が言葉を続ける。

「アイラ様にご懐妊の兆候があるとのことでございます」

 レオポルドは頭がくらくらした。


 ムールドを統治する主君にして総指揮官の子息の誕生を祝ってレオポルド軍では全ての大砲が礼砲を放ち、兵たちは一斉にマスケット銃を掲げて叫んだ。

「ムールド伯レオポルド閣下。ばんざーいっ」

 兵たちには配給酒が倍で支給され、数頭の牛と数十頭の羊、一〇〇羽の鶏が絞められ、羊の焼肉や鶏の丸焼き、臓物のスープなどが供された。ここ数ヶ月、数えるばかりの肉片の浮かぶ薄いスープと平焼きパン一つだけの食事で我慢してきた兵たちにとっては久々の御馳走で、誰もがレオポルドの子供の誕生を喜んだ。子供が無事に産まれなければこの御馳走は自分たちの前に現れることはなかったことを彼らは理解しているのだ。

 相次ぐ敗戦と大きな損失によって落ち込んでいた将兵の士気は突然の慶事と宴会騒ぎによっていくらか改善されたようであった。というよりも、目の前の苛酷な現実から目を背ける丁度良い口実が出来たと言った方が正しいだろうか。

 数十発もの礼砲が連射され、喊声が上がり、馬鹿騒ぎをしている将兵を尻目にレオポルドは見張り櫓に登って望遠鏡でラジア方面を眺めていた。

 こちらの馬鹿騒ぎは向こうにも分かるはずだが、レオポルドの子の誕生など知る由もないラジアの人々はさぞ訝しんでいることだろう。浮かれ騒いでいるレオポルド軍を見て、城を出て攻撃を仕掛けてくるかもしれない。

 レオポルドとしては敵の出撃は待ち望んでいるところであった。今、自軍は油断し、警戒も緩んでいる為、敵襲に遭えば大きな混乱に見舞われるだろう。それでも、膠着した攻城戦を続けるよりも野戦での戦いの方が勝率は高いと彼は考えていた。

 しかしながら、ラジアの人々はレオポルド軍の馬鹿騒ぎを何かの策略か罠だと思い警戒しているのか、いつもよりも見張りが多くいるくらいで、城を出る様子はなかった。

 レオポルドは忌々しげに舌打ちして望遠鏡を下ろす。

「御子息が生まれたというのに、あまり嬉しそうではないですね」

 声をかけたのはいつの間にか背後に立っていたソフィーネであった。

「そんなことはないさ。ただ、まだ実際に見ていないせいか、あまり実感がないんだ」

 レオポルドはそう言ってから再びラジアへ視線を向ける。

「早く会う為にも早々にあの忌まわしい城を落とさなければならないだろう。それまでここを離れることはできないからな」

「貴方が居ても城を陥落させるとは限りませんけどね」

 ソフィーネは言葉に棘を生やさないと気が済まない性質なのだろう。

「御子息の名前はもう考えているのですか」

「ルートヴィヒ・ネルサイ・クロスにしようと思っている。クロス家の始祖の名前だ。我が一族がムールドで新たな始まりを迎えるに相応しいだろう」

「成る程。その名はできるだけ早くにファディに知らせるべきでしょう。諸卿が安堵するでしょうから」

 ソフィーネは皮肉っぽく口角を吊り上げて言った。

「ところで風が強くなってきましたね」

「ハルガニをよく知る者が言うには、この時期は海側から強い風があるらしい。春を告げる風と云われているとか……」

 風に吹かれて靡くソフィーネの長い黒髪を見つめながらレオポルドは考え込む。

「何ですか。私の髪に何か文句でも」

「違う」


 それから数日、レオポルド軍によるラジア攻略は中断された。

 その間、攻囲軍の兵士たちは現状の平行壕よりもより外塁に近い平行壕と砲兵陣地を構築すべく、土木作業に従事していた。作業を妨害しようとラジアからは断続的に砲撃が加えられ、少なくない数の兵が犠牲となった。

 作業は三月に入る頃には終わったが、レオポルドは攻撃の命令を出さず、両軍が牽制するように砲弾を飛ばし合うだけの膠着状態が一週間ほど続いた。

 レオポルドが攻撃命令を出したのは早朝から極めて強い風が吹き荒れる日であった。灰色の雲が見る間に流れていき、波は高く、白い飛沫を上げていた。

 出撃の喇叭が鳴り響く中、将兵の多くは吹き飛びそうになる帽子を押さえつつ「何もこんな日に戦いに出ないでも」などとふつくさ言いながら武器を携え、定位置まで塹壕を進んだ。

 レオポルド軍の砲兵陣地は以前よりも外塁に近い位置に設けられ、休みなく砲弾を撃ち込んでいく。

「ドレイク連隊。配置に着きましたっ」

 伝令の言葉にバレッドール将軍は頷き、傍らで望遠鏡を覗くレオポルドに視線を向けた。

「全軍配置に着きました」

「またぞろ砲艦が出てきたな」

 将軍の言葉を聞いているのかいないのか。レオポルドは海上に向けた望遠鏡を覗き込みながら苛々と呟く。

「これくらいの強風でも港を出るのか。忌々しい」

 レオポルドとしては強風によってラジア軍の軍艦が出港できないことを望んでいたのだが、元々風の強い地域であるハルガニではこれくらいの強風では出港を取り止めることはないのかもしれない。

「閣下。軍を進めて宜しいでしょうか」

「ん、あぁ、軍を進めてくれ」

 レオポルドのやや投げやりな指示の下、レオポルド軍の三度目となる突撃が開始された。

 今回の先陣は帝国本土や外国人の傭兵から成るドレイク連隊であった。一度目の攻撃を担った第一ムールド人歩兵連隊、二度目の攻撃の中心となった第二ムールド人歩兵連隊は共に多くの損失を被っていた為である。とはいえ、ドレイク連隊のこれまでの戦いや疫病の蔓延により定員を大きく割り込んでいる。

 レオポルド軍の定員は五〇〇〇以上であるにも関わらず、実際の兵員数は四〇〇〇を大きく割り込んでいるという惨憺たる有様であった。

 突撃喇叭が鳴り響き、ドレイク連隊の兵士たちが塹壕から這い出た。塹壕は以前に比べ、危険なほど外塁に近くなっている。塹壕から出て数歩進んでだけで撃たれる兵が続出するほどである。

「だいたーいっ。駆け足っ」

 栄えある先陣を任されたドレイク連隊第一大隊は数十本の梯子を抱え、外塁を形成する高く分厚い土塁へと駆け寄る。士官に命令され、下士官にどやされた兵士たちが急な斜面に架けられた梯子を駆け上がり、他の兵はマスケット銃を構えて、うかつにも顔を出した城兵を狙い撃ちする。

 ドレイク連隊の攻撃が本格化した頃、洋上に出ていたラジア軍の砲艦が砲撃を開始した。

 レオポルドがいる見張り櫓からは砲艦からの砲撃がよく見えた。

 一発目の砲弾はドレイク連隊の頭を飛び越え、何もない荒野に着弾して盛大な土埃を巻き上げただけだった。二発目も同じような場所に落ちて地面に大きな穴ぼこをこさえた。

「強風のせいで砲弾が思った所に着弾しないようですな」

「連中、風速や風向きを計算に入れて座標を割り出しているのか。下手糞な砲撃だ。ありがたい」

 ジルドレッド准将の言葉にレオポルドはぶつぶつと応えた。

 ラジア軍の砲艦は強い風の中、帆を畳み、錨を下ろして位置を保持しようと努めていた。

 しかし、そうすると彼らの大砲は甲板という狭い空間で照準を合わせなければならず、命中度は大幅に下がるだろう。気紛れな風は強くなったり弱くなったりして砲弾を思った地点に運んでくれないのだ。

 ドレイク連隊は海上からの砲撃に傷つけられることなく、外塁へと攻撃を集中させることができた。

 ドレイク卿は第二大隊を攻撃に参加させ、レオポルドは近衛大隊を増援に送り出し、第二ムールド人歩兵連隊を最前線の塹壕まで進ませた。

 全ての梯子には数十人もの兵たちが連なり、先頭を行く勇気ある兵士が土塁の内側に数発の擲弾を投げ込み、爆発の後、土塁の内側へと乗り込んでいった。一人目は待ち構えていた敵兵の槍に貫かれ、二人目は銃弾を受けて、土塁から空堀へと真っ逆さまに落ちて行った。三人目は振り下ろされた半月刀を銃剣で受け止め、四人目がサーベルを振り回して敵兵を遠ざけ、五人目はマスケットを振り回して敵兵をぶん殴った。

 侵入を許したラジア兵たちが武器を手に押し寄せるが、侵入者たちは梯子を守って戦い、梯子からは次々と増援の兵たちが乗り込んでいく。他の梯子からも次々とドレイク連隊の兵たちが土塁を乗り越えていく。堰を切ったようにレオポルド軍の兵士たちが外塁内部に溢れていった。

 ラジアの最も東にある外塁に立獅子と鍵に巻き付いた蛇の軍旗が翻ったのは昼少し前くらいの時頃だった。

 レオポルド軍の陣中からは歓声が上がり、ここ暫く断食中の修道士よりも険しい表情ばかり浮かべていた士官たちの顔にも数月ぶりの笑みが浮かんだ。

「直ちに近衛大隊と大砲を外塁に入れ、間髪入れずにラジア本体の攻撃にかかれ」

 バレッドール将軍が指示を飛ばすと伝令が前線に向かって走って行く。

「さすがドレイク連隊ですな。大陸本土で攻城戦には手馴れているのでしょう」

 レオポルドはジルドレッド准将の言葉を聞き流し、望遠鏡を海へと向け続けていた。

 外塁が陥落したことを知ったラジア軍の砲艦は慌てて大砲を外塁へと向けようと四苦八苦していたが、南からの強い風が吹き、砲艦の一隻がずるずると動き始めた。船長が意図した動きではないようで、甲板上では水夫たちが慌ただしく動いている。

「あれは走錨しはじめているようですね」

 いつの間にか近くにいたドレイク連隊の主計長イレーヌが解説するように言った。

「沈めた錨の爪が反転して海底の土砂をかかなくなり、把駐力を失って船が漂流することを走錨と言います」

 サーザンエンドとムールドは内陸である為、船や海に関する知識は殆ど無いも同然なので、士官たちは興味深そうにイレーヌの話に耳を傾ける。

「走錨すると船は位置を保持することができなくなり、波や風に流されてしまいます。船乗りにとって走錨は死刑宣告にも近しいほど恐ろしい事態です」

 ドレイク卿は船乗りの国とも称されるほど海運が盛んなグリフィニア王国の出身であり、その部下である彼女もある程度、船や海の知識を持っているのだろう。

「走錨した場合、取り得る方策はいくつかありますが、錨鎖の伸長か捨錨が選択されることが多いでしょう。錨鎖を繰り出して伸長することによって本船位置を保持することは走錨前または走錨初期ならば効果を期待できますが、既に走錨が始まった段階で船が止まることは稀です。錨を捨てることは容易に判断し実行することはできませんが、錨鎖を伸長しても止まらず、錨の巻き上げが困難である場合、早期に判断して実行しなければ船は助からないでしょう」

 そう言ってイレーヌは走錨した砲艦に視線を向ける。

 砲艦はずるずると陸地側に流されているようだ。船長が錨鎖の伸長か捨錨のいずれかを、或いは全く別の選択肢を選んだのかは分からなかったが、最終的に砲艦はハルガニ沿岸のゴツゴツとした危険な岩礁に乗り上げ、波浪に弄ばれるがままに横倒しになって船腹を陸側に向けた。

 僚艦の悲劇を見た他の砲艦は錨を上げると海岸の恐ろしい悪魔の爪や牙とも称される岩礁を避けようと沖へと船を進めていった。大砲の射程よりも遥かに遠くへ。

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